白物語

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第一章 シャラ

九、嵐の夜

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 シャラはひんやりと冷えた床に寝転がっていました。少しだけ空いた扉から、外の景色が見えます。視界に入る木々は、赤や黄色に装いを変え始めていました。

 鳥居をくぐって、ひとりの女が現れました。青い傘を差しています。
 彼女の髪は、シャラやミタマと同じく真っ白で、それを短く切りそろえています。肌は抜けるような白さで、赤い目が際立ちます。
 女は一生懸命に、シャラに向かって拝んでいました。
 いや違う、とシャラは思い直しました。ここは神社で、シャラが寝起きしているこの建物は、神様が住んでいるはずのものだと、ミタマに教えてもらいました。女は神様に拝んでいるのです。

「ミタマ、またあの子、来てる」

 シャラは部屋の隅に向かってそう話しかけました。ミタマはおもむろに身を起こし、扉の隙間からそっとその様子を眺めます。


 シャラがその女を最初に見たのは、蝉が鳴きはじめた頃でした。
 最初は風景の一部としてぼうっと眺めていたシャラですが、その子が毎日やってくることに気が付き、以来ずっと気にかけています。


「あの子、何しに来てるんだろう」
「そりゃ願掛けだろう。ここ神社だし」

 女は背中を向けて、鳥居をくぐって帰っていきました。

「毎日よ。飽きないものなのね」

 シャラは呆れたようにため息をつきました。
 冷たい風が、扉の隙間から吹き込みました。思わず身体を縮こまらせると、扉がぱたんと閉じました。





 その日は嵐でした。風が喧しくうなり、大粒の雨が大地にあるすべてのものを激しく叩いています。
 寝転がるシャラの頬を、天井から降ってきた雫がぴしゃりと叩きました。

「この雨漏り、どうにかならないの!?」

 サラは濡れた頬を膨らませました。ミタマは肩をすくめます。

「扉開けるから奥に行け。濡れるぞ」
「開けるって、何する気よ」
「屋根の補強」
「今から?」

 シャラは眉をしかめました。

「濡れるの、嫌なんだろ」
「嫌だけど……」

 シャラはもやもやとしていました。濡れるのは嫌ですが、ミタマがこんな風の強い外へ出ていくのも嫌でした。どっちも嫌なので、どうしたらいいのか分かりません。
 答えあぐねていると、ミタマはさっさと扉を開けてしまいました。激しい風と雨の音が一気に中へなだれ込んできました。
 外へと踏み出したミタマの足は、すぐに止まりました。

「どうしたのよ! 出るんならさっさと出て、閉めてよ!」

 嵐の音が強すぎて、大声を出さなければ自分の声すら聞こえません。
 ミタマは足元の箱を飛び越えてしゃがみました。それからなにかを担いで中へ戻り、ぴしゃりと扉を閉めます。嵐の音が遠ざかりました。
 ミタマが抱えているのは、毎日神社へ来ていた女でした。髪の先や着物から、ぼたぼたと水が零れ落ちています。

「その子、今日も来てたの?」

 ミタマは女をゆっくり下ろしました。着物を絞ると、水がたくさん流れ落ちました。
 サラは奥の戸棚から、朝顔の着物を取り出しました。コマダの店から逃げる時、握りしめたままだったのです。衿の血はミタマに落とさせましたが、着る気になれず、ずっとそのままにしていました。

「これに着替えさせなさいよ。いや待って、私が着替えさせるから、こっち見ないでよね」

 奥に押しやると、ミタマは壁とにらめっこを始めます。
 その間に、シャラは女の濡れた着物をはぎ取り、乾いた布で拭ってから自分の着物を着せました。
 天井からぽとりと雫が落ちてきます。
 水滴が当たらないところに女を横たわらせて、じっと様子を見守っていました。

 シャラが女を眺めることに退屈してきた頃、女が目を覚ましました。ふたりを見て目を丸くします。

「えっと……ここは……あの世?」
「どうしてそうなるのよ!」

 シャラは目を三角にしました。

「神様の使いじゃないの?」
「違うわ」
「でも、髪が白いし」
「あなただってそうじゃない」

 そっかぁと女は納得したように呟きました。

「じゃあ俺、生きてるの?」
「当たり前じゃない。ここ、あなたが倒れてた神社の中」
「助けてくれたの?」
「そう、なるのかしら」

 シャラは戸惑いながらもうなずきました。

「ありがとう!」

 女は満面の笑みを浮かべました。その笑顔はきらきらと輝いて見えて、シャラの心がむずむずします。

「あなた名前は?」
「俺はナナシ。ふもとの村で暮らしてる」
「ナナシ、あなた、毎日ここに来てたでしょ」

 ナナシはぎくりと体を強張らせました。

「ここから見てたのよ。いったい何をお願いしてるわけ?」

 ナナシは困ったように眉を下げました。着物の裾をぎゅっと握りしめます。

「春に起きた火事に、商売に出てた親父が巻き込まれたんだ。倒れてきた梁に脚をやられて、動けなくなっちゃって。代わりに稼ぐって出ていった姉さんも、夏頃から音沙汰なくなっちまった。だから俺が稼がないとだけど、俺は天気の日に外にいると火傷しちゃうから、鍛えるついでにこの体を治してほしいってお願いしに来てたんだ」

 しゃべり終わった後、ナナシは周囲をキョロキョロ見回します。

「今何時なんどきだ? 俺、帰らないと。夕飯の支度もあるし……」

 そう言って立ち上がろうとするナナシを、ミタマが止めました。

「嵐が止むまで待った方が利口だ。死ねば元も子もない」

 ナナシは目に焦りの色を浮かべていましたが、その場に腰を落としました。
 嵐はまだ、神殿を激しく叩いています。ナナシは疲れが残っていたのか、再び眠っていました。
 その寝顔を見下ろしながら、シャラは眉間に皺を寄せました。

「ねえミタマ、ナナシの体を治してやれない?」
「無理だな。外傷なら治せるが、生まれつきの体質は無理だ」
「外傷は治せるの? じゃあナナシのお父さんは治せる?」
「程度にもよる。それは命令か?」

 シャラはうなずきました。ミタマは「わかった」と、小さく言いました。
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