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先輩。①
しおりを挟む今日も先輩の家に行った。
いつもどおり、サッカー部員の先輩の部活が終わるまで自習室で勉強しながら待って、それからふたりで。
夕方というよりはもう夜の時間だったけれど、やっぱり今日も広い先輩の家には誰もいなかった。
「……お姉さんは、バイト?」
先輩の部屋に行ってから、大学生のお姉さんのことを一応たずねてみた。
「バイトか、男んトコ」
先輩は、ちょっとだけ笑って言った。
それから何飲む? と訊かれて、何もいらない、と言いそうになったけれど、思い直して言った。
「先輩と同じもの、でいいです……」
先輩が部屋を出ていってひとりになると、知らず大きな吐息がもれた。
肩に力が入っていて、ガチガチだ。
黒とグレーと白、この3色だけが使われた先輩の部屋に来たのは今日で5度目だけれど、まだまだリラックスなんてできない。
いまだに慣れることのできない場所。
先輩と一緒にいることすら、慣れていないのだから。
本当は今日は来るのを断ろうと思った。
でもやっぱり、先輩といたくて、ふたりきりになりたくて来てしまった。
来てしまったということは、先輩のすることを受け入れることだというのはわかっている。
けれど、今日はしたくない。
おれは先輩といるだけで、抱きしめてキスしてもらえるだけで十分過ぎるほど幸せだから。
今日はその先にいきそうになってもちゃんと断ろうと思っていたのに。
重ねたふたつのグラスとペットボトルのコーヒーをもって、先輩が戻ってきた。
「アイスだけどさ、おまえ大丈夫?」
グラスを黒のローテーブルに置いて先輩が言う。
「え、大丈夫、です……」
「この前、冷たいもの飲むと身体が冷えるとか言ってただろ。だから、ちょっと気になったけど」
「…大丈夫。今日は、冷たいものの方がいいから」
敬語を使ったり、使わなかったり。
先輩はタメ口にしろとか言ったりしない。
だからだいたいは敬語で話すけれど、でもずっと敬語だと肩肘はっていてかたくなそうに思われるかな、と心配になったりもするから、時には中途半端なタメ口を使ったりもする。
要するにおれは、いまだに先輩との距離を測りかねていた。
つきあってるなんて言っていても。
「あ、ミルクとかいる?」
「あったら使うけど、なければないで大丈夫、かな?」
本当はブラックコーヒーはあまり好きじゃないけど、先輩をまた階下に行かせるのも悪いのでそう言った。
けれど、渡されたコーヒーをひとくちふたくち飲んだら、
「……苦い」
しかも、無糖だし。
微糖ならよかったのにな。
「ブラック苦手?」
「薄ければ飲めるけど、これはちょっと苦いかも……」
そう言ってまた飲んだら、先輩にグラスを取り上げられた。
「苦い? コレ」
先輩がコーヒーをひとくち飲んでから言う。
「おれはもっと濃いのが好きだけど」
間接キス――なんて。
今さらそんなささいなことで恥ずかしがる仲でもないのに、鼓動が勝手に反応してしまう。
「……先輩は大人なんですよ。おれと違って」
「そっか。千波矢はまだ子供だからミルクが必要なんだ」
完全にからかい口調の先輩に、なんて返せばいいのかわからなくて、
「…そんな子供じゃないですよ」
つい、すねたように言って、俯きがちに横を向いてしまった。
「千波矢?」
「………」
すると先輩に千波矢、ともう一度呼ばれた。
なんとなくバツが悪くて、おずおずと先輩の方を向いた。
途端、強引に頭を引き寄せられて、あ、と思った瞬間にはキスされていた。
目を閉じる間もなかった。
一瞬だけの、コーヒー風味のキス。
そんな軽いキスひとつでおれの胸はギュッとなってしまう。
頬が熱くなってしまう。
それなのに、ちょっと首を傾げてこちらを見る先輩の目は、やっぱりからかいを含んで笑っている。
おれの反応を見て楽しんでいる。
どうしてそんなに余裕があるんだろう。
こういうことをするのはおれが初めてじゃないから?
何人もと経験をつんできたから?
それとも、やっぱり、遊びだから……?
胸の内側が冷たくなるようだった。
不安と、おれの反応を見て楽しむ先輩への苛立ちがごちゃ混ぜになって、哀しいような気持ちになった。
先輩がおれのそばに身体を寄せた。
思わず肩に力が入ってしまう。
何か言うかと思ったのに、先輩は何も言わない。
沈黙に緊張してしまう。
身体がますますこわばっていく。
不意に先輩の片腕が伸びてきて、肩を抱き込まれた。
そして、あごをもちあげられ、キスされた。
今度のキスはさっきとは全然違った。
まるでなだめるように優しく何度も唇を押しあてられて、たわいないおれは、すぐに頭の中が霞がかったようになってしまう。
先輩は角度を変えながら徐々にキスを深くしていって、おれも何も考えられないままひたすら先輩に応える。
でも、先輩の舌が唇を割って差し込まれた時、頭の片隅で何かが点滅した。
舌を絡められ強く吸い上げられた瞬間、ダメだ、と思った。
これじゃ、この前と一緒になる。
今はまだあんなことしたくない。
つき合いはじめたばかりなのに。
先輩の本心がわからないのに。
先輩に深く唇を重ねられながらも、おれは先輩の胸をなんとか押し返そうとした。
でもその両手を強い力でつかまれて、動きを封じられる。
先輩が体重をかけておれの身体の上に乗りかかってきて、おれをその場に押し倒す。
「………っ」
「…大丈夫? 背中、痛い?」
おれの上に覆い被さった先輩が訊く。
先輩は優しい。こんな時でも。
きっと言えばわかってもらえる。今なら。
けれど、先輩は手際よくおれのネクタイをはずしてしまう。
ワイシャツの裾をスラックスから引き出してしまう。
先輩はこの前と同じようにおれの着ているものを全部脱がすことなく愛撫する。
おれは先輩の腕に手をかけた。
力を込めて。
先輩が動きを止める。
上から、じっとおれの目を見つめてくる。
言わなきゃ。
そう思うのに、声がでない。
「…大丈夫」
小さくそう言って、先輩がおれの唇にキスを落とす。
「……痛いこと、しないよ」
先輩の舌に首筋をそっとなめられて、おれは身体をビクッと震わせてしまう。
いやだって――いやだって今言ったら、先輩になんて思われるのかな。
今さら、ってうんざりされるのかな。
この前はしといてなんで今日はダメなんだって、不満に思われるのかな。
なんて……思われるのかな。
先輩の腕を押し留めていた手から力が抜ける。
――嫌われたくない。
嫌われるのは、怖い。
おれは、先輩が大好きだから。
たとえ、先輩に遊ばれてるとしても。
先輩が好きでしかたないから。
千波矢…、と先輩がおれの耳に吹き込むように言って、またおれの身体の上で動き始める。
おれは、深く目を閉じるしかなかった。
先輩の愛撫をうけながらのどをのけぞらし、一切の思考を手放した――。
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