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その瞳の遺したもの

第14話 記憶

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『俺はだだっぴろいこの世じゃ、まるで海に落ちた片割れを探し回る水滴みたいなものだ』──シェイクスピア



「いいか、おまえは跡取りとして立派にならなくてはいけない」

 幼い子供が、父親らしき男に説教を受けていた。綺麗に整った艶のある黒髪に、快活な顔つきをした男の子だった。厳格な父親を前にして、子供はかすかに恐怖心を抱きながらも、父親が言うことならと素直に頷いた。

 机に向かい、与えられた課題を彼はこなした。父親がすぐそばで見ている。出来上がった課題を子供が見せると、父親は満足げに頷いて彼の頭を大きく撫でた。子供はそれが嬉しくてたまらず大きく笑った。

 場面が変わる。子供は少し成長していた。快活な顔つきに翳りが見えた。父親に大きな変化はなかったが、顔つきが厳しいものとなっていた。
 子供は同じように机に向かい、同じように課題をこなしていた。だが途中で、その手が止まった。父親の顔がさらに険しくなった。

「何故、そんな簡単なものができないんだ」

 父親が怒りの声で問いかけたが、子供にも分からなかった。父親は簡単だというが、子供はそれを難しいと感じていた。だが、簡単でなくてはならない、ということは分かっていた。

「いいか、おまえは跡取りとして立派にならなくてはいけない。わたしたちの期待に応えられないのであれば、おまえに価値などないんだ」

 父親にそう言われて、子供の心にはなにか暗く重いものがのしかかってきた。だがそれを気にしている余裕などなかった。
 必死になって課題の続きを進める。手が止まるたびに、父親の視線が恐怖となって子供に襲いかかってきた。いつしか、終わらせるために課題をするのか、恐怖から逃れるためにするのか、分からなくなっていった。
 すべてを終わらせて子供が課題を父親に見せると、父親は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「なんだこれは。やり直せ」

 それだけ言って、とうとう父親はその場から立ち去ってしまった。子供の心に、刃物で抉られたような痛みが走った。目から涙がこぼれ始めるが、言われたとおりにやり直さなくてはいけなかった。
 その後も、子供は何度も何度もやり直すはめになった。違う課題をやっても、食事のマナーを練習させられても、何度も何度もやり直すはめになった。

 次第に子供は自分にはそもそもできないんじゃないか、と思い始めた。そして、そのとおりになっていった。
 さらに場面が変わる。子供は大人びた風貌になっていた。快活な顔つきは姿を消していて、陰鬱な目と固く結ばれた口が代わりにあった。
 机の前に彼は座り、課題をこなしていた。そばには父親が立っていた。なんの感情もない瞳で、子供を見ていた。

「……できません」

 子供は暗く小さな声で一言だけ発した。父親は溜息をつくこともなく、課題を手に取ってゴミ箱に放り投げた。
 そして冷たい瞳で子供を見た。

「……無能め。おまえはもうこの家の人間ではない。成人したら出ていけ」

 凍えるような声でそう言って、父親は部屋を出ていった。
 子供の心にはなにも思い浮かばなかった。悲しみでさえ、彼は感じなかった。
 彼の心にあったのは、納得だった。

「あぁ、そうか……俺は、無能なのか。だから、なにもできないのか」

 父親と同じような冷たい独白が、彼の口からこぼれ落ちた。
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