A happy drive day!

シュレディンガーのうさぎ

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リュー

〈6〉

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さんご礁に近づくにつれてどんどん魚の数が増えてきた。青色の魚やチョウチョウオ、ツノダシや黒い縦しまの入った魚などがひらひらと朝陽の目の前を通り過ぎる。
鱗を光らせながら小さな魚が群れで泳いでいく。モンガラが自分のテリトリーを守ろうと朝陽を睨む。色とりどりのさんごや魚を見て、ここが竜宮城なのかもしれないと朝陽は息をするのも忘れて考えた。
しかし魚はたくさんいるものの、クマノミだけは見つからなかった。
さんご礁を傷つけないよう隙間をぬって朝陽は泳ぐ。少し休憩しようと水の中から顔を出せば、自分がずいぶん遠くまで来ていたことに気がついた。
泳ぎ疲れて波に揺られ、朝陽はぼんやりとする。ふと視界の隅で誰かが手を振ったのが見えた。
見れば磯部が手招きをしている。さては先を越されたな、と思いながら朝陽はそちらに向かって泳ぎだした。

「ほら朝陽、見てみろ」
磯部が指差したところに潜る。少し視線を動かしただけで、すぐに橙色に輝く魚を見つけることができた。
すぐ目の前で見るクマノミは、以前訪れた水族館のガラス越しで見たクマノミとは大違いだった。曇りない視界で見るそれらは、とても生き生きしていた。鱗の触感も黒い瞳も、小さな胸びれや尾びれの動きも全てが繊細で美しかった。
イソギンチャクに抱かれているクマノミに見惚れる朝陽を見て、磯部は笑みを作った。
「綺麗だろ?ここ以外にもあちこちにあるんだぜ」
そう言って磯部はぐるりと視線を巡らせた。
朝陽は磯部の言葉を聞きながらいまだクマノミを見ていた。耳の近くで鳴る水のコポコポという音も心地よく、ずっとここにいてもいいくらいだった。
飽きずにクマノミを眺めている朝陽の肩を、しばらくたってから磯部が叩いた。朝陽がゆっくりと水から顔をだし、磯部の顔を見る。
「あっちの方にも行ってみようぜ」
朝陽が頷くのを見て、磯部はゆっくり泳ぎだした。
少したってから朝陽が尋ねた。
「そうだ。先輩、何がいいですか?」
「なんの話だよ?」と少し先にいる磯部が不思議そうに振り返る。
「勝負の賞品の話ですよ」と朝陽が言えば、
「あー、そうだな……」と磯部が考え込んだ。
「……じゃあ、リンゴジュースで」
磯部の返事を聞いて朝陽は
(随分と可愛いものを頼むんだな)と口許を隠して笑った。そしてすぐに、磯部が甘党だったことを思い出した。

「どうする、朝陽。別の海岸にも行くか?」
テントの中で磯部に問われ、朝陽は首を捻った。
正直新城海岸に一日中いられるのだが、他の海岸も見てみたかった。
「……ここの他には、何がありますか?」
朝陽の問いに磯部が考え込む。
「吉野海岸っていう所もあるぞ。そこも有名だ」
それを聞いて朝陽は
「じゃあ、そこで」と素早く答えた。
即答した朝陽を見て磯部が笑う。
「おう、分かった。とりあえずどこかで昼飯を食わないとな」
二人は午後の計画を立てると立ち上がり、テントを畳むと砂浜を後にした。
簡易的なシャワーで体を洗う。朝陽は海水でべたべたしている髪を手でかき回してほどいた。
バスタオルで髪と体を拭きながら車に戻ってきたが、磯部はまだいなかった。
車からジャケットを取り出そうと思ったが、あいにく鍵がない。
(仕方ない、先輩を待つか)
朝陽は腕を組みながらレンタカーを見た。
ちょうど今、辺りに人はいなかった。
(今のうちに話しかけてみるか)
そう思って車に近づいたとき、
「おい、濡れるから近づくんじゃねえ」とぶっきらぼうな声がした。
朝陽ははっとした後、
「ああ、悪い」と足を止め、ごしごしと体と髪をふいた。その車は横目で朝陽を見てから「ふん」と鼻を鳴らした。
「人間の癖に俺の声が聞こえるなんて、お前、中々やるじゃねえか」
そう言われ朝陽は微笑む。
「どうも。俺の唯一の長所でね」
それから車の前に回り、ボンネットに手を乗せると
「お前、随分とがたがきているな。よく走っているなと感心するよ」と友好的に話しかけた。
「俺も自分がよく生きてるなと感心するよ」と嘲笑うように車が言う。それから舌打ちをして、
「あのババア、車使いが荒いんだよ。もし俺じゃなかったら今ごろあちこちの部品が外れて、どこかの道路で立ち往生してるだろうよ」と苦々しげに言った。
「それは困るな」と朝陽が苦笑する。
「笑いごとじゃねえよ。はあ……」
車がため息をつくとボディーのあちこちがミシミシと音をたてた。
(何年使っているんだ、この車……)
朝陽は音を聞いて驚き呆れる。
磯部が朝陽に向かって手を振っているのが車のフロントガラスに映った。朝陽は小声で素早く車に話しかけた。
「お前、名前はあるか?」
「名前?そんなもんねえよ」
「じゃあ呼びやすいように俺が名前をつけてもいいか?」と朝陽が言おうとしたとき、思い出したように車が言った。
「……『リュー』」
「『リュー』?それがお前の名前か?」
「ああ」とその車が頷いた。
「そうか、『リュー』……。あの女性につけてもらったのか?」
「いいや。あのババアの孫がつけたんだよ」とリューが言った。
「ふうん、お孫さんか……」
老婦人の家で見た写真に写っていた、若い女性の腕に抱かれていた赤ちゃんを思い出して朝陽はふっと微笑んだ。
「いい名前だな」
「そうか?」
つまらなさそうにリューが言った。
「おい、何ぼうっとしてんだよ」
笑みをつくってフロントガラスを眺めている朝陽の肩を磯部が叩く。
「こんなところに突っ立っていると轢かれるぞ」と磯部に言われ、
「そうですね、気を付けます」と朝陽が笑って答えた。
それから磯部と共にリューに乗ろうとしたが、朝陽はさっき彼が言ったことを思いだして
「先輩、しっかり体を拭いてから車に乗りましょう」と提案した。
「おう、そうだな」と言いながら体を拭く磯部を見て、
「そうそう、頼むぞ若僧」とリューが満足そうに言った。
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