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学舎と姉妹と

7 姉妹、王都へ引っ越す

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「いらっしゃいませ、お嬢様。わたくし、この邸宅の主人で在らせられますナディ様、レオノール様にお支えさせて頂いております、執事のアーチボルト・アシェリー・アドキンズと申す者で御座います。どうぞお見知りおきを」

 ズキュウウウン!

 左手を後ろに回して腰に置き、右手は胸に置いて優美に低頭し目礼するアーチボルトを直視したフロランスは、人生で初めて分厚い鉄板をち抜くほどの衝撃を受けた。

 それは、彼女が初めて、恋に落ちた瞬間だった。

『なんて美しい殿方なのでしょう。容姿は勿論、装いに一分の乱れもなく、ただの礼なのにその所作も完璧で完成されていますわ。それに、漆黒なのに光の加減で藍色インディゴにも見える髪も美しく、ダーク・パープルの瞳も神秘的。何処かヴァレリーにも似ていますけれど……あら、ナディにも似ていますわ。それはともかく、これほど完成された殿方は初めてです。ああ、どうしましょう。わたくし、この方の子を生みたいと思ってしまいました。いけませんわ、わたくしとしたことがなんとはしたない。ですが自分の感情に嘘は吐けません。あれほど軽蔑しているクソ親じ――ん、んん――父上と同じことをしたくなるとは。やはりわたくしもファルギエールの血族だったいうことでしょ――』

 そしてコンマ数秒でそんな思想に駆られ、

「あ、コレ我が家に憑いている家精霊。有能なんだけど変なヤツだから気にしなくて良いわよ」

 だがノータイムでナディが、そんな非情な事実をサラァっと暴露する。

 フロランスの初恋は、秒で終わった。

「アーチー、この人ファルギエール侯爵令嬢のフロランス。なんかレオの実のお姉さんらしいわ」

 そんな恋に敗れて状態なフロランスを、その相手であるアーチボルトに紹介するナディ。気付いていないとはいえ、残酷が過ぎる。

「ほう……。この方があの変た――失礼。クソ野ろ――もとい、の実姉で在らせられるのですね」
「そうだねー。それにしても、相変わらずアーチーはヴァルが嫌いだねぇ」
「当然ですが? あの変態セクハラ大魔王なクソ野郎がナディ様にして下さりやがった数々のセクハラは、絶対に看過出来ません。それに、そもそもどうしていつもされるが侭なのですか。本来ならばぶん殴ってもぶった斬っても叩き潰しても息の根を止めても良い筈なのですよ」
「え? いやー、ほらアイツって何言っても無駄でしょ。だったらある程度は許容して、最後の一線だけ越えなければ良いかなーとは思ってたり……」
「それはいずれ済し崩し的に受け入れてしまう流れになる。よって妊娠する前に全部拒絶するべき。だけど本心から嫌じゃないならさっさと添い遂げた方が良いとレオは思う」
「えー。レオまでそう言うの。ハッキリ言うけど、私はヴァルと添い遂げる気はないわ。でも、まぁその、だからといってせっかくの好意を嫌だからって全部拒絶するのは、ちょおっと違うかなーとも思ったりして……」
「お姉ちゃんがポンコツで面倒臭くなってる。アーチー、やっぱりあの男を近付けるのは危険」
「了解しております、レオノール様。アレが持っている我が家のキー・メダリオンは既に無効化済みですので、わたくしが招き入れない限り一歩たりともことは叶いません」
「重畳。流石はアーチー。さすおと」
「光栄で御座います、レオノール様姉上

 そんなヴァレリー排除計画を進行中なレオノールとアーチボルトを怪訝な表情で眺め、だが例によってちっちゃいこととか細かいことは気にしないナディは、四つ這いでガチ泣きしているフロランスを不思議そうに見る。

「ねぇアーチー。なんかフロランスが何故か情緒不安定になってるから、客間に通して相手してやってくれない」
「畏まりました。それではフロランス嬢、此方へ」
「ううう~……やざじぐじないでよぉ……」

 そしてトドメを刺す二人である。もっともフロランス自身がそういう気持ちの内を発露させていないため、当然といえばそうだが。

 そんな失恋の痛みに打ちひしがれているフロランスは、ナディが提供したクジラの赤身肉を使った特製カルパッチョを大皿で七杯ほど完食し、腹ごなしと言いつつ庭で自己鍛錬を始めた。その碧眼から汗が止めどなく流れていたのは、誰も気付かない。

「食後に鍛錬とか、フロランスは勤勉ねー。そうだアーチー。汗かいちゃうだろうから、終わった頃合いを見計らってタオル持ってってあげて。あと浴室も使わせて良いわ。使い方とかのレクチャーもお願い。こっちは荷造りしてるから」
「承りました」

 再びナチュラルに追撃をしようとするナディ。そしてそれに一切の疑問をいだかず快く応じる家精霊。どう考えても、残酷が過ぎる。

 それはそれとして。

「それと、荷造りは不要と思われます」

 腕捲りをして荷造りを始めようとするナディを、アーチボルトが制止する。張り切っているところに水を刺され、だがそれで不機嫌になるナディでもなく、首をコテンと傾げて不思議そうな表情でそのアーチボルトを見た。

『ウチのママ、メッチャ可愛いんだけど!』

 表情にも口にも一切出さず、魂の奥底でそう絶叫しつつ燃えて萌えるアーチボルト。

『不思議そうなキョトン顔とか振り返ってからの首コテンとか、どうしてウチのママはこんなに可愛いんだ!? 魔王妃アデライド様の時は格好良い美人だったけど、生まれ変わってからのキュート・アンド・ビューティも良き! もう最高で究極! そして最強で無敵で素敵! 嗚呼、これほど素晴らしい方に御仕えさせて頂ける幸栄だけで、わたくしは無限の時を生きられる! 語彙力が崩壊するが、いつも何度でも言おう。最高か!』

 ナディの前世である魔王妃アデライドの末子、アーチボルト・アシェリー・アドキンズ。彼は末っ子に良くあるマザコンだった。しかも、かなりのアブノーマル寄りな重症で。
 そんな異常性癖に、ちっちゃいことや細かいことは気にしないナディは気付かない。まぁ気付いても「末っ子だしそんなもんだよね」とか母親の余裕でサラッと流すだろうが。
 あと長子であるレオノールは、ちゃんと気付いている。何も言わないのは、仕えることに多幸感を得ていて実害がないから放置しているだけだ。

 そしてその気持ちも、良く判る。

 何故ならレオノールも、マザコンでシスコンだから!

 なんとも闇が深い元親子で姉妹である。

「え、そう? アーチーがしてくれるの?」

 元子供たちで現在の妹と執事な二人の偏愛――かも知れないが、ともかく、それに気付かない「自称」な常識人であるナディは、当たり前にそう訊いた。

「お世話をさせて頂いている身としては是と言いたいところではありますが、そもそも

 そんなアーチボルトの提案に、ナルホドと手を打つナディ。だが僅かに思案し、やはり首を傾げた。

「でもそうすると、せっかく買ったこの土地が更地になっちゃうわ。それは勿体ないわね。あと庭の薬草畑の管理の件もあるし……ああ、意外とやることあった」

 やることを指折り数え、意外とあったそれに頭を抱えるナディであった。

「お姉ちゃん。薬草畑は手伝ってくれてるイーナちゃんきょうだいに任せれば良い。イーナちゃんはお姉ちゃんの足元にも及ばないけど既に良い薬師。弟のウーノくんもお姉ちゃんには遠く及ばないけど良い戦士になりそう。それにエルナちゃんもお姉ちゃんには到底敵わないけど良い魔法使いソーサレスになるかも知れない」
「ああ、オットさん家の有能きょうだいね。それも良いなぁ」

 貧民街で生活していた頃のお隣さんで、レオノールの命の恩人であるオットとアガータ夫婦の子供たちを思い出し、成程とナディは頷いた。
 ちなみにその二人の子供たちが有能なのは、ナディが長女のイーナと長男のウーノに読み書きとか算術とか、その他にも生きるために有効な戦闘方法とか魔法とかが書かれた本を渡していたからだ。
 十巻からなるそれには、そのようなことが判り易く詳細に書かれており、正しく世の賢人たち垂涎の魔導書であった。

 つまりは、いわゆる【千剣姫の魔導書】の原本である。

「ふむ、そうですね。あとはオト少年とそのきょうだいに任せるのも良いかも知れません」
「えー……」

 続いてアーチボルトもそう提案するが、それに珍しくナディは難色を示す。宗教画っぽい例のアレを描いたのがソレであるため、関わりたくなくて極力避けているからだ。というかガチで避けていたりする。会ったらまた色々描かれちゃうし。

「良く考えればその選択肢はありませんね。それではオット様、アガータ様に説明して許可を頂き、薬草畑の管理と収穫を依頼致しましょう」

 それを素早く察知し色々と理解して、即座に手の平を返すアーチボルト。ナディが嫌がることは一切しない。甘やかし専門な家精霊である。まぁ、それでダメ人間になるナディではないが。そもそも気付いていないし。

「流通に関しては冒険者ギルドを通じて薬学院へ出荷すれば良いでしょう。商業ギルドからの横槍があるかも知れませんが、そもそも薬学院への流通は営利目的ではないので文句は言わせません」

 そして淡々と薬草畑に関するマニュアルを作成し始める。今日中にはそれが仕上がり、管理と流通の筋道が出来上がっているだろう。

 後の問題は、この家をどうするかである。アーチボルトの言うとおり早いが、そうするとせっかくの土地が更地で荒れ放題になってしまう。それに薬草畑だけがある更地では、色々な輩に狙われるだろう。家の有る無しで、そういったリスクがまるで変わってくるから。

 とはいえ、ホイホイセットの結界があるから実は全く問題ないのだが。

 述べていなかったが、ナディとレオノールの家は市民街の外れの手付かずな小さな樹林にある。そしてちょっと足を伸ばせば貧民街で、しかも以前住んでいた廃屋も近い。よってイーナやウーノの兄弟どころか両親のオットとアガータまでがちょくちょく遊びに来て、ちょっとした食事会をしていた。

 そうして暫く熟考し、そして出た結論は、

「あーそうか。家を置いておきたいならを創れば良いのか」

 常識外れのぶっ飛んだ発想だった。

「幸い純魔結晶は山ほどあるし。よし。ちょーっとレンテのトコ行って創ってくるから」
「即決即断即実行。それを全て兼ね備え自ら効果的に動く。さすおね」
「レオも一緒に行こう。じゃあアーチー、フロランスの持て成しと相手はお願いね。あ、部屋が余ってるから泊まって貰っても良いから」

 などとそのフロランスにとって残酷な提案をサラッとし、二人は即座にアイキャンフライして行ってしまった。

「はぁ、ちょっとスッキリしましたわ」
「お疲れ様です、フロランス嬢」

 そんな鉄砲玉な二人がぶっ飛んで行ったことに気付かないフロランスは、身体を動かすことで色々吹っ切らせ、汗だくで戻って行く。そしてドアの前に立ち、そのフロランスにタオルを渡して迎え入れるアーチボルトにちょっと気まずさを覚えながらも、誘導されるがまま屋内に入る。

「あら? 二人がいませんわね」

 そんな居心地の悪さを覚えながら、だが何事もなかったとばかりに会話をするフロランス。それでも気まずさからか、二人を探した。

「ナディ様とレオノール様は諸用があり出掛けられました」

 それに気付いたアーチボルトは、礼をしながら何事もなかったかのようにサラリと言う。

 その所作が、色々刺さるフロランス。相手が家精霊であると判ってはいるのに、この有様である。ワンチャン、アレはナディの冗談なのでは? そう考えたりもするが、注意して魔力がヒト種のそれとは違うと理解出来てしまう、やはり有能なフロランスであった。

 もっともその魔力の質がヒト種と違うのは、精霊だからだけではなく魔族だからなのだが、流石にそれには気付かない。

「あ、う、そう、ですの……。ではわたくしはこれで失礼いたしますわ――」
「御二方より、フロランス嬢を持て成すようにと仰せ使っております。どうぞ当家で御ゆるりと御寛ぎ下さい」
「え? あ、ででもわたくし――」
「湯浴みの用意も出来ておりますので、御案内致します。当家の浴槽は湯が冷めない特別製ですので、存分に御堪能下さい」
「え、えでもわたくし、その……」
「ナディ様より、フロランス嬢の御召し物も預かっております。侯爵家の邸宅には及びませんが、自宅だと思い御ゆるりと御寛ぎ下さい」
「う、あ、えと、ありが、とう……」

 案内されるがまま、浴室へと向かうフロランス。そして身を清め、意外と広い湯船に浸かり――

「やっぱり大好きですの……!」

 感情が溢れ出して悶々としてしまった。直感的に異性に好意を持って、そしてそのまま突っ込んでしまうのはファルギエール家の血筋かも知れない。他の兄弟三人も漏れなくそうだし。

 その後ちょっと一人で妄想して盛り上がっちゃって湯当たりし、上がらないのを不審に思って覗いてみたアーチボルトに救助されたのはご愛嬌。
 あと目覚めた時に傍に寄り添ってくれていて、程よく冷えたちょっと甘塩っぱい水を振る舞ってくれた。

「……惚れるなって方が無理ですわ!」

 そして感情の閾値がブっ千切れ、本人を目の前にしてぶっちゃけちゃうフロランスであった。

 その後、二人は夜通し何か色々話し合い、色々何かを決めたらしいが、それは二人だけでの情事――もとい、事情なので割愛する。

 関係ないが、【精霊化症候群スピリチュアル・シンドローム】に罹患し精霊化してしまったとしても、実は男女とも生殖能力はそのままだ。ただしつかいや子供が影響をモロに受けるが。

 まぁそんなこんなで。一週間ほどナディとレオノールが留守にしている間に、いつのまにか住人が姉妹から新婚さんになったと噂がちょっと立ったが、薬草畑で働く子供たちがいつも通りであったためかすぐに立ち消えた。

 そして一週間後。ナディとレオノールが、例によってアイキャンフライで帰って来た。しかもまだ世が明けていない未明に。

「たっだいまー」
「ただいまー」

 周りに民家がないのを良いことに、大音量で言いながら遠慮なく玄関ドアをドバーンと開けて帰宅する姉妹。就寝者には大変迷惑である。

「て、あれ? いつでも起きてるだろうアーチーがいないな」
「でも夜が明けていないのに二階の一部屋だけ薄明かりが点いていた。もしかしたら何かしていたかも」
「ほほう? 確かフロランスも泊まっていたわね。さては二人して酒でも飲んでたな――」
「お帰りなさいませ。ナディ様、レオノール様」

 そんな邪推をするナディの前に、ロングテールコート姿のアーチボルトがいつも通りに何事もなく現れる。

「ご無事で何よりです。湯浴みの用意は出来ておりますので、旅の疲れを癒しておいで下さい。それまでに朝食を用意致します」
「ああそう? じゃあそうするわ。レオも行こう」
「行こう。お風呂入ってからご飯」

 アーチボルトの提案に二人で賛同し、レオノールはそのまま浴室に行き、ナディは二階の自室に一度行く。

 そしてその途中、

「フロランス、深酒はダメよー」

 薄明かりが点いていた部屋を、やっぱりドバーンと開けた。

 すると――

「え? あ、ちょっと待って下さいまし――」

 乱れ髪で半裸のフロランスが、半身を起こしてシーツで体を隠しながら、ちょっと上気した表情で慌ててそう言った。
 その姿と、室内に籠っているちょっとしたアレな匂いで、いくら鈍いナディでも察してしまった。

 何事もなかったかのようにドアを閉めるナディ。その視線が、思春期の我が子が隠しているえっちなアレを見つけちゃった母親のような、なんともいえない生温いものであった。

「まぁ、アレよね」

 短く息を吐き、やれやれとばかりに肩を竦め、

ね。そのうち良い相手が見つかるわよきっと」

 ナディの中でフロランスが、ちょっとアレな人物であると理解されちゃった瞬間であった。そしてフロランスも、状況的に否定も肯定も出来なくてただ黙るしかなかった。

 そんなこんなで色々準備を終え、フロランスと共に王都へと出立したのは、それから更に一週間後であった。

 その間にフロランスの部屋の臭いがちょっと濃くなったような気がしたが、ナディは気付かないことにした。
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