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第七章 幼馴染

第209話 大好きの気持ちを添えて

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 ユーリとミアリーゼ、お互いに初めて出会った頃から惹かれていた。それを知って、たった二言の好きを耳にしただけで、ミアリーゼが懐いていた憎悪は愛情へと置き換わった。否、この場合は元に戻ったと述べるのが正しいか。

「う、うぅぅぅうううッ……ぐすっ」

 溢れ出る感情を持て余し、堪えきれず滂沱の涙を流す。泣く資格なんてないと分かっているのに、止めたいのに止まってくれない。

 ミアリーゼの背後で、そっと肩に手を置いていたユーリは、そのままギュッと抱き寄せていく。ユーリの体温と心音が背中越しに伝わっていく。先程の好きという最強の魔法の言葉が、現実なんだと教えてくれる。

「ミアリーゼ様……俺たち、両想いだったんですね」

 顔を寄せて、耳元で囁くユーリ。彼の息遣いが直に肌に触れて、姫の鼓動が早鐘を打っていく。

「はいッ……」

 どうして、こんなにもすれ違ってしまったのか? その答えは明白だ。本音を隠し、お互いに幻想を懐いて理想を押し付けていたから。

 エレミヤによって、姫君という仮面は引き剥がされた。今この場には、擦り傷や引っ掻き傷、髪もボサボサで泥だらけのミアリーゼ・レーベンフォルンという一人の少女しか存在しない。

「知っていましたか、ユーリ? わたくしとあなたは、婚約者同士だったのですよ」

「えぇ。俺も最近知りました。母さんたちはきっと、気付いていたんでしょうね」

 ミアリーゼは泣きながら、真っ直ぐにこちらへ視線を向けるエレミヤを見つめる。

 エレミヤから見たミアリーゼは、ユーリに恋心を懐いているのがバレバレだったという。知らぬは本人たちだけ。ミアリーゼの父や兄、ユーリの母もきっと気付いていた。もっと早く言ってほしかった――なんてのは、個人の我儘にすぎない。想いを打ち明ける勇気がなかっただけのくせして。一方的に裏切られたと傷付いて、あまつさえユーリを殺そうとしたミアリーゼに果たして好意を受け取る資格があるのだろうか?

わたくしは愚かでどうしようもない女でした。お兄様が仰っていたように、一番大事な好きという気持ちから目を逸らし続けていたわたくしは総帥の器に相応しくなかったのかもしれません。信頼してくれたファルラーダや皆様に、何と顔向けしたらいいか……」

 ミアリーゼにとって、ユーリを想う気持ちは世界よりも重かった。悪を赦せないという気持ちに嘘はないが、優先順位が異なっていたのだ。これまで尽くしてくれたファルラーダたちに対する裏切りだ。ずっと嘘をついていたのだ。自覚がなかった、なんて言い訳はしない。この場で処刑される覚悟すらあった。

「認めます。わたくしは、ユーリの隣に立つエレミヤに嫉妬していました。どうしてわたくしではなく、エレミヤを選んだのか……相談もなくフリーディアを裏切ったあなたが、憎かったのです」

 本来ならエレミヤのいる位置にはミアリーゼがいる筈だったのに。ユーリが信頼を寄せる異種族のことを理解しようともせず、一方的に裏切り者と罵って断罪しようとした。

 そんなミアリーゼは、ユーリに好きと言ってもらえる資格なんてない。大好きな彼の故郷を戦場にし、多くの同胞をこの手にかけて、無様に敗北した。言葉にすれば何と滑稽だろう。

「こんなわたくしに、人類フリーディアを率いる資格なんてありません。だからあなたの手で終わらせてください。お願いします、惨めなわたくしを殺してください」

 終わらせよう、全て。ユーリになら殺されてもいい。いや、殺されたい。ミアリーゼの命を捧げ、死んだ者たちへの弔いとするのだ。だけど――

「何でそうやって、いつも勝手に決めるんだよ」

「ッ」

 鼓膜から脳に伝わるユーリの怒気を孕んだ声音に、ビクリと肩が竦み上がった。
 
「俺はミアリーゼ様の事が好きだけど、人の気も知らないで何でもかんでも自己完結するところは大嫌いだ!」

「は……え?」

 大嫌いと言われ、突如として頭が真っ白になるミアリーゼ。

「俺も俺で大概だけど、ミアリーゼ様はもっと酷い! あなたが死んだら、俺がどれだけ悲しむか全然分かってない! しかも何で俺が殺さなくちゃいけないんだよ!」

「だ、だってそれは……わたくしがあなたを殺そうとしたからで。この惨劇も自らの手で引き起こしたものなのですよ!?」

「だったら素直に降伏してくださいよ! 俺はミアリーゼ様のこと恨んでませんし、あなたが死んだところで自己満足にしかなりません」

「そ、それは……」

 アルカナディアが墜落したことで、統合連盟軍の兵士たちも敗北を悟ったのか、続々と武装解除し、投降の意を示している――が、大将たるミアリーゼが指示を下さなければ完全には終わらない。

「それに俺は、ミアリーゼ様の本音をもっと聞きたいです。俺に対して言いたい事、沢山あるでしょう? この際だから、俺が何を思って行動したのか全部話します」

 そうだ。知りたいことや不満は沢山ある。ユーリばかりに言わせていいのか? 大嫌いと言われてそのまま引き下がるのか?

「だったら、今すぐ敬語は止めてください。先程のように対等な立場でお話ししたいです」

「分かった」

 頷いたユーリは、そっと離れる。ふっと暖かさが抜けて、寂寥感が浮かび上がるも、毅然と振り返りユーリに対して胸の内を打ち明ける。

わたくしには、どうしても分からないことがあります。あなたは何故軍に入隊を? 当時どこか悩んでいるような節がありましたが、その頃から異種族たちのについて考えていたのですか?」

 進学を希望していたユーリが何故軍に入隊する道を選んだのか? グレンファルトが一枚噛んでいるのは知っている。思い出せば、その頃のユーリは様子がおかしかった。ミアリーゼは問い出させず、兄に縋ってしまったのだが、結局その理由が分からないのだ。ひょっとするとその頃から異種族のことで悩んでいたのだろうか? だとするなら、わざわざ軍に入隊しなくともよかったのではないか?

 ミアリーゼの問いに、ユーリは少し困ったように頬を指で掻いて。

「きっかけは、ミアリーゼ様から婚約者が決まったと聞いから、かな」

「え……?」

「もう隣にはいられないんだと思って、焦って、すぐにミアリーゼ様の隣に立つ資格が欲しくて……。グレンファルトさんからアドバイスを貰って、それで軍に入ろうって決めたんだ」

「…………」

 呆然。予想の斜め上をいく答えに、身体の痛みを忘れてミアリーゼは呆けてしまう。

「だから、最初は異種族の事とか何も考えてなくて……。不安に押し潰されながら、それでもミアリーゼ様の傍にいたかった。要は婚約者に嫉妬したから、力尽くで奪い取ろうとしたんだ。
 まぁ、当時はその気持ちの正体に気付いてなかったけど、今なら分かります。俺はミアリーゼ様に相応しい男になりたかった」

 それを聞いて、プルプルと肩を振るわせながら、胸の内から溢れ出る衝動に任せて言葉をぶつけた。

「何なんですか、それ……。馬鹿じゃ、ないんですか? わたくしの傍にいるのに資格なんて必要ありませんし、勝手にご自身の価値を決めないでください!! ユーリのそういうところが、わたくしは大嫌いですわ!!」
 
 そうだ、嫌いだ。自分の価値を勝手に落としてしまうあなたが。ミアリーゼなんかよりもずっと凄いし、優しいのに、何で自分を認めてあげないのだ。

「うん」

「相談してほしかった。ずっと、ユーリの力になりたいと思っていましたのに……」

 馬鹿だ。ミアリーゼも人のことは言えないが、ユーリも大概だ。馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。

「男って好きな人に対して、格好つけたがる生き物だから。打ち明けるのが情けないと思ってたんだ」

「馬鹿ぁぁああああッ!!」

 ミアリーゼは我慢の限界とばかりに、ユーリの胸に飛び込んでグーで叩きつけた。力は入っておらず、ポンポンと何度も叩き「馬鹿」と呟きながら顔を埋める。ユーリは困ったように笑って、ミアリーゼの背中に手を回して優しくトントンと叩いていく。

 好き。ユーリの事が誰よりも好き。見栄を張る必要なんてない。ありのままのあなたが好きだから。

「ずっと言えなくてごめん。辛い思いをさせてごめん。ずっと手の届く距離にいたのに……俺のエゴで遠ざけてごめんッ」

「ごめんなさい。あなたの大切な人たちを傷付けてごめんなさいッ。勝手に勘違いして、正義を言い訳にして、わたくし自身が悪に堕ちていたことに気付けなかった……本当に申し訳ありませんッ」

 長い時間遠回りしてきたユーリとミアリーゼの想いがようやく伝わった瞬間だった。

「ミアリーゼ様、俺はあなたの笑顔が好きだよ。多分、皆が統合連盟総帥代行として求めていたのは、怒ってる顔じゃなくて勇気を与えるような笑顔なんだと思う」
 
「はいッ」

 もう二度と離さないとミアリーゼは力いっぱいユーリを抱き締める。

「皆が許してくれるかどうか分からないけど、俺はミアリーゼ様と――!?」
 
 その続きは言わなくても分かっている。ミアリーゼは人差し指をユーリの唇に当てて、自分から言わせてほしいと首を横に振る。その後、人差し指をそっと自身の唇に当てて、慈しむように間接キスをすると。

「どうかわたくしも、あなたと一緒に戦わせてくれますか?」

「はい、勿論」

 怒りを伝染させるようなやり方ではいけない。滅ぼすだけじゃ、戦いは終わらない。ユーリと一緒に戦うということは、これまでの地位を棄てるに等しい行い。例え裏切り者と罵られようとも、構わない。説明責任を果たして、本当の自分を見せて納得してもらう。

 名残惜しいが、いつまでもユーリに抱きついているわけにはいかない。ミアリーゼはすっと離れると、憑き物が落ちたような表情で兵士たちのもとへ向かい、降伏宣言を下した。

 既に武装解除しているため今更感は否めないが、こうして声にすることで、市庁舎にいるウィリアムたちに正確に戦意がないことが伝わるのだ。

 統合連盟軍兵士たちには、アージア防衛部隊の指示に従うよう留意させる。アルカナディアが墜落した時点で、兵士たちの心は折れていたようで、思いの外スムーズに侵攻を停止させることができた。後は都市長であるウィリアム・クロイスの指示を仰ぐだけとなった。

 この時点でミアリーゼは拘束して然るべきだが、本人に抵抗する意思がないのは明らかで、何よりエレミヤとの大立ち回りとユーリとのやり取りを目撃しているため、誰も行動に移せないのだ。

 ミアリーゼはそのまま、ユーリに付き添われる形でエレミヤのもとへ歩み寄っていく。向こうも落ち着きを取り戻したのか、複雑な表情でこちらを見据えてくる。

「エレミヤ、その……」

 つい先程まで懐いていた憎悪の念は既にない。エレミヤに対して大きな借りを作ってしまったミアリーゼは素直に謝るべきか、感謝を伝えるべきか僅かばかり逡巡してしまう。

「ふぅ……感謝も謝罪もいらないわ。悪いと思ってるなら、ユーリのことを諦めてちょうだい」

「え!? ちょっ」

 すぐ後ろで狼狽するユーリだが、エレミヤが冗談で言っていないのは明らかだ。ミアリーゼは目を伏せて、大きく息を吐き出した後、毅然とした態度でキッパリと断った。

「それはできません」

 土下座しろと言われればいくらでもするし、死を望むなら喜んで命を捧げよう。けれど、大好きな人を諦めることだけは否だ。

「あっそ。だけど彼を想ってるのは私だけじゃないし、今後も虎視眈々とその座を狙い続けるだろうから、油断はしちゃ駄目よ」

「え、えぇ」

 わざわざ忠告してくれたのは、彼女なりの誠意だろうか? 

「私は嫌な女にだけはなりたくないの。正直今でもあなたの事が嫌いだけど、喚き立てることはないから安心してちょうだい」

「ありがとう……ございます」

 若干嫌味が入っていたが、殺されかけたのだから、むしろこの程度で済ませてくれたことに感謝しなければならない。器が大きいというか、改めてエレミヤの凄さを思い知らされる。姫巫女という位にいる彼女はミアリーゼとは比較にならない程強いし立派だ。

「お礼はいらないって言ったでしょ。それより聞きたいのだけれど、あなたは私たち異種族の存在を認めるってことでいいのよね?」

「はい」

 ユーリと共に戦うと決めた以上、頭ごなしに異種族を殲滅するとはもう言わない。エレミヤのような人格者含めて、今後はもっと交流を深めて互いのことを知っていこうと考えている。

「それなら、あの日の種族会談の続きをしましょう。エルヴィス様のご意志をあなたが継ぐの」

 そう言って手を差し伸べるエレミヤ。

「エレミヤ……」

 そうだ。彼女は亡き父とお酒を酌み交わして交流を深めたと言っていた。もしもテロリストが介入しなければ、エレミヤの手を取って新しい未来が形作られていたことだろう。ミアリーゼは胸に込み上げる熱い何かをそのままぶつけるように、ユーリと共にフリーディアとの共存共栄を目指した姫巫女の手を躊躇なく取った。

「はい!」

 自然と涙が溢れ、何度も何度も頷いたミアリーゼだったが。

「――って、痛いですわ!?」

 ぎゅぎゅぎゅぅううううッと、エレミヤに握力を込められて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。それが恥ずかしくて、背後にいるユーリの顔を見れない。彼も彼で驚いているようで「何やってんのエレミィ!?」と慌てて仲裁に入った。

 手をパッと離したエレミヤはぷっくりと頬を膨らませて言う。

「ふーんだ。丸く収めようと思ったけど、思い返してみれば、髪引っ張るし、叩かれるし、ボロボロにされるしで、散々な目に遭わされてきたから、やっぱりムカついてきちゃったわ」

「言われてみれば確かにそうですが、あなたも散々わたくしのことめちゃくちゃにしましたわよね!?」

 エレミヤ同様、ミアリーゼも容赦なくボコボコにされたのだ。緩んでいた心の糸がギュッと固く結ばれてしまう。

わたくし、あなたの事を尊敬していましたのに」

「生憎とそういうのは求めてないの。ナギ同様――いいえ、それ以上の恋敵なんだから、あなたも遠慮せずかかってきてちょうだい」

「…………」

 これは、どう返答すればいいのだろうか? 助けを求めるようにユーリを見ると。

「はは、エレミィはこういう人だから。思えばミアリーゼ様に正面から突っかかる人って見た事がなかったから、不思議な気分だ」

 言われてみればそうだ。出会った当初のファルラーダは例外として、これまでの人生で正面から喧嘩を売ってくる者は一人たりとも存在しなかった。何というかこう……不思議な気持ちになる。怒りとは別の、決して不快ではない何かが胸の内から湧き上がってくるのだ。

「……ミア」

「ん?」

わたくしのことは――ミアリーゼ様ではなく、"ミア"と渾名で呼んでください。エレミヤのことはエレミィ呼びで、わたくしだけ様付けなのは嫌なのです!!」

「え!?」

 そうだ、この気持ちは負けたくないという対抗心だ。エレミヤのことを愛称で呼んでいるのなら、ミアリーゼだって呼んでほしい。

 ユーリは暫し呆気に取られた後、照れくさそうに頬を掻いて。

「うん、これからはミアって呼ぶよ」

「はい!」

 横でエレミヤが疎ましげにこちらを睨んでいるが、大好きな人がミアと愛情を込めて呼んでくれたおかげで全く気にならなかった。
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