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第2部 神の愛娘
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宵闇の迫る中、そこだけは厳重な結界に守られたテントの中で、第二王女セリスは目の前に立つ優美な男を激しい怒りの眼差しで睨み付けていた。
ランタンの僅かな光量がテントの中を心許なげに照らしている。
その明かりに照らしだされる王女のペプロスの裾は汚れきっていた。
憂いを含んだ清楚な外見の王女は、その外見とは裏腹に激しい気性を内に秘めていた。その気性は普段は隠されて、殆どの人に知られる事はなかったが、今は王女はそれを隠そうともせず目前の男に……騎士よりも騎士らしいと詠われる、この国の勇者に向けていた。
「……許せませんわっ」
自身が受けた恥辱に激しく身を震わせながら、セリス王女は握り締めた拳をふるわせた。
「絶対に、許せませんっ!」
先ほどから何度もこの言葉を口にしていた。すぐ傍に控えるようにして立つ勇者ワーナーに話しかけるでもなく、すぐ傍に人が居るのだという意識さえ無いように、後から後から沸き立つ怒りの波を彼女自身もてあましている風であった。これ程までに怒りに燃え立つ事など、かつてなかったに違いない。
「許せません」
再び、セリス王女は同じ言葉を口にした。
「あのような恥辱、生まれて初めてですっ……!」
怒りにわななくことをやめようともしない王女を、勇者は冷静な目で見つめていた。何が王女をそこまで怒らせるのかを聞くでもなく、ただじっとそこに立ち控えている。
やがて。
幼子のようにいつまでも自分の感情の爆発を納めようとしない王女を諌めるためか、ただ単に女の感情の高ぶりなど気にしないだけなのか、勇者は淡々と明日からの行軍の説明を始めた。
「残った兵の数は八十を切っています。明朝すぐに出立し首都を目指します。おそらく……帰りの行軍は往きよりも大変なものとなる事が予想されます。王女には不自由をおかけすることとは思われますが、御覚悟下さいます様に」
ようやく、王女が顔を上げた。
勇者の言った言葉が理解できない、と言うように不審そうな顔を向ける。
「……負けたのですか?」
国軍が負ける事など考えもしなかった、とでもいう表情だった。勇者はそんな顔で見つめられても、眉一つ動かしもせずに肯定した。
「勝敗を決めなければならない、と言う事でしたら、我が軍の大敗です」
セリス王女が美しい柳眉を寄せた。勇者の口から敗軍の報告が出るなど、にわかには信じられないらしい。
「そんな……どうして……だって、向こうは二百足らずの民間人の集まりですのよ。しかもその内の半数は女子供でしたわ……」
「そうですね」ワーナーの声のトーンは相変わらず変わる事がない。「ですがターナーを斃すのに失敗した時点で、我が軍の負けは決まりましたから。始めから負けの分かった戦なので……主要な騎士は戦闘に参加させていませんでしたから。我が軍の損失は一般の兵卒だけに過ぎませんが」
「ま、待ってください──アレク様? アレク様がどうして? ……それに、負けの分かった戦、とは一体どういうことですの?」
セリス王女はすっかり困惑した様子で幾つかの疑問を口にした。勇者ワーナーが興味を持った顔で王女を見つめた。
セリスはこの国の王女だ。その王女が、どうして一介の若者を敬称を付けて呼ぶのか。
「ターナーに惹かれますか?」
セリス王女が頬を染めた。姉王女に劣らぬ矜持が邪魔をして、強気な口調が飛び出した。
「そんなこと、あなたには関係ありませんわ!」
勇者は小さく微笑んだ。
「彼は魅力的な若者ですからね」
「そっ、そんなこと──」
いい訳めいたものを口にのぼらせた王女を尻目に、ワーナーは言葉を続けた。
「彼が黙って立っているだけで……それだけで、視線がそちらへ向いてしまう。その存在を無視できない。──そんな青年です」
アレクシスを殺そうとした当人であるというのに、その声には若者を好ましく思う調子が含まれていた。
セリス王女は口を閉じて、そんな勇者の様子をじっと見つめた。
「──答えは?」
「なんですか?」
「どうして負けるのが最初から決まっていたのですか」
「ああ」ワーナーは思わず失笑した。「これは失礼を。勇者という立場に相応しくない発言でしたかな」
セリス王女が不機嫌そうに睨み付けると、ワーナーは面白そうに肩を竦めた。
「ターナーは力のある黒魔法使いです。……おそらくは、近隣の国でも最強でしょう。彼が強力な魔法を使うのを見た事は?」
王女は首を横に振った。
「私は以前見ました。第二宮の魔法『暗黒の劫火』を彼が使うのを」
「わたくしには魔法の事は分かりませんわ」
「──三千クヌートのファイア・ドラゴンが一瞬で消し炭でしたよ」
セリス王女が青い顔で唾を垂下した。彼女には魔法も、その威力の事もよくは分からないが、それでもアレクシスが尋常ではない魔法の使い手だということだけは分かったらしい。
ぎり、と唇を噛む。
「……お姉さまは、ずるいですわ」
搾り出すような声だった。
ワーナーが意外そうにセリス王女を見た。
「ずるいですわ!」湧き上がる感情を吐露するかのように、強い口調で王女は言った。「姉だというだけでっ! お姉さまは何もかも持っている!」
彼女の姉は、呪われ、幽閉され、全ての国民から……父王さえもが死を望んだ王女だ。
『ネリスの至宝』『神の愛娘』とまで言われる第二王女が羨む何を持つというのか。
セリス王女は高ぶる感情の波を抑えきれずに涙を零した。
「第二王女だというだけで六歳で嫁がされ、夫が王に反逆したと言われ修道院に十年も閉じ込められた! 修道院での生活がどれ程わびしく惨めであるか! 贅沢な衣装も身を飾る宝石もない生活! お姉さまは嫡子だというだけでお父様の傍に置かれ、呪われてなお城内に留まれたではありませんの!」
涙は頬を伝ったが、その顔は嫉妬に歪み、可憐で美しい容姿には不似合いな狂気が浮かんだ。セリスは狂わんばかりに叫んだ。
「お父様の手にかけられたと知ったとき、どれ程の喜びがわたくしの胸を満たしたか! あなたに分かりますかっ? 確かに死んだ事をこの目で確かめたくて傭兵を雇ったのに、生きていたと知ったときの落胆の深さがどれ程のものだったか、あなたに分かりますかっ!」
王女は胸元を狂ったように掻き毟った。
「お姉さまが助け出された時。溝鼠よりも無残で憐れな姿を見た私がどれ程、胸がすくような思いがしたか! それなのにっ……!」王女は息をついた。「それなのにっ。どれ程惨めになっても、どれほど憐れな身の上になっても、お姉さまは失わない……! 地位も、名誉も、人望も、希望さえも。──憎み過ぎて気が狂いそうですわっ!」
自分がどんなに望んでも持つ事ができない全てのものを、姉であるトリニティは持ち続けている。嫉妬で胸が焼け付きそうだ。
ワーナーはそんな王女の様子に戸惑うでもなく軽蔑するでもない。戦場でアレクシスに相対した時のように冷静な視線を向けた。
「……しかし、あなたまでがトリニティ王女について首都を出たと聞いた時には驚きました。ご自分の立場が悪くなるとは思われなかったのですか。悪くすれば姉王女と同じ処分が待つとは?」
言われたセリスは、そんなことはどうでもいいという風に手を振った。
「あなたが全て好いように取り計らってくださいますわ。そうでしょう?」
ワーナーは王女の身勝手ぶりに眉を寄せた。
「不服そうな顔ですわね。何かいいたいことがおありになって?」
「私はただの『王の勇者』に過ぎません。王に対して取り計らうなど、出来ぬ相談です」
「あら──そうですの?」
セリス王女は流れる白銀の髪を掻き揚げた。
「わたくし、知っているんですのよ」
その表情がなにか──特別な秘密を知っている者に特有の──しかもそれを好くない事に使おうとしている者特有のものになる。バラの蕾のような唇がまろやかな弧を描いた。
「──お姉さまを呪ったのは勇者ワーナー、あなただということを」
沈黙が二人の間に落ちた。
互いの距離は短く、沈黙はごく短い間だったが、それは永遠にも思えるほどの重く緊迫した時間だった。
ワーナーが何の感情も窺えぬ、冷徹さそのものを纏ってセリス王女を見つめた。しばし無言で見つめ、それから口を開く。
「何を根拠に」
セリス王女が勝ち誇ったような笑みになった。
「認めましたわね」
「認めるも何も──」
勇者が言いかけた言葉を、セリスは途中で遮った。
「わたくし、見ましたのよ。十年前のあの日──あなたが勇者に任命されたあの日、お姉さまに任命の報告に行かれ、初めてお姉さまにお会いになった、あの時の事を。わたくしもあの場に居ましたの」紫の瞳が鮮やかにきらめく。「わたくしは魔法の事は何も分かりません。けれどあなたがお姉さまに挨拶をして、その後なにかして──お姉さまがその場でお倒れになって……。それからでしたわね。お姉さまが原因不明の病に伏せる事を繰り返すようになり、枯れ枝のように身が細り始め、やがて……執政王家に特有の、『呪い』を受けた王女と判じられたのは」
ワーナーが取るに足らぬ事のように含み笑った。
「確かにあの時トリニティ王女は倒れられましたが。……たったそれだけでは両者の間を結びつける根拠にはなりませんね」
「わたくしを馬鹿になさらないでっ!」瞳が激しく燃えるように輝いた。「わたくしは愚かではありません。あなたの今の発言が……その態度が、自分自身が犯人だと、ハッキリと申し立てたではありませんか!」
勇者が押し黙ってセリス王女を見つめた。その瞳が油断なく王女の真意を探ろうとしている。
セリス王女が勝ち誇ったように微笑み、右手を差し出した。
「今後はお父様ではなく、わたくしの意に従うと誓いなさい」
勇者はしばらくの間、厳しい表情で無言でセリス王女が差し出した右手を見つめていたが、やがて片膝をついてその手を取ると、その甲に唇を寄せた。
「……仰せのままに」
セリス王女が満足げに頷いた。
「わたくしは、わたくしの人生を全うする事を誰にも邪魔はさせません。お父様にも……もちろん、お姉さまにもね」
----------ー------------------
「語られる事もなき叙事詩2」 完
----------ー------------------
~あとがき~
はじめてこのお話を読んでくださった方も、いつも読んでくださっている方も、最後までお読みいただきありがとうございます。
話が段々長くなってきました。そして……思いきり、引っ張ってますね~。
『完』と書くよりは、『続く』と書いたほうがいいくらいです。
これで、物語の伏線は全て出揃いました。
「語バラ3」では概要にも書いてた通り、行程が二つに分かれます。
恋愛小説として楽しめる方、アレクシス&トリニティのお話と、
ファンタジーの物語として楽しめる方、ルイス達一行のお話と。
ようやく魔王のダンジョンも出てきます。
ダンジョンマスターが出てくるのに、ダンジョンが出てこなかった今までがおかしいですね。
小説を書いていて気になるのは、読み手の方がドキドキしながら読んでくれているのかどうか。
読み終わった後、思わずあれこれ想像してもらえるのかどうか、です。(ここまでいくとサイコーですね!)
「3」を書き始める前に、少し外伝がはいるかも、です。
伊東
ランタンの僅かな光量がテントの中を心許なげに照らしている。
その明かりに照らしだされる王女のペプロスの裾は汚れきっていた。
憂いを含んだ清楚な外見の王女は、その外見とは裏腹に激しい気性を内に秘めていた。その気性は普段は隠されて、殆どの人に知られる事はなかったが、今は王女はそれを隠そうともせず目前の男に……騎士よりも騎士らしいと詠われる、この国の勇者に向けていた。
「……許せませんわっ」
自身が受けた恥辱に激しく身を震わせながら、セリス王女は握り締めた拳をふるわせた。
「絶対に、許せませんっ!」
先ほどから何度もこの言葉を口にしていた。すぐ傍に控えるようにして立つ勇者ワーナーに話しかけるでもなく、すぐ傍に人が居るのだという意識さえ無いように、後から後から沸き立つ怒りの波を彼女自身もてあましている風であった。これ程までに怒りに燃え立つ事など、かつてなかったに違いない。
「許せません」
再び、セリス王女は同じ言葉を口にした。
「あのような恥辱、生まれて初めてですっ……!」
怒りにわななくことをやめようともしない王女を、勇者は冷静な目で見つめていた。何が王女をそこまで怒らせるのかを聞くでもなく、ただじっとそこに立ち控えている。
やがて。
幼子のようにいつまでも自分の感情の爆発を納めようとしない王女を諌めるためか、ただ単に女の感情の高ぶりなど気にしないだけなのか、勇者は淡々と明日からの行軍の説明を始めた。
「残った兵の数は八十を切っています。明朝すぐに出立し首都を目指します。おそらく……帰りの行軍は往きよりも大変なものとなる事が予想されます。王女には不自由をおかけすることとは思われますが、御覚悟下さいます様に」
ようやく、王女が顔を上げた。
勇者の言った言葉が理解できない、と言うように不審そうな顔を向ける。
「……負けたのですか?」
国軍が負ける事など考えもしなかった、とでもいう表情だった。勇者はそんな顔で見つめられても、眉一つ動かしもせずに肯定した。
「勝敗を決めなければならない、と言う事でしたら、我が軍の大敗です」
セリス王女が美しい柳眉を寄せた。勇者の口から敗軍の報告が出るなど、にわかには信じられないらしい。
「そんな……どうして……だって、向こうは二百足らずの民間人の集まりですのよ。しかもその内の半数は女子供でしたわ……」
「そうですね」ワーナーの声のトーンは相変わらず変わる事がない。「ですがターナーを斃すのに失敗した時点で、我が軍の負けは決まりましたから。始めから負けの分かった戦なので……主要な騎士は戦闘に参加させていませんでしたから。我が軍の損失は一般の兵卒だけに過ぎませんが」
「ま、待ってください──アレク様? アレク様がどうして? ……それに、負けの分かった戦、とは一体どういうことですの?」
セリス王女はすっかり困惑した様子で幾つかの疑問を口にした。勇者ワーナーが興味を持った顔で王女を見つめた。
セリスはこの国の王女だ。その王女が、どうして一介の若者を敬称を付けて呼ぶのか。
「ターナーに惹かれますか?」
セリス王女が頬を染めた。姉王女に劣らぬ矜持が邪魔をして、強気な口調が飛び出した。
「そんなこと、あなたには関係ありませんわ!」
勇者は小さく微笑んだ。
「彼は魅力的な若者ですからね」
「そっ、そんなこと──」
いい訳めいたものを口にのぼらせた王女を尻目に、ワーナーは言葉を続けた。
「彼が黙って立っているだけで……それだけで、視線がそちらへ向いてしまう。その存在を無視できない。──そんな青年です」
アレクシスを殺そうとした当人であるというのに、その声には若者を好ましく思う調子が含まれていた。
セリス王女は口を閉じて、そんな勇者の様子をじっと見つめた。
「──答えは?」
「なんですか?」
「どうして負けるのが最初から決まっていたのですか」
「ああ」ワーナーは思わず失笑した。「これは失礼を。勇者という立場に相応しくない発言でしたかな」
セリス王女が不機嫌そうに睨み付けると、ワーナーは面白そうに肩を竦めた。
「ターナーは力のある黒魔法使いです。……おそらくは、近隣の国でも最強でしょう。彼が強力な魔法を使うのを見た事は?」
王女は首を横に振った。
「私は以前見ました。第二宮の魔法『暗黒の劫火』を彼が使うのを」
「わたくしには魔法の事は分かりませんわ」
「──三千クヌートのファイア・ドラゴンが一瞬で消し炭でしたよ」
セリス王女が青い顔で唾を垂下した。彼女には魔法も、その威力の事もよくは分からないが、それでもアレクシスが尋常ではない魔法の使い手だということだけは分かったらしい。
ぎり、と唇を噛む。
「……お姉さまは、ずるいですわ」
搾り出すような声だった。
ワーナーが意外そうにセリス王女を見た。
「ずるいですわ!」湧き上がる感情を吐露するかのように、強い口調で王女は言った。「姉だというだけでっ! お姉さまは何もかも持っている!」
彼女の姉は、呪われ、幽閉され、全ての国民から……父王さえもが死を望んだ王女だ。
『ネリスの至宝』『神の愛娘』とまで言われる第二王女が羨む何を持つというのか。
セリス王女は高ぶる感情の波を抑えきれずに涙を零した。
「第二王女だというだけで六歳で嫁がされ、夫が王に反逆したと言われ修道院に十年も閉じ込められた! 修道院での生活がどれ程わびしく惨めであるか! 贅沢な衣装も身を飾る宝石もない生活! お姉さまは嫡子だというだけでお父様の傍に置かれ、呪われてなお城内に留まれたではありませんの!」
涙は頬を伝ったが、その顔は嫉妬に歪み、可憐で美しい容姿には不似合いな狂気が浮かんだ。セリスは狂わんばかりに叫んだ。
「お父様の手にかけられたと知ったとき、どれ程の喜びがわたくしの胸を満たしたか! あなたに分かりますかっ? 確かに死んだ事をこの目で確かめたくて傭兵を雇ったのに、生きていたと知ったときの落胆の深さがどれ程のものだったか、あなたに分かりますかっ!」
王女は胸元を狂ったように掻き毟った。
「お姉さまが助け出された時。溝鼠よりも無残で憐れな姿を見た私がどれ程、胸がすくような思いがしたか! それなのにっ……!」王女は息をついた。「それなのにっ。どれ程惨めになっても、どれほど憐れな身の上になっても、お姉さまは失わない……! 地位も、名誉も、人望も、希望さえも。──憎み過ぎて気が狂いそうですわっ!」
自分がどんなに望んでも持つ事ができない全てのものを、姉であるトリニティは持ち続けている。嫉妬で胸が焼け付きそうだ。
ワーナーはそんな王女の様子に戸惑うでもなく軽蔑するでもない。戦場でアレクシスに相対した時のように冷静な視線を向けた。
「……しかし、あなたまでがトリニティ王女について首都を出たと聞いた時には驚きました。ご自分の立場が悪くなるとは思われなかったのですか。悪くすれば姉王女と同じ処分が待つとは?」
言われたセリスは、そんなことはどうでもいいという風に手を振った。
「あなたが全て好いように取り計らってくださいますわ。そうでしょう?」
ワーナーは王女の身勝手ぶりに眉を寄せた。
「不服そうな顔ですわね。何かいいたいことがおありになって?」
「私はただの『王の勇者』に過ぎません。王に対して取り計らうなど、出来ぬ相談です」
「あら──そうですの?」
セリス王女は流れる白銀の髪を掻き揚げた。
「わたくし、知っているんですのよ」
その表情がなにか──特別な秘密を知っている者に特有の──しかもそれを好くない事に使おうとしている者特有のものになる。バラの蕾のような唇がまろやかな弧を描いた。
「──お姉さまを呪ったのは勇者ワーナー、あなただということを」
沈黙が二人の間に落ちた。
互いの距離は短く、沈黙はごく短い間だったが、それは永遠にも思えるほどの重く緊迫した時間だった。
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「何を根拠に」
セリス王女が勝ち誇ったような笑みになった。
「認めましたわね」
「認めるも何も──」
勇者が言いかけた言葉を、セリスは途中で遮った。
「わたくし、見ましたのよ。十年前のあの日──あなたが勇者に任命されたあの日、お姉さまに任命の報告に行かれ、初めてお姉さまにお会いになった、あの時の事を。わたくしもあの場に居ましたの」紫の瞳が鮮やかにきらめく。「わたくしは魔法の事は何も分かりません。けれどあなたがお姉さまに挨拶をして、その後なにかして──お姉さまがその場でお倒れになって……。それからでしたわね。お姉さまが原因不明の病に伏せる事を繰り返すようになり、枯れ枝のように身が細り始め、やがて……執政王家に特有の、『呪い』を受けた王女と判じられたのは」
ワーナーが取るに足らぬ事のように含み笑った。
「確かにあの時トリニティ王女は倒れられましたが。……たったそれだけでは両者の間を結びつける根拠にはなりませんね」
「わたくしを馬鹿になさらないでっ!」瞳が激しく燃えるように輝いた。「わたくしは愚かではありません。あなたの今の発言が……その態度が、自分自身が犯人だと、ハッキリと申し立てたではありませんか!」
勇者が押し黙ってセリス王女を見つめた。その瞳が油断なく王女の真意を探ろうとしている。
セリス王女が勝ち誇ったように微笑み、右手を差し出した。
「今後はお父様ではなく、わたくしの意に従うと誓いなさい」
勇者はしばらくの間、厳しい表情で無言でセリス王女が差し出した右手を見つめていたが、やがて片膝をついてその手を取ると、その甲に唇を寄せた。
「……仰せのままに」
セリス王女が満足げに頷いた。
「わたくしは、わたくしの人生を全うする事を誰にも邪魔はさせません。お父様にも……もちろん、お姉さまにもね」
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「語られる事もなき叙事詩2」 完
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~あとがき~
はじめてこのお話を読んでくださった方も、いつも読んでくださっている方も、最後までお読みいただきありがとうございます。
話が段々長くなってきました。そして……思いきり、引っ張ってますね~。
『完』と書くよりは、『続く』と書いたほうがいいくらいです。
これで、物語の伏線は全て出揃いました。
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ようやく魔王のダンジョンも出てきます。
ダンジョンマスターが出てくるのに、ダンジョンが出てこなかった今までがおかしいですね。
小説を書いていて気になるのは、読み手の方がドキドキしながら読んでくれているのかどうか。
読み終わった後、思わずあれこれ想像してもらえるのかどうか、です。(ここまでいくとサイコーですね!)
「3」を書き始める前に、少し外伝がはいるかも、です。
伊東
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