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2巻

2-3

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「あ」

 どうにも今日は、いろんなことをよく思い出す日だ。
 王宮にラムダ帝国の使者が来ていた日、確かにこの女性を見かけた。視線を感じて振り返ったらそこにいて、変わった衣服だなと思った記憶がある。この肖像画の衣服と同じだ。
 どうりでこの民族衣装に見覚えがあるわけだ。
 もしあのときの女性がこの人なら、何故皇帝が王国に来ていたのだろう。ルシアや馬鹿王からは特にそんなことは聞いていなかったから、おしのびだったのだろうか。
 肖像画はその女性、『セリーヌ・ラムダ』と書かれたもので終わっている。どうやらこの人がいなくなった現皇帝らしい。
 そういえば、使者が来ていたのはちょうど一週間前だったような。

「聖女様」

 いつの間にいたのか、後ろから声をかけられる。

「ウィンスさん」
「こちらの肖像画に興味がおありで?」
「そんなところです」

 ウィンスさんは俺の横に立ち、現皇帝『セリーヌ・ラムダ』の肖像画を見つめた。
 その横顔は、どこかさみしそうに見える。

「聖女様、私に何か聞きたいことがあるとか……ここではなんですし、少し移動しましょう」

 ウィンスさんは笑顔でそう言って、歩き出した。
 一番最初に通された応接室に着くと使用人に何やら声をかけ、扉が閉められる。
 先ほどとは違い、紅茶は出されなかった。

「ルジムから聞きました。聖女様は今帝国に起こっていることと、『災厄の日』には関係があるのではとお考えになられていると」

 ルジムとはあのゆで卵のことなのだろう。
 ただの勘だから、そんな風に大げさに言われると自信がなくなってくる。

「結論から申しますと、おっしゃるとおりこれは『災厄の日』の前兆ぜんちょうです。確証はないのですが、ただいま調べを進めておりまして、おそらくそうだと思われます」

 ウィンスさんは俺の目をしっかりと見てそう告げた。
 俺の予感は的中したらしい。
 魔力がこんな風になるなんてそうそうないことだ。それが立て続けに、しかもちょうど『災厄の日』が来ると言われている今やってくるなんて。
 これで言い伝えの信憑性しんぴょうせいがぐんと高まった。
 来るならせめて、俺が天寿てんじゅまっとうしたあとにしてほしかったよ、『災厄の日』……

「聖女様はこの異常な魔力の状態を、正確に感知なされたとお聞きしました。我々には魔力が異常な状態であることしかわからなかったというのに、『魔力が増幅し、濃度がめちゃくちゃになっている』と正確に言い当てられたとか! 流石聖女様でいらっしゃいます!」

 こんなときだというのに、ウィンスさんはまた俺のことを『聖女様』と持ち上げ始めた。
 国がこんな状態だというのに、相変わらず『聖女様』のことばかりなウィンスさんに腹が立つ。
 それで、結論はどうなんだ。
 これが『災厄の日』の前触まえぶれであること、それで終わりなのか。何か対応したり、俺が協力できることはないのか。
 もしこれといった対処法がないのならば、俺にできることはポーション作りしかない。これ以上ウィンスさんの邪魔をするのも気が引けるし、さっさと退室してしまおう。

「……今そんなことはどうでもいいでしょ。聖女云々よりも、この異常事態を解決する方法を考えるのが先じゃないですか?」

 苛立ちが声に表れたのが自分でもわかった。
 それでもウィンスさんは嫌な顔一つせず話を続ける。
 もうこうしてはいられない。俺は俺でできることを探す。
 そう思い席を立とうとすると、ウィンスさんが突然頭を下げた。驚いて、一歩踏み出していた足を引っ込める。

「聖女様、どうか我が国を救ってくださいませんでしょうか」

 深々と頭を下げたまま、ウィンスさんはそう言った。椅子に座っているにもかかわらず、土下座しそうな勢いである。
 長い髪が地面につきそうで心配になる。
 その声はさっきまでとは違い、必死さがにじみ出ているような、ワントーン低い少しかすれた声だった。
 なるほど、そう来たか。今起きている魔力異常が『災厄の日』と関係あるのなら、過去に『災厄の日』を救った聖女に助けを求めるのは当たり前だ。ていうか俺はそのために帝国に来させられたわけだし……
 しかし俺はウィンスさんたちが思っている聖女じゃないのだ。そんなにあてにされたら困る。
 本当にポーション作りくらいでしか力になれないのだ。
 ウィンスさんはさらに続ける。

不躾ぶしつけなお願いとは存じております。でも私は、どうしようもなくこの国が大切なのです。どうか、どうか……」

「この国を、帝国を、お救いください」とウィンスさんはうわ言のように繰り返した。
 できることなら俺もそうしたい。
 でも俺はウィンスさんの思っている『聖女様』ではないのだ。
 今は魔法すら使えない無力で無価値な存在なんだ。

「とりあえず頭を上げてください」

 ウィンスさんが顔を上げる様子をジッと見ていたせいで、目が合った。
 ウィンスさんは希望にあふれた目で俺を見る。心が苦しくなる。俺は聖女ではないから、この国を救うことなんてできないのだ。

「ごめんなさい、ウィンスさん」

 俺は小さな声でそれだけ言って、部屋を飛び出した。
 ウィンスさんにこの一言が聞こえていたのか、俺は知らない。






   2


 ウィンスさんは、俺を追いかけてはこなかった。
 混乱しているのか、はたまたショックを受けているのか。
 それとも俺に失望して、仕事に戻ったのかもしれない。
 そんなことを考えながら、与えられた部屋に戻り、窓から身を乗り出した。ウォンは言ったとおりおとなしく待っていてくれたらしい。

「ウォン、戻ったぞ」
『随分と早かったな』
「ああ……ちょっとね」

 ウォンは不可解そうな顔をしていたが、一から説明しようとは思えなかった。
 これからどうしようか。ちょうどウォンもいることだし、当初の予定どおり逃げ出すのもいいかもしれない。集中力はいるらしいが、背中に乗せて飛んでもらうぐらいならできるだろう。

「聖女様! お待ちください!」

 けっぱなしだった扉から、ほとんど叫ぶようなウィンスさんの声が聞こえた。反射的に振り向いてしまい、後悔する。
 誰なのかは最初からわかりきっていたというのに。今更追いかけてきたのか。
 無視して窓の外を見ると、そこにいるはずのドラゴンは姿を消していた。
 さらに身を乗り出して空を見上げる。はるか上空につばさをはためかせるウォンがいた。

「おい! どこ行くんだ!」

 その呼びかけもむなしく、ウォンの姿はどんどん小さくなり、ついには見えなくなってしまった。
 意味のわからない行動に、開いた口がふさがらない。文字どおりポカンと口を開けたまま、俺は窓辺に立ち尽くしていた。
 後ろから足音が近付いてくる。

「聖女様」

 やめてくれ、もうその言葉を聞くのは嫌だ。俺は聖女なんかじゃないんだ。
 俺は返事をしなかった。

「この国を、見捨てるんですか」

 聞かないよう意識をらそうとしても、震えた悲痛な声は嫌でも耳に入ってくる。

「……どうして答えてくださらないんですか」

 被害者づらをされているように感じ、無性むしょうに腹が立つ。何かがプツンと切れたような気がした。
 どうして俺がそんなことを言われなくちゃいけないんだ。急に攻め込んできて、俺を引き渡せと一方的に言ったのは帝国のほうじゃないか。悪いのはそっちだ。
 口にこそ出さなかったが、俺はウィンスさんから顔をそむけたまま、心の中でそうき捨てた。
 せっかく平和だったのに。馬鹿王や父様を悩ませて。
『聖女様』だかなんだか言って、こんな子供を無理やり自分の国まで来させるなんて。『災厄の日』だの繁栄が訪れるだの、そんな事情で一個人の自由が奪われていいわけがない。
 辛い思いだって沢山した。知らない場所まで一人で何日も馬車に乗って移動するのは心細かったし、延々えんえんと続く話だって聞かされた。
 俺は聖女じゃないって何度も言ったのに、一切聞き入れてくれないし。
 役に立てるかもしれないと善意でウィンスさんに会いにいったのに、俺が悪いような言い方をされるのは心外だった。

「ねぇ、答えてくださいよ」

 ウィンスさんは、背中を向けている俺にそう続けた。
 転生してから今まで辛いことや苦しいことは何度もあったが、ここまで感情がぐちゃぐちゃになるのは初めてだった。
 もう悲しみと怒りでどうにかなってしまいそうだ。

「聖女様ってば!」
「うるさい!」

 ウィンスさんに向き直る。
 自分の口から出たとは思えないほど、荒々あらあらしい怒気どきを含んだ声が出た。
 驚いたが、もう止まれない。

「僕は聖女なんかじゃない、ただの人間だ! それなのに、聖女様聖女様って責任をなすりつけて……! 『災厄の日』なんか知るもんか、僕はもうこりごりだよ!」

 一気に言いきったせいで息が切れる。無理に大声を出したから喉が痛い。
 ウィンスさんは呆気あっけにとられた顔で俺を見ていた。ずっとおとなしかった俺がこんなことを言うなんて思わなかったんだろう。
 スッキリしたのは一瞬だけで、すぐに胸の奥に気持ち悪さが広がる。

「僕は帰る。さよなら」

 ウィンスさんはもう何も言わなかった。俺はうつむいているウィンスさんの隣を通り、城の玄関へと向かう。
 堂々と正面玄関へと向かう俺を止める人は誰もいなかった。改めて城を眺めてみると、立派だと思っていた城はひどくみすぼらしく見えた。
 俺の心情がそうさせたのだろう。
 ああ、この帝国で過ごした時間はなんだったのだろう。お互いに傷つけ合っただけだ。
 いろんな感情と考えでぐちゃぐちゃになった頭が、悲鳴を上げている。後先考えずに城から飛び出し、ただ走った。
 そのとき、遠くのほうで何か大きな音がした。
 音の方向を見ると、建物が倒壊したのかモクモクと土煙が上がっている。そしてその中にはいくつもの黒い影がうごめいている。

「――魔物だ」

 さっき魔力を感知したとき、魔力が一番増幅していたのはあの辺りだ。
 もう一度魔力に意識を向けてみると、さっきよりももっとひどい状況になっているのがわかった。王都のときの数倍の魔力が発生している。このままでは膨大な魔力のもとに、どんどん強力な魔物が集まってきてしまう。
 いや、すでに帝国の各地で魔物が発生しているとみて間違いないだろう。しかも相当強いのが。
 急激に頭が冷えていき、我ながら自身のおろかな行動に絶望する。
 風の音とともに、俺の周辺に影が落ちる。上空から巨大な魔物がやってきたようだ。
 感情に任せて行動するからこんなことになる。でも、もう後悔したって遅い。

「全く人間とは世話が焼けるな」
「……ウォン?」

 ウォンは呆れたような目で俺を見下ろしていた。
 上空の影は、ウォンのものだったらしい。助かった……

『さっきの人間はどうした、何故一人でこんなところにいるのだ』

 ウォンがいなくならなければ、多分もっと落ち着いてウィンスさんと話ができただろう。感情がたかぶっている当事者を二人きりにしたら、喧嘩になると想像できなかったのだろうか。

『やれやれ、あやつもこんな風に落ち込んでいたときがあったな』

『あやつ』とは、さっき俺によく似ていると言っていた人物のことだろうか。
 ウォンは俺に背に乗るよう促した。魔物におそわれるのは嫌なので、おとなしくそれにしたがう。俺の様子を見かねてか、ウォンは「散歩しよう」だなんて言い出した。

「その『あやつ』とウォンはどういう関係だったんだ?」

 なんだかいたたまれない気持ちになって、自分からそう話しかける。

『そうだな、どういう関係、というわけでもなかったが……あやつとは長い間、一緒に旅をした。少し長くなるな』

 ウォンは優しげな声で、ゆっくり話し出した。


     ◇ ◇ ◇


 ある日ウォンは、俺と同じく白髪に紫色の瞳を持った少女に出会ったそうだ。世にも美しい少女に、ウォンは見惚みとれた。
 しかしその頃のウォンは人間に敵意を持っていたらしく、その少女に襲いかかった。
 そして見事ボコボコにされたそうだ。
『その頃はまだまだ子ドラゴンでの』とウォンは笑った。
 負け知らずだったウォンは、自身が負けたことが信じられず、少女に何度も戦いを挑んだ。少女はいつも、それに笑って応じてくれたらしい。
 だが毎回コテンパンにされ、勝つことはできなかった。
 そんなことをしているうちに、二人は仲良くなった。
 少女は自分は別の世界からやってきた、と語った。少女が元いた世界では、彼女はいつもいじめられていたらしい。家でもできそこないとののしられ、頼れる人もおらず、苦痛に耐える日々だったと。
 ウォンはそんな少女のことを可哀かわいそうだと思った。
 でも少女は笑ってそれを否定した。
 その日々に耐えたおかげで、きっと神様がこんな素敵な世界に生まれ変わらせてくれたんだと言ったらしい。
 魔法と豊かな自然、少女はそんな世界に憧れていたのだと語った。

『だから私は今、とっても幸せなの!』

 そう少女は言った。
 二人が出会ってからしばらく経ったある日、少女は、ウォンに旅に出ることを告げた。だからしばらく会えなくなるとも。
 ウォンは少女に、自分も連れていってほしいと頼み込んだ。そこからウォンと少女の旅が始まる。
 ウォンと少女は、世界を旅して回った。それはそれは楽しい日々だったそうだ。
 でもそんな時間も長くは続かなかった。
 突如として世界の魔力が乱れ始めたのだ。


「それって……」

 ウォンは俺の呟きを無視して話を続けた。
 魔力が乱れたことで、世界は混乱におちいった。当時人類は魔力と魔法に頼って生活をしていた。その魔法が使えなくなり、もちろん魔道具も使えなくなった。
 増幅した魔力をかてに魔物は数を増やし、どんどん強大になっていく。
 魔力がある地域で一時的に乱れたり、これまでにも前兆はあったものの、ただの偶然だろう、とそれらは軽視されていた。だからなんの対策も取っていなかった。
 世界の人口は一時、その数を半分以下にまで減らしたそうだ。
 そんな状況では、少女とウォンも今までどおりとはいかない。
 少女は強大な力を持っていたがそれは魔法頼みのものだったので、魔力が乱れている状況では俺のように無力だ。ウォンは変わらず飛行したりできたため、ウォンが少女を守りながら過ごしていた。
 かつて、人々が豊かに暮らしていた世界は荒れ果て、危険な魔物で溢れかえった。いつまでこんな日々が続くのか。ウォンもそう思っていたらしい。


     ◇ ◇ ◇


『……とまぁ、こんなところじゃ』

 ウォンはちょうど盛り上がってきたところで話すのをやめた。
 その少女とウォンが旅していた頃に起こった魔力の乱れと、それによる災害が、帝国が言っていた『災厄の日』なのだろう。
 ウォンの話す前兆と今の状況も一致する。

「で、どう解決したんだ?」
『それが、忘れてしまってな』
「えぇ……」

 今の状況を解決するヒントになると思ったのに。
 がっくりと肩を落とす。

『何しろ随分前のことだからな。記憶も曖昧あいまいなのだ』

 ウォンはそう言ってカラカラと笑った。
 さっきの話を、もう一度振り返ってみる。
 少女の話した『別の世界からやってきた』という部分が引っかかる。容姿の一致といい、もしかして俺と同じで――

『さてエルティードよ。話も一段落いちだんらくしたことだし、そろそろ地上へ戻ろう』
「……でも、僕はもう城には」

 あんなことを言って、無理やり飛び出してきたのだ。戻れるはずなんてなかった。
 それに、もう戻りたくない。

『城ではないぞ。あそこへだ』

 ウォンは先ほど土煙が上がっていた辺りを指し示した。

「忘れてるなら言うけど、僕、今は魔法使えないんだよ」
『知っている』

 ウォンの発言に首をかしげる。

『大丈夫だ。なんていったって我がいるからな! 何も怖いものはないぞ!』

 ウォンは俺が何を言っても聞いてくれなかった。
 こいつ、こんなに強引なやつだったのか?
 そう思いながら、飛行速度を上げるウォンの背中にしがみつく。
 到着した場所は、やはり大惨事になっていた。
 魔物にやられたのだろう、町は無残むざんに破壊され、見る影もない。がれきがそこら中に飛び散っている。
 町の東にある大きなとうが途中から折れて、地面に倒れている。土煙の原因は、この塔が倒れたことによるものだったらしい。
 魔物がいないはずがないのだが、ウォンに委縮いしゅくしたのか一切姿が見えない。すでに避難しているのか、人も見当たらなかった。
 しかし安心したのも束の間、どこからか声が聞こえてくる。
 子供の声だ。急いで辺りを見回してみるも、それらしき姿はない。
 一旦ウォンの背中から降り、声の主を探して、がれきの山を乗り越え町の奥へと向かう。町の中はがれきだらけで、歩くのも一苦労だ。
 もうすぐ町の端に辿り着こうかという頃、通りすぎようとした建物の中から物音が聞こえた。急いで壊れた壁から中に入る。
 建物は教会のようで、奥に十字架がかかげられている。
 小さな男の子がその真下で、祈るような姿勢で震えていた。
 俺を見ると安心したのか、強張こわばっていた表情がやわらいだ。
 一人だけ逃げ遅れてしまったのだろうか。
 俺よりも二つぐらい年下に見える。俺も子供の姿だから頼りないだろうが、安心させるよう優しく声をかける。

「えっと、君、怪我はない?」

 俺の問いに首をぶんぶんと横に振る。

「どこを怪我したのか教えてくれる?」

 男の子は、おずおずと足を指さした。
 許可を取ってから触れて確認する。れ上がっている左足は、どうやら折れているようだ。
 このせいで逃げ遅れたのだろう。
 回復魔法が使えたら、すぐに治してあげられるのにと悔しくなる。これでは、痛くてとても歩けないだろう。
 三歳児ぐらいなら俺でもおぶえるかもしれない。背中に乗るよう促すと、意外にもしっかり重い。
 前世でも今世でも弟妹はいなかったため、子供をおぶったり抱えたことはなかった。想像よりキツいが、なんとか歩ける程度だ。
 よろけながら歩き出したとき、背後からゾッとするような気配を感じた。魔物だ。それもかなり強く、人間に対して明確な殺意がある。
 振り返らなくても、気配だけでわかるほどの恐ろしさだ。

「グルル……」

 背後で、魔物が獰猛どうもうに喉を鳴らした。その音に恐怖を煽られたのか、男の子の抱きつく力が強まる。
 恐怖で固まっている場合じゃない。

「……ちょっと揺れるけど我慢がまんして!」

 それだけ早口で言いながら、よろける足にぐっと力を込め、今出せる全力で走り出した。
 がれきだらけの道を、足が傷つくのも気にせず駆け抜ける。それほど足が速くない上、子供をおぶっているので余計に遅くなる。

「はっ、はぁ……」

 息が切れてきて、ますますスピードが落ちていく。このままでは追い付かれてしまうと焦るが、足は思いどおりに動いてくれない。
 後ろから魔物の気配と足音がどんどん迫ってくるのが手に取るようにわかった。
 酸欠でぼうっとしてきた頭で、路地に入ってこうと考え、子供しか入れないような狭い通路に飛び込む。
 予想どおり魔物は路地に入るのに苦戦しているようで、気配が少し遠ざかった。ホッと息を吐くが、まだ気を緩めてはいけない。
 そのあとも魔物の気配に注意を払いつつ、どこに通じているのかわからない細い通路を抜けていく。
 かなり遠くまで来たところで、限界を迎えた足からフッと力が抜け、へたり込みそうになる。そこで子供をおぶっていることを思い出し、慌てて体勢を立て直した。
 子供を慎重に下ろしてから、改めて地面に座り込む。
 息を整えていると、子供が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。先ほどまでの体験が本当に怖かったのだろう、ほほれたあとがある。

「だいじょうぶ?」

 自分もまだ怖いだろうに、男の子は俺の目を見てそう言った。こんな状況でも人を気遣きづかえるなんて、なんて優しい子だろう。
 それと同時に、こんな小さい子に心配させてしまって申し訳ない、という気持ちが湧いてきた。

「ありがとう、大丈夫だよ。それより、あまりここには長居しないほうがよさそうなんだ。もう一度つかまってくれる?」

 こくりと頷いたのを見てから、子供に背中を向ける。子供は素直に俺の背にしがみついた。信頼されているようで、少し嬉しくなる。
 ひとまず路地を抜けようと、来たのとは反対の方向へ向かう。しばらく歩くと、ウォンに降ろされた辺りの場所に出た。
 しかしウォンの姿はどこにも見当たらない。もしかして、この子の声を聞いて町の奥のほうへ駆け出した俺を、まださがしているのかもしれない。
 しばらくすれば、きっとここに戻ってくるだろう。この辺りに魔物は見当たらず、危険はなさそうだったため、子供を下ろした。ずっとおぶっていたせいで、腕がしびれている。
 そして俺も腰を下ろそうとしたのだが、それは叶わなかった。


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