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第4部 アマランタイン
第2章 交錯する道程 5
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長い沈黙が降りた。
冬の始まりを告げる冷たい、刺すような風がゆっくりと二人の間を駆け抜けていった。
庭園の木々がかすかに揺れ、昼間だというのに傾いた日光が、季節の到来を告げると共に、この国の未来をも告げているかのようで、やけに暗示的だった。
屋外のこの東屋で午後のティータイムを過ごすには、もはや季節が過ぎている。
肌寒いを通り越して冷え込むようになったこの季節。既にセリス王女の纏うドレスも冬用の厚い生地のものになっていた。
流行のデザインではなかったが清楚なドレスは、王女の外見をよく踏まえたうえのもので、彼女の容貌を一層引き立てていた。取り立てて華やかで派手な装飾は施されていないのだが、胸元に幾つも縫い付けられたブラッドストン──この国で唯一の価値のある産出品──の血よりも赤い宝石(いし)は、アレクシスの指に嵌る光さえ放たないような物とは比べ物にならない程の輝きを放っていた。
人払いと言う危険な行いをしてまでここで毎日ティータイムを持つ理由はなんなのか。
沈黙の時を楽しむかのように周囲の光景に目を向けて薄く微笑むセリス王女の姿は、何かを──何かの時の到来を待ち続ける敬虔な徒の姿のようでもあった──。
彼女が王座に座るようになってからの日は浅い。にもかかわらず、異常なほどの短い期間で、彼女の両手は血色に染まった。
今まで誰も手にかけた事も無く陥れたこともないような普通の者ならば、己の堕ちた業の深さに慄き、平静ではいられないだろう。
景色を楽しむように目線をそちらへ向けたセリス王女のそれは、以前と変わらず鷹揚で無邪気な子供のままの瞳のようにも見えたが、もはや、見るものを見るだけ見た後の人間に染み付く、拭えない、濃い疲労とでもいったようなものも伺えた。
王女の真意を測りかねて、アレクシスは彼女を見つめながら無言で眉を寄せた。
王族の王位継承には争いが付きものだ。
だがこの二人の姉妹の場合、その争いにまつわる憎悪は無縁のように思われた。なぜなら、通常それら骨肉の争いの果ての憎悪は長い年月の末に生まれてくるものだからだ。
トリニティとセリス。
まだ若い二人の王女の接点は、驚くほど少ないはずだった。
二人が共に過ごしたのは、トリニティが八歳。セリス王女が六歳の時までの事だ。そこで二人は離れ離れに暮らすようになり、既に十年の歳月が流れている。その間に彼女らを結ぶ接点はない。
二人は共に政治の表舞台から葬られ、八年、あるいは十年という年月が過ぎている。そこには王権争いも、幼い継承者にありがちな、後見人の争いさえなかったのだ。
セリス王女が再び政治の舞台に戻ってきたのさえ、僅かに半年ばかり前に過ぎない。
その両者の間に、相手の死を望むほどの憎悪となりうる、何があったというのだろう。
セリス王女がアレクシスに視線を移して、軽く微笑んだ。
「なぜわたくしがお姉さまを殺したいと望むのか、お知りになりたいですか?」
アレクシスの持つはずの疑問を楽しむかのような笑みだった。
「そうだ。聞かせてくれ。俺はそれを聞く為にここまで来た」
「お姉さまに頼まれたのですね」
「あいつは頼んだりしなかった。行こうと言ったのは俺だ」
アレクシスの言葉にセリス王女は静かに微笑んで首を横に振った。アイゼンメルドの神殿の中で。その井戸の傍で。かつて二人が話し込んだ、あの時を思い出させるような微笑だった。
彼女が普段見せる、計算ずくの表情ではなく、彼女本来の、素直な感情がそのまま現れたかのような……。
アレクシスは言った。
「なぜあんたはこんな事をする? 父親の後を継いで王座に就いたのだろう? ならば、王がしようとしたように、あいつの持つ証を奪う為に凶行を続ける理由はないはずだ」
「答えは簡単ですわ」王女は答えた。
「理由は父王と同じです。──証が必要なのだそうです。王の証と、嫡子の証。……笑える事に、この国では形式が大変重要なのだそうですわ。王位を継ぐためには、王の証がどうしても必要で、たとえ王の証があったとしても、それを告ぐためにはまず嫡子の証の所有者となり、その後に王の証を引き継がなくてはならないのだそうです」
セリス王女はその言葉を嘲るように呟いた。
「──わたくしはそんな事、どうでもよろしいのですけれど。臣下たちがどうしてもそうしなければならないというのです。……それに、その際に何かの儀式を……王位を引き継ぐ為の……女神への申告の儀式をしなければならないと。けれど、それは王族にのみ伝えられている特別な儀式である為、王が急に亡くなってしまい、その知識の伝承が失われてしまった為、臣下たちは慄いているのです。もはや正式な王位の伝承が出来なくなったのではないかと。……わたくしでは女神が正式な次代の王と認められず、女神の裁きを受けて恐ろしい死に方をし、この国は王を失って滅ぶのではないかと」
ああ。
だから──と、アレクシスは納得した。だから、この城の中を覆う空気が重苦しかったのかと。
人々は怖れていたのだ。この国が王を失う事を。国が滅びる事を。
皮肉めいたものを感じて、アレクシスは冷笑した。
そうまでして王家の血筋を守ろうとしても、王女がこのままの凶行を続ければいずれ国は滅んでしまうだろうに。
「ですから、わたくしが麦の穂を刈るようにして民の命を刈り取っても、臣下たちはただ黙っているのです。……もしかしたら、狩り出したお姉さまが、証と共に……証を持つ者の務めの一つとして、王位継承のための儀式や、そのほか王族に伝わる秘密の儀式を継承しているのではないかと思って。──お姉さまは、少なくとも十歳になるまでの間は、嫡子としての教育を施されておいででしたから」
アレクシスの濃い青の瞳がその色の深さを増した。
「じゃあ、あんたは自分のしている事の業の深さをちゃんと認識しているんだな」
その言葉に反応するようにセリス王女が顔を向け、アレクシスの瞳を捉えた。だが事の重大さに反して、彼女はそんな事はまるでどうでもいいとでもいう様な様子だった。
「あら。もちろんですわ。わたくしはちゃんと、自分が何をしているのかを理解しています」
指で数えたくらいでは効かないほどの人の命を奪ってきた事を王女はちゃんと理解しているのだ。
「でも。それがなんだといいますの」
王女は浅く笑って髪を掻き揚げた。指の間から、銀糸のような細く輝く髪が流れるように零れ落ちた。
「この国の民は、長くわたくしを退けてきました。虐げたといっていいでしょう。──わたくしを『傾国』と言い、あの、人が寄り付く事も適わぬような修道院と言う名の世捨て場にわたくしを捨てて、わたくしという存在を、なかった事にした──」
その言葉を言う時、セリス王女の紫の瞳が深く、憎しみの炎で揺れていた。アレクシスには王女が過ごした修道院での十年間の生活を知る術はなかったが、それでも。彼女が見せた怒りの炎が、そこでの生活の困難さと辛酸を十分に伝えた。
セリス王女は敢然と言い放った。
「そんなこの国や、この国の民がどうなろうと、わたくしにはどうでも良い事です! わたくしを『傾国』と言うならば、まさに、その言葉通りに、この国を滅ぼして見せましょう! それが、わたくしに皆が望んだ事なのですから!」
憎しみと。決別と──。その二つを混ぜたような響きが声にはあった。
かつて。
慈しまれるままに愛した国と民を。それらから受けた裏切りの果ての憎しみと怒りと。
彼女は捨てたのだ。かつて自分を捨てたこの国を……。
「わたくしは、わたくしの心のままに生きます! わたくしの命はわたくしのもの、わたくしの人生はわたくしのものです! もはや、誰にも支配も、意見もさせません!」
セリス王女は握り締めていたカップを持ち上げ、一気に中身を飲み干した。
「わたくしが自由に生きるためには、王になる以外ありませんでした! だから、なったのです。そのためには、目前の父が障害でした。だから、廃したのです。王であり続けるためには、証を持つ姉が邪魔になるのです。だから、殺します! 今まで、そうしてきたのと同じように!」
言い放ったセリス王女の顔をアレクシスはじっと見つめた。
感情の昂ぶるままに声を荒げていた王女はその視線に気付き、自分のそんな幼さを恥じたのか、薄く頬を赤らめて僅かに横を向くと視線を机の上に落とした。誰も、アレクシスの鋭い視線を受け続ける勇気を持てるものはいないのだ。
「……どうぞ。お飲みになって……南の、珍しい香草茶ですの」
かろうじて搾り出した王女の声がか細かった。
「それがあんたの答えか」
アレクシスが静かに言った。
「ええ。そうですわ」
セリス王女は姿勢を正し、真摯に答えを返した。
「あんたは、自分を捨てたこの国など滅んでしまえばいいと思ってるのか」
「ええ! ──そうですわ!」
「おかしいじゃないか。一方では己の自由に生きるために王位に就くと言い、そのようにしておいて。もう一方では滅んでもいいとは。矛盾しているんじゃないのか?」
「おかしくなんてありませんわ! 矛盾もしていません! わたくしは王位など、本当はどうでもよろしいのです。この国がどうなろうとも、それもどうでもいいのです。──ただ、わたくしを軽んじたこの国の民を、恨み、滅ぼす為には王位に就気権力を手にするのが一番手っ取り早かっただけの事ですわ!」
「成る程。確かにそれなら矛盾はしてないな。だが……」
アレクシスは軽く首を振った。
「違うな。……あんたはまだ本心を言ってない。それがあんたの、本当の答えじゃないだろう」
王女の白い頬にさす赤みが濃くなった。
「何故そんな事がいえますの」
「さあ?」問われて、アレクシスは苦笑した。「ただ、本心を隠して嘘をつくときのクセが、あいつと似ていると思ってな」
僅かに目を見開いて、セリス王女はアレクシスを見つめた。
短い沈黙の後、搾り出すように答えた王女の声は、秘め事を何故かことごとく言い当てられてしまう幼子が、親に向かって見せるときとよく似たものだった。……気恥ずかしさと、もどかしさとを織り交ぜたかのような……。
「……やっぱり、アレク様は意地悪ですわ……」
かすかに。
蚊の鳴くような声で。搾り出すように王女は言った。
その刺す様に鋭いタンザナイトブルーの瞳は、見つめられる者の全てを射抜いてしまう。その視線の先にある者は、隠し事は何も出来ない程に。巧妙に隠そうとした本心さえも、見抜かれてしまうかのように。
「どうぞ。お茶を」
朱のさした頬のままで、唇を軽くかみ締めながら、セリス王女はアレクシスのカップに茶を継ぎ足した。そして空になった自分のカップにももう一度注ぐ。
「……だって……」
恥じるように、セリス王女は唇をかみ締めながら僅かに頬を膨らませた。自然に目に滲む涙が、隠しておいた秘め事を暴かれて、拗ねているようにも見えた。
「……だって、あの方が、それを望まれたんですもの……」
「──あの方──」アレクシスはその言葉を繰り返した。深い青の瞳が、強い力を持って耀いた。
「勇者、ワーナーか?」
その言葉を聞いたセリス王女が、まさに射抜かれた獲物のように息を止めて、さらに頬を赤くした。
(続く)
+-----------------------------+
| 「語バラ(裏)」
+-----------------------------+
本文の続き(オチ)
「──やっぱり、アレク様は意地悪ですわっ!」
セリス王女はそう言いながら、テーブルの上にのの字を書いた。恥ずかしさを隠そうとしてか、既に一杯のアレクシスのカップの中にさらにお茶を注ぎ始め、溢れ出たそれがテーブルの上で洪水を起こした。
「そうか。あんたが好きなのはワーナーだったのか」
妙に納得しながら、アレクシスは洪水を起こしたティーカップを器用に持ち上げた。溢れ出たお茶はもうどうする事もできないが、表面張力の状態を保ったカップの中のお茶は、一滴も零れずに見事に持ち上げられた。
セリス王女はもうっ!もうっ!と牛よろしく「モー」を連発しながらテーブルを叩き始めた。彼女の方に注がれたお茶は、表面張力のバランスを崩して、揺れる机の上で波飛沫をあげている。
アレクシスは進められるままにカップに口をつけた。
そして──。
「!? ──ぐはぁっ!!」悲鳴をあげた。「なんだ、これはっ?」
「ですから、香草茶ですわ。南の地方の特産──正確には、私が住んでいた修道院の特産。もっと正確に言えば、その頃わたくしが考案したものなんですの。もちろん、わたくしのお手製ですわ」
待ってましたとばかりにセリス王女が解説をした。
「健康にとてもよく、美容効果も高いのですわ! ですから、わたくしはこのように、輝くような美しさを保っているのです!」
「健康茶って──いやしかし、この味はすでに茶の領域を超えてるだろう!?」
「あらやだ。そんなにお褒めになって!」
王女が恥ずかしそうに頬を染め、体を左右に揺すった。
「神の領域だなんて、褒めすぎですわ!」
「──その逆だっ! なんだっ、この不味さはっ! あいつの手料理より不味いっ!!」
「?」セリス王女は不思議な顔をしてカップを手に取り、残り少ないお茶を飲み干した。
「そうですか? とてもおいしいですわ」
「──! まさか、あんた、それを本気で……?」
アレクシスは既に口の中にあるそれを吐き出すべきかそのまま飲み込むべきか迷った。
セリス王女は真顔で、深々と頷いた。
「もちろん。とてもおいしいですわよ?」
修道院で一体どういう食生活を送ってきたものか。長く厳しい質素な暮らしは、彼女をどんなものでもおいしくいただける体質に変化させてしまったのだろうか。
「……そうか。わかったぞ」
アレクシスが脂汗を流しながら呟いた。
「なにがわかったのですか?」
城が鬱々たる空気に包まれていた理由が。
このティータイムに誰も参加しない理由が。
そう──。最初のうちは誰もが、王女の午後の茶会に招かれる事を望んだのだろう。だが今は……。
午後のこの時間。
セリス王女の周りには誰も近づこうとしない。
この、恐怖の香草茶を飲まされる羽目になるからだ。
アレクシスの震える手がティーカップをテーブルの上に落とした。そして、短い呻き声を上げた後に、遂に失神する。
それをセリス王女は満面の笑みでじっと見つめていた。実に朗らかで、実に楽しそうに。
「うふふ」
悪魔のごとき声を、可憐な唇からこぼした。
さっと取り出した手には、しっかりとデジカメが握られている。
「さあ、今日の獲物──もとい、アレク様は、どんな恥ずかしい写真を撮って差し上げましょうかしら。うふふ。楽しみですわ。これをネタに強請れば、今後、アレク様はわたくしの言いなり……うふふ……」
そう。
こうして彼女は城の主要人物を短期間のうちに自らの陣営に引き込んだのであった。もはや城の主だった人物は全員王女の被害にあっており、実に恥ずかしい写真と引き換えに彼女に忠誠を誓ったのであった──。
(完)
冬の始まりを告げる冷たい、刺すような風がゆっくりと二人の間を駆け抜けていった。
庭園の木々がかすかに揺れ、昼間だというのに傾いた日光が、季節の到来を告げると共に、この国の未来をも告げているかのようで、やけに暗示的だった。
屋外のこの東屋で午後のティータイムを過ごすには、もはや季節が過ぎている。
肌寒いを通り越して冷え込むようになったこの季節。既にセリス王女の纏うドレスも冬用の厚い生地のものになっていた。
流行のデザインではなかったが清楚なドレスは、王女の外見をよく踏まえたうえのもので、彼女の容貌を一層引き立てていた。取り立てて華やかで派手な装飾は施されていないのだが、胸元に幾つも縫い付けられたブラッドストン──この国で唯一の価値のある産出品──の血よりも赤い宝石(いし)は、アレクシスの指に嵌る光さえ放たないような物とは比べ物にならない程の輝きを放っていた。
人払いと言う危険な行いをしてまでここで毎日ティータイムを持つ理由はなんなのか。
沈黙の時を楽しむかのように周囲の光景に目を向けて薄く微笑むセリス王女の姿は、何かを──何かの時の到来を待ち続ける敬虔な徒の姿のようでもあった──。
彼女が王座に座るようになってからの日は浅い。にもかかわらず、異常なほどの短い期間で、彼女の両手は血色に染まった。
今まで誰も手にかけた事も無く陥れたこともないような普通の者ならば、己の堕ちた業の深さに慄き、平静ではいられないだろう。
景色を楽しむように目線をそちらへ向けたセリス王女のそれは、以前と変わらず鷹揚で無邪気な子供のままの瞳のようにも見えたが、もはや、見るものを見るだけ見た後の人間に染み付く、拭えない、濃い疲労とでもいったようなものも伺えた。
王女の真意を測りかねて、アレクシスは彼女を見つめながら無言で眉を寄せた。
王族の王位継承には争いが付きものだ。
だがこの二人の姉妹の場合、その争いにまつわる憎悪は無縁のように思われた。なぜなら、通常それら骨肉の争いの果ての憎悪は長い年月の末に生まれてくるものだからだ。
トリニティとセリス。
まだ若い二人の王女の接点は、驚くほど少ないはずだった。
二人が共に過ごしたのは、トリニティが八歳。セリス王女が六歳の時までの事だ。そこで二人は離れ離れに暮らすようになり、既に十年の歳月が流れている。その間に彼女らを結ぶ接点はない。
二人は共に政治の表舞台から葬られ、八年、あるいは十年という年月が過ぎている。そこには王権争いも、幼い継承者にありがちな、後見人の争いさえなかったのだ。
セリス王女が再び政治の舞台に戻ってきたのさえ、僅かに半年ばかり前に過ぎない。
その両者の間に、相手の死を望むほどの憎悪となりうる、何があったというのだろう。
セリス王女がアレクシスに視線を移して、軽く微笑んだ。
「なぜわたくしがお姉さまを殺したいと望むのか、お知りになりたいですか?」
アレクシスの持つはずの疑問を楽しむかのような笑みだった。
「そうだ。聞かせてくれ。俺はそれを聞く為にここまで来た」
「お姉さまに頼まれたのですね」
「あいつは頼んだりしなかった。行こうと言ったのは俺だ」
アレクシスの言葉にセリス王女は静かに微笑んで首を横に振った。アイゼンメルドの神殿の中で。その井戸の傍で。かつて二人が話し込んだ、あの時を思い出させるような微笑だった。
彼女が普段見せる、計算ずくの表情ではなく、彼女本来の、素直な感情がそのまま現れたかのような……。
アレクシスは言った。
「なぜあんたはこんな事をする? 父親の後を継いで王座に就いたのだろう? ならば、王がしようとしたように、あいつの持つ証を奪う為に凶行を続ける理由はないはずだ」
「答えは簡単ですわ」王女は答えた。
「理由は父王と同じです。──証が必要なのだそうです。王の証と、嫡子の証。……笑える事に、この国では形式が大変重要なのだそうですわ。王位を継ぐためには、王の証がどうしても必要で、たとえ王の証があったとしても、それを告ぐためにはまず嫡子の証の所有者となり、その後に王の証を引き継がなくてはならないのだそうです」
セリス王女はその言葉を嘲るように呟いた。
「──わたくしはそんな事、どうでもよろしいのですけれど。臣下たちがどうしてもそうしなければならないというのです。……それに、その際に何かの儀式を……王位を引き継ぐ為の……女神への申告の儀式をしなければならないと。けれど、それは王族にのみ伝えられている特別な儀式である為、王が急に亡くなってしまい、その知識の伝承が失われてしまった為、臣下たちは慄いているのです。もはや正式な王位の伝承が出来なくなったのではないかと。……わたくしでは女神が正式な次代の王と認められず、女神の裁きを受けて恐ろしい死に方をし、この国は王を失って滅ぶのではないかと」
ああ。
だから──と、アレクシスは納得した。だから、この城の中を覆う空気が重苦しかったのかと。
人々は怖れていたのだ。この国が王を失う事を。国が滅びる事を。
皮肉めいたものを感じて、アレクシスは冷笑した。
そうまでして王家の血筋を守ろうとしても、王女がこのままの凶行を続ければいずれ国は滅んでしまうだろうに。
「ですから、わたくしが麦の穂を刈るようにして民の命を刈り取っても、臣下たちはただ黙っているのです。……もしかしたら、狩り出したお姉さまが、証と共に……証を持つ者の務めの一つとして、王位継承のための儀式や、そのほか王族に伝わる秘密の儀式を継承しているのではないかと思って。──お姉さまは、少なくとも十歳になるまでの間は、嫡子としての教育を施されておいででしたから」
アレクシスの濃い青の瞳がその色の深さを増した。
「じゃあ、あんたは自分のしている事の業の深さをちゃんと認識しているんだな」
その言葉に反応するようにセリス王女が顔を向け、アレクシスの瞳を捉えた。だが事の重大さに反して、彼女はそんな事はまるでどうでもいいとでもいう様な様子だった。
「あら。もちろんですわ。わたくしはちゃんと、自分が何をしているのかを理解しています」
指で数えたくらいでは効かないほどの人の命を奪ってきた事を王女はちゃんと理解しているのだ。
「でも。それがなんだといいますの」
王女は浅く笑って髪を掻き揚げた。指の間から、銀糸のような細く輝く髪が流れるように零れ落ちた。
「この国の民は、長くわたくしを退けてきました。虐げたといっていいでしょう。──わたくしを『傾国』と言い、あの、人が寄り付く事も適わぬような修道院と言う名の世捨て場にわたくしを捨てて、わたくしという存在を、なかった事にした──」
その言葉を言う時、セリス王女の紫の瞳が深く、憎しみの炎で揺れていた。アレクシスには王女が過ごした修道院での十年間の生活を知る術はなかったが、それでも。彼女が見せた怒りの炎が、そこでの生活の困難さと辛酸を十分に伝えた。
セリス王女は敢然と言い放った。
「そんなこの国や、この国の民がどうなろうと、わたくしにはどうでも良い事です! わたくしを『傾国』と言うならば、まさに、その言葉通りに、この国を滅ぼして見せましょう! それが、わたくしに皆が望んだ事なのですから!」
憎しみと。決別と──。その二つを混ぜたような響きが声にはあった。
かつて。
慈しまれるままに愛した国と民を。それらから受けた裏切りの果ての憎しみと怒りと。
彼女は捨てたのだ。かつて自分を捨てたこの国を……。
「わたくしは、わたくしの心のままに生きます! わたくしの命はわたくしのもの、わたくしの人生はわたくしのものです! もはや、誰にも支配も、意見もさせません!」
セリス王女は握り締めていたカップを持ち上げ、一気に中身を飲み干した。
「わたくしが自由に生きるためには、王になる以外ありませんでした! だから、なったのです。そのためには、目前の父が障害でした。だから、廃したのです。王であり続けるためには、証を持つ姉が邪魔になるのです。だから、殺します! 今まで、そうしてきたのと同じように!」
言い放ったセリス王女の顔をアレクシスはじっと見つめた。
感情の昂ぶるままに声を荒げていた王女はその視線に気付き、自分のそんな幼さを恥じたのか、薄く頬を赤らめて僅かに横を向くと視線を机の上に落とした。誰も、アレクシスの鋭い視線を受け続ける勇気を持てるものはいないのだ。
「……どうぞ。お飲みになって……南の、珍しい香草茶ですの」
かろうじて搾り出した王女の声がか細かった。
「それがあんたの答えか」
アレクシスが静かに言った。
「ええ。そうですわ」
セリス王女は姿勢を正し、真摯に答えを返した。
「あんたは、自分を捨てたこの国など滅んでしまえばいいと思ってるのか」
「ええ! ──そうですわ!」
「おかしいじゃないか。一方では己の自由に生きるために王位に就くと言い、そのようにしておいて。もう一方では滅んでもいいとは。矛盾しているんじゃないのか?」
「おかしくなんてありませんわ! 矛盾もしていません! わたくしは王位など、本当はどうでもよろしいのです。この国がどうなろうとも、それもどうでもいいのです。──ただ、わたくしを軽んじたこの国の民を、恨み、滅ぼす為には王位に就気権力を手にするのが一番手っ取り早かっただけの事ですわ!」
「成る程。確かにそれなら矛盾はしてないな。だが……」
アレクシスは軽く首を振った。
「違うな。……あんたはまだ本心を言ってない。それがあんたの、本当の答えじゃないだろう」
王女の白い頬にさす赤みが濃くなった。
「何故そんな事がいえますの」
「さあ?」問われて、アレクシスは苦笑した。「ただ、本心を隠して嘘をつくときのクセが、あいつと似ていると思ってな」
僅かに目を見開いて、セリス王女はアレクシスを見つめた。
短い沈黙の後、搾り出すように答えた王女の声は、秘め事を何故かことごとく言い当てられてしまう幼子が、親に向かって見せるときとよく似たものだった。……気恥ずかしさと、もどかしさとを織り交ぜたかのような……。
「……やっぱり、アレク様は意地悪ですわ……」
かすかに。
蚊の鳴くような声で。搾り出すように王女は言った。
その刺す様に鋭いタンザナイトブルーの瞳は、見つめられる者の全てを射抜いてしまう。その視線の先にある者は、隠し事は何も出来ない程に。巧妙に隠そうとした本心さえも、見抜かれてしまうかのように。
「どうぞ。お茶を」
朱のさした頬のままで、唇を軽くかみ締めながら、セリス王女はアレクシスのカップに茶を継ぎ足した。そして空になった自分のカップにももう一度注ぐ。
「……だって……」
恥じるように、セリス王女は唇をかみ締めながら僅かに頬を膨らませた。自然に目に滲む涙が、隠しておいた秘め事を暴かれて、拗ねているようにも見えた。
「……だって、あの方が、それを望まれたんですもの……」
「──あの方──」アレクシスはその言葉を繰り返した。深い青の瞳が、強い力を持って耀いた。
「勇者、ワーナーか?」
その言葉を聞いたセリス王女が、まさに射抜かれた獲物のように息を止めて、さらに頬を赤くした。
(続く)
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| 「語バラ(裏)」
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本文の続き(オチ)
「──やっぱり、アレク様は意地悪ですわっ!」
セリス王女はそう言いながら、テーブルの上にのの字を書いた。恥ずかしさを隠そうとしてか、既に一杯のアレクシスのカップの中にさらにお茶を注ぎ始め、溢れ出たそれがテーブルの上で洪水を起こした。
「そうか。あんたが好きなのはワーナーだったのか」
妙に納得しながら、アレクシスは洪水を起こしたティーカップを器用に持ち上げた。溢れ出たお茶はもうどうする事もできないが、表面張力の状態を保ったカップの中のお茶は、一滴も零れずに見事に持ち上げられた。
セリス王女はもうっ!もうっ!と牛よろしく「モー」を連発しながらテーブルを叩き始めた。彼女の方に注がれたお茶は、表面張力のバランスを崩して、揺れる机の上で波飛沫をあげている。
アレクシスは進められるままにカップに口をつけた。
そして──。
「!? ──ぐはぁっ!!」悲鳴をあげた。「なんだ、これはっ?」
「ですから、香草茶ですわ。南の地方の特産──正確には、私が住んでいた修道院の特産。もっと正確に言えば、その頃わたくしが考案したものなんですの。もちろん、わたくしのお手製ですわ」
待ってましたとばかりにセリス王女が解説をした。
「健康にとてもよく、美容効果も高いのですわ! ですから、わたくしはこのように、輝くような美しさを保っているのです!」
「健康茶って──いやしかし、この味はすでに茶の領域を超えてるだろう!?」
「あらやだ。そんなにお褒めになって!」
王女が恥ずかしそうに頬を染め、体を左右に揺すった。
「神の領域だなんて、褒めすぎですわ!」
「──その逆だっ! なんだっ、この不味さはっ! あいつの手料理より不味いっ!!」
「?」セリス王女は不思議な顔をしてカップを手に取り、残り少ないお茶を飲み干した。
「そうですか? とてもおいしいですわ」
「──! まさか、あんた、それを本気で……?」
アレクシスは既に口の中にあるそれを吐き出すべきかそのまま飲み込むべきか迷った。
セリス王女は真顔で、深々と頷いた。
「もちろん。とてもおいしいですわよ?」
修道院で一体どういう食生活を送ってきたものか。長く厳しい質素な暮らしは、彼女をどんなものでもおいしくいただける体質に変化させてしまったのだろうか。
「……そうか。わかったぞ」
アレクシスが脂汗を流しながら呟いた。
「なにがわかったのですか?」
城が鬱々たる空気に包まれていた理由が。
このティータイムに誰も参加しない理由が。
そう──。最初のうちは誰もが、王女の午後の茶会に招かれる事を望んだのだろう。だが今は……。
午後のこの時間。
セリス王女の周りには誰も近づこうとしない。
この、恐怖の香草茶を飲まされる羽目になるからだ。
アレクシスの震える手がティーカップをテーブルの上に落とした。そして、短い呻き声を上げた後に、遂に失神する。
それをセリス王女は満面の笑みでじっと見つめていた。実に朗らかで、実に楽しそうに。
「うふふ」
悪魔のごとき声を、可憐な唇からこぼした。
さっと取り出した手には、しっかりとデジカメが握られている。
「さあ、今日の獲物──もとい、アレク様は、どんな恥ずかしい写真を撮って差し上げましょうかしら。うふふ。楽しみですわ。これをネタに強請れば、今後、アレク様はわたくしの言いなり……うふふ……」
そう。
こうして彼女は城の主要人物を短期間のうちに自らの陣営に引き込んだのであった。もはや城の主だった人物は全員王女の被害にあっており、実に恥ずかしい写真と引き換えに彼女に忠誠を誓ったのであった──。
(完)
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