35 / 51
第3章 迷い、暗闇を歩む者たちよ
第31話 優しい人
しおりを挟む
「……もしかしたら、私も同じなのかもしれません」
「同じ?」
彼女の言葉に俺は首を傾げた。
「私も何かができるような身体ではありません。それでも生かしてくれたこの世界に、恩を返したいのかもしれません」
生かされたから、恩を返す。確かに同じなのかもしれない。俺を生かしてくれたのは彼らだ。動くだけの死体だった俺に命を吹き込んでくれたのは彼らだった。
「それならまあ……納得いくかな。世界に対してって部分だけは、相容れないが」
「私の言う世界とあなたの言う世界は別物ですから。私にとっての世界はこの教会で、恩を返したいのはここに来る人々。あなたにとっての世界は世の中の全てで、あなたが恩を返したいのはあなたの内側に住む彼ら。私はここに来る人々を救い、あなたは彼ら、そして彼らと同じ境遇にある人々を救う」
「そうか、そういう認識なのか。だから、俺たちが世界を壊そうとしていても止めないんだな」
「ええ。目指しているものは同じようなものですから。きっとあなたたちなら、この教会に来る信者たちも救ってくれると思います」
話を一通り終えて、俺たちは思う。このシスターは本当に聖女のような部分を持っている。普段、表に出ている性格に嘘はない。皮肉屋だし口も悪い。
だが、本物の慈愛を持っているのも確かだ。そうでなければ、ここまで他人のために尽くせるはずがない。
彼女の手がまた俺たちの頬に触れる。暖かな熱を感じながら、最後に聞きたいことが思い浮かんだ。
「なんで、俺たちにそこまでするんだ?」
同じ質問を以前にもした。それでももう一度聞きたくなった。
教会に来る人々への彼女の慈愛は本物だ。それはずっと見てきたから分かる。だが、どうしてそれを俺たちにまで向けているのだろうか。俺たちもこのシスターにとって救うべき対象なのかもしれないが、それ以上の何かを感じる。
そもそも俺たちは愛されなかった存在だ。今更、愛情を受けてもそれを信じることができない。
「同じ答えを言っても、納得できないのでしょうね」
「ああ。だからこれは……そうだな、無意味な質問だ」
「あらゆる答えに納得がいかないだろうからといって、質問そのものが無意味となるわけではありません。少なくとも私は、今でもあなたたちが不安に思っている、ということを知ることができました。それだけでも十分に意味のあることです」
シスターは俺たちの気持ちを、不安を否定せずに目を伏せる。言葉を選んでいるように見えた。
「今言ったことを実践するならば、同じ答えを繰り返すこともまた、無意味ではないのでしょうね」
「……そう、かもしれないな」
「私はあなたたちを癒したいのです。特に──あなたを」
なんとなく、予想はしていたから驚きはしなかった。ただ余計に、信じられない気持ちになった。
「どうしてだ。どうしてこんな人間に拘るんだ。俺は力づくで世界を壊そうとしている罪人だぞ」
罪の意識があるわけではない。だが客観的に見たときに罪人だという自覚がないほど、俺はまだ狂っちゃいなかった。
「でもそれには理由があるでしょう?」
「ただの欲望だ」
「欲望であっても理由よ。人を害したいのが欲望なら、人を助けたいのも欲望。どちらも同じことよ」
同じだと彼女は言ったが、結果があまりに違いすぎる。俺には同じだとは到底、思えなかった。
「俺の欲望は人を害したい欲望だ。誰かが認められるようなものじゃない」
「──いいえ。それは違うわ」
俺の言葉を、目の前の女ははっきりと否定した。
「あなたが言ったことよ。救いたいって。あなたは誰かを傷つけたいんじゃない。あなたは人を助けたいのよ。たとえそれが見ず知らずの誰かであったとしても。あなたの中にいる彼ら。路地裏にいる可哀想な人たち。死なせてしまった子供。あなたはその人たちの誰も彼もを救おうとしてる。人を害する欲望などではないわ」
「だが話したはずだ。俺たちは不満の発散のために人を殺す、と」
「それは彼らの欲望であってあなたの欲望ではないわ。少なくとも、私にはそう見える。あなたは彼らの欲望を叶えようとしているだけよ」
優しげな笑みを向けられているのに、俺の心は乱れていた。
心の中の何かが、彼女の主張を受け入れようとしなかった。
「俺が……そんな立派な人間に見えるのか、お前は」
「ええ。初めて会ったときから、ずっとそう。あなたは優しい人よ。だからお願い。あなたは優しいって、私にだけは言わせて。そうでないと」
「そうでないと?」
「この世界で誰も、あなたの優しさを知らないままだわ。そんなの、悲しすぎるもの」
その声には、悲哀と祈りが込められていた。どうかこれだけは許してほしい──そんな願いが込められているように聞こえた。
こいつは、俺をひとりにしたくないのだと、ようやく理解できた。
黄金色の瞳は、今でも俺だけを見ている。
──ああ、綺麗だ。素直に、そう思えた。
「……分かった、俺の負けだ。今でも受け入れ難いが、お前のその言葉だけは否定しないようにするよ。それにしても、こういうときはまるで本物の天使みたいだな」
「純粋で綺麗な心、という意味?」
「ああ。聖女やその類に見える」
「ふふ。それも間違いよ。私だって欲望で動いているもの」
「俺を助けたいという欲望か?」
一瞬だけ彼女の言葉が止まる。吐息を一度だけついてから、俺を見据えて彼女は言った。
「いいえ──あなたのことが好きっていう欲望よ」
「同じ?」
彼女の言葉に俺は首を傾げた。
「私も何かができるような身体ではありません。それでも生かしてくれたこの世界に、恩を返したいのかもしれません」
生かされたから、恩を返す。確かに同じなのかもしれない。俺を生かしてくれたのは彼らだ。動くだけの死体だった俺に命を吹き込んでくれたのは彼らだった。
「それならまあ……納得いくかな。世界に対してって部分だけは、相容れないが」
「私の言う世界とあなたの言う世界は別物ですから。私にとっての世界はこの教会で、恩を返したいのはここに来る人々。あなたにとっての世界は世の中の全てで、あなたが恩を返したいのはあなたの内側に住む彼ら。私はここに来る人々を救い、あなたは彼ら、そして彼らと同じ境遇にある人々を救う」
「そうか、そういう認識なのか。だから、俺たちが世界を壊そうとしていても止めないんだな」
「ええ。目指しているものは同じようなものですから。きっとあなたたちなら、この教会に来る信者たちも救ってくれると思います」
話を一通り終えて、俺たちは思う。このシスターは本当に聖女のような部分を持っている。普段、表に出ている性格に嘘はない。皮肉屋だし口も悪い。
だが、本物の慈愛を持っているのも確かだ。そうでなければ、ここまで他人のために尽くせるはずがない。
彼女の手がまた俺たちの頬に触れる。暖かな熱を感じながら、最後に聞きたいことが思い浮かんだ。
「なんで、俺たちにそこまでするんだ?」
同じ質問を以前にもした。それでももう一度聞きたくなった。
教会に来る人々への彼女の慈愛は本物だ。それはずっと見てきたから分かる。だが、どうしてそれを俺たちにまで向けているのだろうか。俺たちもこのシスターにとって救うべき対象なのかもしれないが、それ以上の何かを感じる。
そもそも俺たちは愛されなかった存在だ。今更、愛情を受けてもそれを信じることができない。
「同じ答えを言っても、納得できないのでしょうね」
「ああ。だからこれは……そうだな、無意味な質問だ」
「あらゆる答えに納得がいかないだろうからといって、質問そのものが無意味となるわけではありません。少なくとも私は、今でもあなたたちが不安に思っている、ということを知ることができました。それだけでも十分に意味のあることです」
シスターは俺たちの気持ちを、不安を否定せずに目を伏せる。言葉を選んでいるように見えた。
「今言ったことを実践するならば、同じ答えを繰り返すこともまた、無意味ではないのでしょうね」
「……そう、かもしれないな」
「私はあなたたちを癒したいのです。特に──あなたを」
なんとなく、予想はしていたから驚きはしなかった。ただ余計に、信じられない気持ちになった。
「どうしてだ。どうしてこんな人間に拘るんだ。俺は力づくで世界を壊そうとしている罪人だぞ」
罪の意識があるわけではない。だが客観的に見たときに罪人だという自覚がないほど、俺はまだ狂っちゃいなかった。
「でもそれには理由があるでしょう?」
「ただの欲望だ」
「欲望であっても理由よ。人を害したいのが欲望なら、人を助けたいのも欲望。どちらも同じことよ」
同じだと彼女は言ったが、結果があまりに違いすぎる。俺には同じだとは到底、思えなかった。
「俺の欲望は人を害したい欲望だ。誰かが認められるようなものじゃない」
「──いいえ。それは違うわ」
俺の言葉を、目の前の女ははっきりと否定した。
「あなたが言ったことよ。救いたいって。あなたは誰かを傷つけたいんじゃない。あなたは人を助けたいのよ。たとえそれが見ず知らずの誰かであったとしても。あなたの中にいる彼ら。路地裏にいる可哀想な人たち。死なせてしまった子供。あなたはその人たちの誰も彼もを救おうとしてる。人を害する欲望などではないわ」
「だが話したはずだ。俺たちは不満の発散のために人を殺す、と」
「それは彼らの欲望であってあなたの欲望ではないわ。少なくとも、私にはそう見える。あなたは彼らの欲望を叶えようとしているだけよ」
優しげな笑みを向けられているのに、俺の心は乱れていた。
心の中の何かが、彼女の主張を受け入れようとしなかった。
「俺が……そんな立派な人間に見えるのか、お前は」
「ええ。初めて会ったときから、ずっとそう。あなたは優しい人よ。だからお願い。あなたは優しいって、私にだけは言わせて。そうでないと」
「そうでないと?」
「この世界で誰も、あなたの優しさを知らないままだわ。そんなの、悲しすぎるもの」
その声には、悲哀と祈りが込められていた。どうかこれだけは許してほしい──そんな願いが込められているように聞こえた。
こいつは、俺をひとりにしたくないのだと、ようやく理解できた。
黄金色の瞳は、今でも俺だけを見ている。
──ああ、綺麗だ。素直に、そう思えた。
「……分かった、俺の負けだ。今でも受け入れ難いが、お前のその言葉だけは否定しないようにするよ。それにしても、こういうときはまるで本物の天使みたいだな」
「純粋で綺麗な心、という意味?」
「ああ。聖女やその類に見える」
「ふふ。それも間違いよ。私だって欲望で動いているもの」
「俺を助けたいという欲望か?」
一瞬だけ彼女の言葉が止まる。吐息を一度だけついてから、俺を見据えて彼女は言った。
「いいえ──あなたのことが好きっていう欲望よ」
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
根暗男が異世界転生してTS美少女になったら幸せになれますか?
みずがめ
ファンタジー
自身の暗い性格をコンプレックスに思っていた男が死んで異世界転生してしまう。
転生した先では性別が変わってしまい、いわゆるTS転生を果たして生活することとなった。
せっかく異世界ファンタジーで魔法の才能に溢れた美少女になったのだ。元男は前世では掴めなかった幸せのために奮闘するのであった。
これは前世での後悔を引きずりながらもがんばっていく、TS少女の物語である。
※この作品は他サイトにも掲載しています。
箱庭から始まる俺の地獄(ヘル) ~今日から地獄生物の飼育員ってマジっすか!?~
白那 又太
ファンタジー
とあるアパートの一室に住む安楽 喜一郎は仕事に忙殺されるあまり、癒しを求めてペットを購入した。ところがそのペットの様子がどうもおかしい。
日々成長していくペットに少し違和感を感じながらも(比較的)平和な毎日を過ごしていた喜一郎。
ところがある日その平和は地獄からの使者、魔王デボラ様によって粉々に打ち砕かれるのであった。
目指すは地獄の楽園ってなんじゃそりゃ!
大したスキルも無い! チートも無い! あるのは理不尽と不条理だけ!
箱庭から始まる俺の地獄(ヘル)どうぞお楽しみください。
【本作は小説家になろう様、カクヨム様でも同時更新中です】
勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!
よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
百花繚乱 〜国の姫から極秘任務を受けた俺のスキルの行くところ〜
幻月日
ファンタジー
ーー時は魔物時代。
魔王を頂点とする闇の群勢が世界中に蔓延る中、勇者という職業は人々にとって希望の光だった。
そんな勇者の一人であるシンは、逃れ行き着いた村で村人たちに魔物を差し向けた勇者だと勘違いされてしまい、滞在中の兵団によってシーラ王国へ送られてしまった。
「勇者、シン。あなたには魔王の城に眠る秘宝、それを盗み出して来て欲しいのです」
唐突にアリス王女に突きつけられたのは、自分のようなランクの勇者に与えられる任務ではなかった。レベル50台の魔物をようやく倒せる勇者にとって、レベル100台がいる魔王の城は未知の領域。
「ーー王女が頼む、その任務。俺が引き受ける」
シンの持つスキルが頼りだと言うアリス王女。快く引き受けたわけではなかったが、シンはアリス王女の頼みを引き受けることになり、魔王の城へ旅立つ。
これは魔物が世界に溢れる時代、シーラ王国の姫に頼まれたのをきっかけに魔王の城を目指す勇者の物語。
若返ったおっさん、第2の人生は異世界無双
たまゆら
ファンタジー
事故で死んだネトゲ廃人のおっさん主人公が、ネトゲと酷似した異世界に転移。
ゲームの知識を活かして成り上がります。
圧倒的効率で金を稼ぎ、レベルを上げ、無双します。
異世界でスキルを奪います ~技能奪取は最強のチート~
星天
ファンタジー
幼馴染を庇って死んでしまった翔。でも、それは神様のミスだった!
創造神という女の子から交渉を受ける。そして、二つの【特殊技能】を貰って、異世界に飛び立つ。
『創り出す力』と『奪う力』を持って、異世界で技能を奪って、どんどん強くなっていく
はたして、翔は異世界でうまくやっていけるのだろうか!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる