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ある晴れた日のこと

〈1〉

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それはある晴れた日のことだった。スイはパトカーにもたれかかりながら屋内駐車場から外を眺めていた。
突然、けたたましいサイレンの音が駐車場内にこだました。顔をそちらに向ければ、すぐ近くに停車していたパトカーが出動していくのが見えた。
(また交通事故だろうか)
そう思ってスイの気分が沈む。彼は目を伏せ、ため息をついた。
パトカーが見えなくなって再び静かになった駐車場内に今度は足音がこだまして、スイは音がする方に目だけを向ける。出入り口の方から愛昼がこちらに向かってゆっくり歩いてくるのが見えた。
それを見てスイが、先ほどまで物憂げな表情をしていたのが嘘のように、営業スマイルとばかりに爽やかな笑みを作った。そして帽子をとり、こちらに一直線に向かってくる相棒に挨拶をした。
「おはようございます」
「……おはよう」
愛昼が明るいとは言えない声で挨拶を返す。
「どうしたんです?なんだか浮かない顔をしていますが」
スイがつとめて笑顔で話しかける。愛昼はちらりと彼を見ると言いにくそうに口を開いた。
「スイ、とても言いにくいのだけど」
愛昼の表情と声のトーンから、悪い報告であることを感じ取ったスイがすっと上げていた口角を下げた。
愛昼がスイと視線を合わせないようにして、重い口を再び開いた。
「例の当て逃げの捜査は打ち切られたわ」
ぽつりと発せられた愛昼の言葉が駐車場内にひびく。スイは少し押し黙ってから
「そうですか」と沈んだ声で言った。
件の当て逃げ事件が起こったのは今から四日前の夜中であった。当て逃げの被害届を受け、愛昼達交通捜査課は勇んで加害者の捜査に乗り出した。
しかし、そんな彼女達を待ち受けていたのは非情な現実であった。被害者の車には頼みの綱であるドライブレコーダーがついていたものの、読みとれたのはナンバーだけで地域までは分からず、車や道路に付着した塗料もかなり微量だったため、車種は絞れたものの加害者の特定にまでは至らなかったのだ。
毎日交通事故の申告は舞い込んでくる。解決出来ない事故をいつまでも追い続けているわけにはいかない。そういう理由で結局捜査は打ち切られてしまったのだろう。
スイは目を伏せ、暗い顔で呟いた。
「人が亡くなっていなければ、大した事故ではありませんか」
その言葉に愛昼は何かを言おうと口を開きかけたが、結局何も言わずに閉じた。俯いた彼女が悔しそうに唇を噛んでいるのが見えた。
スイはそんな愛昼をじっと見つめたあと、
「……分かりました。報告ありがとうございます」と言い踵を返した。
愛昼が去って行く足音を聞きながら、スイは人知れずため息をついた。

こちらに歩いてくるスイを見つけて、被害車が悲しそうな笑みを見せながらお辞儀をした。
スイは笑みを取り繕いながら彼女の前に立つ。
「パトカーさん。捜査してくださり、ありがとうございます」
「いえ」とスイが首を横に振った。
「これが仕事ですから」
そう言うと被害車がちょっと微笑んだ。
捜査が打ち切りになったことをどう伝えようか悩んでいると、
「それで……どうなったのでしょうか」と被害車がおずおずと尋ねた。酷く心配そうな顔をしている。
「え?……ああ、今我々の方で捜査していますので、ご心配なく」
咄嗟に嘘を付いてしまい、スイは自分に「一体何をやっているんだ」と怒る。しかし、不安そうな被害車を前に捜査が打ち切られたことを言うなんてことは、スイにはとても出来なかった。
「そうですか……。まだ、加害者が誰かは分かりませんか」
「ええ」とスイが残念そうに言う。
被害車が加害車のナンバープレートに書かれた地域情報を覚えていてくれたのは良かったが、先ほども言ったようにドライブレコーダーではそれが確認できないのが問題だった。
車の意見が直接には証拠とならないことをスイは嫌というほど分かっている。
「そうですか……」
スイの返答に被害車が悲しそうな顔をして俯いた。その表情がスイの心を酷く締め付けた。
後ろから来た車に追突され、被害車の運転手は衝撃に体がむち打ちになった。痛みにうめいていた運転手の顔が、彼女には忘れられないのだ。
「ぶつかってきたのは向こうですから、やっぱり謝るくらいはして欲しいですね」と被害車は笑った。その笑みが決して心からの笑みではなく、運転手を傷つけた加害者たちへの怒りを押し殺すためのものだと、スイにはよく分かっていた。
そんな被害車も勿論無傷ではなく、スイは彼女を訪ねるたびに怪我した部分を撫でてあげていた。
悲しそうな顔をしている被害車を見ながら、スイは思い通りにいかないもどかしさに唇を噛んだ。
(『悪いことをした人には、きちんと罪を償ってもらう』のではなかったのですか……)
相棒にそう心の中で問いかける。しかし、彼女を責めたって仕方がなかった。正義感の強い彼女のことだ、泣く泣く捜査を諦めたに違いない。
人間には人間の事情があるのだろう。人間の社会が複雑で、車には到底理解できないものとは知っている。それでも、捜査を打ち切られることにスイは疑問を抱かざるを得なかった。
(……そうか)
どうしたものかと考えていたスイの頭に、不意に電気が走ったような気がした。
(愛昼が捜査出来ないのなら、俺が代わりに捜査をすればいい)
今のように人型になっていれば、自由にあちこちに行くことが出来る。そうすれば捜査を続行することができる。
そう思うとどんどん気力が沸いて出てくるような気がした。スイは思い立ったが吉日、被害車に事故現場を確認すると歩き出した。

事故が起きた当時、事故を目撃していた車達に話を聞きながら、スイは加害車のあとを追っていた。幸いその時間帯は家に帰っている人が多く、車たちが駐車場に停まっていたため、多くの車が加害車がどちらの方向に行ったかを教えてくれた。
(えーっと、さっきの車の話によると、ここを左に曲がって……)
先ほど親切に教えてくれた車の話を脳内で反芻しながら歩みを進める。人型でこんなにも長い距離を移動したのは初めてで、スイはすっかり息が弾んでしまっていた。人間の歩みはこんなにも遅いものかと、改めてスイは人間が車を使いたがる理由を理解した。
彼が出た道には少し行ったところに十字路と突き当りにT字路があった。
(さて、またどこに行ったか聞き直しだ)とスイは息をつき、活を入れ直した。
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