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外伝

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 目を覚ました時、既に陽は午後を大きく回っているようだった。
「目が覚めましたか」
 すぐ傍で声をかけてきたルイスの声に答えようと、トリニティは身を起こした。
「あたし……眠ってた?」
 目を擦りながらぼんやりとした声で問うと、ルイスが柔和な笑みを向けた。
「ええ。ぐっすりとね」
「ごめんなさい! ──あたし……!」
 彼らと会話するのに、高慢さも険を含んだ声色も消えた。時折、頭に血が昇った瞬間にそんな態度が出るが、それも随分と数が減った。
 ──自分を素直に出せるようになったと、そう思う。
 この旅に出て、彼らと出会って。八年もの間止まっていた時が再び動き出した。──そう、思った。
「アレクなら川へ行ってますよ」
 トリニティの思いを知ってか知らずか、呆れ顔で溜息をつきながらルイスが指差した。
「まだ動けるような状態じゃないとは思うんですがね」
 やや早いようにも思えるが、ルイスは夕食の準備に取り掛かっていた。僅かばかりの湯を沸かし、干し肉を湯で戻して乾パンとともに喉に無理やり押し込むだけの食事。
 旅での野営は、早くに食事を済ませ火の痕跡を消して、日が沈む前には結界石の布陣の中に身を滑り込ませるのだ。こんな、誰もが知っているような当たり前の事も、トリニティはこの旅に出て初めて知った。
「姫君も用事を済ませてきてはいかがです? 向こうで勇者様や魔術師殿が野営地を作ってるトコです」
 ルイスが顎をしゃくった先に目をやると、離れた茂みの向こうに、三人の姿が見え隠れした。ワーナーとベルクトスカだけでなく、悪魔も行っているらしい。
「便利なものですね。彼らが結界石を置いたあと更に魔法円を書き足してくれるお陰で、強力な結界が出来上がって……。お陰で俺たちみたいな血なまぐさい一行でも、妖獣に狙われる事なく、安心して旅が続けられる」
 血なまぐさい一行といっても、血生臭いのはアレクシスだけだ。彼が自分たちを守るためにファイア・ドラゴンと戦った傷は、秘宝(アーティファクト)のお陰で見た目だけは完治した。
 だがそれでも、アレクシスは旅の間中、殆ど意識を失ったままだった。時折、朦朧とした表情で目を開けることはあったが、それもはっきりと意識があるような様子ではなかった。
 馬の背に乗っているというよりも、馬に乗せられたあと落馬しないように体を縛り付けて旅は続けられた。意識が戻ったのは途中の宿場町に泊まった頃にようやく……だった。彼は一言も何も言わなかったが、馬の背に乗っているのを見るだけでも、こちらが辛くなる程だった。
「血生臭い」
 とは、そんなアレクシスの有様を見た悪魔ディーバのセリフだった。これには天使も同意した。
 トリニティは今日の宿営地にとここを選んで馬を降りた後、いつの間にか眠ってしまったらしい。皆が夜を前に準備を整えているというのに、一人だけ暢気に眠り込むなんて……さすがに申し訳なかった。
 とはいえ、少女の体に老婆の体のこの身体は、驚くほどに体力が無い。
 それは、ずっと監禁されたままの生活だったからかもしれないし、馬上の慣れない旅の疲労のせいも、大いにあろう。


 ちょっとした茂みを抜けると、すぐに穏やかな下り坂になっていて、川のせせらぎの音が聞こえた。
 本当に過ぐ近くに小川があったのだ。川のせいか、澄んだ空気が気持ちよかった。
「本当に、大丈夫でしょうか……」
 小川の方から気遣わしげな天使の声が聞こえてきた。いつ聞いても不思議な感覚だ、とトリニティは思った。
 茂みの間から、岸の岩に腰掛けたアレクシスとその前に向かい合わせにして跪く天使アブリエルの姿が見えた。天使の姿は相変わらず輝かんばかりに美しい。天使の美しさの前では、どれ程容姿の整った人間でも色褪せて見えるだろう。
 だが、その天使の前に座るアレクシスは、天使と比較してもまったく見劣りする事はない。
 それは多分──天使の美しさと人間のそれは、本質的に違うものだからなのだろうと……トリニティはそう思った。
 沈む夕日を映して輝く空を。抜けるように高い青い空を見て、その美しさに思わず涙を零す──天使を美しいと思う気持ちは、そんな感覚に似ている。
 彼らは『人』ではなくむしろ『自然』に近い。『世界』そのものと同じと言ってもいいだろう。だからこその『完全な美しさ』を持っているのだ。
 一方の人間は違う。
 人間の美しさは容姿の優劣ではない。その人物がもつ内面の耀きが、人を惹きつけるのだとトリニティは思う。容姿がどれ程美しくても、その人の持つ魂が輝いていなければ、誰もその人を美しいとは思わない。
 人の美しさがそういうものだというなら──アレクシスには確実にそれがあった。
「もういい。それ以上やるとお前がもたない」
「ですが……」
「いざという時に役に立たないようでは困る。何のための僕(しもべ)だ」
「──はい」
 主(あるじ)に言われて、アブリエルは不承不承頷いた。そしてトリニティに気付いて顔をあげる。
「トリニティ王女」
 アレクシスも振り向いた。やはりまだ顔色が悪いのを見て、トリニティの胸は痛んだ。
「私はこれで……」
 天使は優雅に頭(こうべ)をたれると、二人を残して立ち去った。
「目が覚めたのか」
 天使が立ち去ると、アレクシスがトリニティに声をかけてきた。
「天使様と何をしてたの?」
「別に──少しばかり体力を分けてもらっていたのさ」
「体力?」
 魔術の何かなのだろうが、トリニティにそんな知識はない。
「……いらないと言ったんだがな」
 アレクシスが自嘲気味に笑った。
「心配なのよ。天使様はお優しいから……あなたと違って」
 思わず口をついて出た皮肉を、トリニティは慌てて飲み込んだ。違う。そんな事を言いたかったわけではないはずだ。
 トリニティは慌てて俯くと、謝罪の言葉を言わなければと口をもごもごとさせたが、その言葉は素直に出てこなかった。
 どもりながら幾つか的の外れた言葉を口にして……それでも何とか謝罪の言葉を搾り出した。
「あの……ゴメンナサイ。そんなつもりじゃ……」
 どうして自分はこうも素直では無いのだろう。つくづく、自分で自分が嫌になる瞬間だ。
 また、あの迫力のある瞳で睨みつけられるのだろうか。そう思いながらトリニティはおずおずとアレクシスの表情を窺った。
 だが意に反して、顔をあげたトリニティが見たのは──口元に手をやって笑いを押し殺しているアレクシスの姿だった。
 普段の厳しい表情とは違い、無防備にも見えるアレクシスの表情に、思わずトリニティが魅入っていると……。
「相変わらず……。面白い奴だな、あんたって」
 トリニティの頭に一瞬にして血が昇った。
「──! あたしは……! だから、あんたが……!」
 トリニティが顔を真っ赤にして、言葉にならない怒りの声をあげると、アレクシスは一層面白そうに笑った。
「なんていうか……反応の仕方が子供だ」
「し、失礼ね!」
 両の頬をプッと膨らませて抗議しながらも、その反応こそが子供じみているのだと気付き、慌てて頬を押さえ込んでアレクシスに背をむけた。もちろん、後ろからさらに押し殺した笑い声が聞こえてきたのは言うまでもない。
「明日はいよいよアイゼンメルドだな」
 尚も忍び笑いをしながら、アレクシスが話しかけてきた。
 トリニティはこのまま、ふてくされて返事も返さずにルイスのいる方へ戻ってしまおうかと思ったものの──それこそ子供じみた行為だと自分を制し、しぶしぶ、アレクシスの隣に腰を下ろした。
「そうね」
「……うまくあんたの呪いが解けるといいな」
「……うん」
 素っ気無い返事を返したものの、嬉しく無いわけがなかった。
 その気持ちがトリニティの表情に出ていたのだろう。アレクシスが穏やかに微笑んだが、その表情には本当にそうだろうか、という疑問の様子が見て取れた。
 その表情を敏感に読み取ったトリニティは俯いた。
 袖口を引っ張って、まるで手の先まで覆い隠そうとするかのような仕草をしながら呟く。
「でも、今度もダメかも」
 もう何人も『奇跡を起こす司祭』に奇跡を祈って貰ったが、誰もトリニティの呪いを解いてくれた者はいなかった。
 顔をあげると、アレクシスがやや厳しい表情でトリニティを見下ろしていた。不機嫌そうな声で言う。
「それ、やめろよ」
「──え?」
 何の事を言われたのか、トリニティには分からなかった。
 アレクシスは素っ気無い様子だったが、だが明らかに嫌悪のこもった声でトリニティに言った。
「それ──」アレクシスはトリニティの手の先を見つめた。「そんなことをするのは止めろ」
 トリニティはアレクシスの見つめる先を見た。
 無意識に袖口を引っ張って、自分の手を覆い隠そうとしている自分がいた。枯れ枝のようにやせ細った、老婆にも似た手を隠そうとしている自分が。

 ──あたし。

 トリニティは唐突に気付いた。
 
 ──あたしは、自分を恥じているんだ。

 呪われた我が身を。
 呪われて、醜く朽ちていこうとしている我が身を人目に晒す事が怖くて……恥ずかしくて。誰の目にも触れないように隠してしまいたい。だから、マントのフードを目深に被り、身体全体を覆い……それから……それから……。
 いままでそれを、自分で意識した事はなかった。
 だが今アレクシスに指摘されて、気付いてしまった。
 自分の存在を恥じている自分を。
 
 そんな……惨めな自分を。

 アレクシスが何を言ったのか理解したトリニティは、唇を噛んでアレクシスを見上げた。小さな肩が震えた。
 見開いた翡翠の瞳が揺れて、涙が溢れんばかりに溜まるのが自分でも分かった。瞬きすれば零れ落ちてしまう。人前で泣く事を自分の矜持が許さなかったから、瞬きもせず肩を振るわせた。
 ……惨めだ、と思いながら。
「すまない」
 アレクシスが声を搾り出すように言って、トリニティから視線を外した。
「俺は別に。そんなつもりで言ったんじゃなく……」
 なんと言うべきが迷うような素振りを見せた後、再び口を開いた。
「あんたは、俺の前でそんなことを気にする必要なんてないと……そう言いたかったんだ」アレクシスはイラついた様子で嘆息しながら右手を額に充てた。「その……すまない。上手くいえないんだが……」
「──」
 トリニティは零れ落ちた涙を手の甲で何度も拭った。トリニティが声を押し殺して泣き、落ち着くまでの少しの間、アレクシスは前方を見つめたまま、横に座るトリニティの顔を見たりはしなかった。
 そのアレクシスの優しさが、トリニティを一層惨めな気持ちにさせた。
「──あんたはなんで城を抜け出してまでアイゼンメルドに行こうと思ったんだ?」
 声を押し殺して涙を拭うトリニティに、アレクシスが尋ねた。
 質問には、当然の事ながらベルダ司祭のところへ呪いを解いてもらいに行く、という内容は入っている。
 トリニティはアレクシスを見上げ、再び目線を足元に落とした。
 

 宣告を受けたあの日。
 世を恨み、天を恨み、己を憐れむのに費やされた日々。
 そこから這い上がって、自分にかかった呪いを解く方法を探そうと、無我夢中で過ごした。
 ──ただただ必死だった。何か縋るものが欲しくて、わき目もふらずここまで来た。
 その答えは簡単だ。
 こんな理不尽な『呪い』などで死にたくは無い。
 だから、出来る限りのことをしようとした。
 けれどアレクシスは、ただ単に『死にたくないから』という言葉一つになるような単純な言葉を求めているわけではないのだ。

 トリニティは自分の気持ちを上手く表せる言葉を捜そうとした。
「あたし……諦めたくなかったの……。その、うまく言えないんだけど……」
「あたし、ただ呪われて死ぬのを待つだけの運命だなんて、それを黙って待つだけなんて、嫌だった。探せばきっとあたしの呪いを解く方法が見つかると、そう信じてきたわ」
 トリニティは嘆息した。
「ああ、ホントに上手く言えない……。ええと……つまり……、あたしって、『呪われた王女』でしょ。でも、そういう運命ではなくて、別の運命、別の生き方だってあるはずだって……その先に、違う人生だってあるはずだって──」
「ダメ……。やっぱり上手く言えないわ」
 トリニティは泣きそうな顔になって首を横に振った。そして顔をあげてアレクシスを見ると、彼はやや驚いたような顔でトリニティを見ていた。
「な、何? あたし、やっぱり変な事言った? ──言ったわよね。意味不明で……」
 トリニティがしおしおを項垂れた。
「いや……。そんな事は無い」
「──え?」
「感心した。前向きだな。俺ならそんな考え方は出来ない」
 トリニティが複雑な心境で頬を膨らませた。
「どうせガキだって言いたいんでしょ」
「いや」アレクシスは苦笑した。「そうじゃない」
「そりゃ、あなたは大人でしょうよ。状況に合わせた判断力も、決断力も、行動力もある」
 それこそが、一行をファイアドラゴンから守り通したのだ。世間知らずで子供じみているトリニティには到底無理な事だとふてくされたが、アレクシスは首を横に振った。
「状況を見て、『やるべき事をやる』という判断力と、『こうありたい』と思ってする行動力とは別物だ。……俺にはそういう事は出来ない。と言うより、考えもしなかったな。自分に与えられた運命のその先に、別の生き方が待っているんじゃないかと考えるなんて」
 その声に戸惑いのようなものを感じたトリニティは顔を上げた。
 アレクシスは色々な感情を混ぜ込んだような複雑な表情でトリニティを見下ろしていたが、やがて自嘲めいた苦笑を浮かべてトリニティの頭に手を置いた。
 髪をくしゃり、とした。
「これは褒めてやったんだぜ」
「──!」
 子ども扱いされて、トリニティは顔を真っ赤にした。
「アレク──!」
「はは!」
 アレクシスは笑って立ち上がった。
「行こう」

 ──明日には旅は終わる。






---------------------
   あとがき
---------------------
 「語バラ1」のアイゼンメルド到着前日のことですね。
 二人っきりで、ラブラブ。
 ……というか、せっかくなんだから、もうちょっと何とかしたら、というツッコミを入れたくなるような。
 けど、書いていて思いました。
 お。ここでアレクシスはトリニティに惚れたんだな、と。
 自分にはない考え方とか、思いとか。足りないところとか。
 そういうものを持ってるトリニティを眩しく感じて……と。ヒューヒュー!
 ……でも他の事も思いました。
 トリニティには、「アレクみたいな男に惚れるのは苦労しそうだから止めとけよ」っていいたいですが、アレクシスにも言いたいです。「トリニティを嫁さんにすると絶対苦労するから止めといた方がいい」って。
 だって、そう思いますよね?
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