白物語

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第二章 ナナシ

二、黄泉路

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 気がつくと、ナナシは見知らぬ場所に立っていました。
 どこかの村の入り口のようでした。周囲は薄暗く、家から漏れる灯りがぽつりぽつりと見えます。

 ふいに、背中が軽くなりました。振り向くと、ミタマが自分の足で立っています。
 ただ、いつものミタマとは違っていました。額を覆っていた黒い布はなく、目の色がカスミと同じ、金色に染まっています。

「ミタマ?」
「それは、俺の名前か?」

 目を瞬かせたミタマに、ナナシは眉をひそめました。

「そうだけど。覚えてないのか?」
「名前どころか、ここがどこだか、今まで俺が何してたのか、お前が誰かも分からん」

 ナナシは目を丸くしました。

「じゃあ。シャラのことも?」

 ミタマは首をかしげました。ナナシは渋面をつくります。
 しかし、すぐにかぶりを振りました。こんなところでのんびり話をしている場合ではないのです。

「俺はナナシ。ここへはお前の角を取り返しに来た」
「角を?」

 言って、ミタマはふと、ナナシが持ったままの刀を見下ろしました。明かりを反射して青白く光っています。

「ああ、これはお前のだ」

 ナナシはミタマに刀を返しました。
 ミタマはその刀をしげしげと眺めていましたが、ふと何かに気づいたように顔を上げました。
 つられてナナシも周囲を見回します。そして短く悲鳴をあげました。

 いつの間にか、周りを取り囲まれていました。
 囲んでいるのは人のようですが、その肉は腐っていたり土塊のようにボロボロだったり、一部がパクリと切り裂かれていたりと、とにかくおぞましい光景でした。

 ナナシたちを取り囲む腐った人たちは、ミタマに狙いを定めているようでした。

「あれがカスミの言っていた元白鬼か」
「あいつを捕まえれば、イザナミにとりなしてくれるって本当かねえ」

 何の話だろうと、恐々と耳を傾けるナナシのすぐそばから、ひとりの男が襲いかかってきました。

「ひぃっ!」

 身をすくめるナナシを庇うように、ミタマが前へ躍り出ます。そして男を刀の峰で殴り倒しました。ぐちゃりと嫌な音がナナシの耳に入ります。

「逃げるぞ! 怖いなら目を瞑ってろ!」

 言われるが早いか、ナナシはミタマの肩に担がれます。
 文句を言おうと口を開きますが、目の前にたくさんの腐敗した人たちが押し寄せてくるのが見えて、ナナシは口も目もぎゅっと塞ぎました。

 ミタマが駆け出しました。群がってくる人たちを蹴散らしているようで、くぐもった嗚咽や悲鳴、倒れるときのあの嫌な音が聞こえます。ナナシは耳も両手でふさいでしまいました。





 どのくらい時間が経ったのか、ナナシには分かりませんでした。随分長いこと運ばれていたように感じます。

「もう大丈夫だ」

 近くから聞こえた声に、ナナシは耳から手を離しました。
 目をあけると、そこは岩に囲まれていました。まるで洞窟の中のようです。なのに昼間のように明るく、岩肌までもがはっきりと見えます。
 周囲からはなんの物音も聞こえません。あの恐ろしい場所からは抜け出せたのだと、ナナシは胸をなで下ろしました。

 ミタマの方へと振り向き、そして目を丸くしました。

「ロクロ姉さん?」

 ミタマの隣には、浅葱色の着物を身にまとい、長くて黒い髪を下ろした女が立っていました。
 女ーーロクロはナナシと目が合うと、悲しげに微笑みました。

「え、な、なんでロクロ姉さんが、こんなとこに?」
「あの死者の群の中に、こいつが混ざっていた。こいつは俺が逃げるのを手伝ってくれたから、連れてきたんだ」

 ミタマの説明を聞いても、ナナシの頭の中はすっきりしません。

「死者の群れって……あいつらは、みんな死んでる人?」
「そうよ、ナナシ。ここは黄泉の国。死んだ人がまず訪れるところ。ナナシたちが最初にいたのは、現世に未練のある人たちが集まる、死者の集落」
「ま、待ってくれ。そんなとこにロクロ姉さんがいたってことは……」

 後の言葉は、ナナシには続けられませんでした。そんなナナシに、ロクロは再び笑いかけます。

「私も死んだのよ。コマダっていう男に騙されちゃった。最悪だわ」

 ロクロは首に左手を当てて、ため息をつきました。

「それより、だいたいの事情はこの鬼のなりそこないから聞いたわ。カスミなら、もうイザナミ様のところに行ってるはず。案内するわ」

 先頭に立って、ロクロは歩き始めました。その後ろを、ナナシはまだぼんやりとした足取りで歩きます。

「ナナシ、大丈夫か? しんどいなら俺が運ぶぞ?」

 気がつけば、非常に近い距離にミタマの顔があり、ナナシは思わず跳ねて後ろにさがりました。頬に熱が集中していきます。

「いい! いらん! また俵抱きする気だろ!」
「あれがいやなら、横抱きにするが。足と背中を、こう持ち上げて」

 ナナシは自分がそうやって、ミタマに横抱きにされるところを想像しました。途端に心臓がバクバクと高鳴り、ますます顔が熱くなります。

「歩ける!」

 ミタマから顔をそらすと、ナナシは大股でロクロを追いかけました。横に並ぼうとしたナナシを、ロクロがそっと目で制します。

「あんまり近づかない方がいいわ。特に私の左側は、ひどい状態だから」
「どういうことだ?」
「さっきの死者たち、ひどかったでしょう? 体は腐って崩れて、蛆がわいて。私もそういう状態なのよ。この明かりの下では、生前のようなきれいな体に見えているだけ」

 ナナシは思わず足を止めてしまいました。振り向いたロクロの悲しそうな顔を見て、自分を殴りたくなります。

「ごめん」
「仕方がないわ。それが普通の反応よ」

 それきり会話もなく、ナナシたちは歩き続けました。

 道の横に、いくつかの鉄格子のようなものがはめ込まれた穴が空いているのを、ナナシは見つけました。
 その中には、丸く光るものがフワフワ浮いています。赤だったり青だったりと、様々な色でした。

「ああ、それはね、白鬼やイザナミ様に悪さをした人の魂よ」

 ナナシと一緒にそれを見ていたミタマが、ふと、ふらりと吸い寄せられるようにそちらへ向かいます。
 ミタマが立ち止まったのは、銀色に輝く魂の前でした。

「その魂はなんだったかしら……そうそう、生前に、とある白鬼を刀の材料にしたんだって」
「刀の材料に?」
「うん。ここに来たばっかりの時に、『折れず欠けず錆びない美しい刀が完成した!』って、嬉しそうにイザナミ様に自慢したんだって。それでイザナミ様の怒りを買って、永久にここに閉じ込められることになってるらしいわよ」

 銀色の魂はナナシたちの話に反応したのか、動きを大きくしました。そんな魂を、ミタマは興味深そうに眺めています
 魂は鉄格子に自らをぐりぐりと押し付け始めました。何がしたいのか分からず、ナナシは戸惑います。ミタマも目をぱちくりさせていました。

「い、行こうぜミタマ」

 なんとなく気味が悪く感じたナナシは、まだ眺めていたそうにしているミタマの腕を引っ張って、先へと進みました。
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