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スイ

〈1〉

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愛昼はパトカーのある屋内駐車場まで早歩きで向かっていた。仕事場に来て制服に着替え、一息もつかないうちにパトカーの出動命令が出たのだ。
『○○で交通事故が起きた。すぐに現場に直行せよ』
愛昼はこれを聞き終えるや否や素早く専用の制服に着替え、更衣室を飛び出した。
このようなことは珍しくない。交通事故発生件数が多い愛知県ならなおさらだ。
交通部で努力はしているものの、様々な要因が重なっているためか事故の件数は急激には減りはしない。
愛昼はまた会議が開かれるだろうことを予想してため息をついた。

パトカーに乗り込む。カーナビで事故現場の場所をすばやく確認すると、発車前の準備をしシートベルトを締めた。
ギアをドライブに入れ、ハンドブレーキを外して車を発車させたとき
「あーあ、また交通事故か」とどこからかげんなりした声がした。
びっくりしてブレーキを踏む。急ブレーキのせいで体が前に投げ出されそうになった。
ハンドルをつかんだまま愛昼は何が起こったのかと思考を巡らせる。
(今、どこから声が……?まさか、誰かパトカーに忍び込んでいたんじゃ……)
冷や汗が頬をつたる。慌てて後部座席を振り返り視線を巡らせた。しかし誰もいない。
(……気のせい?)
そう思ったのもつかのま、
「……まさか、俺の声が聞こえるんですか?」とまた男の声がした。
すばやくハンドブレーキをかけギアをパーキングに戻した。そしてエンジンをきりパトカーから脱出を試みる。しかし、ロックは解除されているはずなのに扉が開かない。
「な、なんで!?」
必死にがちゃがちゃと押し引きするがびくともしない。愛昼は自分の頭が真っ白になっていくのを感じた。
「少し落ち着いてくださいよ。俺はあなたに何も危害を与えません」
声はつとめて冷静に話しかける。愛昼は意を決し扉を背にして車内に体をむけた。戦えるように座席から腰を浮かす。
そして死角ができるだけないよう周囲に目を配りながら
「どこにいるの?出てきなさい!」と叫んだ。
そう叫び終った瞬間、音もなく助手席に男が現われた。彼は後部座席から出てきた訳でもないし、外から扉を開けて入ってきた訳でもない。何もない空間から、手品のようにぽんと現われたのだ。
愛昼はあっけにとられて警戒していたのも忘れ、口をぽかんと開けたまま男を見た。
男は愛昼と同じ交通事故捜査勤務員専用の制服を身につけており、妙なことに左の頬に自動車会社のエンブレムが、首筋に車種が記されていた。また、左腕にナンバープレートが書かれた腕章を身につけていた。
男は愛昼の様子を見て、安心させるように両手を挙げた。
「どうも驚かせてしまってすみません。でも正直なところ、俺の方が驚いているんですよ」
そう言って笑うその男は悪い人間には決して見えない。しかし、そういう人間ほど危ないということは百も承知だ。
愛昼はさも拳銃があるかのように見せかけるため、ポケットに手を入れた状態で警戒を続ける。また空いている方の手を後ろに回し、ドアハンドルをつかんだ。
「あなた、何者?どこから出てきたのよ!?」
警戒心むき出しの状態で言うと男は困った顔をした。そして腕を組み天井を見上げる。
「えーっと、そうですね。なんと言えばいいか……」
男はそのまま考えていたが、思いついたように愛昼を見た。
「簡単に言うと、俺はこのパトカー自身です。パトカーの擬人化というべきでしょうか……」
「変なことを言わないで!」と愛昼が威嚇する。
「まあ、信じてもらえませんよね。でも、あなたは車の声が聞こえるみたいですから、少しは理解しやすいのではないでしょうか」
男の言葉に愛昼はぎくりとする。男は笑みを浮かべてそんな愛昼のことを見つめている。
嘘がつけないと思った愛昼は仕方なく肯定することにした。
「確かに私は車の声が聞こえるけど……。それをどうしてあなたが知っているの!?」
「だから俺が車だからですよ。まさか独り言を聞かれるなんて思いもしなかったです。今まで俺に乗った警官は誰も俺の声が聞こえなかったのでね。まあ、当然と言えば当然なんですけど」
そう言って朗らかに笑う。愛昼はまだ警戒しつつも少しずつ男の言うことを信じ始めていた。
「じゃあ、さっきのはあなたの声で間違いないのね?」
「ええ」
「だったら、あなたがこのパトカー自身だってこと、証明してみせなさい」
愛昼が言うと男は「そうですねえ……」と考え込んだ。その後顔をあげて
「じゃあ、何もしないでくださいね」と言った。
何をするのかと様子を伺っていると、急にエンジンがついた。
愛昼もその男も何も触っていない。驚いて辺りを見渡せば、今度は後部座席の窓が両方とも全開になるのが見えた。
「どうです?今度は片方の窓だけ閉めて見せましょうか?」
愛昼の視界内にある後部座席の片方の窓が勝手に閉まる。
男は最後エンジンをきると、目を白黒させている愛昼に向かって笑いかけた。
「信じてくれました?」
愛昼がぎこちなくこくりと頷いた。
(え、嘘でしょ?車が人間型になれるなんて……。それに車体を好きなように動かせるなんて……)
頭の中がぐるぐると回っている。今まで会った車はしゃべりはしたが、それ以上のことは出来なかったというのに。
固まってあれこれ思考している愛昼をからかうように男が言う。
「あなた、車の言葉が分かるのになんで俺の声にあんなにびびっていたんですか?」
「だって……。今までパトカーが話したところなんて見たことがなかったものだから、てっきり不審者かと……」
そう言う愛昼に男が口をとがらせる。
「ひどいなあ。いつもあなた達のために働いてる俺を不審者呼ばわりするなんて」
そう言いながらパトカー内の時計を一瞥する。そして
「そういえば、事故現場に行かなくていいんですか?」と首をかしげた。
その言葉に我に返った愛昼は慌ててパトカーを発車させた。それと同時に男がサイレンのスイッチを入れた。
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