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スイ
〈8〉
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今回の交通事故は自動車同士の衝突だった。事故現場となった十字路は住宅街の中にあったため、高い塀が運転手の視界を塞いでしまっていたのだ。目撃者は大勢いて、片方の車が視界の確保のため少し頭を出していたところにもう一台の車が横から突っ込んだとのことであった。幸い突っ込まれた方の車の運転手は軽傷で済んだため、両者の話が合っているかを確認した後、手続きを済ませ今日のところはお開きとなった。
書類を携えて帰ってきた愛昼を見て男がロックを解除する。いまだ不機嫌そうな男を見て愛昼もなんだかイライラしてきた。
「ちょっと、いつまで不機嫌なわけ?昨日はそんなことなかったのに」
そう言いながら想起する。昨日事故現場に来たときはこんなに不機嫌ではなかったというのに。
しばらくだんまりだった男は、現場を出発して少し経ってから口を開いた。
「あなたは人間だから分からないと思いますが」
何を言い出すのだろう、と愛昼が突然話し出した男をちらりと見る。
男は前を見据えたまま言う。
「事故にあった車は必ず心理的にも身体的にもダメージを受けます。まあ、その大きさは交通事故の重大さによるのですが」
男は続ける。
「俺は今まで多くの事故現場を見てきました。大きな事故において、運転手や乗員が怪我をした、ましてや亡くなったときの車達の悲しみはこれ以上ないほどのものでした。軽い事故でも昨日の車のように何が起こったのか分からず呆然自失としている車や、不安で号泣している車もいます。先ほどの車のようにぶつかってへこんだ痛みに苦しんでいる車もいます」
男の表情がすっと暗くなる。
「事故ほど車達を傷つけるものはありません。常に事故現場は車達の絶望と悲しみに満ちています。俺には彼らの気持ちが痛いほどに分かります。特に大切な人を殺された車の気持ちを思いやると腸がちぎれそうなほど悲しいです。俺はこれ以上車達が傷つくのは見たくない、もう事故現場には行きたくないんです!」
そう叫ぶように言った男は、昨日笑い転げていた男とは全くの別人に見えた。制帽のつばに隠れて目元は見えなかったが、悲痛な表情をその顔に浮かべていることだけは分かった。
愛昼は何も言えなかった。確かに、今まで事故現場で悲しみにくれる車達を見てきたから。
しかし、そうは言っても悲しみにくれるのは人間だって同じだ。愛昼は事故の遺族の悲しみを理解し、同情し自分のことのように悲しくなることがあったが、だからと言ってその仕事をやめたいと思ったことはなかった。愛昼には確固とした目的があったからだ。
「……そうね。私だって事故現場を見るとひどく悲しい気持ちになるわ。でも、私は行きたくないと思ったことはない」
はっきりとした口調で言った愛昼を男が見た。愛昼は前を見据えている。
「私は事故の真実を知りたい。そして罪を犯した人にはきちんと償ってほしい。そのためには自分の目で現場を詳しく見るしかないの。どれだけそれで悲しい思いをしても、真実を暴かなければ被害にあった車も人間も決して救われないから」
愛昼はそう強く言いきった。自分が交通部に所属した理由をこんな風にはっきりと誰かに話すのは初めてのことだった。
男は目をみはって愛昼の横顔を眺めていた。
それから
「あなたは強いのですね」と言って笑った。寂しそうな笑みだった。
書類を携えて帰ってきた愛昼を見て男がロックを解除する。いまだ不機嫌そうな男を見て愛昼もなんだかイライラしてきた。
「ちょっと、いつまで不機嫌なわけ?昨日はそんなことなかったのに」
そう言いながら想起する。昨日事故現場に来たときはこんなに不機嫌ではなかったというのに。
しばらくだんまりだった男は、現場を出発して少し経ってから口を開いた。
「あなたは人間だから分からないと思いますが」
何を言い出すのだろう、と愛昼が突然話し出した男をちらりと見る。
男は前を見据えたまま言う。
「事故にあった車は必ず心理的にも身体的にもダメージを受けます。まあ、その大きさは交通事故の重大さによるのですが」
男は続ける。
「俺は今まで多くの事故現場を見てきました。大きな事故において、運転手や乗員が怪我をした、ましてや亡くなったときの車達の悲しみはこれ以上ないほどのものでした。軽い事故でも昨日の車のように何が起こったのか分からず呆然自失としている車や、不安で号泣している車もいます。先ほどの車のようにぶつかってへこんだ痛みに苦しんでいる車もいます」
男の表情がすっと暗くなる。
「事故ほど車達を傷つけるものはありません。常に事故現場は車達の絶望と悲しみに満ちています。俺には彼らの気持ちが痛いほどに分かります。特に大切な人を殺された車の気持ちを思いやると腸がちぎれそうなほど悲しいです。俺はこれ以上車達が傷つくのは見たくない、もう事故現場には行きたくないんです!」
そう叫ぶように言った男は、昨日笑い転げていた男とは全くの別人に見えた。制帽のつばに隠れて目元は見えなかったが、悲痛な表情をその顔に浮かべていることだけは分かった。
愛昼は何も言えなかった。確かに、今まで事故現場で悲しみにくれる車達を見てきたから。
しかし、そうは言っても悲しみにくれるのは人間だって同じだ。愛昼は事故の遺族の悲しみを理解し、同情し自分のことのように悲しくなることがあったが、だからと言ってその仕事をやめたいと思ったことはなかった。愛昼には確固とした目的があったからだ。
「……そうね。私だって事故現場を見るとひどく悲しい気持ちになるわ。でも、私は行きたくないと思ったことはない」
はっきりとした口調で言った愛昼を男が見た。愛昼は前を見据えている。
「私は事故の真実を知りたい。そして罪を犯した人にはきちんと償ってほしい。そのためには自分の目で現場を詳しく見るしかないの。どれだけそれで悲しい思いをしても、真実を暴かなければ被害にあった車も人間も決して救われないから」
愛昼はそう強く言いきった。自分が交通部に所属した理由をこんな風にはっきりと誰かに話すのは初めてのことだった。
男は目をみはって愛昼の横顔を眺めていた。
それから
「あなたは強いのですね」と言って笑った。寂しそうな笑みだった。
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