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メルダー
〈6〉
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朝陽は家についた後、背もたれにもたれかかり大きく息をついた。冷や汗が首筋をつたっていく感覚がする。
(……危なかった)
朝陽は車の天井を見ながら、かつて自分が遭った事故のことを思い出す。
あのときも歩行者を轢きかけたのだ。なんとか避けたから事故にはならずにすんだものの、その代わり自分が大怪我をした。まあ、命に別状がなかったので良かったのだが……。
(それの二の舞になるところだったな)
朝陽は体を預けたままインストルメントパネルを見る。
(まさかこの車、壊れているんじゃないだろうな……)
疑うような顔で車の内装を眺める。たまに起きる妙な動きで毎回ヒヤヒヤしていたらきりがない。
(買ったばかりだっていうのに、面倒だな……)
一度車屋に見せに行こう、とエンジンをきり外に出ようとしたとき、
「あら~、関さん。お久しぶり」と声がした。
顔をあげれば、犬を連れた近所の女性が手を振っている。
朝陽は窓から顔を出してお辞儀をした。
「お久しぶりです」
そう言うと、女性は心配そうな顔をする。
「事故に遭ったって聞いたけど、もう大丈夫なの?それに、なんだか顔が変わったような……」
そう目を凝らすように言う女性に朝陽は笑いかける。
「心配かけてすみません。もう大丈夫です。顔は少し整形したので……」
そう言うと、「あらま、そうなの」と驚いたような顔をした。犬の方もそれに合わせて「ワン」と吠える。
久しぶりに女性と犬に会えて朝陽がホッとしたとき、エンジンがかかる音がした。
車窓のサッシにかけていた手を慌てて引っ込める。目をハンドルの方に向ければ勝手にギアがドライブに入っていくのが見えた。
「!?」
慌ててギアを掴みパーキングの方に押し込もうとする。しかしドライブに入れようとする力は強く、朝陽の力と釣り合って止まってしまう。
「関さーん?」
不思議に思った女性が朝陽に話しかける。走り出したときのことを考えて、朝陽は窓から顔を出すと女性に向かって叫んだ。
「そこ、危ないです!車の前からどいてください!」
朝陽の剣幕に押され、女性は一瞬体をすくませたあと、慌てて車の前から移動した。
朝陽は歯を食い縛り全体重をかけてパーキングの方に押し込む。腕が震えて痛いが、力を弱めるわけにはいかない。
次第にドライブにいれようとする力は弱まり、いつものように片手でギアを動かせるようになった。
朝陽はパーキングに押し込むと素早くエンジンをきった。
はあはあと息を荒くする。額にかいた汗を拭った。
(この車、やはりおかしい……)
試乗したときはブレーキのききが弱いだけかと思っていたがそんなことはない。勝手にエンジンがつく、ギアがドライブに入る等異常が多すぎる。
(……さっきのように突然発車してしまったときのために、頭を家の方に向けておくか)
朝陽は再びエンジンをかけると車の向きをかえ、頭から駐車場にいれた。
「よし。これなら突然発進しても、歩行者を轢くことはないだろう」
とりあえず車屋にすぐにでも連絡して、点検してもらわなければならない。朝陽は携帯電話をとり出し、近くの車屋を調べようとした。
「なーんだ。残念」
不意に聞こえた声に文字をうつ朝陽の手が止まる。
もはや幻聴や空耳とも思えないほど、それははっきり聞こえた。少女の声だった。
弾かれたように辺りを見回す。しかし、車内にも車外にも誰もいない。近所の子供の声が聞こえてきたのかとも思ったが、さっきの声は窓を閉めているというのにまったく曇りのない声であった。まるで耳元でささやかれたかのような……。
朝陽は携帯電話を片手に握りしめたまま、視線だけで辺りを探っていた。
しばらくして、また声がする。
「あれ?もしかして、私の声が聞こえてます?」
その声はくすくすと笑った。
背筋が寒くなるのが分かった。朝陽は従来幽霊を信じない質であったが、今回ばかりはそのような類だと思ったのだ。
固まって動けない朝陽をからかうように声は続く。
「あなた、『車の声が聞こえる人間』ですよね。そういう人間がいるとは聞いたことがありましたけど、見るのは初めてです」
声が聞こえなくなったあと、突然助手席になにかが現れた。朝陽が驚き、身を引きながら助手席の方を見ると、そこには少女が座っていた。
ゆるいウェーブのかかった亜麻色のミディアムボブにぴょこんと飛び出たアホ毛。髪と同じ色の瞳。怪我をしたのか左の頬に絆創膏がバツ印のようにはられ、首は包帯でぐるぐる巻きになっていた。そして不思議なことに、左腕に数字のかかれた腕章をつけていた。
朝陽はぎょっとして目を剥いたままその少女を見つめる。彼女はそんな朝陽を見てにっこり笑った。
「こんにちは、新しい運転手さん。私はメルダーと言います。これからよろしくお願いしますね」
可愛らしい声で彼女は言った。
(……危なかった)
朝陽は車の天井を見ながら、かつて自分が遭った事故のことを思い出す。
あのときも歩行者を轢きかけたのだ。なんとか避けたから事故にはならずにすんだものの、その代わり自分が大怪我をした。まあ、命に別状がなかったので良かったのだが……。
(それの二の舞になるところだったな)
朝陽は体を預けたままインストルメントパネルを見る。
(まさかこの車、壊れているんじゃないだろうな……)
疑うような顔で車の内装を眺める。たまに起きる妙な動きで毎回ヒヤヒヤしていたらきりがない。
(買ったばかりだっていうのに、面倒だな……)
一度車屋に見せに行こう、とエンジンをきり外に出ようとしたとき、
「あら~、関さん。お久しぶり」と声がした。
顔をあげれば、犬を連れた近所の女性が手を振っている。
朝陽は窓から顔を出してお辞儀をした。
「お久しぶりです」
そう言うと、女性は心配そうな顔をする。
「事故に遭ったって聞いたけど、もう大丈夫なの?それに、なんだか顔が変わったような……」
そう目を凝らすように言う女性に朝陽は笑いかける。
「心配かけてすみません。もう大丈夫です。顔は少し整形したので……」
そう言うと、「あらま、そうなの」と驚いたような顔をした。犬の方もそれに合わせて「ワン」と吠える。
久しぶりに女性と犬に会えて朝陽がホッとしたとき、エンジンがかかる音がした。
車窓のサッシにかけていた手を慌てて引っ込める。目をハンドルの方に向ければ勝手にギアがドライブに入っていくのが見えた。
「!?」
慌ててギアを掴みパーキングの方に押し込もうとする。しかしドライブに入れようとする力は強く、朝陽の力と釣り合って止まってしまう。
「関さーん?」
不思議に思った女性が朝陽に話しかける。走り出したときのことを考えて、朝陽は窓から顔を出すと女性に向かって叫んだ。
「そこ、危ないです!車の前からどいてください!」
朝陽の剣幕に押され、女性は一瞬体をすくませたあと、慌てて車の前から移動した。
朝陽は歯を食い縛り全体重をかけてパーキングの方に押し込む。腕が震えて痛いが、力を弱めるわけにはいかない。
次第にドライブにいれようとする力は弱まり、いつものように片手でギアを動かせるようになった。
朝陽はパーキングに押し込むと素早くエンジンをきった。
はあはあと息を荒くする。額にかいた汗を拭った。
(この車、やはりおかしい……)
試乗したときはブレーキのききが弱いだけかと思っていたがそんなことはない。勝手にエンジンがつく、ギアがドライブに入る等異常が多すぎる。
(……さっきのように突然発車してしまったときのために、頭を家の方に向けておくか)
朝陽は再びエンジンをかけると車の向きをかえ、頭から駐車場にいれた。
「よし。これなら突然発進しても、歩行者を轢くことはないだろう」
とりあえず車屋にすぐにでも連絡して、点検してもらわなければならない。朝陽は携帯電話をとり出し、近くの車屋を調べようとした。
「なーんだ。残念」
不意に聞こえた声に文字をうつ朝陽の手が止まる。
もはや幻聴や空耳とも思えないほど、それははっきり聞こえた。少女の声だった。
弾かれたように辺りを見回す。しかし、車内にも車外にも誰もいない。近所の子供の声が聞こえてきたのかとも思ったが、さっきの声は窓を閉めているというのにまったく曇りのない声であった。まるで耳元でささやかれたかのような……。
朝陽は携帯電話を片手に握りしめたまま、視線だけで辺りを探っていた。
しばらくして、また声がする。
「あれ?もしかして、私の声が聞こえてます?」
その声はくすくすと笑った。
背筋が寒くなるのが分かった。朝陽は従来幽霊を信じない質であったが、今回ばかりはそのような類だと思ったのだ。
固まって動けない朝陽をからかうように声は続く。
「あなた、『車の声が聞こえる人間』ですよね。そういう人間がいるとは聞いたことがありましたけど、見るのは初めてです」
声が聞こえなくなったあと、突然助手席になにかが現れた。朝陽が驚き、身を引きながら助手席の方を見ると、そこには少女が座っていた。
ゆるいウェーブのかかった亜麻色のミディアムボブにぴょこんと飛び出たアホ毛。髪と同じ色の瞳。怪我をしたのか左の頬に絆創膏がバツ印のようにはられ、首は包帯でぐるぐる巻きになっていた。そして不思議なことに、左腕に数字のかかれた腕章をつけていた。
朝陽はぎょっとして目を剥いたままその少女を見つめる。彼女はそんな朝陽を見てにっこり笑った。
「こんにちは、新しい運転手さん。私はメルダーと言います。これからよろしくお願いしますね」
可愛らしい声で彼女は言った。
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