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学舎と姉妹と

8 姉妹、寄り道をする

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 一面に広がる黄金色の小麦畑を左右に分断するように走る綺麗に舗装された道を、ナディとレオノール、そしてフロランスを乗せた馬車がのんびりと走っている。
 ちなみにアーチボルトは、ナディのネックレスヘッドの中だ。なにしろそのネックレスヘッドは、例の魔力が満ちまくっている某所で新たに作ったのアレが入っている。家精霊であるアーチボルトがそれと共に格納されるのは当然だ。

 ちなみに、その某所でのソレを創り始めた時のこと。その状況というか有様を見ていた管理人なにがしが盛大にドン引きしていたが、カニ味噌とエビ味噌をペーストにしたパテを大量にプレゼントしたら秒で気にしなくなった。
 あと関係ないが、彼は現在何故かパン作りにどハマりしていた。そのため海鮮階層以前を大胆に改装してしまっていた。

 二五階層が大麦や小麦、黒麦などの穀物。
 二六階層がバターやチーズ、生乳などの乳製品。
 二七階層がジャムの原料となる柑橘や野菜類。
 二八階層が塩や砂糖などの調味料。
 そして二九階層がセーフエリアで、適度に魔素を含んだ美味しい水が湧く。

 そう。現在【クリスタ・マイン】は、世界有数の意味が判らない迷宮と化していたのである。
 あと例の水は、その後【クリスタガイザー】と名付けられ、一部の愛好家や酒造業者に愛用されるようになるのだが、それはまた別の話。
 それと、廃坑跡の迷宮なのに湧く水が何故か軟水であるのだが、それに突っ込む者は誰もいない。きっと硬水と軟水の生成過程が違うのに気付いていないだけであろうし、そもそも美味ければなんでも良いのが冒険者だから。

 まぁ、浅層では通常通り鉄鉱石が、深層ではミスリル鉱石が採れるから問題ないが。

 で。

 そののーんびりとした変わり映えのない景色をボーッと眺めながら、感情が抜け落ちたかのようなやや険しい表情をしているナディを、フロランスが落ち着きなくチラ見しては溜息を吐いている。そしてレオノールは、ふっかふかなソファ席でうたた寝中だ。

『アーチボルト様は家精霊。だから家が動かせない以上同行は出来ません。それは仕方のないことですわ。それは判っていますのに、どうしてわたくしは留まりたいなどと言ってしまったのでしょう。ああ、恥ずかしい。穴があったら埋まってしまいたいですわ。そんなバカなこと言ったから、ナディの機嫌が悪いのでしょう。此処は素直に謝罪するべきでしょうか――』

 などと出立前のアレコレを回顧し猛省してチラ見しているフロランスに、その表情のまま真っ直ぐにナディは目を向ける。その真剣な表情に目を逸らすことなど出来ず、同じく真っ直ぐ目を向けた。

「ねぇフロランス」
「ははい。なんでしょう」

 勤めて平静に返答したつもりだったが、若干噛んでしまう。それでも社交界で鍛えた鉄仮面を発動させ、何事もなかったかのように応じる。きっと重要な話があるのだろうと、心の準備を即座にした。

「貴女って、もしかしてだけど、アーチーが好きなの?」

 その空爆のような質問に、フロランスの鉄仮面が秒で解けた。

「うわ、真っ赤になっちゃった。ゴメンゴメン。揶揄うつもりはないの。ただ確認したかっただけなんだよ。あのね、アーチーは家精霊なのよ。それでも良いの?」
「ええと、あの、ナディ? 言っている意味がちょっと判りませんが……」
「隠さなくても良いわ。そもそも恋愛は自由だし」
「いえ、ですからそういうことでは……」
「ぶっちゃけるとね、相手が家精霊でも子は宿せるの」
「あの、そういうことでは――え?」
「ただし、生まれてくる子は半精霊となる可能性が高いわ。それにそもそも、アーチーくらいの強力な精霊となるとその精を受けた者は精霊化する可能性が高いのよ」
「え? あの? え、ええと、それは、あの、どういう……?」
「ハッキリ言っちゃうと、何も考えずにえっちすると妊娠するか貴女が精霊化するか、もしくはその両方になるってこと」
「え? ええ? え? あ、あの……」
「ま、どっちにしても覚悟を決めることね。もしヒトでいるよりアーチーを選んだら、その時は私がなんとかしてあげる」

 前世とはいえ、アーチーは息子だし。最後にそう独白し、ナディは再び外へと目を向ける。表情は先程と同じだ。そしてその独白は、フロランスには届かない。

「……ナディ。もしかして、それで怒っているのですか?」
「んあ? なんて?」

 そんなナディに、意を決したフロランスが上着の裾をギュッと握り締めて訊く。その意外な問いに、思わず素っ頓狂な返答をするナディ。だがそれに気付かないフロランスは真剣に、だがやけに瞳をキラキラさせた視線を向けながら続けた。

「確かに、ご自身の家精霊に恋慕されたり手を出されたりするのは不快でしょう」
「んん? えーと、ちょっと待ってフロランス。一旦落ち着こうか」

 目を伏せて、俯き加減で呟くように、だがハッキリとフロランスが言う。対してナディは「あれ、なんか地雷踏んだ?」と考え、まずなだめるべくそう言うが、全然聞いちゃいなかった。

「そもそも家精霊とは、家に憑く精霊であり、厳密には霊体や魂魄に近い存在です」
「あ、うん。そうだね。だから、ね。ちょっと落ち着こうよ」
「ですが、それでも、たとえ精霊でも、この世界で生きる一つの命なのです。その命ある者に、一つの人格を有する者に惹かれるのが、いけないことなのでしょうか」
「いやー悪いとは言ってないよ。だから落ち着こうよ、ね。なんだかだんだん恥ずかしいことを言いそうになってるよ」

 ちょっとマズイ展開になっていると悟り、今度はたしなめようとするのだが、やはり全然聞かないどころか更に白熱し始め、車中にいるのにビシッと立ち上がる。
 いくら揺れが少ない馬車であろうと、それなりに揺れるため常人なら多少たりともバランスを取るものだが、フロランスは根が生えたかのように微動だにしない。
 素晴らしい安定感だと思わず感心するナディ。だがすぐに今はそれどころじゃないと思い直し、再び落ち着くように言おうとするが、それよりも早く、フロランスは宣言した。

「そうです。はっきり言いますわ。確かにわたくし、フロランス・エレーヌ・ド・ファルギエールは、アーチボルト様を愛してしまいました」

 そう――宣言しちゃったのである。

 だがそれだけでは終わらず、更に、

「あのお方の子をこの身に宿してもいいと思うほど――」

 言わなくても良いことまで口走る始末。

「あ、あの、フロランス嬢。もうその辺で……」
「いいえ止めません。わたくしがどれほどアーチボルト様を愛してい……る……の……かとい……う……と……」

 だがそんな威風堂々と男前に宣言したフロランスの目の前に、いつの間にかアーチボルトがいた。そりゃそうである。彼はずっと其処にいたのだから。

「え? あの? アーチボルト、様? どうして此処に……?」
「アーチーはずっと居たよー。此処に入ってたんだよねー」

 そう言いながら、ネックレスヘッドを見せる。

 精霊はその存在上、基本的に質量はない。よって純魔結晶があれば其処を棲家に出来るのだが、そんなのは知らないフロランスは、若干冷静になって自分のトンデモ発言を思い返して、

「――はぅ……」

 両手で顔を覆ってその場にうずくまった。

 そんなフロランスと、精霊なのに照れて耳まで真っ赤にしているアーチボルを交互に見て、

「青春だねー」

 おばちゃん臭いことを言うナディだった。

 そんなわちゃわちゃがありつつ、馬車は順調に王都へと向かう。

 あと存在感がほぼないが、御者はちゃんといる。一応フロランスの護衛を務める騎士ではあるが、護衛されるべきフロランスが実はバカ強いため、あんまり意味を成していなかった。そして名前はガエル・ギャルヴァンという。二十歳そこそこではあるが既婚者で、王都の自宅では二歳下の奥さんと三歳になる息子がいるが、本筋とは全く関係ないため以下略とする。

「そういえば。ねぇフロランス」
「はい、なんでしょう」

 先程と同じ表情で外を見遣っているナディが、さっきのわちゃわちゃなんて無かったと言わんばかりに平然と訊く。そしてフロランスも、鉄仮面を発動させて何事もなかったとばかりの返答をした。

「王都まで、コレでどれくらい掛かるの?」
「『コレ』というと、馬車でですか。そうですね。このままでトラブルなどが無かったら、概ね十日というところでしょうか」
「……そう、十日、か……」

 そう呟き、表情を険しくさせて口をキュッと引き締める。それを見たフロランスは、何があるのだろうと考えて身構える。
 短い付き合いではあるが、ナディが只者ではないのはイヤというほど思い知らされている。。その彼女がそんな表情をしているのだ。これはきっと何かあるに違いない――

「暇ね」
「そうですか。暇で……ほえ?」

 これ以上なく真剣な表情でそう言うナディ。それに対して条件反射的に復唱し、だが同時に反芻してからちょい頓狂な返答をするフロランスだった。

 しかしそんな返答はどうでも良いナディは、至って真面目に、そしてこれ以上ないほど真剣である。

「十日も馬車に揺られて移動なんて有り得ないわ。ヒトの命は短いのよ。だったらその時間を無駄に過ごすのは、人生の損失だと私は思うの」
「限られた時間を無駄にせずに一分一秒でも生を謳歌する。さすおね」

 そんなちょっと格好良さげだがあんまり意味をなしていないことを口走るナディと、いつの間にか起き上がってそれを全肯定するレオノール。誰かさんがこの場にいれば良い感じに突っ込んでくれるのだろうが、残念ながらそんなガチムチな誰かさんは不在である。

「こんな時は、迷宮をよね」
「え? ええと、ナディ? わたくしにはちょっと何を言っているのか判らないのですが……」
「確か王都への道すがら、【テネーブル・ソル】とかいう特殊な領域型フィールド迷宮があるって聞いたことがあるわ。よーし、其処へ行っちゃおう」
「未知への探究と冒険心を忘れず突き進む。さすおね」
「ええ? あの、出来れば寄り道などせずに王都へ直行して欲しいのですが……」
「大丈夫よ問題ないわ。なんならだけだから」
「予定を変更しようとも時間を無駄にしない人生を歩む。さすおね」
「いえ、あの、本当に何を言っているのか判りませんわ! それにレオノール。さっきから言っているその『さすおね』とはなんなんですの?」
「姉を褒め称え賛辞する最上位の言葉『流石ですお姉様』略して『さすおね』。これは国際的秘密結社【『さすおね』を世界共通常識にしよう協会】が目指す最初にして最後で最高の究極目的。フロランスもレオの姉になるのなら『さすおね』の頂を目指すべき」
「何の頂かさっぱり判りませんわ!」

 よって突っ込み不在という非常に恐ろしい状況のまま、事態は急展開し始める。





 特殊領域型フィールド迷宮【テネーブル・ソル】。

 その迷宮は、多くの冒険者に知れ渡るほど有名な迷宮である。

 場所は王都への街道沿いにある、何故か樹木が自生しない草原の、なだらかだが小高い丘の頂上にある。

 本来、迷宮の入口には門扉が、その周辺には門前町ともいうべき町が造られ、その迷宮で採れる様々なアイテム目当ての冒険者が生活出来るようになるのが通例だが、【テネーブル・ソル】は違った。

「うわーなーんもない。本当に此処で合ってる?」

 その小高い丘の上にポツンとある、材質不明の岩の前でナディはそう言った。別に疑っているわけではないが、あまりに何も無さ過ぎて、思わずそう口を衝いて出ただけだ。

 関係ないが、御者の騎士ガエル氏は街道沿いにある退避路に馬車を停めてお留守番である。

「此処で合っていますわ。なんといっても此処は王国屈指の不人気迷宮として有名ですから」
「……不人気で有名とか、切な過ぎるわね」
「仕方ありません。棲息する魔物が不定形生物スライムで、得られるのが謎の半液状の物ですから」
「ほうほう」

 フロランスのトリビアを聞きながら、不人気であるが故に誰も入らないために厳重に閉ざされた、氾濫防止の封印魔術が施された鋼鉄の扉を直視しながら神妙な表情でナディは頷いている。

 正直、これで諦めてくれれば良いとフロランスは思っているのだが、残念ながらこの程度でその選択肢を選ぶナディではない。

 何故なら、でそのスライム素材を使って色々作っていたから。

「じゃあ、その謎物質がどれほど有用なのかを全世界にあげようじゃ~あないか!」
「偏見に屈せず固定概念に囚われず創意工夫をして世界を革新に導く。さすおね」
「は? いえ、あの、『じゃ~あないか!』じゃなくて……ヒトの話を聞いていますの!?」
「じゃあレオ。、いっくよー」
「おー」
「全然聞いていませんの! もうなんなんですのこの娘たち!?」

 無情に響くフロランスの絶叫。結構な距離なのにそれが聞こえたガエル氏がちょっと首を傾げたが、傍にいる姉妹には届かない。

 何故なら、迷宮を前にしてテンアゲ状態だから!

「【マキシマイズ・オブ・エフィック】【エクステンション・オブ・エフィック】【ソーサリー・イクステンシヴ】【ブーステッド・ホウルアビリティ】【デュレーション・ホウルリカヴァリー】【セーフ・コンディション】【リジェネレーション】【デュレーション・キュアディジーズ】【バイタリティ・アクティベーション】【バイタリティ・メインテイン】【ハードアーム】【ソーサリー・ブースト】【アタック・ペネトレイト】【ソーサリー・ペネトレイト】【ソーサリー・リバーブ】【マキシマイズ・プロテクト】【マキシマイズ・ホウルレジスト】【ホウルリフレクション】【ミラー】【ブラー】【ヒドゥン】【サプレッション】【ファスト・ムーヴ】【イレイズ・レジスト】【イレイズ・オブ・オシレーション】【エビエイション】【センス・マナ】【センス・イービル】【センス・ホスリティ】【センス・エネミー】【センス・オーガニズム】【センス・インオーガニック】【センス・ライ】【サーチ】【ディテクト】【シーク】【アナライズ】【マップ・クリエイト】【マッピング】【ターム・オブ・ソーサリーアクティベート】【ディレイ・オブ・ソーサリーアクティベート】」

 そしてナディが、いつもの強化魔法を自分とレオノール、そして重ね掛けして、

「【マキシマイズ・ホウルリフレクション】【アブソリュート・ホウルリジェクション】【ディメンション・ウォール】」

 次いでレオノールが、絶対防御系魔法を重ね掛けする。それを目の当たりにしたフロランスがちょっと首を傾げ、

「ちょお、待って下さいまし! 何なんですのその魔術!? 見たことも聞いたことも有りませんわ!」

 当たり前にちょっとパニクった。

「えー? なに言ってるのフロランスったらあ。コレは魔術じゃなくて、魔法だよぉ」

 そしてそれに、やはりサラァっとトドメを刺すナディである。悪びれた様子など皆無だ。そう思っていないから当然だろう。

「は? え? ええ!【逸失魔法ロスト・ソーサリー】!? どうして使えるんですの!?」
「どうしてって。使えるから?」
「全く答えになっていませんわ! もっとこう、理路整然と、わたくしにも理解出来るように説明して下さいまし!」
「だあって、使えるから使えるってしか言えないでしょ。あ、でもほら、ヴァルも使えるから気にしなくて良いわよ」
「気になることが山積していきますわ!」
「そんなの気にしなくて良いから。ほらほら、行くよー」

 理解不能な事象が続発してどんどんパニクっていくフロランスの手を取り、

「【ヴァン・ソール】【ピアッシング・ロック】」

 多重魔法を発動させ、二十もの岩の貫通弾を迷宮の入口を封印している扉へと叩き込む。それはあっさりとその封印扉を貫き、それだけでは止まらずほぼ限界まで溢れているスライムも諸共破砕しながら奥へと直進する。

 破砕したスライムは即座に消滅し、そして其処には何故か瓶詰めされた半液状の物質が無数に落ちていた。

「…………ヴァレリーが心酔するだけあって、やっぱりぶっ飛んでいますわ……」

 その有り様を見て、ナディの評価を上方でも下方でもなく、色々な方向で修正するフロランスであった。

「【ストレージ】【アセンプル】。よーし、じゃあ行こうか。レオ、フロウ!」
「おー。行こうー」
「なんですのその魔術? 魔法? あと『フロウ』ってわたくしですの? というかどうしてわたくしも行くことになっていますの!? 説明を求めますわ!」
「大丈夫大丈夫。すぐに良くなるから」
「絶対的に全然納得出来ませんわ! 如何わしくしか聞こえません!!」
「いーからいーからぁ♪ ほらほら、イっくよー」
「だから、全く良くありませ……え、浮いて? いえ飛んで? あ、待ってわたくしも行くとは一っ言も言っていませ――」
「レッツパーリー♪ とっかーん♪」
「いえーい」
「なんなんですのこの娘たちはーーーー…………」

 フロランスの拒否を一切合切聞き流し、というか聞いてすらいない二人は、その両腕を左右でガッチリとホールドして迷宮へと突貫した。

 ――フロランスの絶叫のドップラー効果を残しながら。
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