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一章✳︎あの日の誓い
1「カシロウ、北へ」
しおりを挟むカシロウは抱っこ紐で結わえたヨウジロウを胸に抱え、北へ北へと駆けていた。
生後半年のヨウジロウは、充分に父カシロウへと懐いていると、カシロウはじめ皆がそう思っていた。
しかし、考えが甘かったと言わざるを得ないだろう。
最初の一日二日は何も問題無かった。
「ヨウジロウ、見ろ蝶々だぞ」
等と言いつつ穏やかに軽やかに歩を進めていた。
このまま順調に行くかと思われたが、首都トザシブを離れて三日目の夕方、母から遠く引き離された事にどうやら気がついたヨウジロウは、遂に泣き叫び始めた。
うつらうつらと眠る時以外は、騙されたと言わんばかりに嗚咽を交えて喉を枯らし、徹頭徹尾泣き叫んだ。
小さな体のどこにそんな力があるのかと辟易しながらも、カシロウはヨウジロウの背をさすり、なんとか一晩をやり過ごした。
しかし、四日目の昼過ぎにはストレスの限界に達した様で、遂にハルらの耳や小指を斬り飛ばした不思議な刃を、泣き声と共にカシロウ目掛けて飛ばし始めるに至った。
「びゃぁぁぁぁああぁぁっ!」
「またかっ! ぬぅりゃ!」
走りながらも、両手に持った抜きっ放しの二刀を振るい、カシロウは幾度も襲い来る刃を弾いた。
刀で弾いた感触は、安物の刀よりもさらに脆い、極薄の瀬戸物を斬ったような感触。
それに対して、カシロウの二本の愛刀はかつて旧主から拝領した業物中の業物、和泉上兼定。
切れ味、耐久性、共にカシロウの愛刀とは比べるべくもないが、拙いことにそのヨウジロウの刃は無色透明、見辛いことこの上ない。
加えて先日小指や耳を斬り裂いた鋭さは確かなもの。
旅装用の柄袋が邪魔をした事もあり、流石のカシロウも最初の一撃には全く反応出来ずに右頬をざっくりと斬り裂かれ、真っ赤な血が流れっ放しである。
「落ち着けヨウジロウ! 私が付いている! 案ずるな!」
「びゃぁぁぁぁぁっ!」
カシロウの声に特にヨウジロウが反応する事はなく、再び泣き声と不思議な刃を以っての返事を繰り返した。
しかしそれでもカシロウなれば、初撃こそやや深めに頬を裂かれたが、刃の煌めきと空気の歪みを感じることさえ出来れば、なんとか反応できる。
もちろんカシロウの剣の腕があればこそだが、実際はヨウジロウを胸に抱えているおかげが大きかった。
ヨウジロウの刃は、ヨウジロウの体からおよそ一尺程度の所に突然現れ、一旦遠ざかってから向きを変えてカシロウへと飛んでくる。
さらには、理屈や理由はよく分からないが、カシロウの体を越えて刃を現出する事は出来ない様子。
この二つの要因、現れて即カシロウに向かえない点、カシロウの背後からいきなりは襲えない点、この二つは視野の広いカシロウに取って果てしないプラス要因。
この二つが崩れない限りは、カシロウの剣の腕をもってすれば、万が一にも大きなダメージを負う羽目になる筈がなかった。
そしてかれこれ二刻、カシロウはヨウジロウから噴出する刃と格闘しながら走り続けている。
「これでもな、私はこの国一番の剣術使いと言われて! おるわけだ、だからなヨウジ! ロウ! その刃は効か! んから、もう諦め! て落ち着け。父さんを! な、信じる! んだ!」
「びゃぁぁぁぁぁっ!」
カシロウが幾ら口を開いても、ヨウジロウから飛び来る刃が落ちつく素振りは見られなかった。
「ちょ、待て、おぃ、今回、は、ちょっと多い、ぞ!」
「びゃぁぁぁっ! ひっ、びゃぁぁぁぁぁっ!」
日も暮れようとし始めた頃、ヨウジロウから立て続けに飛ばされた刃がカシロウを襲うが、カシロウは必死になって二刀を振り続け、なんとかかんとか全ての刃を叩き斬った。
「びゃぁ、あ、ぁ…………zzz」
「…………眠ったか――」
眠気の限界に伴う機嫌の悪さが手伝って、多くの刃を飛ばしていたようだとカシロウは悟った。
「……これは、ぶっちゃけ拙いかも知れん」
頬の血を肩で拭ってから二本の兼定を鞘に納め、背に負った行李からカンテラを取り出して灯りを灯した。
昨夜までは街道を逸れて焚き火を焚いて野宿した。
生後半年のヨウジロウの眠りは朝昼夕にそれぞれ一刻ほど、夜は上手く眠れた日なら三刻ほど。
私だって眠い、腹も減った、斬られた頬も痛い、カシロウはそう心の中で愚痴ったものの、眠るヨウジロウの顔を覗き込んで見詰め、そして北を目指して静かに駆け始めた。
「前へ進もう。この父に任せておけ」
ヨウジロウを抱えたカシロウが、何故北を目指して駆けているのか、カシロウの頬が一体何に斬り裂かれたのか、これを説明するには少し遡らなければならない――
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