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第2章 仰げ、嘆きのための魂の器

第16話 怜司の怒り

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「桜も蒼麻も苦しめてやらなければ気が済まないが、1番そうしてやりたいのはやはりお前だな、怜司」

 氷点下の声が怜司に告げる。憎悪、憤怒、怨恨。あらゆる負の感情が込められていた。

「わ、悪い、悠司。俺がそこまでお前のことを傷つけていたなんて知らなくて」
「は、なんだその台詞は」

 悠司は鼻で笑って怜司を踏みつける力を強めていく。さらに怜司が苦鳴をあげた。

「謝罪など不要だ。俺たちが欲しているのは苦痛だけだ」

 怜司の言葉は悠司に──リヴァイアサンには何も響いていなかった。ただ空虚な音の羅列でしかなかった。「さて、どうしようか」と言って悠司の視線が蒼麻に向けられる。

「そうだ蒼麻。愛する男を殺されたくなければ全裸になって命乞いをしろ」

 怜司と蒼麻が恋仲なのは悠司にとって既知のことだった。よしんばまだそうでなかったとしても蒼麻の好意は明らかだった。そして怜司にとっての苦痛は自身へのものではなく他者への苦痛だろうと悠司は考えていた。何故なら、主人公とはそういうものだからだ。
 だが蒼麻の答えは悠司の想定していないものだった。

「しない」
「は?」
「悠司は怜司を殺さないよ。憎んでるからこそ簡単には殺さない」

 悠司が驚くほどに蒼麻は冷静な声で言いきった。単なる事実を述べる淡々とした口調で。
 悠司は驚愕の表情となっていた。ここまで蒼麻が冷静で度胸のある判断ができることは悠司にとって完全に予想外だった。
 不愉快さが悠司の胸中で吹き上がる。

「だったらお前を人質にするとしよう」

 苛立たしげに言いながら悠司が怜司を蹴り飛ばし桜がそれを受け止める。漆黒の触手が悠司の身体から飛び出して蒼麻の身体に巻きつき、引き寄せた。

「品のない身体だ。あいつを誘惑するのには十分に役立ったか?」
「それはどうも。役立ったのは事実だよ」

 服の上から触手が蒼麻の大きめな胸部を撫で回し、さらにスカートの中に入り込む。蒼麻の不愉快げな表情を悠司は愉快そうに眺めていた。
 悠司の視線が怜司へと移る。怜司は桜に支えられて立ち上がったところだった。怜司の表情には明らかな怒りがあった。それが余計に悠司の気分を良くした。

「さぁどうする、蒼麻も殺すか? 十兵衛やくれはのように」
「っ!」

 怜司の表情が単なる怒りから憤怒へと段階が上がる。十兵衛とくれは。怜司によく懐いて一緒にいた2人は悠司が力を得たあの日に怜司の目の前で惨殺された。怜司の脳裏でその光景が再生される。喉が張り裂けるまで叫び続け、十兵衛やくれはの助けを乞うたが十兵衛は四肢を1本ずつ引きちぎられ、くれはは頭部から股間までを引き裂かれて死んだ。その様が怜司の目の前に幻視として現れて消えた。

「桜も殺してお前を1人にしてやるのもいいな、はははは!」

 哄笑。それが怜司の理性を完全に吹き飛ばした。

「悠司ぃいいいいいいいいいいい!!」

 桜の支えを振り払って怜司は疾走。腰の鞘から剣を取り出して悠司に突き刺す。しかし水面に切先を沈めたように殆ど手応えは返ってこなかった。それにも関わらず怜司は力の限り剣を振い続けて悠司の肉体を斬り裂き続けた。その全てがただすり抜けるだけだった。

「ははは! そうだ、仲間の死に憤ってこそ主人公ってやつだ! これでやっと物語の筋が通る!」

 怒り狂う怜司を見て悠司の哄笑が大きくなる。悠司にとってはこれこそが重要な事柄だった。敵に対して謝罪する人間など主人公であってはならない。そんなものは打ち倒すべき価値などない。それでは物語の筋が通らない。
 こうやってそれらしい振る舞いをしてもらわなくては意味がないのだ。そうでなくては、気が済まない。

「だが、今のお前が俺たちに勝てる道理はない!!」

 振り下ろされた剣に向かって悠司の手が向かう。切断されながら即座に再生した手が怜司の首を掴み、剛力で身体を持ち上げて地面に叩きつけた。

「がっ!!」
「はははは! 無力だなあお前は!!」

 刀が空を斬る音。悠司が視線を動かす。その先では桜が蒼麻を捕まえている触手を斬り落としていた。

「やはりこちらには刀が通るようだな」
「そのとおり。だが甘い」

 斬られた触手の切断面から新たな触手が現れて蒼麻と桜の両方を拘束。
 再び悠司が怜司の背中に足を乗せる。3人ともが拘束された状況となった。

「いやあ、楽しいじゃないか。この間はお前たちの仲間をバラすだけで、お前たち自体には何もしなかったからなあ」

 悠司の表情は愉悦の笑みを浮かべていた。

「どうする、犯すか、それともあっさりと殺すか? どちらかは助けてどちらかは死なせるか? それをお前に選ばせてやってもいいな、怜司」
「ぐっ……2人を離せ悠司!!」
「そんな選択肢はお前の人生にはないんだよ!!」

 振り上がった足が怜司を踏みつける。激痛による絶叫が響いた。

「そう……そんな選択肢はお前の人生にはないんだよ」

 同じ言葉を悠司は呟いた。さっきとは全く違う悲しげな声音で。瞳には虚無が訪れ、表情からは愉悦が消えて空虚なものにすり替わっていた。視線は怜司を見ながら全く別のものを見ていた。
 悠司は──悠司たちは自分たちを見ていた。選択肢があるようでなかった自分たちの人生を。悲嘆に暮れる他なかった自分たちの全てを。
 見せかけの選択肢。選んだように見えて選ばされていたもの。選ぶことが初めから決まっていたもの。最初から袋小路に追い込まれていた自分たちという存在。不幸と絶望の中、最悪の結末に辿り着く以外の道がなかった自らの存在。彼らリヴァイアサンはそれを見つめていた。

「……お前もそうだったのか、悠司?」

 桜の声で悠司たちの意識は現実へと引き戻された。桜の言葉の意味を考え、不愉快だと判断した悠司は桜の口を触手で塞いだ。
 怜司の悲嘆の表情は酷薄な笑みで覆い隠された。蒼麻を縛り上げている触手が蠢き、服の中へと入り込む。

「やはりここはお前にしようか蒼麻。どれぐらい怜司に身体を弄られてきたのか、俺たちにも教えてくれよ」
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