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外伝
後日談 2
しおりを挟むちょうど、そのタイミングで──見計らっていたわけでは無いだろうが──応接室の扉が開かれ、トリニティと二人の人物が入ってきた。
トリニティはもう少女の姿ではない。大人の姿だ。もっとも、まだまだ身体は肉付きが悪く相変わらず小柄なままだったが。
そして服装も相変わらず簡素だった。城勤めの侍女の服を持ち出してきており、その差異はエプロンをしていないくらいのものでしかない。
最初、城の者達はセリス王女が仕立てた服を持ち出したが、彼女とトリニティでは醸し出す雰囲気が異なっており、似合っていなかった。その為、トリニティの母が着ていたドレスまで持ち出されたが、当時と今では流行も違い、やはりまた、似合っていなかった。
しまいにはトリニティがこの方が動きやすくて良いと言って、それらのドレスの肌着だけでうろつき始めた為──城の者たちは仕方なく、動きやすく簡素な仕立ての侍女用の服で妥協したのだ。それは藍色の無地で、僅かにウエストに絞りが入っただけのものだった。
そのトリニティの後ろを、二人の人物──マダム・ペリぺと魔王ブラックファイアがついて歩いていた。縦一列に歩く様はまるでとあるものを連想させた。
アレクシスはその様を見て、うんざりした様子で右手を額に当てた。
「お前達はそんなところで何をしてるんだ?」
「あたしはこのドレスをこの子に着せたいのに、この子ったらいいって言って、着ようとしないのよ」マダム・ペリぺは腕にかけていたドレスを広げて見せた。彼女が普段着るのよりは若干おとなしめだが、十分扇情的なドレスだ──。「だから、説得中。ねぇ。やっぱり着てみてよ。きっと似合うと思うのよ」
「私は王女の後ろをついて歩いている。そうしないと見逃すかもしれないからな。……まったく、トリニティ王女は油断がならないのだ。だからついて歩くしかないだろう?」
魔王ブラックファイアは相変わらずの凄絶な美しさだったが、以前のような禍々しい気配が綺麗に無くなっていた。──マダム・ペリぺのように。
どうやら彼女に何かしらの知恵を授けられたらしい。人間に見えるように振る舞う術を手に入れたのだ。その為か、あるいは城の者達の混乱を避けるためかは分からないが、今では魔王の二つ名ではなく、本来の名前──フェリアーと呼ばれている。
アレクシスが二人をうんざりした目で見るのと同じ目線を、トリニティも後ろに投げかけた。
彼が地上に災厄を振りまくのは悪意からでは無い。
『在る』だけで世界が歪むのも彼自身のせいではない。
『そのようになっている』のであって──それは仕方がないことなのだ。
だが、いくら仕方がない事なのだとしても、あまりにも多くの者達がフェリアーのせいで命を落としてきた。その最たる者はダンジョンマスターだったアレクシスだ。彼に対する何の感情もない、と言うのは嘘になる。あまりにも多くのものを、アレクシスはフェリアーの所為で失ってきた。
だが、トリニティの後ろをついて回る今の魔王の姿を見ると、アレクシスもまた、トリニティのようなうんざりとした表情しか取れないと思うのだった。
フェリアーは恋人を失った失意に耐えかねて、世界が終わるまで引きこもろうとしたが、トリニティに頰を往復ビンタされて地上へ戻る気になった。きっと魔王の頰を往復で張り倒した娘はトリニティが最初で最後だろう。
あの時の魔王の顔ときたら、本当に見ものだった。まったく平気そうな顔をして、そのくせ内心はテンパっている感が丸わかりだったグラディスの顔も見ものだった。引き締めた唇の端が震えていて、二人のやり取りを見つめる目は木天蓼を前にした猫のようだった。
フェリアーも最初からこうではなかった。地上に戻った最初の頃は、別にトリニティの後ろを──文字通り──ついて歩くような事はしていなかった。
だが、いくつかの出来事を見逃した事があって、彼はトリニティの後ろをついて回るようになった。先程、魔王自身が言った通りだ。これ以上面白い事を見逃してはならないと考えたのだろう。
流石は魔王だ。やる事が人間のはるか上をいっている。
二人の魔王が二人とも、次の獲物を見つけたのだ。
アレクシスは内心そっとため息をついた。
可哀想に──トリニティ。
助けてやれればよかったが──健闘を祈る、とエールを送るしかない。厄介な連中に見込まれたな、と心の中で呟く。
「何の用事だ?」
アレクシスは、スカートの裾を軽く摘んでクリスター卿に挨拶を終えたトリニティに声をかけた。
「あなたを呼びにきたのよ。服の仮縫いが終わったので、着て欲しいんですって」
「ああ……」
返事は返したものの、足の向かない内容だった。正直、遠慮したいくらいだ。ダンジョンに籠もった生活か、さもなくば血と埃にまみれた傭兵業かの暮らしばかりだったアレクシスにとって、城でのそういった行事や暮らしは、正直うんざりするものだった。
「はは……。まあ、そう言うな」
余程に渋い顔をしていたのだろう。老魔術師が愉快そうに笑った。
「これから先は、嫌でも慣れなければならなくなる。……もっとも、それは王女殿下も同様ですがな」
「…………っ」
さりげなく話を振られて、トリニティも言葉に詰まった。
暗に、ではなく直球で、彼女の服装についても言及されているのだ。トリニティは声にこそ出さなかったが、『それくらい分かっている』と顔に書いてあるかのような表情をしながら、老魔術師を見、ついでアレクシスを見た。
「行けよ。着飾ったところを姫さんに見せてやれ。話は終わった」
ルイスが助け舟を出した。終わった、というよりも、もとより──どれだけ話しても終わりの見えない話題だったのだ。アレクシスは小さく息を吐き出すと、気持ちを切り替え、立ち上がった。
「行こう」
事が終わってトリニティが城の主として過ごすようになってすぐ、二人は彼女が8年もの間閉じ込められていた塔(キープ)を訪れた。
そこはトリニティが最後に出た時のまま──父王自らの手で地下迷宮(ドンジョン)へ突き落とされたあの日だ──放置されていた。
扉に鍵はかかっていなかった。
大人になった姿で頑丈に作られた扉を引いて中へ入ると、そこがどれほど小さな空間だったのかが分かった。
簡素な木製の古びたベッドが室内の半分を占め、残りのスペースの半分を使って、小さなテーブルと椅子、そして木箱が置かれている。それらを除くと、床に残ったスペースはほんの僅かで。その僅かなスペースに、扉の下に設けられた小さな跳ね上げ式の扉から食事のトレイが押し込められると、もう、足の踏み場さえ残らないくらいだった。
「子供の姿の時には、もう少し広いような気がしていたのだけれど」
トリニティはそう言いながら、昼間でもほとんど陽のささない室内を見上げた。
窓はない。室内のかなり上、天井付近に小さく設けられた明かりとりと空気抜きを兼ねた小さな穴があった。部屋の空気は淀み、息苦しかった。
テーブルの上には、あの日最後に差し入れられたトレイがのせてあった。食事には手をつけていない。固くしなびた小さなパンと、水と違いがわからないような薄いスープ。ゴブレット一杯の水。──いまはもう、そのどれにも厚い埃が被っている。
ベッドの上に畳まれた掛布が置かれている。マットレスはなく、板のままだ。寒さの厳しいこのネリスで、トリニティはこの薄い掛布一枚で八度もの冬を越したのだ。
犯罪者が入れられる独房だとすれば、まあ良い待遇だと言えるかもしれないが、王族が幽閉される場所と考えるなら、この場所は論外だというほかないだろう。王族の幽閉には、普通の室内が使われる筈だ。
このような場所に閉じ込められたら、おそらく一年も経たないうちに筋力が衰え、歩くこともできなくなり、やがて病から死に至るか──それよりも前に発狂するかのどちらかだろう。
そう。
つまり、ここは、『呪われた』王族を長い期間生かしたまま閉じ込めておく為の場所ではないのだ。
罪を犯した訳でもない王族に、毒杯を授けるといった処刑を行うこともできない。だから、彼等が『自然に』死んでいくように仕向けた場所だったのだ。
ほとんど誰も訪れる事の無いこの場所で。打ち捨てられるために。
トリニティがこの幽閉生活に耐えられたのはおそらく、体格の小さな子供だった事が幸いしたのではないだろうか。その為、空間を広く使えたことと、精神力──時に子供は、大人よりもはるかに強い意志の力を持つ──の賜物だろう。
自分自身の事なのに、どこか他人事のような顔をして、狭い室内を見回すトリニティの肩をアレクシスは引き寄せた。何かの言葉を掛けると言うのでもない。トリニティもまた、黙ってアレクシスの肩に身を寄せた。
アレクシスにしろ、トリニティにしろ。この国の民はみな、当たり前のように生への困難に直面している。
トリニティの人生を憐れむほど幸せな人生をアレクシスは歩んでは来なかったし、ルイスにしても、エドリスやタヴィにしても、それは同様だった。それはきっとこの国の民みながそうだ。
だから、アレクシスはトリニティの境遇を憐れだとは思わなかったし、トリニティにしてもそうだった。
ただ。
二人共がいつ死んでもおかしくないような人生を歩んできて、いま此処で、互いに並び立つ事が……奇跡と言ってもいいような事なのだということは分かっていた。それを思うと、胸の奥底から自然と暖かな熱がこみ上げてきた。それから、愛しさも。きっとトリニティもそうなのだろう。
──だから、アレクシス達二人は無言で、互いに肩を寄せ合った。
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