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スイ
〈3〉
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警察本部に戻ると、一足先に戻っていた後輩に今回の事故についての聞き取りが終ったところまでの書類を渡された。愛昼はお礼を言ってさっと目を通す。
加害者は『前方不注意で追突した』との一点張りで、『距離がうまくつかめずアクセルを踏んだら意外と近くぶつかってしまった』と述べていた。
最後まで呼んで書類を返す。
「なるほど、あとは被害者の方の証言を聞いて二つを照らし合わせればいいわね」
「ええ」と後輩が頷いた。
「しかし、被害者のほうは大丈夫でしょうか。重体と呼んで良いほどの状態だったのですが……」
後輩がそう言いうつむく。彼はその目で実際に被害者を見たのだ。
「……無事なのを願って待つしかないわね」
愛昼は被害者と共に被害者の家族の気持ちも思いやった。きっと彼等は心配で仕方がないだろう。
愛昼はいてもたってもいられなくなってその場から立ち去った。落ち着こうと思い給湯室に行く途中、残って現場の調査をしていた笹木に会った。いつもしゃんとしている彼は、今は少し顔が疲れていた。
「お疲れ様。お茶入れるわ」
そう言うと「ありがとう」と笹木が汗を拭いながら笑った。
笹木が給湯室のソファでくつろぎながら口を開く。
「被害者と加害者の車が運び込まれたよ」
愛昼はやかんを火にかけながら「分かったわ」と返事をする。
「じゃあ、後から車を詳しく調べてみるわ。……現場の調査はどうだった?」
「少しおかしな所があった」と笹木が真剣な顔をする。
「君も言っていた通り、あまりにもバイクと自家用車の間が広くてな。ただ追突しただけじゃあそこまで吹っ飛ばないと思うんだ。ましてやあそこは規制速度が時速四十キロメートルだし……」
笹木が言おうとしていることはなんとなく分かった。たとえ加害者がアクセルを踏んだとしても、規制速度を違反していない限りあのような距離にはならない。
これは追加の罪もありそうだ、と愛昼は考えた。
「聞き込みはどうだった?」
「朝も早かったし、事故が起きた瞬間を見ている人はいなかったよ」
だが、と笹木は続ける。
「あの事故の第一発見者を含め、数人が不思議なことを言っていてな。今朝、彼女は何度もクラクションの音を聞いたそうだ。彼女はその音がうるさくて起きてしまったらしい。一体なんだろうと思った直後に大きな音がして、外に出たらあの状態になっていたというわけだ」
それを聞いて愛昼は首をひねった。
「何度もクラクションを……?何故かしら?」
笹木は腕を組んで考え込んだ。
「いまいち分からないな。これからそれについて加害者に聞いてみることにするよ」
愛昼が「分かったわ」と頷いた。それと同時に沸騰を知らせる鋭い音が鳴った。
手早く火を止めると用意してあった二つの湯飲みに注いだ。そして片方を笹木に手渡す。
笹木は「ありがとう」とそれを受け取ると一口飲み、ため息をついた。
「とりあえず被害者が話せるようになるまで待つしかないな」
「そうね」と愛昼は頷いた。そして熱々のお茶をやけどしないよう用心しながらすすった。
愛昼は屋内駐車場に停められている、警察本部に運び込まれた車の方に向かっていた。その道中にちらりとパトカーの方を見ると、あの男が車体に寄りかかって外を見ているのが見えた。愛昼は彼に近づく。
愛昼に気づいた男が愛想笑いをした。
「お仕事お疲れ様です」
「どうも」と愛昼が素っ気なく返す。
「これから車達に事情聴取をしに行くの。あなたも来てくれない?」
それを聞いて男が顔をしかめた。
「本気で言っているんですか?」
「ええ。どうしてそんなに嫌がるの?」
愛昼の問いに男が視線を外す。
「事故の事実を知っていたとしても、誰も車の声なんて聞いてくれやしませんよ」
自嘲ぎみに男が言うのを愛昼が首を振って制した。
「普通の人は確かに聞いてなんかくれないわ。だから私が聞いてあげるの」
それを聞いて男はきっと愛昼をにらむ。
「車は人間ではありません。車の言っていることと人間の言っていることが食い違ったら間違いなく人間の言うことが正しいとされます。車にあやふやな希望を与えないでください」
そうぴしゃりと男が言った。愛昼は言い返す。
「車は人間より素直だと思うわ。それにもし食い違ったとしたら、どちらが正しいか私は調査をする。その方が真実をより早く見つけやすいと思うの」
苦い顔で男は愛昼を見る。
愛昼は負けてはいなかった。真正面から男の顔を見据える。
その目に負けて男はため息をつき、口を開いた。
「……車は人間と同じく、事故に遭えばそれなりのショックを受けます。運転手が怪我を負っている被害車は特に」
男はゆっくりと話す。
「今日聞いても有用な意見は得られないでしょう。日を改めた方がいいと思います」
愛昼はじっと男の言葉を聞いていた。そして
「分かったわ。明日聞くことにするわ」と言った。
そのまま車の方に向かって歩き出す。それを見て、男が訳が分からないといった様子で愛昼を追いかけ、肩をつかんだ。
「ちょっと、俺の話聞いてました?」
慌てる男に対し、「ええ、聞いてたわよ」と愛昼があっけらかんと言う。
「事故のことは今日は聞かないわ。でも仲良くなっておくぐらいいいでしょう?」
それを聞いて男はぽかんとした。そして急に笑い出した。
愛昼は何故男が笑っているのか分からずぽかんとする。
笑いながら男が口を開く。
「車とわざわざ仲良くなりたがるなんて、あなた、随分と変わってますねえ」
「べ、別に可笑しな事ないでしょ?人間と同じよ、仲良くなっておいた方が色々と話しやすいでしょ!?」
笑われていることに恥ずかしさを覚えた愛昼が顔を赤らめて怒ったように言う。
「あー、すいません。馬鹿にしているわけじゃないので許してください。いやはや、変わった人間もいたものですね……」
謝りながらもまだ笑っている男を無視して、愛昼はバイクの方に向かって足を進めた。
加害者は『前方不注意で追突した』との一点張りで、『距離がうまくつかめずアクセルを踏んだら意外と近くぶつかってしまった』と述べていた。
最後まで呼んで書類を返す。
「なるほど、あとは被害者の方の証言を聞いて二つを照らし合わせればいいわね」
「ええ」と後輩が頷いた。
「しかし、被害者のほうは大丈夫でしょうか。重体と呼んで良いほどの状態だったのですが……」
後輩がそう言いうつむく。彼はその目で実際に被害者を見たのだ。
「……無事なのを願って待つしかないわね」
愛昼は被害者と共に被害者の家族の気持ちも思いやった。きっと彼等は心配で仕方がないだろう。
愛昼はいてもたってもいられなくなってその場から立ち去った。落ち着こうと思い給湯室に行く途中、残って現場の調査をしていた笹木に会った。いつもしゃんとしている彼は、今は少し顔が疲れていた。
「お疲れ様。お茶入れるわ」
そう言うと「ありがとう」と笹木が汗を拭いながら笑った。
笹木が給湯室のソファでくつろぎながら口を開く。
「被害者と加害者の車が運び込まれたよ」
愛昼はやかんを火にかけながら「分かったわ」と返事をする。
「じゃあ、後から車を詳しく調べてみるわ。……現場の調査はどうだった?」
「少しおかしな所があった」と笹木が真剣な顔をする。
「君も言っていた通り、あまりにもバイクと自家用車の間が広くてな。ただ追突しただけじゃあそこまで吹っ飛ばないと思うんだ。ましてやあそこは規制速度が時速四十キロメートルだし……」
笹木が言おうとしていることはなんとなく分かった。たとえ加害者がアクセルを踏んだとしても、規制速度を違反していない限りあのような距離にはならない。
これは追加の罪もありそうだ、と愛昼は考えた。
「聞き込みはどうだった?」
「朝も早かったし、事故が起きた瞬間を見ている人はいなかったよ」
だが、と笹木は続ける。
「あの事故の第一発見者を含め、数人が不思議なことを言っていてな。今朝、彼女は何度もクラクションの音を聞いたそうだ。彼女はその音がうるさくて起きてしまったらしい。一体なんだろうと思った直後に大きな音がして、外に出たらあの状態になっていたというわけだ」
それを聞いて愛昼は首をひねった。
「何度もクラクションを……?何故かしら?」
笹木は腕を組んで考え込んだ。
「いまいち分からないな。これからそれについて加害者に聞いてみることにするよ」
愛昼が「分かったわ」と頷いた。それと同時に沸騰を知らせる鋭い音が鳴った。
手早く火を止めると用意してあった二つの湯飲みに注いだ。そして片方を笹木に手渡す。
笹木は「ありがとう」とそれを受け取ると一口飲み、ため息をついた。
「とりあえず被害者が話せるようになるまで待つしかないな」
「そうね」と愛昼は頷いた。そして熱々のお茶をやけどしないよう用心しながらすすった。
愛昼は屋内駐車場に停められている、警察本部に運び込まれた車の方に向かっていた。その道中にちらりとパトカーの方を見ると、あの男が車体に寄りかかって外を見ているのが見えた。愛昼は彼に近づく。
愛昼に気づいた男が愛想笑いをした。
「お仕事お疲れ様です」
「どうも」と愛昼が素っ気なく返す。
「これから車達に事情聴取をしに行くの。あなたも来てくれない?」
それを聞いて男が顔をしかめた。
「本気で言っているんですか?」
「ええ。どうしてそんなに嫌がるの?」
愛昼の問いに男が視線を外す。
「事故の事実を知っていたとしても、誰も車の声なんて聞いてくれやしませんよ」
自嘲ぎみに男が言うのを愛昼が首を振って制した。
「普通の人は確かに聞いてなんかくれないわ。だから私が聞いてあげるの」
それを聞いて男はきっと愛昼をにらむ。
「車は人間ではありません。車の言っていることと人間の言っていることが食い違ったら間違いなく人間の言うことが正しいとされます。車にあやふやな希望を与えないでください」
そうぴしゃりと男が言った。愛昼は言い返す。
「車は人間より素直だと思うわ。それにもし食い違ったとしたら、どちらが正しいか私は調査をする。その方が真実をより早く見つけやすいと思うの」
苦い顔で男は愛昼を見る。
愛昼は負けてはいなかった。真正面から男の顔を見据える。
その目に負けて男はため息をつき、口を開いた。
「……車は人間と同じく、事故に遭えばそれなりのショックを受けます。運転手が怪我を負っている被害車は特に」
男はゆっくりと話す。
「今日聞いても有用な意見は得られないでしょう。日を改めた方がいいと思います」
愛昼はじっと男の言葉を聞いていた。そして
「分かったわ。明日聞くことにするわ」と言った。
そのまま車の方に向かって歩き出す。それを見て、男が訳が分からないといった様子で愛昼を追いかけ、肩をつかんだ。
「ちょっと、俺の話聞いてました?」
慌てる男に対し、「ええ、聞いてたわよ」と愛昼があっけらかんと言う。
「事故のことは今日は聞かないわ。でも仲良くなっておくぐらいいいでしょう?」
それを聞いて男はぽかんとした。そして急に笑い出した。
愛昼は何故男が笑っているのか分からずぽかんとする。
笑いながら男が口を開く。
「車とわざわざ仲良くなりたがるなんて、あなた、随分と変わってますねえ」
「べ、別に可笑しな事ないでしょ?人間と同じよ、仲良くなっておいた方が色々と話しやすいでしょ!?」
笑われていることに恥ずかしさを覚えた愛昼が顔を赤らめて怒ったように言う。
「あー、すいません。馬鹿にしているわけじゃないので許してください。いやはや、変わった人間もいたものですね……」
謝りながらもまだ笑っている男を無視して、愛昼はバイクの方に向かって足を進めた。
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