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メルダー
〈3〉
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朝陽はぶらぶらと自宅の近くを散歩していた。
退院して五日、大分普段の生活リズムに戻ってきた。あと数週間たてば仕事が再開する。
(それまで好きなように時間を使わせてもらおう)と朝陽は考えていた。
今日は気持ちのいい秋晴れの空だ。抜けるように高い青空と爽やかな風に、朝陽の気分も晴れ晴れしてくる。
なにも考えずに歩く朝陽の耳に、どこからか声が聞こえてきた。
「今日もいい天気だね」
「本当だね~。こういう日は思いっきり高速道路を走りたいよね!」
朝陽は足を止め、声の主を探すためあちこちを見回す。
しかし辺りには誰もいない。マンションの駐車場に車が数台停まっているだけだ。
(……またこれか)
朝陽は顔をしかめ、心の中で呟いた。
退院してからというものの、朝陽は空耳のようなものを聞くことが多々あった。最初は人の声だと思って気にしていなかったのだが、今のように誰にもいない時にもその声は聞こえるのだ。
(事故の影響がまだ残っているのかもな)
心理的なものか身体的なものかは知らないが、変なものが見えたり聞こえたりというのは衝撃的な出来事を経験した人間には珍しくないのだろう。少しすれば直る、と朝陽は自分に言い聞かせた。
一台の車が走ってきた。そして、朝陽のすぐ横で止まる。
「よう。朝陽、だよな」
車の運転席から顔を出したのは朝陽の父親だった。
「親父」
朝陽が驚いたような顔をする。
「おう。お前、顔が少し変わったな。一瞬朝陽かどうか迷っちまったよ」
そう言って父親が笑う。そのまま朝陽を上から下まで眺めた。
「母さんに聞いてたよりかはぴんぴんしてるな」
父親の言葉に朝陽が頷く。
「ああ。大分よくなった」
それを聞いて父親がほっとしたような顔をした。
「そうか、ならよかった」
「親父、わざわざ俺の様子を見に来てくれたのか?」
父親が頷く。それを聞いて、朝陽は顔には出さないが嬉しく思った。
(この年にもなって子供みたいだな)と朝陽は自分に苦笑する。
「朝陽、あなたが無事でよかったわ」
不意に女性の声がした。
「!?」
朝陽は驚いて辺りを見回す。
母親が乗っているのかとも思ったが、車内に彼女の姿はない。回りに人もいないし、まかり間違っても父親の声ではない。
(……また空耳か?)
そう思い複雑な顔をする朝陽に構わず父親が続ける。
「まあ、今日ここにきたのはそれだけじゃないんだが」
そこまで言って父親が視線を巡らせた。父親の車の脇を狭そうに別の車が速度を落として通りすぎていく。
「ここにいると邪魔だな。これからお前の家に行ってもいいか?」
朝陽は頷く。
「よし、じゃあ先に向かってるぞ」
そう言って車が発車した。朝陽はその後ろ姿を追った。
父親は家に着くと、さっそく鞄から何かを取り出し手渡してきた。
朝陽はそれを受け取って表紙を眺め、首を捻る。
「なんで車のカタログなんだ?」
父親が水筒に入ったコーヒーを飲みながら、カタログを指差して言う。
「お前、なんだかんだ車を持ってなかっただろ?中古車ではあるが、退院祝いも兼ねて買ってやろうと思ってな」
カタログをぺらぺらめくる朝陽を見ながら続ける。
「母さんは、『また事故を起こすと嫌だから車なぞ買うな』とは言ったが、どうせタクシー会社に戻るんだから、車に馴れ直しておいたほうがいいだろう」
そう言われ朝陽はなるほどと頷く。
「確かにな。……で、この丸がついているのは?」
朝陽が指差したものを父親が覗き込む。
「ああ、それか。あらかじめ良さそうなものに丸をつけておいたんだ」
父親の言葉を聞きながら朝陽はカタログを眺め、ぽつりと
「なんで全部外車なんだよ」と呟いた。
「普通、外車なんて高くて滅多に買えないだろ?でも、中古車だったら安く買えるんだよ」
朝陽はむずかしい顔でカタログを眺める。それから思いついたように顔をあげた。
「……だったら親父、親父のところの会社で新車を買ったほうが、色々とサービスがついてお得なんじゃないか?」
そう言うと、父親は腕を組んだ。
「うーん、まあそうかもしれないが……。外車も一生に一度は持っているといいと思うんだけどな……」
(よく分からない理論を押し付けるな)と朝陽はため息をついた。
それから大きく丸をつけられた車にもう一度目を通す。それらのうち、一台だけ朝陽の目をひいたものがあった。
それはミルクティーのように柔らかな茶色のボディーカラーで、丸っこく可愛らしい車だった。
「……」
朝陽は自分がその車を所有している所を想像する。自宅の駐車場においてある所、近くのスーパーマーケットまで運転している所……。
そして、一通りシミュレーションが終わった後、
「確かに外車も悪くないな」と呟いた。
退院して五日、大分普段の生活リズムに戻ってきた。あと数週間たてば仕事が再開する。
(それまで好きなように時間を使わせてもらおう)と朝陽は考えていた。
今日は気持ちのいい秋晴れの空だ。抜けるように高い青空と爽やかな風に、朝陽の気分も晴れ晴れしてくる。
なにも考えずに歩く朝陽の耳に、どこからか声が聞こえてきた。
「今日もいい天気だね」
「本当だね~。こういう日は思いっきり高速道路を走りたいよね!」
朝陽は足を止め、声の主を探すためあちこちを見回す。
しかし辺りには誰もいない。マンションの駐車場に車が数台停まっているだけだ。
(……またこれか)
朝陽は顔をしかめ、心の中で呟いた。
退院してからというものの、朝陽は空耳のようなものを聞くことが多々あった。最初は人の声だと思って気にしていなかったのだが、今のように誰にもいない時にもその声は聞こえるのだ。
(事故の影響がまだ残っているのかもな)
心理的なものか身体的なものかは知らないが、変なものが見えたり聞こえたりというのは衝撃的な出来事を経験した人間には珍しくないのだろう。少しすれば直る、と朝陽は自分に言い聞かせた。
一台の車が走ってきた。そして、朝陽のすぐ横で止まる。
「よう。朝陽、だよな」
車の運転席から顔を出したのは朝陽の父親だった。
「親父」
朝陽が驚いたような顔をする。
「おう。お前、顔が少し変わったな。一瞬朝陽かどうか迷っちまったよ」
そう言って父親が笑う。そのまま朝陽を上から下まで眺めた。
「母さんに聞いてたよりかはぴんぴんしてるな」
父親の言葉に朝陽が頷く。
「ああ。大分よくなった」
それを聞いて父親がほっとしたような顔をした。
「そうか、ならよかった」
「親父、わざわざ俺の様子を見に来てくれたのか?」
父親が頷く。それを聞いて、朝陽は顔には出さないが嬉しく思った。
(この年にもなって子供みたいだな)と朝陽は自分に苦笑する。
「朝陽、あなたが無事でよかったわ」
不意に女性の声がした。
「!?」
朝陽は驚いて辺りを見回す。
母親が乗っているのかとも思ったが、車内に彼女の姿はない。回りに人もいないし、まかり間違っても父親の声ではない。
(……また空耳か?)
そう思い複雑な顔をする朝陽に構わず父親が続ける。
「まあ、今日ここにきたのはそれだけじゃないんだが」
そこまで言って父親が視線を巡らせた。父親の車の脇を狭そうに別の車が速度を落として通りすぎていく。
「ここにいると邪魔だな。これからお前の家に行ってもいいか?」
朝陽は頷く。
「よし、じゃあ先に向かってるぞ」
そう言って車が発車した。朝陽はその後ろ姿を追った。
父親は家に着くと、さっそく鞄から何かを取り出し手渡してきた。
朝陽はそれを受け取って表紙を眺め、首を捻る。
「なんで車のカタログなんだ?」
父親が水筒に入ったコーヒーを飲みながら、カタログを指差して言う。
「お前、なんだかんだ車を持ってなかっただろ?中古車ではあるが、退院祝いも兼ねて買ってやろうと思ってな」
カタログをぺらぺらめくる朝陽を見ながら続ける。
「母さんは、『また事故を起こすと嫌だから車なぞ買うな』とは言ったが、どうせタクシー会社に戻るんだから、車に馴れ直しておいたほうがいいだろう」
そう言われ朝陽はなるほどと頷く。
「確かにな。……で、この丸がついているのは?」
朝陽が指差したものを父親が覗き込む。
「ああ、それか。あらかじめ良さそうなものに丸をつけておいたんだ」
父親の言葉を聞きながら朝陽はカタログを眺め、ぽつりと
「なんで全部外車なんだよ」と呟いた。
「普通、外車なんて高くて滅多に買えないだろ?でも、中古車だったら安く買えるんだよ」
朝陽はむずかしい顔でカタログを眺める。それから思いついたように顔をあげた。
「……だったら親父、親父のところの会社で新車を買ったほうが、色々とサービスがついてお得なんじゃないか?」
そう言うと、父親は腕を組んだ。
「うーん、まあそうかもしれないが……。外車も一生に一度は持っているといいと思うんだけどな……」
(よく分からない理論を押し付けるな)と朝陽はため息をついた。
それから大きく丸をつけられた車にもう一度目を通す。それらのうち、一台だけ朝陽の目をひいたものがあった。
それはミルクティーのように柔らかな茶色のボディーカラーで、丸っこく可愛らしい車だった。
「……」
朝陽は自分がその車を所有している所を想像する。自宅の駐車場においてある所、近くのスーパーマーケットまで運転している所……。
そして、一通りシミュレーションが終わった後、
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