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青ウサギと七色の眼(氷雨とハクノ編)
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しおりを挟む「たしかに、妖魔が増えているようだね」
土門の調査報告を見て、氷雨は頷いた。広間に集まった面々は西南魔境防衛線を守備する妖仙たちで、その一人一人に茶を出したハクノに鼻の下を伸ばしている者も多く、氷雨は咳払いした。
「ハクノさん、あなたは下がって」
「承知しました」
ハクノは丁寧にお辞儀をして、軽い足取りで去っていく。
綺麗なカップに入った紅茶は、食に興味のない妖仙たちにとっても美味なもので、氷雨も愛飲している。まともな食器などなかった城内に食料やら嗜好品やらを持ち込んだのはハクノだ。定期的に来る商人と交渉して、好みの代物を各地から取り寄せているらしい。ハクノのお小遣いで始めたことだが、今やハクノが作るものに関しては人気がありすぎるので給金を無理矢理与えている。
「花がない戦場なのは理解しているつもりですがね。わかりやすすぎるのもどうかと思いますし、ハクノにセクハラしようとするのはやめなさいな」
ここの野郎どもはハクノにすっかりはまっているので、ハクノに対してのセクハラは横行していたが、氷雨が対処する前に自分で片付けていたので、口を出すのはやめた。
「しようとしても、背中に目があるようで、触らせてくれません。人間のくせにすばしっこいんです」
「本当に人間か?精霊や妖精の類では?」
「ハクノさまは僕たちのオアシス。今日も涼しげで美しい」
「近寄るだけで良い匂いがするし、一回くらい抱きしめてみても……いだっ!おめぇなにする!」
「ハクノちゃんには触ってみろ、俺たち親衛隊が」
氷雨はハイハイと思いながら紅茶を啜った。一杯の紅茶にしても、茶葉の保存状態、水の質、量、蒸らし時間など、研究してこだわりを持って淹れているのだ。呆れるくらいに、凝り性だった。
妖仙の一人が言う。
「氷雨様、ハクノさまに興味がないのでしたら、誰かにお与えになってもいいのでは?」
「ハクノさん次第だよ。別にハクノさんは私の所有物ではないし、なんでしたら決闘でも申し込んでみたらどうです?その際はきちんとハクノさんに武器をお返しするよ」
ハクノが氷雨と渡り合える強さなことは、この場にいる面々は知っている。そして、氷雨だからこそハクノは従っていることもわかっていた。
「休憩は終わりです。次の報告をどうぞ」
ある日のことだった。
急にハクノの様子がおかしくなった。いつも一定の鼓動を刻んでいる心音がずっと不安げに脈打っている。
「ハクノさん?どうかしました?」
「――いえ、いえ何も」
「なんですか、その間は。あなたらしくもない」
落ち着かない様子で、目も曇っている。
「本当に、大丈夫なのです。今、紅茶を淹れますので、お待ちを――あっつ」
手元が滑って盛大にお湯を溢す。
本当にダメらしい。
「ハクノさん、来なさい」
強い口調で言えば、きちんと従う。
部屋に連れて行き、寝台に座らせ、自分は椅子に腰掛けた。
お湯をかぶった手袋は外させたので、ハクノの手を初めて見ることになる。なんてことはない人間の華奢な手だ。爪は綺麗に整えられている。固く足を掴んだ手を握るとビクッと肩を震わせた。
「どうしましたか?」
「旦那様、わたくし、わたくし」
「落ち着きなさい。深呼吸して、目は私に合わせて。他は見ないように」
「はい――はい。落ち着きます。でも、旦那様に見つめられると、わたくしは、ハクノは、どうして良いかわからなくなるのです」
その眼は、甘ったるい感情ではなく、怯えだった。なにに怯えているかはわからない。ハクノは気丈だ。そう怯えるような性格でもないはず。青ざめた顔に自ずと手が伸びた。
「旦那さま……?」
「あ、すみません。つい」
「いいのです。ハクノは、旦那様のものでございますので、旦那様が謝る必要はございません」
「モノ、という言い方はよくないよ。あなたは、私のモノではない」
「では、ハクノは旦那様の何なのでしょう?」
「それは……」
ハクノの手が己の手に重なる。暖かいその手に、戸惑いを持った。たしかにハクノは魅力的なのだろう。綺麗で、気丈で、何でもこなす。所々異質な要素も持ち合わせているところも含めて、惹きつける。
「ハクノさん。何を、怯えているのです?」
「わたくしが、怯えてる?」
ハクノは不思議そうに瞬く。
「わたくしは怖いのですか?」
「自覚がないようだね」
「怖いと、思ったことがなかったのかもしれません。いま、わかりました。これが怖い、なのですね」
「あなたは人間とはかけ離れているね」
「わたくしは、ハクノは人間とは少し、大分違うのだと思います。でも、人間らしくいたいとも思うのです」
「人間らしく?」
「あの、家族というものには憧れるのです。ハクノは一人で、周りには妖様しかおりませんでしたので、妖様はほらハクノのことを道具としてしか見ておりません。ハクノにも、お父様やお母様がいたのでしょうか」
「今日はとても自分のことを話すんだね。……うん。心音も戻った。いつものハクノさんだね」
「旦那様はいろんなことをわかっておりますね。ハクノは旦那様を尊敬しております」
「そう」
「あの、旦那様、最後にもう一回撫でていただけませんか?」
「わかったよ」
頬に触れると、その上に手を乗せて、ふふと笑う。
「旦那様は暖かいですね」
「そうですか。貴方も、暖かいですよ」
「……!良かったです」
ハクノの心音が嬉しそうに跳ねた。
氷雨が仕事だからと部屋を出ていくのを見送ったハクノは窓から入る風を浴びる。
何故急に不安になったのか。怖くなったのかはわからない。でも、それも氷雨が全部溶かしてくれた。
(旦那様はお優しい方。強いお方。ハクノは、ハクノがお守りいたします)
漠然とした不安は何だったのか。
それは、数日後にわかることとなる。
氷雨は客人の顔を見て表情を変えることなく言った。
「何をしにきたの?――兄さん」
「兄に対して随分な挨拶だな」
氷雨と同じ青色の耳。手入れの行き届いたツヤツヤした毛並みの耳だ。着ているものも赤青金緑の派手な衣で、氷雨とは趣味も嗜好も全く合わない。遊び人と名高いらしいことは知っているが数多いる兄弟の名を氷雨は覚えていなかった。気配と微かな記憶で、血のつながりが濃い兄だと言うことはわかった。だが、会話をしたことはあっただろうか。
「妖は血のつながりなどあってないようなもの。それに私たちは、兄弟を蹴落として生き残った。今更人間のように家族ごっこでもする気ですか?あなたは人間よりなのかな」
「フン。相変わらず上からだな。人間に媚びているお前がそれを言うのか」
「私は、与えられた役目は全うする。それだけだよ」
「流石だな。親父殿の全てを受け継いだ奴はクソ真面目と来た。親父殿のように、雌を取っ替え引っ替えしてねぇだけマシか。でも、気にいらねぇ。気に入らねぇよ」
トントンと客間の扉が叩かれ、「失礼致します」という声と共に、盆に茶を乗せたハクノが入ってくる。それ自体はいつもやっていることだ。お客様に対してはおもてなしの心を忘れない。それがハクノだ。別段おかしなところはなかった。
だけれど七色の瞳が絞られ兄を射るように見た。ハクノは完全に停止する。
「妖様」
「お前やっぱ生きてたんだなゴミ屑」
ゴミ屑。そうハクノに向かって言った。
ハクノは動かず、氷雨は一切変えなかった表情をピクリとさせる。
「どういうこと?」
「そこの、屑に聞け。――あ、そうだった。記憶を消してたんだ。ほら」
パチンと指を鳴らせばハクノが盆を落として、頭を抱え、叫んだ。その音に衛兵や部下たちが集まって来るが、氷雨は冷静に「ハクノから離れなさい!」と叫ぶ。
部下の一人がハクノに近寄ると、ハクノの眼が真っ黒に染まり、その細腕で壁を最も簡単に壊した。部下は氷雨が庇い大事には至らなかったが、掠った腕から多量の血が流れた。氷雨は血を凍らせ止血する。
「わたくしは屑にございますので、触れない方がよろしゅうございます」
雰囲気が変わる。四方に向けられる殺気。冷たい冷気。最初に会った時よりも禍々しく濁った気。
「わたくしは妖様の下僕にごさいます」
「つまりだ、こいつは妖の下僕として作られた人間。もともとは繁殖用の人間として作られたが、自意識が強すぎてな。繁殖用としては失格。妖どもの間を転々としていたところ、俺様が買い取った。んで、ここに差し向けた。何らかの事故があってうまく命令が実行できなかったようだがな」
ハクノは瞬きすらせずに氷雨を見ていた。その眼には感情がなく、まるで機械だ。
「命令とは?」
「邪魔な拠点を破壊しろ。氷雨もろとも全員殺せ」
甲高い声をあげてハクノに命じた後、その妖は立ち消えた。
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