白物語

月並

文字の大きさ
上 下
16 / 19
第二章 ナナシ

一、別れ

しおりを挟む
「ふふ、フフフフフ! アハハハハハハ! ようやく、ようやくやり遂げた! これでお母様の元に帰れる! 白鬼びゃっきに戻れる!」

 大きく笑いながら、肩で揃えた短い髪を振り乱した鬼のような女は、食いちぎったミタマの角を持って、坂を駆け上って行きます。
 その姿が、ふいに消えました。紅葉がひとひら、はらりと地面に落ちていきました。
 同じ地面には、ミタマとシャラが倒れています。シャラの周囲は、彼女が流した血に染まっていました。

 それを、ナナシはしばし、呆然と見ている事しかできませんでした。



 木々は赤や橙、黄の衣を纏っています。風が吹くと、その一部がはらはらと落ちていきました。
 ナナシの村では、すでに稲の刈り入れが終わっていました。何もない田の上では、子どもたちがきゃあきゃあと歓声をあげて走り回っています。足や手、顔にまで泥がついていました。

 そんな子どもたちを、ナナシは大きな一本の木の下で眺めていました。その木はもうすでに葉を落としており、でこぼこした幹がむき出しになっています。
 ナナシはいちばん近くの山を見上げました。シャラとミタマが暮らしている山です。

「わ、私、伝えてみようかしら、私の気持ち」

 そう言って目をきらきらと輝かせたシャラを思い出し、ナナシは小さく笑みを浮かべました。同時に、胸に針を刺したような痛みを覚えます。
 空はどんよりと曇っていました。ナナシは口をへの字に曲げ、山をじっとにらみつけます。
 おもむろに、ナナシは歩き出しました。

「ナナシ、どこに行くんだい」

 ナナシの父親が声を掛けました。

「シャラとミタマのとこ」
「ああ、便利屋さんのところね。気をつけて行くんだよ」
「はーい」

 素直に返事をして、ナナシは歩きます。


 落ち葉を踏みしめる音が、あたりいっぱいに広がります。
 神社へ続く石段を登るナナシに、時折冷たい風がぴゅうと吹き付けました。空気のにおいは、もう冬になっています。

 最後の一段を踏みしめると、額ににじんだ汗を拭いました。目の前には、真新しい神社が建っています。
 ナナシは、その横にある小屋へ向かいました。シャラとミタマの家です。

「シャラー、ミタマー」

 ナナシは小屋の戸を開けました。中は薄暗く、しんと静まりかえっています。

「どこ行ったんだ?」

 ナナシは眉をひそめました。
 戸をゆっくりと閉めた後、ナナシは元来た道に戻りました。2人の名前を呼びながら、ゆっくりと坂を下っていきます。

 不意にナナシは足を止めました。木々や草むらに紛れたその遠くから、金属同士のぶつかる音が聞こえてきたのです。
 初めて聞く音に戸惑いながら、ナナシは近づいてみました。

 そこでは、ミタマと見知らぬ女が戦っていました。女は肩ほどの白髪に、金色の目をしています。着物はミタマと同じで真っ白でした。
 戦況はミタマが優勢でした。女を圧すミタマの姿を見て、ナナシは息を飲みました。頭にいつもつけていた黒い布が外れて、額から1本の白い角が生えていたからです。
 彼の持つ刀も、その角と同じく真っ白でした。それは刀のことをよく知らないナナシが見ても美しいと思える逸品で、あんなものが作れる人がいるのかと感心するほどでした。

 そんな刀を軽々と振り回す姿に見惚れていると、シャラと目が合いました。シャラは目を大きく見開きます。

「ナナシっ……」

 声を出してから、しまったとでも言うようにシャラは口を抑えました。
 ミタマに圧されていた女の、金の目がナナシを捉えました。その視線に、ナナシは竦んでしまいました。
 女は踵を素早く返して、こちらへと地面を蹴りました。

「ミタマ! ナナシを!」

 シャラがそう言うのと同時に、ミタマは動いていました。女の襟首を掴み、自分の方に引き寄せます。
 引き寄せられた女は、再び体を半回転させると、ミタマの角に食らいつきました。
 抵抗しようとするミタマでしたが、激しい痛みに襲われ、うまく体が動かせないようです。

「ミタマ!」

 シャラが飛び出し、女の着物を引っ張ります。が、女は離れません。
 バキリと嫌な音が、辺りに響きました。
 角を食いちぎられたミタマは、その場に倒れてしまいました。意識がないのか、ぴくりとも動きません。

「ミタマ! ミタマ!!」

 駆け寄ろうとしたシャラでしたが、その胸を、ズブリと短刀が貫きました。
 短刀はすぐに抜かれ、そこから大量の血が溢れます。
 シャラもミタマと同じように、地面に突っ伏してしまいました。

「ふふ、フフフフフ! アハハハハハハ! ようやく、ようやくやり遂げた! これでお母様の元に帰れる! 白鬼に戻れる!」

 大きく笑いながら、女は食いちぎったミタマの角を持って、坂を駆け上って行きます。
 その姿が、ふいに消えました。紅葉がひとひら、はらりと地面に落ちていきました。
 それを、ナナシは呆然と見ている事しかできませんでした。が、シャラが身じろぎしたのに気付くと、弾かれたようにシャラへ駆け寄ります。

「ナナシ」

 目が合うと、シャラがナナシの着物を強く握りました。息も絶え絶えな彼女のどこにそんな力が残っているのかと、ナナシが戸惑うぐらいの強さです。

「ミタマの、角を、戻してあげて。お願い、ナナシ」

 ぼろぼろと溢れるシャラの涙を見ていると、ナナシも泣き出してしまいそうでした。

「ミタマは鬼なの。白い髪に紫の目、額に1本の白い角を持つ鬼。でも角を、あの女、カスミに取られてしまった。カスミはミタマの角を、自分の角にする気だわ。取り返して、ミタマに返してあげてほしいの」

 しゃべるうちに、シャラの顔からどんどん血の気がなくなっていきます。

「シャラ、もう喋るな! 人を呼んでくるから……」
「いいえ、私はもう、死ぬ。死ぬ私にはできない、から、ナナシ。ミタマを連れて、坂を駆け上って。カスミがやってたみたいに。そうしたら、カスミを追いかけられるから」

 必死の形相で頼み込むシャラを前に、ナナシはただただ、頷くことしかできませんでした。
 ナナシの首肯を見て、シャラの頬が緩みました。

「頼んだわよ」

 そう言うと気が抜けたのか、シャラは静かに目を閉じました。上体がぐらりと傾いたのを、ナナシは受け止めます。

「シャラ? シャラ!」

 何度呼んでも揺すっても、シャラは起きませんでした。
 ボロボロと、ナナシの目から大粒の涙がこぼれていきます。

 しばらく泣くに任せていたナナシでしたが、強く目をこすり涙を落とすと、立ち上がりました。
 ミタマを背中に乗せます。その時、彼の手から落ちた刀を拾い直しました。
 そして落ち葉を踏みしめながら、斜面を一目散に駆け上がります。

「俺をカスミのところに行かせろ!!」

 ぐらりと視界が揺れたように、ナナシは感じました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路

和紗かをる
歴史・時代
時は平安時代末期。父木曽義仲の命にて鎌倉に下った清水冠者義高十一歳は、そこで運命の人に出会う。その人は齢六歳の幼女であり、鎌倉殿と呼ばれ始めた源頼朝の長女、大姫だった。義高は人質と言う立場でありながらこの大姫を愛し、大姫もまた義高を愛する。幼いながらも睦まじく暮らしていた二人だったが、都で父木曽義仲が敗死、息子である義高も命を狙われてしまう。大姫とその母である北条政子の協力の元鎌倉を脱出する義高。史実ではここで追手に討ち取られる義高であったが・・・。義高と大姫が源平争乱時代に何をもたらすのか?歴史改変戦記です

水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。 ⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。 ⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。 ⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/ 備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。 →本編は完結、関連の話題を適宜更新。

拾われ子だって、姫なのです!

田古みゆう
歴史・時代
南蛮人、南蛮人って。わたくしはれっきとした倭人よ! お江戸の町で与力をしている井上正道と、部下の高山小十郎は、二人の赤子をそれぞれ引き取り、千代と太郎と名付け育てることに。 月日は流れ、二人の赤子はすくすくと成長した。見目麗しい姿と珍しい青眼を持つため、周囲からは奇異の眼で見られる。こそこそと噂をされるたび、千代は自分は一体何者なのだろうかと、自身の出自について悩んでいた。唯一同じ青眼を持つ太郎と悩みを分かち合おうにも、何かを知っていそうな太郎はあまり多くを語らない。それがまた千代を悶々とさせていた。 そんな千代を周囲の者は遠巻きに見ながらも、その麗しさに心奪われる者は多く、やがて年頃の千代にも縁談話が持ち上がる。 しかし、当の千代はそんなことには興味がなく。寄ってくる男を、口八丁手八丁で退けてばかり。 果たして勝気な姫様の心を射止める者が、このお江戸にいるのかっ!? 痛快求婚譚、これよりはじまりはじまり〜♪

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

シンセン

春羅
歴史・時代
 新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。    戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。    しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。    まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。 「このカラダ……もらってもいいですか……?」    葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。    いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。    武士とはなにか。    生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。 「……約束が、違うじゃないですか」     新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。

よあけまえのキミへ

三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。 落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。 広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。 京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...