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34「甚兵衛のせい」

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「甚兵衛これ。道中で食べなよ」
「お弁当ですか? これはありがたい」

「けど大したもんじゃないよ。ただのお稲荷さんだもん」
「あ――あの睦美先生の稲荷寿司! 祖父から聞いてます! 嬉しいです!」

 甚坊の奴ったら余計な事ばっかり孫に言い残しやがって嫌んなるねぇ……ってのは冗談です。

「ばか、声が大きいよ」

 せんせは甚兵衛に礼と別れを済ませた直後、巫の力を使い過ぎたせいか糸が切れた様に眠っちまったから、聞こえちまうって事はないと思うけどね。

「でもま、ホント助かったよ。ありがとね。甚坊のお墓にも伝えてやっておくれよ」
「お役に立てて良かった。上方かみがたでの用が済んだら帰りにまた顔出します。では、また」

 夜が明けてすぐの誰もいない通りを歩いていく甚兵衛の背を見送りながら、甚坊の事をちょいとだけ思い出しちまったよ。

 さ、戻って繕い物の続きでもしよっかねぇ。


 ちょいと書斎を覗いたら、畳の上で大の字んなった良庵せんせが可愛らしい寝息を立てていました。

 このままじゃおなか冷やしちまうかしらと思ったんだけどさ、よく見りゃ袷のお腹んとこが膨らんでてね。
 その中からも一つ可愛い寝息が聞こえてたのさ。

 なっちゃんの柔毛やわげはモフモフしてて不思議となんだか暖かいからね。
 なら平気だね、って事でそのままにしといて道場へ戻って繕い物の続きに集中し始めました。


 暫くそのまま繕い物に精出してたんだけどね――――



 ――はあーぁ。

 なにもこんな日に――ついに良庵せんせがかんなぎ覚えた目出度い日にさ、良いんじゃないかい?

 もうちょいとでも良いからさ、空気読んで欲しいよねぇ、本当にさ。

 
 まだ途中だったお針を八つ当たりするように針山にぶっ刺して、それでも良庵せんせの服を乱暴に扱うのはなんか嫌だったからきちんと畳みました。

 道場から直接お庭に出て、そのまま門屋まで歩きます。

 はぁ……、気が重いねぇ。
 気分どころか足取りだって重いけど、逃げる訳にもいかないよね。

 せんせとの口付けの余韻がまだ残ってた、そんな幸せな気分が吹っ飛んじまったよ。


「あはははは! なにやってんのさ! みっともない! あははは!」

 門屋をこちら側に潜ったとこではしゃぐ男が一人。

「うぐぐ……、そ、そうは言っても……」

 さらに潜る途中、ちょうど門のとこで呻く女が一人。
 バカみたいにはしゃいでんじゃないよ、ったく。

「うるさいよアンタら。まだ朝早い、近所迷惑だ」
「――ヨーコ! 逢いたかった!」

 しつっこい奴だねぇホント。あたしはこれっっぽっちも会いたくなかったっての。

「見ない間により一層綺麗になったね!」

 はいはい、ありがとさん。
 あたしの見た目はどこもかしこも昔のままさ。綺麗になったってんならさ、あんたの目が悪くなったのさ、きっと。

 あたしが一つも喜んでないのを悟ったのか、あっさり話題を変えてきました。

「ねぇヨーコ?」
「なにさ」

「どうしてシチだけ捕まったんだい? このボクはなんともなく通れたんだよ?」
「んなこたどうでも良いけどさ、どうしてここが分かったんだい?」

「あの若い妖魔退治をけたのさ! 賢いだろう?」
 
 ふふん、と胸を反らして鼻高々で言いやがったよ。

 ……甚兵衛のせいだってのか。
 あたしがいた町の、さらに妖魔退治が生業だもんね、よく考えりゃ張っててもおかしかないか。
 甚兵衛は悪かないんだけど、妖魔退治が妖魔にあと尾けられてんじゃないよ。まったく。


「そうかい、それは分かったよ。けど、そのキモチ悪い話し方なんとかなんないのかい? それにそのだってなんなのさ一体」

 あたしの言葉にヨルの顔からスッと表情が消えました。
 ちょいとビクッとしちまったけどね、どうせならその方がってもんだよ。

 今のヨルはさ、どこか良いとこのお坊っちゃんがそのまま大人になったって感じ。
 年のころなら二十五、六。ぱっちり二重でさわやかに微笑んで、お肌は白くて肌理きめ細かくて、真ん中で分けた茶色い髪はふんわり波打って耳のあたりに流してさ。
 服だって白系統で揃えた洋装――ボタンで留める襟付きシャツ、細袴とベストチョッキはほんのりさりげなく黄味がかって……

 憎ったらしいくらいにサマになってんのがムカっ腹だよホント。

「ヨーコの好みに合わせたつもりだった。許してくれ」

 はんっ。
 素で喋り出した途端にじゃないか。分かっちゃいたけどやっぱりこの青瓢箪がヨルだってのかい。参っちまうねぇ。

「どこで聞いたか知らないけどさ、あたしの好みはそんななのかい?」
「違ったか? 以前のオレ――ただ人に化けただけのオレの姿は好ましくなかったのだろうと考えたのだが」

 確かに以前のヨルとは真逆の姿だねぇ。
 それになによりさっきのにこやかな笑顔なんて一体誰なんだお前はって感じさ。

「勘違いしないでおくれ。あんたの見た目なんざどうだって良いんだよあたしは」
「……? なら何故逃げた?」

 分かんないかねぇ、このうすらとんかち。

「悪いけどはっきり言うよ。あたしはあんたを好きじゃないんだ、察しなよバカ」

「別に構わない。オレもそうだ」

 …………。
 そこが一番嫌なんだよバーカ!

 …………でもま、それは分かっちゃいたんだ。
 今更そんな事言ったって始まらないってのも分かってんだから。


「――で、なんだっけ? なんでこのシチとか言うのだけが捕まってるかだっけ?」

 それこそあたしにゃどうだって良いってのにさ。

「あたしのこの結界はさ、強い敵意に反応してるのさ。このうちの者に対してのね」

 よく見りゃこの女、蝮の三太夫んとこで見掛けたあの女だよ。敵意ぷんぷんでキッとあたしを睨んでるじゃないか――

 って、ぼんやり考えてるとヨルがいつもの平坦な表情でシチって女を睨みつけ、襟を掴んで力任せに引っ張りました。

「あぁ! ヨ、ヨル様! お、おやめ下さい! あァ、あぁぁああ゛!」

 あたしの結界に囚われたままの女を内側に引っ張るもんだから、ばりばり音立てて女の体を結界が焼いちまってるよ。

「敵意だと? ヨーコはオレの子を産む大事な女だ。分かっていないのか?」

 って事は何かい? ヨルの奴ってば自分の尾っぽが言うこと聞かないって怒ってるって事か。笑っちまうねそれ。

「内輪揉めは後でやりな。うるさいって言ってるだろ」

 どんっ、とヨルが女を結界の外に突き飛ばし、先に帰れと言い付けて、勿体つけながらこっち向いて偉っそうに言いやがった。

「行くぞ。さぁ」
「…………」

 なにかしてやがんだこいつは。行くわきゃないだろ。

「何か未練があるのか」
「…………」

 あるに決まってるじゃないか、このすっとこどっこい。

「分かった。ならこうしよう」

 ヨルがゆっくり片手を上げて掌を母屋へ向けて、立てた四本指を撫でるように小さく下へ。
 すると四本の薄赤い光の線が空中に浮かんで――

「ば、バカ! 何する気だい!?」

 慌てて巫戟で小さく星を描き、それを掴んで打ち振るい、ヨルが作ろうとしていた図柄をボカンと殴ってぶち壊してやったよ。
 ざまぁみやがれってんだ。

「星の図……ヨーコもオレと似たような術を使うのか。なお良い」

 ちっとも良かないっての。
 良庵せんせに手を出したら容赦しないよ!

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