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リュー
〈13〉
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店内に入ると肉の焼けた香ばしい匂いや魚のだしの匂いが漂ってきた。あちこちドライブで回って空腹になったお腹にはたまらない。たちまち二人の腹の虫が鳴いた。
個室に通され扉が閉められると、あたりの騒音が遮断され幾分か静かになった。
堀ごたつに座り、朝陽はほっと一息つく。
向かいに座った磯部が、メニューをとり出し机の上に広げた。
「よし、じゃあどんどん頼んでいくぞ。お前、何がいい?」
朝陽が身をのりだしメニューを覗きこむ。そこには美味しそうな料理の写真がたくさん並んでいた。
朝陽はぱらぱらとページをめくったあと、口を開いた。
「『宮古牛のステーキ』と『アグー豚ステーキ』が美味しそうですよ」
「そうだな。あと『ソーメンチャンプルー』と『宮古そば』も頼んでおくか?」
磯部の言葉に朝陽は頷いた。
「で、飲み物は……。お前、何にする?」
「さんぴん茶でお願いします」と朝陽が返した。
「そういやお前、お酒が飲めなかったな」
磯部がそう言って笑う。
「はい。親父もお袋も飲めないので、多分遺伝だと思います」
「そうか」と相づちを打ってから磯部が
「じゃあ、朝陽。俺は酒を飲むから、帰りはお前が運転を頼む」と続けた。
その言葉に朝陽が「分かりました」と頷いた。
続々と運ばれてくる料理に二人は舌鼓を打つ。磯部は料理とビールを交互に口に入れているうちにすっかり酔ってしまったようで、顔を赤くさせていた。もはやろれつも回っていない。
(先輩はお酒が好きだけど強くはないからなあ)
かつて飲み会で、磯部が酔っぱらうたびに朝陽がタクシー乗り場まで運んで行っていたことを思い出した。
「磯部が俺達のなかで一番多くタクシーに乗っている」と磯部の同僚達がそう言い笑っていたのを覚えている。
今も酔っぱらってうとうとしている磯部を見ながら、朝陽はさんぴん茶を飲み干した。
「ん?」
ふと顔をあげれば、壁にある格子の隙間から向こうの個室に誰かが入ったのが見えた。
見覚えのある顔に朝陽は目をみはる。
その人はリューを貸してくれたあの老婦人だった。気難しそうな顔をして店員の話を聞いている。女性は店員が退出すると、緩慢な動作でメニューをとった。
(本当に地元の人も来るんだな……)
そう思いながら朝陽が見ていると、視線に気づいたのか女性が顔をあげた。
不審そうに見られ、朝陽は慌てて「こんばんは」と挨拶をする。
女性は朝陽と磯部を見て
「……あんたたちも来てたのかい」と低い声で言った。
「ええ、奇遇ですね」と朝陽が微笑む。
女性は朝陽の言葉に返さずメニューに目を移すと、呼び出しボタンを押した。
女性は店員がやって来るや否や、次から次へと注文を始めた。その多さに朝陽は目を丸くする。すでに磯部と二人で食べた品数よりも多くなっていた。
店員は特に驚くような顔もせず、にこやかに注文をとると去っていった。
「……たくさん召し上がるんですね」
朝陽が驚いたように言うと、女性が
「いつもよりは少ないよ」と返した。その言葉に朝陽は絶句する。
「……すごいですね」
女性はかなり高齢だ。しかし足腰ともに元気でいるのは、食事でしっかり栄養をとっているからに違いない。
(パワフルな方だなあ)と朝陽はうなった。
料理待ちになり、手持ちぶさたそうに天井を見つめる女性に、リューのことについて聞いてみようと朝陽は考えた。
「……あの、貸していただいているレンタカーなんですけど」
女性がちらりと朝陽を見る。
「……何か問題でもあったかい?」
「いえ」と朝陽は首を振る。本当は問題がたくさんあるが、面と向かって言うのは角がたつというものだ。
朝陽はまず、当たり障りのないことから尋ねることにした。
「あの車、とても外装がおしゃれですね。見たことがない会社のエンブレムでしたし、珍しい車なんですか?」
女性が首をひねる。
「さあね。あたしは車のことはよく知らないんだ。あたしの息子が車へのこだわりが強くてね」
「そうなんですか。それにしても、大分年季が入っていますね」
朝陽がそう言うと女性はさんぴん茶を口に含んだ。それを喉の奥に流し込んでから口を開く。
「……あのオンボロ車はね、あたしがいなかったら今頃鉄屑になっていたんだ」
朝陽はじっと女性を見つめる。
「あれはもともと息子夫婦が使っていたものだったんだけど、ある時家族で本州に移り住むことにしてね。新しい生活を始めるからって、あの車は廃棄することにしたんだ」
コップを骨ばった手で握って女性は続ける。
「『母さんも一緒に来ないか』と息子は言ったけど、この年で島から出るのもねえ。あたしは生まれも育ちも宮古島なんだ。この島が好きなんだよ。だから最期もこの島で過ごしたいと思ってね」
「そうですか」と朝陽は相づちを打つ。
「とはいえども、まだ死ぬつもりはないよ。だけど、生きるんだったら金を稼がないといけない。だからあたしは息子が廃棄するつもりだったあの車をもらって、レンタカー会社を始めることにしたんだ」
女性はそこで言葉を止めてさんぴん茶を飲み干す。そして一息ついたあと、
「オンボロ車なりによく動いていると思うよ。まあ、あたしのお陰で鉄屑にならずに済んだんだから、感謝の心をもって働いてほしいもんだね」と言った。
朝陽が「そうですね」と言って苦笑したとき、扉が開いて店員が料理を持ってきた。そして女性の前に並べ始める。
「聞きたいことはそれだけかい?」
女性の言葉に「はい」と朝陽は頷いた。
「ありがとうございました」
それを聞いて、女性はすっかり朝陽への興味をなくしたように手元に目を落とすと、もくもくと料理を口に運び始めた。
しゃべって小腹がすいた朝陽は、座り直すとメニューに目を通し、追加の料理を注文した。
個室に通され扉が閉められると、あたりの騒音が遮断され幾分か静かになった。
堀ごたつに座り、朝陽はほっと一息つく。
向かいに座った磯部が、メニューをとり出し机の上に広げた。
「よし、じゃあどんどん頼んでいくぞ。お前、何がいい?」
朝陽が身をのりだしメニューを覗きこむ。そこには美味しそうな料理の写真がたくさん並んでいた。
朝陽はぱらぱらとページをめくったあと、口を開いた。
「『宮古牛のステーキ』と『アグー豚ステーキ』が美味しそうですよ」
「そうだな。あと『ソーメンチャンプルー』と『宮古そば』も頼んでおくか?」
磯部の言葉に朝陽は頷いた。
「で、飲み物は……。お前、何にする?」
「さんぴん茶でお願いします」と朝陽が返した。
「そういやお前、お酒が飲めなかったな」
磯部がそう言って笑う。
「はい。親父もお袋も飲めないので、多分遺伝だと思います」
「そうか」と相づちを打ってから磯部が
「じゃあ、朝陽。俺は酒を飲むから、帰りはお前が運転を頼む」と続けた。
その言葉に朝陽が「分かりました」と頷いた。
続々と運ばれてくる料理に二人は舌鼓を打つ。磯部は料理とビールを交互に口に入れているうちにすっかり酔ってしまったようで、顔を赤くさせていた。もはやろれつも回っていない。
(先輩はお酒が好きだけど強くはないからなあ)
かつて飲み会で、磯部が酔っぱらうたびに朝陽がタクシー乗り場まで運んで行っていたことを思い出した。
「磯部が俺達のなかで一番多くタクシーに乗っている」と磯部の同僚達がそう言い笑っていたのを覚えている。
今も酔っぱらってうとうとしている磯部を見ながら、朝陽はさんぴん茶を飲み干した。
「ん?」
ふと顔をあげれば、壁にある格子の隙間から向こうの個室に誰かが入ったのが見えた。
見覚えのある顔に朝陽は目をみはる。
その人はリューを貸してくれたあの老婦人だった。気難しそうな顔をして店員の話を聞いている。女性は店員が退出すると、緩慢な動作でメニューをとった。
(本当に地元の人も来るんだな……)
そう思いながら朝陽が見ていると、視線に気づいたのか女性が顔をあげた。
不審そうに見られ、朝陽は慌てて「こんばんは」と挨拶をする。
女性は朝陽と磯部を見て
「……あんたたちも来てたのかい」と低い声で言った。
「ええ、奇遇ですね」と朝陽が微笑む。
女性は朝陽の言葉に返さずメニューに目を移すと、呼び出しボタンを押した。
女性は店員がやって来るや否や、次から次へと注文を始めた。その多さに朝陽は目を丸くする。すでに磯部と二人で食べた品数よりも多くなっていた。
店員は特に驚くような顔もせず、にこやかに注文をとると去っていった。
「……たくさん召し上がるんですね」
朝陽が驚いたように言うと、女性が
「いつもよりは少ないよ」と返した。その言葉に朝陽は絶句する。
「……すごいですね」
女性はかなり高齢だ。しかし足腰ともに元気でいるのは、食事でしっかり栄養をとっているからに違いない。
(パワフルな方だなあ)と朝陽はうなった。
料理待ちになり、手持ちぶさたそうに天井を見つめる女性に、リューのことについて聞いてみようと朝陽は考えた。
「……あの、貸していただいているレンタカーなんですけど」
女性がちらりと朝陽を見る。
「……何か問題でもあったかい?」
「いえ」と朝陽は首を振る。本当は問題がたくさんあるが、面と向かって言うのは角がたつというものだ。
朝陽はまず、当たり障りのないことから尋ねることにした。
「あの車、とても外装がおしゃれですね。見たことがない会社のエンブレムでしたし、珍しい車なんですか?」
女性が首をひねる。
「さあね。あたしは車のことはよく知らないんだ。あたしの息子が車へのこだわりが強くてね」
「そうなんですか。それにしても、大分年季が入っていますね」
朝陽がそう言うと女性はさんぴん茶を口に含んだ。それを喉の奥に流し込んでから口を開く。
「……あのオンボロ車はね、あたしがいなかったら今頃鉄屑になっていたんだ」
朝陽はじっと女性を見つめる。
「あれはもともと息子夫婦が使っていたものだったんだけど、ある時家族で本州に移り住むことにしてね。新しい生活を始めるからって、あの車は廃棄することにしたんだ」
コップを骨ばった手で握って女性は続ける。
「『母さんも一緒に来ないか』と息子は言ったけど、この年で島から出るのもねえ。あたしは生まれも育ちも宮古島なんだ。この島が好きなんだよ。だから最期もこの島で過ごしたいと思ってね」
「そうですか」と朝陽は相づちを打つ。
「とはいえども、まだ死ぬつもりはないよ。だけど、生きるんだったら金を稼がないといけない。だからあたしは息子が廃棄するつもりだったあの車をもらって、レンタカー会社を始めることにしたんだ」
女性はそこで言葉を止めてさんぴん茶を飲み干す。そして一息ついたあと、
「オンボロ車なりによく動いていると思うよ。まあ、あたしのお陰で鉄屑にならずに済んだんだから、感謝の心をもって働いてほしいもんだね」と言った。
朝陽が「そうですね」と言って苦笑したとき、扉が開いて店員が料理を持ってきた。そして女性の前に並べ始める。
「聞きたいことはそれだけかい?」
女性の言葉に「はい」と朝陽は頷いた。
「ありがとうございました」
それを聞いて、女性はすっかり朝陽への興味をなくしたように手元に目を落とすと、もくもくと料理を口に運び始めた。
しゃべって小腹がすいた朝陽は、座り直すとメニューに目を通し、追加の料理を注文した。
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