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第3章 迷い、暗闇を歩む者たちよ
第30話 救う理由
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「いかがですか。本物の天使の翼に包まれるのは」
「……正直、思っていた以上に心地よい」
翼に包まれた気分は想像よりも遥かに良かった。柔らかな温かみがあって人の温もりに近い感覚。とても安心できる、そんな気分になっていた。
「それは良かった。今日からはこうやって寝ましょうね」
シスターの嬉しそうな声が聞こえて、彼女の両腕が俺たちの背中に回される。片手が優しく、頭を撫でてくれていた。
幸福感。長らく感じることのできなかったものが、胸の内に静かに灯っていた。
温もりの中で揺蕩っていると、どうしても疑念が浮かび上がってきてしまう。
「なあ」
「なんですか?」
優しげな声音に俺たちは言葉を失う。聞きたいことがたくさんあった。でもどれから聞けばいいのか、分からなかった。
彼女の手が頬に添えられる。顔が動かされて、視線が合う。黄金色の綺麗な瞳が見つめてきていた。
「話してみてください。私はあなたたちを裏切りませんから」
目を伏せて考える。最初に聞くべきことが見つかった。
「その身体のことなんだが」
「私の身体ですか? スリーサイズなら、触って確かめていいですよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「ごめんなさい。続けてください」
真剣に聞いたこちらの雰囲気を察してシスターが続きを促してくれた。
「生まれたときからそうなんだろう。先天性の病なのか両親のせいなのかは知らないが、世の中を恨まないのか?」
ずっと疑問だった。彼女は見ようによれば俺たちよりよほど酷い境遇に置かれている。常に生傷の絶えない身体。コントロールは効かず治療も不可能。苦しむ彼女を助けようとする人間を俺たちは見た覚えがない。
「世の中、ですか。恨んだことはないですね」
「どうして?」
「確かに苦労の多い身体ではありますが、生きてはいけます。むしろそのことに感謝さえしています」
言葉に詰まる。胸中にあったのは深い憐憫だった。
「分からない。俺たちはお前にそんな苦労をさせているこの世界を許すことができない」
「相変わらず優しいのですね、あなたたちは」
「当たり前の感想だろう。誰が見たって同じことを思う」
「そうでもありませんよ。特異な肉体を面白がったり、色々な人がいます。それこそ子供の頃は特に」
有翼なんて人間を子供がどう扱うかなんて、想像に難くなかった。だが、シスターの表情に翳りはなかった。
「ならどうして誰も恨まずにいられるんだ。俺たちには……できないことだ」
「難しい質問ですが、性格のおかげ、といったところでしょうか。笑い物にしてきた子供たちには天罰も与えていましたし」
「お前らしいが、それも傷と引き換え、だろ?」
「そうですね。そういうものなので仕方ありません」
こいつは平気そうに語る。それが俺たちには──もどかしかった。
「恨んだっていいんだぞ。お前にはその権利がある」
「いいんですよ。これでも楽しくやっていますから。だから、心配しないで」
「心配?」
指摘に驚かされる。俺たちのような悪意と害意だけで成り立つ怨霊に、そんな感情があるとは思えない。
だがシスターは微笑を湛《たた》えながら、俺たちに言い聞かせるように続けた。
「ええ。あなたたちのそれは、心配という感情ですよ。自分たちが傷つけられて、傷ついているから。だから、傷ついている人を放ってはおけないのでしょう?」
傷ついているから、心配している。否定しづらい事実だったが、俺たちは否定しなくてはならなかった。何故ならば、俺たちはリヴァイアサン。世界の表面を引き剥がして地獄を見せるための存在なのだから。
なのに、彼女を心配するなんて善意が、あるはずがない。
「……そんなんじゃない。俺たちはただ、気になっただけだ」
「ふふ。素直じゃないんですね」
微笑むシスターの表情が、妙にくすぐったく感じる。
身体のこと以外にもまだ聞きたいことがあった。
「そんな境遇なのに、シスターなんて滅私奉公をやってるのはなんでなんだ」
普通なら人の助けを借りて生きたいぐらいなのに、こいつは真反対のことをしている。それがどうしても気に掛かった。
「その答えは簡単です。こんな私にも、救える人たちがいるからです。これなら不思議はないでしょう?」
「いや、不思議だろう。救える人がいるのと、救いたいのは別物だ」
「あなたが先に言っていましたよ。救えるものなら救いたい、誰も救わないから、と」
「それは……」
確かに、それは俺が言ったことだった。
「私も同じです。誰にも救ってもらえない彼らを救ってあげたい。少しでも重荷を軽くしてあげたいのです。あなたと同じように」
「……辛い身体を、引きずってでもか?」
「先ほども言ったとおり、身体については慣れていますから。それに、それはあなたにも当てはまるのでは?」
「俺、にか?」
当てはまる、と言われても思い当たる節がない。俺が首を傾げていると彼女が答えてくれた。
「ええ。あなただって十分に苦しみ、辛い思いをしてきた。なのに今、こうして悩みながらも他者のために何かをしようとしている。全て投げ出してもっと幸福に生きてもいいのに」
優しい言葉だった。だが俺は首を横に振る。何者でもなく何もできずにいた俺に、幸福に生きるなんて道が許されているとは、どうしても思えなかった。
元の世界で、俺は両親や周囲の期待に応えることができなかった。無能だと呼ばれ続けていたが、自分自身でさえ当たり前のことだと思っていた。
こちらの世界に来ても同じことだ。彼らとひとつになるまで、俺は自分の人生でさえ一歩も動くことができなかった。
「俺にそんな価値はない。何も成し遂げられず誰からも必要とされなかった。そんな俺を迎え入れてくれた者たちがいる。俺は彼らに恩を返したいだけだ」
「……もしかしたら、私も同じなのかもしれません」
「同じ?」
彼女の言葉に俺は首を傾げた。
「……正直、思っていた以上に心地よい」
翼に包まれた気分は想像よりも遥かに良かった。柔らかな温かみがあって人の温もりに近い感覚。とても安心できる、そんな気分になっていた。
「それは良かった。今日からはこうやって寝ましょうね」
シスターの嬉しそうな声が聞こえて、彼女の両腕が俺たちの背中に回される。片手が優しく、頭を撫でてくれていた。
幸福感。長らく感じることのできなかったものが、胸の内に静かに灯っていた。
温もりの中で揺蕩っていると、どうしても疑念が浮かび上がってきてしまう。
「なあ」
「なんですか?」
優しげな声音に俺たちは言葉を失う。聞きたいことがたくさんあった。でもどれから聞けばいいのか、分からなかった。
彼女の手が頬に添えられる。顔が動かされて、視線が合う。黄金色の綺麗な瞳が見つめてきていた。
「話してみてください。私はあなたたちを裏切りませんから」
目を伏せて考える。最初に聞くべきことが見つかった。
「その身体のことなんだが」
「私の身体ですか? スリーサイズなら、触って確かめていいですよ」
「いや、そうじゃなくて……」
「ごめんなさい。続けてください」
真剣に聞いたこちらの雰囲気を察してシスターが続きを促してくれた。
「生まれたときからそうなんだろう。先天性の病なのか両親のせいなのかは知らないが、世の中を恨まないのか?」
ずっと疑問だった。彼女は見ようによれば俺たちよりよほど酷い境遇に置かれている。常に生傷の絶えない身体。コントロールは効かず治療も不可能。苦しむ彼女を助けようとする人間を俺たちは見た覚えがない。
「世の中、ですか。恨んだことはないですね」
「どうして?」
「確かに苦労の多い身体ではありますが、生きてはいけます。むしろそのことに感謝さえしています」
言葉に詰まる。胸中にあったのは深い憐憫だった。
「分からない。俺たちはお前にそんな苦労をさせているこの世界を許すことができない」
「相変わらず優しいのですね、あなたたちは」
「当たり前の感想だろう。誰が見たって同じことを思う」
「そうでもありませんよ。特異な肉体を面白がったり、色々な人がいます。それこそ子供の頃は特に」
有翼なんて人間を子供がどう扱うかなんて、想像に難くなかった。だが、シスターの表情に翳りはなかった。
「ならどうして誰も恨まずにいられるんだ。俺たちには……できないことだ」
「難しい質問ですが、性格のおかげ、といったところでしょうか。笑い物にしてきた子供たちには天罰も与えていましたし」
「お前らしいが、それも傷と引き換え、だろ?」
「そうですね。そういうものなので仕方ありません」
こいつは平気そうに語る。それが俺たちには──もどかしかった。
「恨んだっていいんだぞ。お前にはその権利がある」
「いいんですよ。これでも楽しくやっていますから。だから、心配しないで」
「心配?」
指摘に驚かされる。俺たちのような悪意と害意だけで成り立つ怨霊に、そんな感情があるとは思えない。
だがシスターは微笑を湛《たた》えながら、俺たちに言い聞かせるように続けた。
「ええ。あなたたちのそれは、心配という感情ですよ。自分たちが傷つけられて、傷ついているから。だから、傷ついている人を放ってはおけないのでしょう?」
傷ついているから、心配している。否定しづらい事実だったが、俺たちは否定しなくてはならなかった。何故ならば、俺たちはリヴァイアサン。世界の表面を引き剥がして地獄を見せるための存在なのだから。
なのに、彼女を心配するなんて善意が、あるはずがない。
「……そんなんじゃない。俺たちはただ、気になっただけだ」
「ふふ。素直じゃないんですね」
微笑むシスターの表情が、妙にくすぐったく感じる。
身体のこと以外にもまだ聞きたいことがあった。
「そんな境遇なのに、シスターなんて滅私奉公をやってるのはなんでなんだ」
普通なら人の助けを借りて生きたいぐらいなのに、こいつは真反対のことをしている。それがどうしても気に掛かった。
「その答えは簡単です。こんな私にも、救える人たちがいるからです。これなら不思議はないでしょう?」
「いや、不思議だろう。救える人がいるのと、救いたいのは別物だ」
「あなたが先に言っていましたよ。救えるものなら救いたい、誰も救わないから、と」
「それは……」
確かに、それは俺が言ったことだった。
「私も同じです。誰にも救ってもらえない彼らを救ってあげたい。少しでも重荷を軽くしてあげたいのです。あなたと同じように」
「……辛い身体を、引きずってでもか?」
「先ほども言ったとおり、身体については慣れていますから。それに、それはあなたにも当てはまるのでは?」
「俺、にか?」
当てはまる、と言われても思い当たる節がない。俺が首を傾げていると彼女が答えてくれた。
「ええ。あなただって十分に苦しみ、辛い思いをしてきた。なのに今、こうして悩みながらも他者のために何かをしようとしている。全て投げ出してもっと幸福に生きてもいいのに」
優しい言葉だった。だが俺は首を横に振る。何者でもなく何もできずにいた俺に、幸福に生きるなんて道が許されているとは、どうしても思えなかった。
元の世界で、俺は両親や周囲の期待に応えることができなかった。無能だと呼ばれ続けていたが、自分自身でさえ当たり前のことだと思っていた。
こちらの世界に来ても同じことだ。彼らとひとつになるまで、俺は自分の人生でさえ一歩も動くことができなかった。
「俺にそんな価値はない。何も成し遂げられず誰からも必要とされなかった。そんな俺を迎え入れてくれた者たちがいる。俺は彼らに恩を返したいだけだ」
「……もしかしたら、私も同じなのかもしれません」
「同じ?」
彼女の言葉に俺は首を傾げた。
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