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第六章 吸血姫の愛

第165話 イリスの説得

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 不意を突かれるのは、これで何度目になるのか。理不尽という名の現実は、頑なにユーリたちを休ませてはくれない。或いはこれが彼らに対する罰なのか? それとも神の与えた試練だとでもいうのか?

「ごふっ」

「シャーレ!!」

 間一髪のところで危機を救われたユーリだが、先の戦闘の消耗が激しく、最愛の妹の痛々しい姿に声を上げることしかできない。

 ユーリたちの不意を打って襲ったのは、エルフの姫巫女の近衛騎士、イリス。助けるべき筈のイリス張本人がユーリを殺しに来るなど誰が予想できようか?

 それにあの剣――刀身が鼓動を唸らせ、純白かつ清きその刀身から幾重にも及ぶ漆黒の亀裂が奔っていき白を穢していた。まさにそれは光から闇へと変わるように、始まりから終わりへ至るように、生から死へ堕ちていくように。

 あれがエレミヤが言っていたエルフが誇る最強の神遺秘装アルスマグナかつ、不老不死の神シンが自らを滅ぼすべく生み出したとされる究極の――

「やはり私では血霊液イーコールころしきれませんかッ」

「うっ」

 未だに呆然とする周囲を他所に、忌々しげに剣を引き抜き距離を置くイリス。シャーレはそのまま崩れ落ちるように倒れ、ようやく我に返った皆が彼女のもとへ集まっていく。

 これまでどんな傷も瞬時に再生していたシャーレの傷口が塞がらない。不死と終滅の特性が激しく鬩ぎ合い、彼女の身体を侵していた。

「なる、ほど……あれが終滅剣エクスディウス。私にとって、天敵みたいですね、あぐっ」

「喋らないで、すぐに応急手当てをするわ! ミグレット、治癒包帯キュアバンディッチは――」

「ユーリに使ったのが最後です、こんちくしょう!」

 エレミヤの魔力も余裕がなく、治癒スキルも雀の涙程度の効果しか発揮していない。今すぐ本格的に治療を施さねば、手遅れになる。

「エレミィ、何をやっているのですか!?」

 エルフやドワーフにとって仇敵である筈のシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーをエレミヤが助けようとしていることに襲撃したイリスは狼狽を露わにしていた。

「イリス、あなたこそどうしてこんなこと……それに捕まっていた筈じゃ」

 囚われていた筈のイリスが自由の身になっていることに加えて、服装に至ってはスーツというフリーディアにとって正装といってもいい格好をしていることに戸惑うばかりだ。

「私は確かにフリーディアに捕らわれましたが、ナイルに危機を救っていただきました」

「ナイル・アーネスト――シン!?」

 その名を聞いて、何故イリスがこのような凶行を行ったのか、エレミヤはパズルのピースがカチリと嵌まったように理解した。

 敵味方関係なく最厄を振り撒くシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーはルーメンにとって厄介な種でしかない。不死を司る吸血姫と正面から戦り合うのは愚の骨頂。彼女を確実に殺せる可能性があるとすれば、イリスの持つ終滅剣エクスディウスしか思い付かない。

 だから激闘を繰り広げ、疲弊し油断した直後のタイミングを狙った。千載一遇の好機を逃さず、イリスをぶつけたのだ。シンを信奉するイリスは、ナイル・アーネストに従う以外の選択肢はない。

 イリスは終滅剣エクスディウスを鞘に納刀ふういんし、予測より反応の芳しくないエレミヤたちを説得する。

「エレミィ、ナギ、シオン、ミグレット! ナイルは敵ではありません、ユーリ・クロイスに騙されないでください! 彼は本物のシンではありません!!」

「「「「…………」」」」

 イリスにとって大切な人たちへ向けて真実を告げるも、彼女たちの胸には何ら響いていない。それに気付かずイリスは尚も叫び続ける。

「彼は人工的に遺伝子を改良された偽りのシンなんです! 我らが信奉する本物のナイルは、生きて私と共に在ります! 国や家族を失い、フリーディアによって名誉も誇りも奪われた我らですが、彼と一緒ならまた取り戻せるんです!! だから、私と共に来てください!」

 イリスは本気だ。本気でナイルを信奉し、彼の側に付くことが正しいと思い込んでいる。彼女は気付いていないのだ。国や誇り、名誉を間接的に奪ったのがシン張本人であることを。その先に待つ滅びの運命を。

「イリス……」

 きっと真実を告げてもイリスは信じてくれない。全てを失くした彼女はシンに激しく依存しているのだと分かってしまったから。
 
「エレミィ、あなたを殺そうとしたシャーレに慈悲を与える必要などありません! ユーリと共に今すぐ殺すべきです!」

 その選択を彼女たちは絶対取らないことをイリスだけが分かっていない。

「イリス、あなたこそ盲目になっているわ。ナイル・アーネスト……シンは救いを齎す存在なんかじゃなく、自分の欲望のままに世界を破滅へ導くただの道化師ゲームマスターよ」

「!?」

 エレミヤの口からシンを侮辱する言葉が飛び交い、イリスはショックのあまりたたらを踏んでいた。

「エレミィ、そんな……」

 イリスは泣きそうな顔で、裏切られたと心が激しく傷ついている。そんな彼女の内心を、幼い頃からずっと一緒だったエレミヤだけが悟り、何としてでも説得しなければと口を開くが。

「こうなったら、あの二人を殺して無理矢理にでも連れて行くしか……」

 しかし、決断はイリスの方が早かった。強く彼女を睨むユーリと、瀕死の状態で激痛に喘いでいるシャーレへ狙いを定める。

「土法――」

「――緋紅剣・緋之影打ヒノカゲウチ!」

 がしかし、突如としてアリカ・リーズシュタットが放った奇怪な剣術にイリスはその場で大きく飛び退いた。

「影から、剣が!?」

 月光に照らされたイリスの直下足元にある影の中から、紅鴉国光ベニガラスクニミツの刀身が突如として飛び出てきたのである。

 躱せたのは神に最も近いとされるエルフ特有の直感と経験のおかげ。なまじ、ユーリとシャーレに対してどんな奇怪な技が飛んできても動けるよう備えていたのが功を奏した。

 不意を打ったつもりだったアリカは意外そうに眉をひそめる。

「まさか初見で躱されるなんてね。あのナギですらくらったってのに、どんな反応速度してるのよ」

「…………」

 呆れるように放つアリカの言葉にイリスは無言を貫いた。ナギが一瞬ムッとしたが、何も言わずに静観。この場において唯一面識のなかった二人がバチバチと火花を散らしている。

「アリカ……」

「エレミヤ、悪いけどここは私に任せてくれない? 向こうから先に手を出したんだし、説得するなら大人しくさせてからの方がいいわよね?」

 シャーレの時と同じ、言葉による説得が通じない以上実力行使に移る他ない。アリカがイリスを殺すことはあり得ないため、エレミヤは苦悩と葛藤の末に決断した。

「お願いアリカ、イリスを連れ戻して」

「えぇ!」

 エレミヤは再びシャーレの治療に専念し、アリカは皆を守るように一歩前へ出る。それを警戒した面持ちで見据えていたイリスは。

「アリカ・リーズシュタット、グランドクロスですらないあなたが私に勝てるとでも?」

 戦士として数多の戦場を駆け抜けてきたイリスの慧眼が、アリカの実力を正確に見抜いている。彼女は自分に遠く及ばないと判断し、弱者へ向ける憐れみが帯びた声音でそう告げていた。

「あんたこそ、グランドクロスに負けたことが相当トラウマになってるみたいじゃない。不意打ちなんて卑怯な真似して、よくエレミヤの近衛騎士を名乗っていられたわね」

「ッッッ」

 痛烈なカウンターを返されたイリスは何も言い返せず、怒りに身を震わせる。

「「…………」」

 青銀と真紅の魔力が、二人の間で互いに激しく反発し合う。周囲の空気が震え、空間自体が歪んでいくような感覚さえ覚える。疑う余地なく、両者の魔力と意志は、直接的な対決を予感させていた。
  
「いいでしょう、そこまで言うならエルフの恐ろしさを存分にその身に刻んであげます、私を侮辱したことを後悔しながら死になさい!!」

「上等よ!」

 イリス VS アリカ・リーズシュタット。ナイル・アーネスト、そしてユーリ・クロイスの剣たらんと在ろうとする二人の戦士の対決が幕を開けたのだった。



「~~~~~♪」

 夜風に乗り、軽快な口笛を吹かせながらナイル・アーネストはノリノリで空中を闊歩していた。

『ビュビュビューーーーン!! 夜風が気持ちいいね、ナイル!』

 そこにはナイルの周りを楽しそうに泳ぐ風精霊シルディの姿もあり。

「そうだな。メイドちゃんは無事にアジトに送り届けたし、後はひと暴れするだけだ。
 治安維持部隊がガッタガタの状態で、未曾有のテロにあったら政府の信用ガタ落ちだよな、きっと」

『だね! 早く暴れたいよー!!』

 彼らが何をしようとしているのか? フリーディアに未曾有の危機が迫る中、ナイルはユーリ・クロイスについて思う。

 グレンファルト・レーベンフォルンと会わせる、そうユーリと約束したナイルだが、本人は反故にしたとは思っていない。寧ろこの程度の試練を乗り越えられないようでは、理想を叶えることはできないぞ? と挑発して試しているだけ。

「シャーレ、お前は本当面倒くせぇからここで死んでくれよ?」

 イリスを味方につけたナイルが真っ先にターゲットにしたのは他ならぬシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーだ。ナイルと同じくシャーレも気紛れで、いつルーメンの情報を外に漏らすか分かったものではない。

 吸血姫はどこの陣営にも属さないジョーカーだ。充分以上に利用したため、後は処分するだけ。ユーリ・クロイス陣営に付かせるなど決してあってはならない。しかし血霊液イーコールをその身に宿した不死の吸血姫はナイルの手を以てしても殺せないのだ。

 だから終滅剣エクスディウスを持つイリスをここで投入した。彼女を自由にさせても、決してナイルを裏切ることはないと分かっているから。

「お、また性懲りも無くエレミヤちゃんが千里眼アインハクラ使いやがった。邪魔してやろ」

『あははははは!! ナイルってば必死じゃん』

 エレミヤの千里眼アインハクラを徹底的に阻害するナイルにシルディは情けないと無邪気に笑っていた。

「うっせ、自分でも情けねぇとは思ってるよ。こっちの動向だけは何があっても探られるわけにはいかないんでね。
 不安の根は徹底的に潰すことにしてんのさ。うっかり殺されたら笑い話にもならねぇ」

『うんうん! せっかくここまでやったのに、うっかり死んでまた変な種族に転生しちゃったら面倒くさいもんね。
 私たち全員を呼び出せたのも、ナイル・アーネストに転生してからだったし』

「前まで一人しか呼び出せなかったからな。しかも魔力全然足りねぇから、苦労したぜ本当……」

 ナイル・アーネストが持つ不滅の神遺秘装アルスマグナ――廻転核ヴァラーレ。この世界において、不条理というべき異能をその身に宿し、前世の苦労を分かち合える唯一の相棒と語りながら、ナイルは過去を懐かしむ。

 転生すれば、これまで培ってきた経験値すらもリセットされてしまうため、彼の強さは今生に生きる身体に宿る潜在能力に深く依存していた。生まれ変わって、物語におけるモブ以下の才能しかなく、シルディたちを召喚できず理不尽に殺されたり、優れた才能に恵まれ好き勝手に暴れて天寿を全うしたことも何度かあった。

「けど、今生の俺は中々いいセンスしてる。フリーディアに転生したおかげでとっておきのアレも使える。
 いくらグランドクロスでも、今生の俺は止められねぇぞ?」

 ナイル・アーネストは今まで転生した中でも最高のスペックを誇る。グレンファルトという仲間を得て、半ば諦めかけてた終わりエンディングが近づいて興奮が隠せない。

「……ん? 珍しいな、流れ星が見えんぞ」

 ふと何気なく目を向けると、ナイルの視界に夜空を彩る光の軌跡が描き出された。

『え、嘘嘘嘘!? すぐにお願い事しないと!!』

 シルディは慌てて手を合わせて『シンが満足いく死を迎えますように、シンが満足いく――』と素早くお願い事を口にするも。

「あはははは!! もう遅ぇって、とっくに消えちまって――あれ?」

『ありゃ?』

 本来瞬く間に消える筈の流れ星は消えることなく、爛々とした輝きを灯っていた。それどころか見る見る内に巨大化し、真っ直ぐこちらに近づいてきており。

「――ってこれ、魔法砲撃じゃねぇか!?」

『あわわわわわ、回避ーーー!!』

 シルディが風魔法を駆使して、すんでのところで回避に成功する。疾り抜けた魔法砲撃の威力は凄まじく、ジジジ……と空間が微かに歪んでいた。そして――

「『!?』」

 ナイルとシルディに襲いかかる重力にも似た超魔力。その憤怒の魔力によって、空間そのものが犇めいていた。

「おいおいおいおい、こいつは」

『あーーーー!!』

 遠目に移る、鱏のような形をした巨大な飛行物体。その上に仁王立ちする人物を視界に捉え、二人は驚きと共に冷や汗を浮かべる。

「見つけたぞ、ナイルゥゥゥウウゥゥッッーーーー!!!!!」

 漆黒の髪を激しく靡かせた長身のダークスーツを着用した麗人の怒号はビリビリと轟き、世界すらも恐怖に震撼させるほど。

「エヴェスティシアから飛んできたのかよ……やっべぇ、遊びすぎた。これひょっとして詰んだか?」

 名前を呼ばれたナイルは普段の剽軽さは相変わらずだが、戦闘は避けられない予定外の事態に後悔していた。

 人類フリーディアの祖、魔術機仕掛けの神デウス・イクス・マギアより千術姫の異名を賜りし――グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラスと二度目の邂逅を果たしたナイルは逃げられないことを悟り覚悟を決める。

「しゃあねぇ、やるか――シルディ、気張っていけよ!」

『ほいさ! ファルラーダ・イル・クリスフォラス! 今度はきちんと遊んであげるね、ビュビュビュビューーーーン!!!』

 スラム街で一度対面した際は、ミアリーゼ・レーベンフォルンの治療を最優先し、逃げるナイルたちを見逃したファルラーダだが、今回は違う。

 特化型魔術武装オリジンマギアウェポン――空鱏バトイデアを操り、赫怒の暴威が迎え撃つ。

「今度は絶対に逃がさねぇ、ぶち殺してやるから覚悟しやがれ――テロリスト共がッ!!」

 シンと千術姫の放つ魔法が激しくぶつかり、夜闇を照らし、鳴動となりて弾けていった。
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