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第六章 吸血姫の愛
第159話 紛い者
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「――後はお願いしますね、お兄さん♪」
闇に彩られた最厄の饗宴が織りなす舞台は、間もなく佳境を迎えようとしていた。時間はかかってしまったが、遂にユーリ・クロイスを眷属化することに成功し、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーは悲壮感漂う面持ちのナギたちへ絶望の調べを奏でていった。
「「ユーリ!!」」
ナギとアリカが傀儡と成り果てたユーリへ必死に呼びかけるも応えはなく、迫り来る血鎖を必死になって抑え込んでいる。
「無駄ですよ、どれだけ呼びかけてもお兄さんの心には届きません。セリナさんと合わせて親子二人であなた達を潰してあげましょう」
シャーレ自身戦闘に加わる事はせず、ユーリとセリナ――二人の親子の猛攻に必死に抗うナギたちを見物している。
「お前ッ、どこまで私の神経を逆撫ですれば気が済むんだ!!」
ナギは激怒し、シャーレへ吠えるも何ら効果は発揮せず空振りに終わる。そう、吸血姫には分かっている――ナギもアリカもエレミヤもミグレットもシオンも絶対にユーリに対して攻撃できないと。
意識がない状態からでも操れる以上、肉体にダメージを与えても何ら効果を齎さない。ユーリを救うにはシャーレを殺すしかないが、血霊液がある以上どんな傷も瞬く間に回復してしまうため、実質詰んでいる。
「お願いユーリ! 目を覚まして!!」
「エレミヤ! お前の千里眼でユーリを起こせないのか!?」
「使うと無防備になるから、この状況じゃ無理! 私の神遺秘装はそう都合よくポンポン何でもできるわけじゃないの!」
「くっ」
同じ神遺秘装使いでも発動条件や性質が全く異なる。ナギのように戦闘に特化したものは別だが、エレミヤやシャーレのように身体の一部になっているものは非常に繊細で扱い難く、一部で呪いと揶揄されることがままある。
特に千里眼は、発動に大きく時間を要し、使えばエレミヤは無防備になる。加えて性質上神と強く縁が結びついているため、元来の持ち主であるナイル・アーネストの介入を許す形となる。
そのため力が限定され、今この場に限って言えばガラクタ同然だった。
「エレミヤさんも私と同じで神遺秘装に苦労しているようですね」
同胞故か、その苦労はシャーレの身に染みて伝わってくる。だからといって手心を加えることはしないが、同情くらいはしても構わないだろう。
『シャーレ、かなり無茶してるようだけど大丈夫かい?』
シャーレの足下にいる屍の口からクーリアの声が響いていく。
「今のところは問題ありませんよ。私のことより、クルージュ先生の方を気になさってください」
シャーレ自身余裕をかましているが、弱点も当然存在する。
ユーリとセリナ両方を操っている以上神経を裂かねばならないので本人は無防備にならざるを得ない点。支配した者の魔術武装や魔法は発動することができず、シャーレ自身が保有する無窮血鎖棺を武器として用いなければならない点。そして表には決して出さないが、傷付けば当然痛いので回復する度に心が摩耗していく点も弱点に含まれる。
つまりシャーレを倒すには根を上げるまで殺し続ければいいだけで、それを可能とするのは現状フリーディア最高戦力を有するグランドクロスくらいしか存在しない。特にファルラーダ・イル・クリスフォラスに至っては、無限に等しい魔力があるため二十四時間以上常にシャーレを殺し続けることが可能であり、加えて魔法の耐性が異常な程強く、血霊液でも支配することが叶わない。
シャーレがファルラーダを嫌いな一番の理由がそれで、単に思い通りにならないから気に食わないだけである。
「まぁ、それは置いておくとして……お兄さん、ちゃんと思い出してくれているんですかねぇ」
アルギーラで初めて会った時、お互いに記憶の欠落があることが判明し、シャーレは自身の存在意義を見出す鍵を握っているのはユーリなのだと本能的に理解した。血霊液で支配して、ユーリの記憶を刺激すれば何らかのアクションがあるものと期待したのだが、結果はセリナと同じく物言わぬ傀儡と成り果てただけ。
「ま、終わってからゆっくり聞いてみればいいことですし、今は異種族さんたちが右往左往する姿を堪能することに専念しましょうか」
じわじわと追い込まれていくナギたちがどう足掻くか非常に見ものである。
「ミグレットちゃんが奇跡を起こすのか、それとも別の理が生まれるのか? どうか最高の舞台を披露してくださいね!」
そう言って高みの見物を決め込むシャーレに対して、一方のエレミヤたちの焦りは募る一方だった。
「ユーリ!!」
エレミヤがどれだけ叫んでも彼の心に言葉が届かない。あのユーリがここまで追い込まれるなど予想できる筈もない。改めてグランドクロスの恐ろしさ、イリスでさえ敗北したフリーディア最高戦力の力を身に染みて思い知る。
ミグレットとシオンを守るだけで神経が擦り減っていき、ナギとアリカもユーリとセリナを相手に状況を打開する術を見出せずにいる。
「今にして思えば、戦闘訓練をもっと積んでおくべきだったわ。当時の私のばかばかばか!」
戦術ならいざ知らず、戦闘に関してはズブの素人同然のエレミヤ。本来護られるべき立場である姫巫女は魔法も自己防衛に特化したものしか扱えず、今にして戦闘経験を積んでおくべきだったと後悔が押し寄せる。
当時のエレミヤにはイリスがいたため、何があっても大丈夫だと思い込んでいたのだ。
加えてユーリに会うのが気まずくて、いなくなったことに気がつかなかったという痛恨の過ちも犯してしまった。もっと早くに気が付いていれば、会談や戦争の時もそうだったが何故エレミヤは肝心な所でいつも失敗してしまうのだ。
シャーレがユーリにキスしたこともそう。ナギがショックのあまり声を荒げていたが、エレミヤは千里眼の影響で常に目を閉じていなければならないため直接見たわけではないが、その分気配は誰よりも敏感だ。
シャーレはユーリに恋愛感情は懐いていない。ただ絶望の舞台を彩る役者としての務めを果たしたに過ぎない。
エレミヤは声や纏う雰囲気だけで、大方の人物像を掴むことに長けている。だからシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーが何のためにこんな悲劇を起こしたのか知らず知らずのうちに理解していた。
「こうなったら一か八かよ、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガー!」
彼女は戦いよりも、他者に如何にして絶望や怨嗟の嘆きを上げさせるかを重視する傾向にある。
「はい?」
案の定シャーレはエレミヤの声に反応し、僅かばかりにユーリとセリナに纏わりつく血鎖の動きが鈍くなった。とはいえ攻撃が完全に止んだわけではないため、猛攻を必死に食い止めながらにはなるがそれでもいい。
少しでも逼迫した状況を打開するために、これまでの情報で掴んだシャーレの正体を口にする。
「あなた、実はヴァンパイヤでしょ? あんなに激しく出血したのに血は吸わなくて平気なの? それとずっと気に掛かってたのだけれど、ヴァンパイヤのあなたが一体どういう理由でフリーディアの味方をしているのかし――ッ!?」
刹那――エレミヤが言葉を止めざるを得ない程の強烈な殺意が身に降り注いだ。ファルラーダの時のような全てを力尽くで捩じ伏せるような圧倒的な魔力とは違う、まるで光の見えない暗い水底に無理矢理圧し込まれたような圧迫感を感じる。
操られているユーリやセリナの動きがピタリと制止し棒立ちとなる。だというのに助けに動くことができずにいる。夜の闇がジワジワとエレミヤたちを圧迫していく。ナギやアリカ、シオンとミグレットの視線がこの場の支配者たるシャーレへ向けられる。
これまでの淑女然とした雰囲気は一変し、忌々しげに歯を食い縛るシャーレの姿がそこにはあった。
『あー、エレミヤさんそれシャーレの地雷だから。何で言っちゃうかなぁ? あんたとミグレットちゃんは生かして連れ帰りたいのに、シャーレがキレたら殺されちゃうじゃんか!』
動揺を誘うためにエレミヤが放った言葉は、盛大にシャーレの地雷を踏んだらしい。屍から発せられるクーリア・クロウ・ククルウィッチの声音は悲嘆に暮れていた。
「誰が……ヴァンパイヤですかッ、異種族風情が私を同じに見るな!!」
人間の紛い物、と揶揄されるだけでも万死に値するというのにハッキリと忌むべき諱を口にしたエレミヤは絶対に許さないと視線が物語っている。
特に異種族に同類と言われたことが地雷を踏んだ一番の要因――だがエレミヤもここで引くわけにはいかないため強気で言葉を返す。
「あら違ったかしら? フリーディアは本来異能術や魔法が扱えない筈、だというのに神遺秘装を保有しているあなたは私たちと同じ異種族ってことでしょ?
それに同類って感覚で何となく分かるのよ。あなたからはヴァンパイヤ特有の血臭が鼻に付くほど臭うわ。それを自覚してないのね」
エルフ国から距離が離れすぎているため、直接戦争になったことはないが、何でも陽を浴びると死に至り夜の時間しか生きられないヴァンパイヤと呼ばれる種族が存在したとのこと。
彼らはエルフを強く敵視していたためエレミヤも警戒していたのだが、ある日から音沙汰がなくなり何処かの種族との戦争で敗れ、滅ぼされたのだろうとエルフ王たちは言っていた。今思えばヴァンパイヤはフリーディアに滅ぼされたのだと分かる。
問題なのは、神遺秘装を保有するヴァンパイヤがフリーディア側――それも最高位を司るグランドクロスという点にある。
「でも、ヴァンパイヤと呼ぶには違和感が……あなたは存在そのものが中途半端で曖昧な」
いや、本当にそうか? あれだけ徹底して異種族を廃してきたフリーディアがシャーレに好き勝手させていることに違和感を覚える。ユーリが神の因子を受け継いだように彼女もまた、ヴァンパイヤの因子を色濃く受け継いでいるとすれば……。
「人間の、紛い者」
シャーレという歪な存在を一言で定義するなら紛い者と称するのが理に適っている。
「ッッッ」
その一言はシャーレの中にある臨界点を突破し、深く胸に突き刺さった。
「なるほど、あなたもあなたなりの誇りを持っているのね……悪趣味極まりないけど」
シャーレの正体に関する謎は置いておくとして、彼女は誰しも当たり前に存在する善悪の区別がついていない。だから平気で人を陥れるし、その行為に悦びを見出している。だけどそれとは別に自尊心が強く根付いている事を理解した。
彼女はフリーディアであることに誇りを持っているため、自身が異種族だということを認めていない。だからそこを刺激すれば簡単に壊れると思ったが、想像以上に効果覿面だった。
「ハァハァッ、うぐっ」
怒りで感情が激しく揺さぶられたシャーレは、何かが枯渇したように突如として苦しみ出す。そこにすかさず反応したクーリアは動揺し慌てた様子で言う。
『ちょちょちょ、嘘でしょシャーレ!? 出撃前に輸血したのにもう血が足りないの!?』
「うるっさい、ですよ。ここは血の匂いが強すぎますので、少し黙ってッ、ください」
シャーレに襲いかかる衝動は、忌むべき吸血衝動。彼女の中に流れる血が飢え、乾き、枯渇した際に起こる一種の呪いだった。事前に血を摂取し予防していようが関係ない。何かしらのきっかけで疼き出す衝動を強靭な自我で抑え込んでいたのだ。
一瞬とはいえ、我を忘れる程の怒りに支配されれば芳醇な血の香りが細胞を活性化させる。特にシャーレは"生後一度として吸血行為を行なっていない"為、内なる衝動の強さは余人には計り知れない。
「今よナギ、アリカ! ユーリとユーリのお母様を取り押さえて!!」
「「うん(えぇ)!」」
千載一遇のチャンスを逃さずに発したエレミヤの号令にナギとアリカは強く頷き、再び迫り来る血鎖を跳ね返してユーリとセリナに急接近する。
「――嘗めないでください、異種族風情がッ!!」
シャーレが狂おしく咆哮を上げながら、より支配力を強めてユーリとセリナを勢いよく引き戻す。
「「!?」」
同時に今度はシャーレ自身がナギとアリカの行く手を阻むべく前に出る。彼女にとってユーリとセリナを奪われることは敗北も同然。
このまま正面から衝突すれば、近接戦闘に特化したナギとアリカが勝つ。問題は彼女は不死の特性を司っている事と血を浴びれば忽ち支配される部分にある。
「ナギ、峰打ちして戦闘不能に追い込むわよ!」
「分かった!」
こうなれば傷を付けずに激昂したシャーレを打倒する他ない。しかし――
「呪法・血針千本」
彼女たちはシャーレの持つ神遺秘装――血霊液の力を侮っていた。その能力の真の恐ろしさは、支配や不死だけに留まらない。
「「!?」」
決してシャーレの血を浴びてはならないと警戒していた二人へ向けて放たれる無数の血の針。シャーレ自身の体内を突き抜けて凝縮された血液が鋭利な針状へと変化し、突風の如く襲いかかったのだ。
「くっ、ナギ! 私の後ろに隠れて!! リーズシュタット流剣術――緋紅剣・陣牢!」
アリカが得意とする防御剣術――地面から突き出た幾重もの真紅の刃が即席の防御壁となり、迫る血針千本を防いでいく。
「私の魔力で編まれた刃の檻なら、すぐ解除すれば支配されずに済む! 嘗めんじゃないわよグランドクロス!」
シャーレの怒りに少しばかり怯んだが、アリカも大切な仲間を陥れた彼女に対して怒り爆発となっていた。
「アンタは正面から戦り合うようなタイプじゃない、それならッ」
傷付けてはいけない都合上、使える剣術は限られてくる。死なないなら、一撃のもと意識を刈り取ればいい。
「ナギ、離れてて! リーズシュタット流――」
「いちいちあなたのお遊び剣術に付き合っている暇はないんですよ! 呪法・血衝飛沫!」
アリカがシャーレへ向けて剣技を放とうとした瞬間、血霊液を持つシャーレだからこそ扱える死の呪法が炸裂する。
「なっ!?」
アリカが驚愕するもの無理なきこと。何故なら、シャーレが跳躍した瞬間、彼女の身体が内側からパァンッと激しく破裂し、血飛沫となりて鮮血がアリカとナギ目掛けて豪快に降り注いだのだから。
どんな達人でも雨の一滴一滴を躱すなど絶対にできない。なまじ自滅を前提とした戦略を即興で対処する方が難しい。
ダメージはないが、ナギとアリカの身体に血霊液が付着してしまったのは手痛い失敗だ。加えて飛び散った肉片が瞬時に集まり、元の姿形を成していく。そこには先刻と寸分変わらぬシャーレが再び現れ――
「呪法・血鬼隷属」
「「がっ!?」」
瞬間、アリカとナギは足が地面に縫い付けられたように動かなくなる。これではリーズシュタット流はおろか、まともな剣技すら放てない。
死なないのをいい事にやりたい放題されている。シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの出鱈目すぎる戦法に正面から挑んだことが愚かな選択であった。
「あなたたちを操る価値はありませんので、そこで大人しくお仲間が殺されるのを見ていてください」
ナギとアリカは眼中になく、シャーレの視界にはエレミヤしか映っていないようだ。二人は必死に吸血姫の支配から逃れようとするも、桁外れの膨大な魔力に圧し留められている。
「シオンもう一回行くですよ!」
「うん!」
最厄の鬼哭啾啾たる殺意を浴びながらも、ミグレットたちは再びナギたちの救出に向かおうとするが。
「あなた達もいい加減大人しくしてくださいね!」
目にも留まらぬ速さでミグレットとシオンの間に割り込んだシャーレはすかさず両手を駆使して打撃を放ち、二人を吹き飛ばした。
「「あうっ!?」」
エレミヤの魔法障壁などシャーレの前では紙切れ同然。地に伏せるミグレットとシオンは幸いにも生きていたが、ダメージが大きいのか立ち上がることができずにいる。
「シオン、ミグレット!!」
最後に残されたエレミヤは倒された仲間の名前を叫ぶことしかできない。
「お仲間を気遣っている余裕があるんですか? 私を紛い者呼ばわりしたあなたには死よりも深い絶望を味わっていただきます――お兄さん!!」
ただ殺すだけでは全然物足りない。枯渇した餓えを凌ぐには、エレミヤの怨嗟と嘆きを糧にする必要がある。シャーレの魔法により、これまで棒立ちしていたユーリ・クロイスが血鎖と共にエレミヤ目掛けて突っ込んでいく。
「ッ」
恐らくユーリは血鎖の尖った先端をエレミヤの胸に突き刺すつもりなのだろう。いつも感じる暖かな気配とは真逆の何ら光を灯していない虚無の心がエレミヤをより一層悲しみへと追いやっていく。
「ユーリ……」
どれだけ名を呼んでも、エレミヤの声はユーリには届かない。彼女の求める心の距離とユーリの想う心の距離には大きく隔たりがある。
謂うなれば、友達以上恋人未満の関係。
戦争で敗北し多くの同胞を亡くしたばかりか、イリスら連れ去られ、故郷すらも滅ぼされたエレミヤにはユーリ・クロイスという存在しか残っていなかった。
これまで依る辺にしてきた神に裏切られた以上、激しく彼を求めてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。恋愛はエレミヤにとって、ユーリが懐く夢と同じくらい大切なものだから。
『やめてくれぇーーー!! エレミヤさんが死んじゃったら、貴重な千里眼が消えちゃうじゃんかーーー!!』
「死ねぇ!!」
場違いなことで泣き叫ぶクーリアを無視して、シャーレはトドメと言わんばかりに叫ぶ。
「エレミヤぁぁああああーーーー!!!」
ナギ、アリカ、ミグレット、シオンは深い慟哭に苛まれながら、エレミヤの名を叫び。
「ごめんなさい……ユーリ、皆……イリスッ」
エレミヤは涙を流しながら、ユーリが一番望まないことをさせてしまったこと、これまで頑張ってくれたナギたち皆や最愛の近衛騎士であるイリスを救えずに命を落とすことに対して謝ることしかできなかった。
ユーリ・クロイスは虚ろな眼差しのまま、血鎖の尖端をエレミヤへ向けて突き刺していく。その光景を見ることが躊躇われた四人の少女は咄嗟に目を背けてしまい。
「な、何で……?」
動揺に震えるその声は、本来あり得ざるシャーレの口から発せられたものだった。
「「「「…………?」」」」
最悪の事態を想定していたナギたちは、不可解さを隠せずに恐る恐る瞳を開く。
「……うそ」
そして、エレミヤは五体満足無事に生きていた。ユーリが正気を取り戻したわけじゃない。この場に置いて最も彼を愛する一人の女性が、エレミヤの盾となり胸部を血鎖に貫かれていたのだ。
「ユーリの、お母様……?」
エレミヤは震える声で、庇ってくれた女性の名を呼ぶ。
「……こふッ――えぇ、初めましてエレミヤちゃん。まさかユーちゃんにこんなに素敵なガールフレンドができてたなんてビックリよ。おかげで目が覚めちゃったわ」
――セリナ・クロイス。
シャーレの支配を自力で打ち破った一児の母は、激しく吐血しながら笑ってみせた。
闇に彩られた最厄の饗宴が織りなす舞台は、間もなく佳境を迎えようとしていた。時間はかかってしまったが、遂にユーリ・クロイスを眷属化することに成功し、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーは悲壮感漂う面持ちのナギたちへ絶望の調べを奏でていった。
「「ユーリ!!」」
ナギとアリカが傀儡と成り果てたユーリへ必死に呼びかけるも応えはなく、迫り来る血鎖を必死になって抑え込んでいる。
「無駄ですよ、どれだけ呼びかけてもお兄さんの心には届きません。セリナさんと合わせて親子二人であなた達を潰してあげましょう」
シャーレ自身戦闘に加わる事はせず、ユーリとセリナ――二人の親子の猛攻に必死に抗うナギたちを見物している。
「お前ッ、どこまで私の神経を逆撫ですれば気が済むんだ!!」
ナギは激怒し、シャーレへ吠えるも何ら効果は発揮せず空振りに終わる。そう、吸血姫には分かっている――ナギもアリカもエレミヤもミグレットもシオンも絶対にユーリに対して攻撃できないと。
意識がない状態からでも操れる以上、肉体にダメージを与えても何ら効果を齎さない。ユーリを救うにはシャーレを殺すしかないが、血霊液がある以上どんな傷も瞬く間に回復してしまうため、実質詰んでいる。
「お願いユーリ! 目を覚まして!!」
「エレミヤ! お前の千里眼でユーリを起こせないのか!?」
「使うと無防備になるから、この状況じゃ無理! 私の神遺秘装はそう都合よくポンポン何でもできるわけじゃないの!」
「くっ」
同じ神遺秘装使いでも発動条件や性質が全く異なる。ナギのように戦闘に特化したものは別だが、エレミヤやシャーレのように身体の一部になっているものは非常に繊細で扱い難く、一部で呪いと揶揄されることがままある。
特に千里眼は、発動に大きく時間を要し、使えばエレミヤは無防備になる。加えて性質上神と強く縁が結びついているため、元来の持ち主であるナイル・アーネストの介入を許す形となる。
そのため力が限定され、今この場に限って言えばガラクタ同然だった。
「エレミヤさんも私と同じで神遺秘装に苦労しているようですね」
同胞故か、その苦労はシャーレの身に染みて伝わってくる。だからといって手心を加えることはしないが、同情くらいはしても構わないだろう。
『シャーレ、かなり無茶してるようだけど大丈夫かい?』
シャーレの足下にいる屍の口からクーリアの声が響いていく。
「今のところは問題ありませんよ。私のことより、クルージュ先生の方を気になさってください」
シャーレ自身余裕をかましているが、弱点も当然存在する。
ユーリとセリナ両方を操っている以上神経を裂かねばならないので本人は無防備にならざるを得ない点。支配した者の魔術武装や魔法は発動することができず、シャーレ自身が保有する無窮血鎖棺を武器として用いなければならない点。そして表には決して出さないが、傷付けば当然痛いので回復する度に心が摩耗していく点も弱点に含まれる。
つまりシャーレを倒すには根を上げるまで殺し続ければいいだけで、それを可能とするのは現状フリーディア最高戦力を有するグランドクロスくらいしか存在しない。特にファルラーダ・イル・クリスフォラスに至っては、無限に等しい魔力があるため二十四時間以上常にシャーレを殺し続けることが可能であり、加えて魔法の耐性が異常な程強く、血霊液でも支配することが叶わない。
シャーレがファルラーダを嫌いな一番の理由がそれで、単に思い通りにならないから気に食わないだけである。
「まぁ、それは置いておくとして……お兄さん、ちゃんと思い出してくれているんですかねぇ」
アルギーラで初めて会った時、お互いに記憶の欠落があることが判明し、シャーレは自身の存在意義を見出す鍵を握っているのはユーリなのだと本能的に理解した。血霊液で支配して、ユーリの記憶を刺激すれば何らかのアクションがあるものと期待したのだが、結果はセリナと同じく物言わぬ傀儡と成り果てただけ。
「ま、終わってからゆっくり聞いてみればいいことですし、今は異種族さんたちが右往左往する姿を堪能することに専念しましょうか」
じわじわと追い込まれていくナギたちがどう足掻くか非常に見ものである。
「ミグレットちゃんが奇跡を起こすのか、それとも別の理が生まれるのか? どうか最高の舞台を披露してくださいね!」
そう言って高みの見物を決め込むシャーレに対して、一方のエレミヤたちの焦りは募る一方だった。
「ユーリ!!」
エレミヤがどれだけ叫んでも彼の心に言葉が届かない。あのユーリがここまで追い込まれるなど予想できる筈もない。改めてグランドクロスの恐ろしさ、イリスでさえ敗北したフリーディア最高戦力の力を身に染みて思い知る。
ミグレットとシオンを守るだけで神経が擦り減っていき、ナギとアリカもユーリとセリナを相手に状況を打開する術を見出せずにいる。
「今にして思えば、戦闘訓練をもっと積んでおくべきだったわ。当時の私のばかばかばか!」
戦術ならいざ知らず、戦闘に関してはズブの素人同然のエレミヤ。本来護られるべき立場である姫巫女は魔法も自己防衛に特化したものしか扱えず、今にして戦闘経験を積んでおくべきだったと後悔が押し寄せる。
当時のエレミヤにはイリスがいたため、何があっても大丈夫だと思い込んでいたのだ。
加えてユーリに会うのが気まずくて、いなくなったことに気がつかなかったという痛恨の過ちも犯してしまった。もっと早くに気が付いていれば、会談や戦争の時もそうだったが何故エレミヤは肝心な所でいつも失敗してしまうのだ。
シャーレがユーリにキスしたこともそう。ナギがショックのあまり声を荒げていたが、エレミヤは千里眼の影響で常に目を閉じていなければならないため直接見たわけではないが、その分気配は誰よりも敏感だ。
シャーレはユーリに恋愛感情は懐いていない。ただ絶望の舞台を彩る役者としての務めを果たしたに過ぎない。
エレミヤは声や纏う雰囲気だけで、大方の人物像を掴むことに長けている。だからシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーが何のためにこんな悲劇を起こしたのか知らず知らずのうちに理解していた。
「こうなったら一か八かよ、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガー!」
彼女は戦いよりも、他者に如何にして絶望や怨嗟の嘆きを上げさせるかを重視する傾向にある。
「はい?」
案の定シャーレはエレミヤの声に反応し、僅かばかりにユーリとセリナに纏わりつく血鎖の動きが鈍くなった。とはいえ攻撃が完全に止んだわけではないため、猛攻を必死に食い止めながらにはなるがそれでもいい。
少しでも逼迫した状況を打開するために、これまでの情報で掴んだシャーレの正体を口にする。
「あなた、実はヴァンパイヤでしょ? あんなに激しく出血したのに血は吸わなくて平気なの? それとずっと気に掛かってたのだけれど、ヴァンパイヤのあなたが一体どういう理由でフリーディアの味方をしているのかし――ッ!?」
刹那――エレミヤが言葉を止めざるを得ない程の強烈な殺意が身に降り注いだ。ファルラーダの時のような全てを力尽くで捩じ伏せるような圧倒的な魔力とは違う、まるで光の見えない暗い水底に無理矢理圧し込まれたような圧迫感を感じる。
操られているユーリやセリナの動きがピタリと制止し棒立ちとなる。だというのに助けに動くことができずにいる。夜の闇がジワジワとエレミヤたちを圧迫していく。ナギやアリカ、シオンとミグレットの視線がこの場の支配者たるシャーレへ向けられる。
これまでの淑女然とした雰囲気は一変し、忌々しげに歯を食い縛るシャーレの姿がそこにはあった。
『あー、エレミヤさんそれシャーレの地雷だから。何で言っちゃうかなぁ? あんたとミグレットちゃんは生かして連れ帰りたいのに、シャーレがキレたら殺されちゃうじゃんか!』
動揺を誘うためにエレミヤが放った言葉は、盛大にシャーレの地雷を踏んだらしい。屍から発せられるクーリア・クロウ・ククルウィッチの声音は悲嘆に暮れていた。
「誰が……ヴァンパイヤですかッ、異種族風情が私を同じに見るな!!」
人間の紛い物、と揶揄されるだけでも万死に値するというのにハッキリと忌むべき諱を口にしたエレミヤは絶対に許さないと視線が物語っている。
特に異種族に同類と言われたことが地雷を踏んだ一番の要因――だがエレミヤもここで引くわけにはいかないため強気で言葉を返す。
「あら違ったかしら? フリーディアは本来異能術や魔法が扱えない筈、だというのに神遺秘装を保有しているあなたは私たちと同じ異種族ってことでしょ?
それに同類って感覚で何となく分かるのよ。あなたからはヴァンパイヤ特有の血臭が鼻に付くほど臭うわ。それを自覚してないのね」
エルフ国から距離が離れすぎているため、直接戦争になったことはないが、何でも陽を浴びると死に至り夜の時間しか生きられないヴァンパイヤと呼ばれる種族が存在したとのこと。
彼らはエルフを強く敵視していたためエレミヤも警戒していたのだが、ある日から音沙汰がなくなり何処かの種族との戦争で敗れ、滅ぼされたのだろうとエルフ王たちは言っていた。今思えばヴァンパイヤはフリーディアに滅ぼされたのだと分かる。
問題なのは、神遺秘装を保有するヴァンパイヤがフリーディア側――それも最高位を司るグランドクロスという点にある。
「でも、ヴァンパイヤと呼ぶには違和感が……あなたは存在そのものが中途半端で曖昧な」
いや、本当にそうか? あれだけ徹底して異種族を廃してきたフリーディアがシャーレに好き勝手させていることに違和感を覚える。ユーリが神の因子を受け継いだように彼女もまた、ヴァンパイヤの因子を色濃く受け継いでいるとすれば……。
「人間の、紛い者」
シャーレという歪な存在を一言で定義するなら紛い者と称するのが理に適っている。
「ッッッ」
その一言はシャーレの中にある臨界点を突破し、深く胸に突き刺さった。
「なるほど、あなたもあなたなりの誇りを持っているのね……悪趣味極まりないけど」
シャーレの正体に関する謎は置いておくとして、彼女は誰しも当たり前に存在する善悪の区別がついていない。だから平気で人を陥れるし、その行為に悦びを見出している。だけどそれとは別に自尊心が強く根付いている事を理解した。
彼女はフリーディアであることに誇りを持っているため、自身が異種族だということを認めていない。だからそこを刺激すれば簡単に壊れると思ったが、想像以上に効果覿面だった。
「ハァハァッ、うぐっ」
怒りで感情が激しく揺さぶられたシャーレは、何かが枯渇したように突如として苦しみ出す。そこにすかさず反応したクーリアは動揺し慌てた様子で言う。
『ちょちょちょ、嘘でしょシャーレ!? 出撃前に輸血したのにもう血が足りないの!?』
「うるっさい、ですよ。ここは血の匂いが強すぎますので、少し黙ってッ、ください」
シャーレに襲いかかる衝動は、忌むべき吸血衝動。彼女の中に流れる血が飢え、乾き、枯渇した際に起こる一種の呪いだった。事前に血を摂取し予防していようが関係ない。何かしらのきっかけで疼き出す衝動を強靭な自我で抑え込んでいたのだ。
一瞬とはいえ、我を忘れる程の怒りに支配されれば芳醇な血の香りが細胞を活性化させる。特にシャーレは"生後一度として吸血行為を行なっていない"為、内なる衝動の強さは余人には計り知れない。
「今よナギ、アリカ! ユーリとユーリのお母様を取り押さえて!!」
「「うん(えぇ)!」」
千載一遇のチャンスを逃さずに発したエレミヤの号令にナギとアリカは強く頷き、再び迫り来る血鎖を跳ね返してユーリとセリナに急接近する。
「――嘗めないでください、異種族風情がッ!!」
シャーレが狂おしく咆哮を上げながら、より支配力を強めてユーリとセリナを勢いよく引き戻す。
「「!?」」
同時に今度はシャーレ自身がナギとアリカの行く手を阻むべく前に出る。彼女にとってユーリとセリナを奪われることは敗北も同然。
このまま正面から衝突すれば、近接戦闘に特化したナギとアリカが勝つ。問題は彼女は不死の特性を司っている事と血を浴びれば忽ち支配される部分にある。
「ナギ、峰打ちして戦闘不能に追い込むわよ!」
「分かった!」
こうなれば傷を付けずに激昂したシャーレを打倒する他ない。しかし――
「呪法・血針千本」
彼女たちはシャーレの持つ神遺秘装――血霊液の力を侮っていた。その能力の真の恐ろしさは、支配や不死だけに留まらない。
「「!?」」
決してシャーレの血を浴びてはならないと警戒していた二人へ向けて放たれる無数の血の針。シャーレ自身の体内を突き抜けて凝縮された血液が鋭利な針状へと変化し、突風の如く襲いかかったのだ。
「くっ、ナギ! 私の後ろに隠れて!! リーズシュタット流剣術――緋紅剣・陣牢!」
アリカが得意とする防御剣術――地面から突き出た幾重もの真紅の刃が即席の防御壁となり、迫る血針千本を防いでいく。
「私の魔力で編まれた刃の檻なら、すぐ解除すれば支配されずに済む! 嘗めんじゃないわよグランドクロス!」
シャーレの怒りに少しばかり怯んだが、アリカも大切な仲間を陥れた彼女に対して怒り爆発となっていた。
「アンタは正面から戦り合うようなタイプじゃない、それならッ」
傷付けてはいけない都合上、使える剣術は限られてくる。死なないなら、一撃のもと意識を刈り取ればいい。
「ナギ、離れてて! リーズシュタット流――」
「いちいちあなたのお遊び剣術に付き合っている暇はないんですよ! 呪法・血衝飛沫!」
アリカがシャーレへ向けて剣技を放とうとした瞬間、血霊液を持つシャーレだからこそ扱える死の呪法が炸裂する。
「なっ!?」
アリカが驚愕するもの無理なきこと。何故なら、シャーレが跳躍した瞬間、彼女の身体が内側からパァンッと激しく破裂し、血飛沫となりて鮮血がアリカとナギ目掛けて豪快に降り注いだのだから。
どんな達人でも雨の一滴一滴を躱すなど絶対にできない。なまじ自滅を前提とした戦略を即興で対処する方が難しい。
ダメージはないが、ナギとアリカの身体に血霊液が付着してしまったのは手痛い失敗だ。加えて飛び散った肉片が瞬時に集まり、元の姿形を成していく。そこには先刻と寸分変わらぬシャーレが再び現れ――
「呪法・血鬼隷属」
「「がっ!?」」
瞬間、アリカとナギは足が地面に縫い付けられたように動かなくなる。これではリーズシュタット流はおろか、まともな剣技すら放てない。
死なないのをいい事にやりたい放題されている。シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの出鱈目すぎる戦法に正面から挑んだことが愚かな選択であった。
「あなたたちを操る価値はありませんので、そこで大人しくお仲間が殺されるのを見ていてください」
ナギとアリカは眼中になく、シャーレの視界にはエレミヤしか映っていないようだ。二人は必死に吸血姫の支配から逃れようとするも、桁外れの膨大な魔力に圧し留められている。
「シオンもう一回行くですよ!」
「うん!」
最厄の鬼哭啾啾たる殺意を浴びながらも、ミグレットたちは再びナギたちの救出に向かおうとするが。
「あなた達もいい加減大人しくしてくださいね!」
目にも留まらぬ速さでミグレットとシオンの間に割り込んだシャーレはすかさず両手を駆使して打撃を放ち、二人を吹き飛ばした。
「「あうっ!?」」
エレミヤの魔法障壁などシャーレの前では紙切れ同然。地に伏せるミグレットとシオンは幸いにも生きていたが、ダメージが大きいのか立ち上がることができずにいる。
「シオン、ミグレット!!」
最後に残されたエレミヤは倒された仲間の名前を叫ぶことしかできない。
「お仲間を気遣っている余裕があるんですか? 私を紛い者呼ばわりしたあなたには死よりも深い絶望を味わっていただきます――お兄さん!!」
ただ殺すだけでは全然物足りない。枯渇した餓えを凌ぐには、エレミヤの怨嗟と嘆きを糧にする必要がある。シャーレの魔法により、これまで棒立ちしていたユーリ・クロイスが血鎖と共にエレミヤ目掛けて突っ込んでいく。
「ッ」
恐らくユーリは血鎖の尖った先端をエレミヤの胸に突き刺すつもりなのだろう。いつも感じる暖かな気配とは真逆の何ら光を灯していない虚無の心がエレミヤをより一層悲しみへと追いやっていく。
「ユーリ……」
どれだけ名を呼んでも、エレミヤの声はユーリには届かない。彼女の求める心の距離とユーリの想う心の距離には大きく隔たりがある。
謂うなれば、友達以上恋人未満の関係。
戦争で敗北し多くの同胞を亡くしたばかりか、イリスら連れ去られ、故郷すらも滅ぼされたエレミヤにはユーリ・クロイスという存在しか残っていなかった。
これまで依る辺にしてきた神に裏切られた以上、激しく彼を求めてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。恋愛はエレミヤにとって、ユーリが懐く夢と同じくらい大切なものだから。
『やめてくれぇーーー!! エレミヤさんが死んじゃったら、貴重な千里眼が消えちゃうじゃんかーーー!!』
「死ねぇ!!」
場違いなことで泣き叫ぶクーリアを無視して、シャーレはトドメと言わんばかりに叫ぶ。
「エレミヤぁぁああああーーーー!!!」
ナギ、アリカ、ミグレット、シオンは深い慟哭に苛まれながら、エレミヤの名を叫び。
「ごめんなさい……ユーリ、皆……イリスッ」
エレミヤは涙を流しながら、ユーリが一番望まないことをさせてしまったこと、これまで頑張ってくれたナギたち皆や最愛の近衛騎士であるイリスを救えずに命を落とすことに対して謝ることしかできなかった。
ユーリ・クロイスは虚ろな眼差しのまま、血鎖の尖端をエレミヤへ向けて突き刺していく。その光景を見ることが躊躇われた四人の少女は咄嗟に目を背けてしまい。
「な、何で……?」
動揺に震えるその声は、本来あり得ざるシャーレの口から発せられたものだった。
「「「「…………?」」」」
最悪の事態を想定していたナギたちは、不可解さを隠せずに恐る恐る瞳を開く。
「……うそ」
そして、エレミヤは五体満足無事に生きていた。ユーリが正気を取り戻したわけじゃない。この場に置いて最も彼を愛する一人の女性が、エレミヤの盾となり胸部を血鎖に貫かれていたのだ。
「ユーリの、お母様……?」
エレミヤは震える声で、庇ってくれた女性の名を呼ぶ。
「……こふッ――えぇ、初めましてエレミヤちゃん。まさかユーちゃんにこんなに素敵なガールフレンドができてたなんてビックリよ。おかげで目が覚めちゃったわ」
――セリナ・クロイス。
シャーレの支配を自力で打ち破った一児の母は、激しく吐血しながら笑ってみせた。
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