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第3部 天の碧落

第5章 カルデロンの裾野 5

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 アレクシスの鋭い瞳が、ぞっとするように昏く沈んで見えた。老婆は緊張した面持ちでそっと唇を舐めた。
「……だが方法がないわけじゃない。この娘は他所の村の出身なんだ」
「そんなことで女神を騙せると思っているのか」
「前にもうまく言ったじゃないか! あたしはこの娘を助けたいんだよ! もう──これ以上人が死ぬのを見るのは御免なんだよ! あたし達代々村に住んでる者は仕方がないと諦めるさ。もう、血が穢れちまってるんだとね! でも、この娘は違うんだよ。助かるものなら、助けてやりたいんだよ!」
 老女は一気に捲くし立て、大きく喘いだ。
「──こいつには」老女は夫の方へちらりと目をやった。「もう言ってある。二度と嫁と会わない覚悟で臨めと。それでも女が生きていてくれさえすればいいと思うなら、あたしがアレクに口を利いてやるって」
 アレクシスが顔を顰めた。
 老女がトリニティの方を向いて、小さく笑った。
「殆ど何も実らない痩せた土地。度重なる凶作。病が流行っても、村の連中には薬も効かない。分るかい? この国で女神に見捨てられるってことは、そういうことさ。余所者でも、村に嫁いで来た途端に同じ扱いになる。でも──もともと余所者だったのなら、村と完全に縁が切れれば、女神は目こぼししてくれるんだ」
「だから──目溢しを強請りたい時には村の連中は此処へ来る。こんなふうに──そっとね……」
 トリニティは息を飲んだ。
「そんな──! 自分勝手だわ! 助けて欲しいときには頼って来て、村に凶作が続けば怨んで来るなんてっ!」
 トリニティの叱責に老女の瞳が再び灯が点ったように耀いた。
「そうさ! だから言っただろっ! 此処しか縋るところがないって──! 女神に捨てられたあたし達は、魔王に縋って、魔王を怨んで──そうやってしか生きられないのさ!」
「さあ! アレクシス──! 唱えてやっておくれよ! いつものように!」
 老女の声が一段と大きくなり、アレクシスに取り縋った。
「村の連中の目を掠めて出てきたんだ! 急いでくれよ!」
「急ぐ──? どういうことだ?」
 厳しさを増したアレクシスの声に、男達が身を縮み上がらせ震える声で喋りだした。若い方──運び込まれた女の夫は、もはや半泣き状態だった。
「昨日村が狼に襲われた件で、村の住人の半数近くが──殆どの女が死んで──村の連中は興奮してたんだ。いつものように此処が元凶だという話が出て──それだけならいつもの事で、そこまで事が大きくなったりはしないんだが──城からの伝令が届いて……例の、十歳頃の子供は全員殺せという奴だ──村の連中の怒りが、収拾がつかなくなった……」
「俺は反対したんだ……!」
 年老いた方の男──外見が似ていたから夫の父親かもしれない──が口を開いた。歯の根が合っていない。脂汗を流し、信じられないほど脅えていた。
「あんたはまだ結婚もしていないし子供も居ない。あんたを殺したりするわけにはいかないって──だが、村の連中は怒り狂って……何かに取り付かれたようになっちまった……」
「だからあたし達は村の連中の目を掠めて来たんだ。もうじき村の連中が此処へ来る! 奴らより少しでも早く此処へ来たかったのさ。あんたにそれを知らせるためと──この娘を助けてもらうために──!」
 老女も脂汗を滝のように流していた。トリニティの目にもはっきり分るほど震えていた。老女は両手で頭を抱え込み、取り付かれたように叫びだした。
「早く! 早く! 早く──!」
 押さえ込んでいた緊張が一気に溢れ出したのだろう。恐怖に顔を引き攣らせて、狂気じみた叫びをあげる老婆の様子に、彼らが村を飛び出した時点での村の様子が垣間見えるようだった。
 小屋の外で──大勢の声が聞こえた──ような気がした。
「……っひっ!」
 老女が両手で自らの身体を抱え込んだ。声はまだ遠い。だが大勢の怒り狂い、叫ぶ声ははっきりと聞こえた。
 トリニティは老女の脅え方の異様さを思い、哀しさに胸を詰まらせた。

 こんなふうに。
 こんなふうにして、国の治世から取りこぼされる辺境の地の民は。
 自分達を追い込んでいくのだ。
 自分達を追い込んで、倫理に悖る行いに手を染め、女神の加護を失って。
 女神にさえ見捨てられ、いけない事だと分っていても、魔王を怨み縋るしかない──。
 哀しい。
 何て哀しい人の性(さが)か。

 アレクシスが夫をいつもの鋭い瞳で激しく睨みつけた。
「叫べ! 天に届くような大声で! この女を捨てると! 村を追い出して二度と会わないと!」
 激しい叱咤に男は言われるがままに叫んだ。
 叫び声が終わらないうちにアレクシスが捲り上げた腕にナイフをあてがい引いた。横たえた女の胸元にアレクシスの血潮が見る間に溜まっていく。
 いつの間にか小屋から出ていたエドリスが、外への扉を開け放って中へ飛び込んできた。
「馬を二頭用意したわ!」
 アレクシスが失われて久しいネリスの古い言葉を口にした。見る間に女の傷口が癒え、血色が戻ってきた。
「荷物は全部積んであるわ! 行くのよトリル──!」
 エドリスがトリニティの小柄な身体を抱えあげ外に待たせてあった馬に乗せた。戸口の中で、女が身を起こすのが見えた。その隣でアレクシスが腰に剣を佩き、タヴィが自分の身体ほどもある大きな背嚢を手渡していた。
 小屋へと続く道に、人々の叫び声が響き渡った。
 トリニティが振り返ると、もうすぐそこまで血走った眼をした村人達が獲物を手にたどり着いていた。
 アレクシスがトリニティの後ろに飛び乗り、馬の手綱を引いた。男に手を引かれた女が小屋を飛び出してきて、同じようにもう一頭の馬の背にまたがらせた。その馬の背には何の荷物も載っていない。それなのに──男は躊躇わずに馬の尻を叩いた。
 嘶きと共に女の乗った馬が駆け出した。女は馬の鬣を握り締め、馬が走り去るに任せていた。
 トリニティ達の乗った馬が馬首を巡らせた。
「そんな──エドリス! タヴィは? アレク!」
 手を伸ばし、馬を飛び降りようとするトリニティの身体を、アレクシスが押さえつけた。
「──アレク!」
 抗おうとするトリニティに向かってエドリスが笑いかけた。
「行って! トリル! ──あたし達なら大丈夫。さあ、行くのよ!」
 先ほどの男と同様に、エドリスもまたトリニティ達の馬の尻を叩いた。馬が嘶いて走り出した。
「エドリス──!」
「あたし達なら大丈夫!」エドリスが後方で叫んだ。「あたし、あなたと一緒に暮らしたかったわ! 病気が治ることを祈ってる──!」
「元気でなー!」
 タヴィの声も響いた。
「そんな! どうしていつもこんな──戻って! 戻ってよ、アレク!」
「振り返るなトリニティ! 戻るつもりはない!」
 馬上で冷たく言い放つアレクシスに、トリニティは怒鳴り声をあげた。馬を飛び降りたくてもアレクシスが身体をしっかりと掴んでいて身動きも出来ない。
「連中が怒りの矛先をエドリス達に向けない保証なんてないじゃない! アレクなら彼らくらい何とでもなるでしょ──?」
「そうだ……できる。代わりに、俺が連中を皆殺しにする事になるがな」
 その言葉に、トリニティはぐっと喉を鳴らした。だから? だから、エドリスはアレクシスを行かせたのか? 彼に無用な血を流させないために? 流す血を最小限に留めるために──?
「…………」
 トリニティの頬を、行く筋もの涙が伝った。食いしばった唇に鉄の味が広がった。激しい眩暈は怒りのためか己の無力さを呪うためか分らなかった。
 まただ……。
 いつもこうだ……。
 こんなふうに、こんな状況で、いつも誰かを置いて逃げ出さなければいけない自分の無力さが悔しかった。
「だって……だって……!」
 はるか後方で、人々のあげる騒然とした声が微かに耳に届いた。トリニティは涙を振り払おうときつく瞼を閉じ、馬の鬣にしがみついた。
 そして。

「……やっぱり嫌っ……!」

「戻って、アレクっ! お願いっ──!」

 自分の感情の全てを搾り出すようにその言葉を叫んだ。
 たとえアレクシスが押し寄せた村人全員の命を奪うことになったとしたら、その責任は自分が負う覚悟だった。
 自分は無力だから。剣さえ振るえないから。だから結局、いつもその役をアレクシスにさせてしまう。
 それがたまらなく嫌だったし辛かった。
 それでも自分にはそれしか出来ないのなら。……アレクシスに彼らを助けて欲しいと願うことしか出来ないのなら、せめてその責任だけは自分が背負いたかった。
 彼が人を殺めるのは彼の責任ではない。それを願った自分の責任なのだと──。

 アレクシスがトリニティを抱きしめる掌に力が篭った。

「──あんたはいつから、そんなふうに泣く様になったんだ……」
「──え──?」
 疾駆する馬の背で、たとえ後ろに居るとはいえ怒鳴らなければ聞こえるはずがないというのに。小さく呟くその声が聞こえたのは気のせいだったろうか。
「……俺にはそんなことは出来ない……」
トリニティが顔をあげた。
 それはあまりにも小さな呟きだった。おそらくはアレクシスが自身に向かって吐露しただけの言葉。
 トリニティは瞬きもせず口を噤んで上を振り仰いだ。視界の端に、僅かにアレクシスの上顎が見えた。すっぽりと、トリニティを全てから守ろうとするかのように覆うアレクシスのその身体。
 その腕が大きく手綱を引いた。嘶いた馬が急激に速度を落とし、足踏みして反転した。
「アレクっ……!」
 トリニティがその頬に明るさを取り戻した。
 馬がやって来た方向へ向かって走り出した。
 トリニティは振り返って大声であらん限りの感謝の言葉を伝えた。アレクシスが唇の端で自嘲気味に笑った。
「……まったく……お前にはいつも呆れるよ……。だがまあ、あんたに付き合ってやると言ったからな……!」
「ありがとう──ありがとう、アレク!」
「ただし、どうなっても責任は持てんぞ! ルイス曰く俺は破壊大王だそうだからな! 何をやっても大げさになるし、殺す事しか出来ん」
「そんなことないわ!」トリニティは思わず声を荒げた。「殺すしか出来ないなんて……そんなことない! だって、あなたはあたしを生かしてくれたじゃない!」
 真実そう思うからこそその言葉を口に出した。トリニティの後ろで手綱を握るアレクシスの手が、一瞬止まったように感じた。何か言おうとしてトリニティが口を開きかけたとき、アレクシスが腰に手を回し剣を引き抜いた。
「──いたぞ!」
 そこには数十人の人だかりが出来ていた。人々の一段が一箇所に、まるで団子のように丸く集まっていた。それは一種独特の異様な空気を孕んでいて、まだ離れた位置からでもそれに気付いたトリニティはぞっとなった。
 蹄の音に気付いた人々が一斉に振り返った。
 狂気に取り付かれたような人々の視線に、ぎょっとしたような驚きの表情が浮かび上がった。そこに恐怖の色を見たのはトリニティの気のせいだろうか。
 アレクシスが馬上から抜き身の剣を薙ぎ払うようにしてその一段の中に踏み込んでいった。
 人々が騒然とした声をあげながら馬と剣を避けようとした。剣の餌食になる者。後ろの者にぶつかり転ぶ者。転んだ後さらに踏みつけられる者。
 一塊になっていた人々は逃げることも出来ずに、無様に折り重なり、悲鳴を上げ、馬の蹄の下になる者もでた。
 馬が嘶いた。アレクシスが片手で手綱を引く。馬は人垣の中で踏鞴を踏みながら転がった人々を踏み、蹴りつけていく。悲鳴が重なる。中には手にした獲物──農具──を振りあげてアレクシスに向かう者も居たが、馬上から剣で応戦された。
「アレクっ──! どうして──」
 足元……人々が踏みつけにするその足元の下から、聞きなれた声が聞こえた。悲鳴の中でそれを聞き分けたトリニティは声を張り上げた。
「エドリスっ!」
「馬鹿っ! 降りるなっ!」
 飛び降りようとするトリニティをアレクシスが静止した。いつの間にか小屋から火の手が上がった。誰かが小屋に火を放ったのだろう。それは人々が気付かぬうちに勢いを増し、気付いたときにはもうかなり大きな火勢になっていた。中から火のついた者が数人転がりでてきた。大きな風が吹き、舐める様な炎が小屋の外に流れ出た。
 人々が悲鳴をあげ、人垣がばらけた。四つん這いになって人垣から抜け出す者。獲物を捨てて逃げ出す者。転がったまま動かぬ者。背中に火のついた者を助けに行く者──。
 ……人垣の輪がほつれていった。
    その中に、転がった状態のエドリスと庇う様に覆いかぶさって倒れこんでいるタヴィの姿もあった。それから、老婆も。妊婦を運んできた二人の男の姿も。
「エドリスっ! タヴィ!」
 トリニティは馬を飛び降りた。
「ど、どうして……」
 エドリスが掠れた声で応じ、身を起こそうとした。体中痣や傷だらけだ。かなり大きな傷もあり、腕が真っ赤に染まっていた。近くに倒れている老婆はピクリとも動かない。男二人は父親のほうが、動かなくなった息子に縋って泣き叫んでいた。命がけで妻を逃がそうとした男の頭には、鍬が深々と突き刺さっていた。
 エドリスの膝の上に覆いかぶさるようにして倒れているタヴィのすぐ近くには少年の鉈が落ちていた。エドリスを守ろうと戦ったのだろう。
「タ、タヴィは……」
 見た目には傷はなかったが、気を失っているらしくぐったりとしていた。
 あっという間に人々の数が少なくなっていた。かなりの者が逃げ出したのだろう。僅かに残った者が──正気に返ったのだろう──心底脅えきった顔をして、遠巻きにこちらを見ていた。
 トリニティが彼らの方をキッと睨みつけた。
「あんたたち! なんでこんな事をしたのよ──!」
 昂ぶった感情のままに怒鳴り声を上げる。そのトリニティの頬を、起き上がったエドリスが打った。
「エ、エドリス──?」
「どうして戻ってきたりしたの!」
 エドリスが声を張り上げた。
「どうして?」はじめ呆然として顔で頬を押さえていたトリニティは、すぐに頬に朱を立ち上らせた。「なんで助けに戻ったか、ですって? 当たり前でしょ! そんなこと! 理由がなくちゃダメなのっ!?」
「そうよっ!」依然、エドリスの語気は荒い。「あなたはそのまま行かなくちゃ駄目だったのよ! あたし達を置いたまま! 後に残ったあたし達がどうなるかなんて、あなたにはどっちだっていいんだから! ちゃんと、自分のことを一番に考えなくちゃ!」
「馬鹿っ!」
 その言葉に、今度はトリニティがエドリスの頬を打った。
「どっちだっていいなんて、そんな事あるはずないじゃないのっ!」言って、わっと泣きだす。「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿なのはエドリスの方だわっ! 心配に決まってるじゃないの! 戻ってきちゃ駄目だなんて、どうしてそんな事がいえるのっ?」
 そんな返答が返ってくるなど思いもしなかったのだろう。エドリスは自分がそんな言葉を掛けられるような存在だったなど、ただの一度も考えたことがなかったような……そんな風な、ひどく衝撃を受けた顔でトリニティを呆然と見つめた。そして、恐る恐るその頭に手を置いた。
 こんなときに何という言葉を掛ければいいのか。それさえも分らないといった様子で所在なげにアレクシスを見上げる。そんな二人の様子を、アレクシスは小さく嘆息して見下ろしていた。


(続く)


+-----------------------------+
|        「語バラ(裏)」    
+-----------------------------+

『 恐怖のデート 』


「ん……」
 重ねられる唇の隙間から、トリニティは甘い吐息を漏らした。
 触れ合う頬の温もり。絡み合う吐息と互いの息遣い──そして、何度も何度も繰り返される愛撫のような口づけ。
 トリニティがほっそりとした腕を伸ばし、アレクシスの肩に回した。腰に回された彼の手が踊るように揺れ、トリニティの伸びやかな身体の上を這い上っていく。その手が──胸元に触れた。
「あ──」
 トリニティが甘やかな息遣いで喘いだ。
 と……。

 ぱふ。


 その音は何。


  恋人同士の甘い時間の中に、妙な間が訪れた。


「……」


 アレクシスの唇がトリニティのそれから離れ、胸元に向けられる。次いで、それは上げられ、珍妙な顔でトリニティを見つめた。

「……」


 両者の間を結ぶその奇妙かつなんともいえない空気。
 アレクシスの手で摘み上げられたそれが、トリニティの目前でユラユラと揺れる。


「ああっ……!!」
 突然、トリニティは真っ赤になって叫んだ。
「ち、違うのっ! アレクっ! 違うのよっ!」
 何が違うというのか。
 とにかく、トリニティはそれを敵(かたき)のように引っ掴むと、自らのポケットに押し込んだ。
 そして再び、妙な間が。

「もう片方」

 再び、アレクシスがつかみ出したそれをトリニティに向かって振る。
「いやあああああっ!」
 耳まで真っ赤になってトリニティは今度ももぎ取った。慌てて反対側のポケットに押し込もうとして──転がり落ちた。
 アレクシスが吹き出した。
「──笑わないでっ! 違うんだからっ!!」
 真っ赤になって言うトリニティのすぐ近くで──先ほどまでキスをしていたんだから当然だが──アレクシスは腹を抱えて笑った。
「傑作だ!」
「失礼ねっ! 違うんだからっ!」
「何がどう違う──いや、ここで笑うのは失礼か──だが、ヤッパリ、傑作だ!」
 アレクシスの馬鹿笑いにトリニティは傷ついた。
 違うのだ。
 ただちょっと、ちょっとだけ。
 ちょっとでも、アレクシスにふさわしい女になりたくて。並んで歩くのに似合った女でいたくて。
 少しだけ背伸びをしただけ──。レディなら誰でもやる、化粧の一環に過ぎない。そうだ。そうなのだ。トリニティは頭の中で、猛烈なスピードで、そんな言い訳をした。
 だが、女にとっては自分を美しく着飾るためのおしゃれの一環だとしても。男にとってはどうだろう。しかもこんな場面でだなんて──最悪だ。

 教訓。デートの日にやっちゃいけない。

 トリニティは尚も笑い続けるアレクシスに目をやった。
 最悪の結果が……これだ。

 恥ずかしくて恥ずかしくて、目に涙まで溜めてトリニティは再び叫んだ。
「だから違うんだってば! そりゃ、あたしは胸大っきくないわよ? ちょっとでも、大っきく見せたかったのも事実よ? でも、これは違うの! これはバストファウンデーションなんだからっ! だからっ、だから──」

 二人の間にころりと転がるのは、胸元の嵩を増すための例の小さなパットだった。

「だから違うの──っ!」

 トリニティが気恥ずかしさのあまり叫んだ。勢いつけてガバと跳ね起きる。
「ゆ、夢──?」
 肩まで上下させ、荒々しく息をする。かなり妄想を含んだ、リアルといえばリアルすぎる夢。『乙女心』プラス『現実』プラス『見たくない夢』……すなわち、悪夢だ。
「ゆ……夢でよかった……」
 トリニティはホッとしながら、呼吸を整えた。
 これだけ派手な声で魘されたにもかかわらず、隣で眠る妹は静かな寝息を立てている。起こさないでよかった──そう思いながら妹の寝姿に目をやったトリニティの動きが静止した。
 相変わらず、中身とはまるで正反対の外見だ。可憐かつ儚げで……銀の髪が肩にしどけなくかかり、こんなところを男共が見たら目の色を変えてむしゃぶりつきそうだ。トリニティは王女にあるまじき下世話な表現で妹の寝姿をそう揶揄した。
「それにしても……」
 その姿を見ながら、トリニティは何かムカムカするものを感じていた。
「どーして妹が寝ているのを見て、こんなにムカつくのかしら」
 セリス王女が寝返りを打った。はらり、と髪が揺れ軽く開いた寝間着の間から胸元が垣間見えた。
 それは──まろやかな弧を描いて、いかにも柔らかで心地よさそうだった。
「やっぱり、ムカつく」
 トリニティは妹の胸元をじっと見つめた。悔しいことに、姉の自分など足元にも及ばないほど遥かにデカイ。
「悔しいっ!」
 あまりの憎らしさに、眠る妹の頭をポカリとやる。
「な、何ですのっ? ちょっと──お姉さまっ?」
 八つ当たりされた妹は、分けも分からず頭を振った。トリニティは半泣きになりながら、今日のデートには胸パットなんてつけないで行こうと固く誓うのだった。



 どうせそこまで行かないだろうけど(笑)。


(完)
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