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第一章 シャラ
八、逃走
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シャラは思わず、勢いよく振り向きました。
目の前に、コマダがいます。いつもときめきを覚えていた笑顔が、今は不安しか呼びません。
朝顔の着物を、シャラは抱き寄せました。
「これは何」
「蒐集品だよ。これを見ていると、美しかったみんなのことを思い出せるから」
うっとりとした表情で、コマダは一番上にある赤い着物を引っ張り出して、愛おしそうに撫でます。シャラは心臓をバクバクさせながら、その光景から目が離せませんでした。
「その着物は、昨日の心中死体のものよね」
「ああ」
「この、朝顔の着物も、心中死体から剥ぎ取ったの?」
「ああ、ロクロ。彼女もきれいだった。僕を命がけで愛してくれた。女郎なんぞと結婚させないと父が反対するんだと、だから死んで来世で結ばれようと頼んだら、すぐに了承してくれたよ。彼女の首から流れる血も、その肌も、なにもかもがあの瞬間、最高にきれいだった!」
死ぬなら、せめて結婚してからじゃないと。そうはにかみながら言うロクロの顔が、脳裏によぎります。
彼女の着物を、シャラは強く握りしめました。
コマダはシャラの前に座ると、その頬に触れます。ざらりとした感触に、シャラはぶるりと身を震わせました。
葬り去ったと思っていた、“白鬼”の頃の記憶がよみがえりました。今感じた嫌悪は、あの頃に感じていたそれと全く同じでした。
「触らないで!」
シャラはコマダの体を押して、距離を取りました。が、すぐ後ろは壁です。あっという間に、コマダに追い詰められてしまいました。
「シャラは僕が好きなんだよね? 僕がやったことを全部受け入れて、全部を秘密にするために、死んでくれるんだよね?」
「は、はあ?」
「大丈夫、美しくなった君を、僕は愛してあげるからね」
コマダは懐から小刀を取り出し鞘を抜くと、シャラの手に握らせました。その切っ先を、彼女の喉元に向けます。
シャラは必死で手を振りほどこうともがきました。が、びくともしません。
切っ先がシャラの皮膚をかすめたらしく、チクリとした痛みを感じました。
「ミタマ!」
死を目の前にして、シャラの口から飛び出したのは、彼女の僕の名前でした。
「ミタマ! 助けて! お願い! 私はまだ、人生に満足してないわ!」
シャラが叫んだ次の瞬間でした。
コマダの姿が、シャラの目の前から消えました。かと思えば、大きな音が響きます。
ゆっくりと音の方を見ると、壁に打ちつけられたコマダが、苦しそうにむせています。
そんな彼を、冷たく見下ろしているのはミタマでした。
「ああ、いい色になったな。それを喰えば、俺の魂も黒くなるかもしれない」
笑みを浮かべるミタマが、シャラには今にも泣き出しそうに見えました。
ミタマは抜刀すると、その真っ白な刀をコマダに突き立てました。一瞬体をくの字に曲げたコマダは、刀が抜けた瞬間にガクリと力なく床に倒れました。
もう事切れているようでした。畳に、血が広がっていきます。
刀の先から何かを抜き取る仕草をした後、シャラには見えない何かを、ミタマはパクリと食べてしまいました。
それを飲み込んだ後、ミタマはゆっくりとサラに近づいて来ました。
手が差し伸べられます。シャラは無我夢中で、ミタマに飛びつきました。
「ミタマ! ミタマ!」
何度も呼んでいるうちに、シャラは目から大粒の涙を零し始めました。腕の中にいるミタマを、強く抱き締めます。
その背中を、ミタマは優しく撫でていました。
「泣いてるとこすまないが、逃げるぞ。人が来てる」
ミタマはシャラを抱え直すと、窓を蹴破って外に出ました。
びっくりする道を歩く人々に構わず、ミタマは地面を思い切り蹴って走り出しました。
シャラは、彼の体にしっかりとしがみついていました。
▽
ざわめく木々の音とあちこちから聞こえる鳥の囀りで、シャラは目を覚ましました。
周囲を見回します。薄暗いその部屋は、住処にしていた長屋の一室と同じぐらいの狭さでした。今いるところのほうが、よりおんぼろです。
扉を押しあけると、日の光がサシャラを包みました。思わず目を瞑ります。
しばらくしてから、その目を恐る恐る開くと、目の前にぼろぼろになった紐がぶら下がっていました。屋根からつるされているようです。上には鈴がくっついています。
足元を見れば箱が置いてありました。それもまたぼろぼろです。中に少しお金が入っているのが見えます。
シャラは周囲を見回しました。ミタマの姿が見当たりません。
ミタマがいないと分かった途端、泣き出したい衝動に襲われました。腕にはまだ、しっかりとしがみついた時のミタマの体温が残っています。
その温もりを求めるように、シャラはふらつく足取りで外に出ました。
「起きたのか」
ミタマは外にいました。
「ミタマ! なんで私のそばにいないのよ!」
シャラは急いでミタマに駆け寄りました。途中で躓き、転びそうになりましたが、ミタマが抱きとめてくれます。
ミタマの腕の中に入って、シャラはやっと周囲を落ち着いて眺めることができました。
ミタマの後ろには、今にも崩れそうな小さな鳥居が突っ立っています。振り返れば、シャラが出てきた建物は、鳥居と同じようにぼろぼろで、今にも崩れるのではないかと心配になるほどでした。
「ミタマ、ここどこ」
「望み通りの京だ」
京と聞いても、胸が躍りませんでした。
風がふたりを優しく撫でていきます。足元の草がさわさわと揺れました。
「しばらく、何もしたくない」
ミタマは黙って頷きました。
▽
それから数日の間、シャラは本当に何もしませんでした。朝と夜にミタマが作る食事を食べて、寝る。それだけを繰り返していました。
ミタマは何も言わず、シャラに寄り添っていました。
目の前に、コマダがいます。いつもときめきを覚えていた笑顔が、今は不安しか呼びません。
朝顔の着物を、シャラは抱き寄せました。
「これは何」
「蒐集品だよ。これを見ていると、美しかったみんなのことを思い出せるから」
うっとりとした表情で、コマダは一番上にある赤い着物を引っ張り出して、愛おしそうに撫でます。シャラは心臓をバクバクさせながら、その光景から目が離せませんでした。
「その着物は、昨日の心中死体のものよね」
「ああ」
「この、朝顔の着物も、心中死体から剥ぎ取ったの?」
「ああ、ロクロ。彼女もきれいだった。僕を命がけで愛してくれた。女郎なんぞと結婚させないと父が反対するんだと、だから死んで来世で結ばれようと頼んだら、すぐに了承してくれたよ。彼女の首から流れる血も、その肌も、なにもかもがあの瞬間、最高にきれいだった!」
死ぬなら、せめて結婚してからじゃないと。そうはにかみながら言うロクロの顔が、脳裏によぎります。
彼女の着物を、シャラは強く握りしめました。
コマダはシャラの前に座ると、その頬に触れます。ざらりとした感触に、シャラはぶるりと身を震わせました。
葬り去ったと思っていた、“白鬼”の頃の記憶がよみがえりました。今感じた嫌悪は、あの頃に感じていたそれと全く同じでした。
「触らないで!」
シャラはコマダの体を押して、距離を取りました。が、すぐ後ろは壁です。あっという間に、コマダに追い詰められてしまいました。
「シャラは僕が好きなんだよね? 僕がやったことを全部受け入れて、全部を秘密にするために、死んでくれるんだよね?」
「は、はあ?」
「大丈夫、美しくなった君を、僕は愛してあげるからね」
コマダは懐から小刀を取り出し鞘を抜くと、シャラの手に握らせました。その切っ先を、彼女の喉元に向けます。
シャラは必死で手を振りほどこうともがきました。が、びくともしません。
切っ先がシャラの皮膚をかすめたらしく、チクリとした痛みを感じました。
「ミタマ!」
死を目の前にして、シャラの口から飛び出したのは、彼女の僕の名前でした。
「ミタマ! 助けて! お願い! 私はまだ、人生に満足してないわ!」
シャラが叫んだ次の瞬間でした。
コマダの姿が、シャラの目の前から消えました。かと思えば、大きな音が響きます。
ゆっくりと音の方を見ると、壁に打ちつけられたコマダが、苦しそうにむせています。
そんな彼を、冷たく見下ろしているのはミタマでした。
「ああ、いい色になったな。それを喰えば、俺の魂も黒くなるかもしれない」
笑みを浮かべるミタマが、シャラには今にも泣き出しそうに見えました。
ミタマは抜刀すると、その真っ白な刀をコマダに突き立てました。一瞬体をくの字に曲げたコマダは、刀が抜けた瞬間にガクリと力なく床に倒れました。
もう事切れているようでした。畳に、血が広がっていきます。
刀の先から何かを抜き取る仕草をした後、シャラには見えない何かを、ミタマはパクリと食べてしまいました。
それを飲み込んだ後、ミタマはゆっくりとサラに近づいて来ました。
手が差し伸べられます。シャラは無我夢中で、ミタマに飛びつきました。
「ミタマ! ミタマ!」
何度も呼んでいるうちに、シャラは目から大粒の涙を零し始めました。腕の中にいるミタマを、強く抱き締めます。
その背中を、ミタマは優しく撫でていました。
「泣いてるとこすまないが、逃げるぞ。人が来てる」
ミタマはシャラを抱え直すと、窓を蹴破って外に出ました。
びっくりする道を歩く人々に構わず、ミタマは地面を思い切り蹴って走り出しました。
シャラは、彼の体にしっかりとしがみついていました。
▽
ざわめく木々の音とあちこちから聞こえる鳥の囀りで、シャラは目を覚ましました。
周囲を見回します。薄暗いその部屋は、住処にしていた長屋の一室と同じぐらいの狭さでした。今いるところのほうが、よりおんぼろです。
扉を押しあけると、日の光がサシャラを包みました。思わず目を瞑ります。
しばらくしてから、その目を恐る恐る開くと、目の前にぼろぼろになった紐がぶら下がっていました。屋根からつるされているようです。上には鈴がくっついています。
足元を見れば箱が置いてありました。それもまたぼろぼろです。中に少しお金が入っているのが見えます。
シャラは周囲を見回しました。ミタマの姿が見当たりません。
ミタマがいないと分かった途端、泣き出したい衝動に襲われました。腕にはまだ、しっかりとしがみついた時のミタマの体温が残っています。
その温もりを求めるように、シャラはふらつく足取りで外に出ました。
「起きたのか」
ミタマは外にいました。
「ミタマ! なんで私のそばにいないのよ!」
シャラは急いでミタマに駆け寄りました。途中で躓き、転びそうになりましたが、ミタマが抱きとめてくれます。
ミタマの腕の中に入って、シャラはやっと周囲を落ち着いて眺めることができました。
ミタマの後ろには、今にも崩れそうな小さな鳥居が突っ立っています。振り返れば、シャラが出てきた建物は、鳥居と同じようにぼろぼろで、今にも崩れるのではないかと心配になるほどでした。
「ミタマ、ここどこ」
「望み通りの京だ」
京と聞いても、胸が躍りませんでした。
風がふたりを優しく撫でていきます。足元の草がさわさわと揺れました。
「しばらく、何もしたくない」
ミタマは黙って頷きました。
▽
それから数日の間、シャラは本当に何もしませんでした。朝と夜にミタマが作る食事を食べて、寝る。それだけを繰り返していました。
ミタマは何も言わず、シャラに寄り添っていました。
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