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第六章 吸血姫の愛
第156話 冥月嫉魔
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時は僅かに遡り、フィオネとシャーレがホテルの室内で向かい合って対話を繰り広げていた頃。
「まさ、か……」
それは、フィオネ・クルージュがシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーに齎された一つの真実。
「嘘ではありませんよ? 何かしらの手段で巧妙に正体を隠していますが、先生の大切な想い人さんと行動を共にしている方々は異種族さんです。何らかの魔法で拐かされてしまっているんじゃないですかねぇ、うふふ」
サラが異種族。主人であるオリヴァー・カイエスはあろう事に人類の仇敵とされる異種族に恋心を懐いている。その事実に吐き気を催し、今しがたシャーレが言った拐かすという発言がフィオネの脳を侵食していく。
「坊ちゃまは、利用されている? 以前までとは別人のように変わってしまったとは思っていましたが、まさか」
「うふふ、どうしましょうねぇ? このままでは治安維持部隊に発見されるのも時間の問題です。そうなったら、あなたの想い人さんも異種族さんと一緒に殺されることになりますが……」
「そんな!?」
シャーレの言うことは至極真っ当であり、このままではオリヴァーが殺されるのは明白。それだけは何としてでも阻止しなければならない。となればサラの排除は必須事項。しかし――
「坊ちゃま、坊ちゃま坊ちゃま……あぁ、どうすればッ」
魔術武装を持たない一使用人が異種族に敵う筈がない。一般的教養としての戦闘訓練しか積んでいないフィオネでは返り討ちに合うのは自明の理である。
「――力が、欲しいですか?」
「…………え?」
教え子であるシャーレから放たれる威圧感に面食らうフィオネ。彼女はシャーレがグランドクロスであることも、都市タリアで何をしようとしているのかも預かり知らないわけで、この反応はある意味当然といえる。
「ヴァイゼンベルガー、さん?」
「私なら、先生に力を与えることができます。愛する人を守るために、全てを犠牲にする覚悟があなたにはありますか?」
「…………」
フィオネは喉を鳴らし、シャーレの差し伸べる手を取るべきか逡巡する。この手を取れば自分は堕ちるところまで堕ちる……何故かそう思ってしまったから。
「もしないのでしたらこのままお帰りください。そして大切な想い人さんが異種族さんと共に命尽き果てるのを――」
「――待ってください!」
そうしてフィオネは悪魔と契約を結んでしまった。この身がどうなろうとも必ずオリヴァーを救い出す。異種族風情が彼の隣に立つなど不遜極まる。だから――
◇
「穢らわしい異種族が坊ちゃまの隣に立つんじゃないッ、そこは私の居場所だ!!」
タリアの街が死と絶望の饗宴に包まれる中で、フィオネ・クルージュはサラという女狐へ憎悪の怨嗟を解き放っていく。
「フィオネ、話は後だ! 今はそんなことしてる場合じゃ――」
「坊ちゃまは大人しくしていてください! 大丈夫です、あなたを死なせたりしません!」
「何を!?」
オリヴァーからすれば、一刻を争うこの事態で戦う意義はない。何故サラが異種族だとバレたのかそれは置いておくとして、激情に駆られるフィオネを止めなければ街の人々を救うどころの話ではない。
「フィオネさん、落ち着いて! 私は」
「…………」
屍鬼と応戦しながら説得を試みるサラだが、今のフィオネには逆効果。どの面下げて私の名を呼んでいる? と赫怒の眼差しが語っていた。
「私は坊ちゃまを拐かしたお前を決して赦しはしない。例えこの身が朽ち果てようとも――この世界全てを地獄に変えてもお前を殺す!!」
「「!?」」
フィオネ・クルージュは軍人ではないため魔術武装を持たず、本来であれば彼女がサラを打倒することなど天地がひっくり返ったとしてもあり得ない。本人もそれを分かっている筈なのに、何故こうも戦意を昂らせているのか? 何故屍鬼たちはフィオネに襲いかかる素振りすら見せないのか?
「フィオネ、君は……」
分からない……分からないがこのまま彼女を放置することはできない。
「オリヴァーくん、ごめん! この魔力、凄く嫌な感じがする……フィオネさんを気絶させるけど許してね!!」
サラも異変を感じたようで、説得ではなく実力行使に打って出た。
「異能術・超加速!」
目にも留まらぬ速さで即座にフィオネと距離を詰めるサラ。拳を握りしめ、ごめんなさいと謝辞の句を述べながらフィオネへ向けて振り抜いた瞬間――
「融合型魔術武装・展開――冥月嫉魔!!」
それは、新たな魔の使いを降臨させるための祝詞。サラの拳がフィオネの身体を穿つも、ガキィィィッン! と甲高い金属音が鳴り響き、サラの拳が弾かれてしまう。
「「なっ!?」」
人在らざる強靭な防御力を誇るフィオネの身体は、既に過去の面影を無くしていた。端的に言えば彼女はもう、人間ではない。
ゴキゴキッと歪な音色を奏でながら肉を機械へと変貌させていき、機械化していくフィオネ。全身紫と桃色を基調とした鎧に包まれ、禍々しくも美しく、繊細かつ豪胆な邪なる魔力を漂わせタリアの地へ降臨する。
その女型機械の御姿はまさしく、冥月嫉魔の名に相応しい異形さを醸し出し、タリアの街そのものを震撼させる。
「融合型魔術武装、だって!? まさか、フィオネ!!」
融合型魔術武装。それはかつてのフリーディアが禁忌として葬り去った過去の遺産。ドワーフの手により復活し、シオンが犠牲になったことは記憶に新しい。
オリヴァーとサラは直接ドワーフが造った堕天使とは対面していないが、アルギーラ基地の燦々たる破壊の跡とユーリたちの話を統合すれば、その恐ろしさは十二分に理解できる。
『これが私の覚悟です、坊ちゃま! ヴァイゼンベルガーさんの血とククルウィッチさんの造った冥月嫉魔の力を使えば、私でも異種族と渡り合うことができる!』
四枚の悪魔の翼を羽ばたかせ、冥月嫉魔は最厄が織りなす饗宴の舞台を更なる絶望へと昇華させていく。
オリヴァー・カイエスとサラが知る由もない真実。シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの名は聞いていても直接対面していない彼らには縁遠い事柄。
シャーレの神遺秘装――血霊液の力により強制的に魔核を拡張させたこと。天才異生物学者であるクーリア・クロウ・ククルウィッチがシャーレの持ち帰った情報を解析して、より高性能な融合型魔術武装を完成させ受理するに至ったこと。
『坊ちゃま、こんな姿になった私でも愛してくれますか? あなたの……あなたのためなら私は、身体だって差し出せる! 私の全てを捧げられるんです!!』
フィオネの想いに呼応して、冥月嫉魔の胸部に搭載された砲門が貌を覗かせる。そこから収束していく魔力量は常軌を逸しており、常人一人が賄えるものではない。
「やめろ、やめるんだフィオネ!!」
最早主人の言葉はフィオネの心には届かない。沸き立つ憎悪の照準をサラへ向け、禁断の力を解き放った。
『冥月嫉魔――制限解除!』
血と漆黒の泥で彩られた巨大魔法砲撃はフィオネの命を触媒として放たれたもので、今のオリヴァーとサラに防ぐ手立てはない。
「くっ、超加速!」
サラは苦渋の決断の末、オリヴァーを抱えて緊急退避。激しい衝撃が二人を襲うも、何とか堪えて射程圏外へと逃れていく。
恋人の故郷が屍鬼や無関係な市民を巻き込んで荘厳なる破壊の痕を刻まれるのをみすみす許してしまった。ガラガラと崩壊していく建物群や原型すら保っていない地形が否応にも目に映る。
「あ、あぁ……」
オリヴァーは茫然自失といった様子で半壊した都市タリアの惨状を見つめている。これ程の大規模破壊は、フリーディアの歴史上初めてのこと。それを引き起こしたのは紛れもなくフィオネ本人の意志によるもの。
どうあっても取り戻せない過去の景色、フィオネは決して助からないと知ってしまったから。
「私の……せいなの?」
「!?」
オリヴァーを抱えるサラも同じ気持ちを懐いたのか、この惨状を招いたのは自分のせいだと言い出してしまう。
「私が、オリヴァーくんのこと好きになったから? そもそもタリアへ来なければこんなことには……」
「サラ!!」
サラが自暴自棄になりかけたのを見たオリヴァーは自らの口で塞いで黙らせる。
「むぐっ!?」
我に返ったサラは、目を見開いて恋人の口付けを受け止めながら狼狽を露わにする。
「ぷはっ、オ、オリヴァー……くん?」
慌てて離れたサラは自らの唇を抑えてオリヴァーを見つめる。彼の表情は絶望には染まっておらず、確かな光を灯していた。
「サラ……自分を責めても、僕が君を好きだという事実に変わりはない。僕も後悔で頭がいっぱいさ。もっとちゃんとフィオネと向き合えていたら、こうはならなかったんじゃないかって」
「オリヴァーくんのせいじゃないよ。私、悪い子なんだ……こんな状況なのに、君がキスしてくれたことが嬉しくて仕方ないの」
「君が悪い子なら僕はもっと悪い奴さ。だから二人でフィオネを止めよう。二人で、今度こそ」
「うん」
オリヴァーとサラは正義の味方なんかじゃない。例え後ろ指を刺されようとも、二人の愛のために自分を貫いて生きていく。そのために戦うと決めたから。
◇
「わお! クルージュ先生ってば情熱的だねぇ」
崩壊していく都市タリアから離れた位置にある軍用装甲車の中で、異生物学者――クーリア・クロウ・ククルウィッチがノートパソコンを手に笑っていた。
「本当はミグレットちゃんに見せてあげたかったんだけど仕方ないか。クルージュ先生みたいな戦闘経験皆無の人じゃ、見世物にすらならない。
真価が試されるのは、やっぱり強い人たちじゃないと」
眼鏡のレンズ越しに映るモニターには、フィオネの視点から映るタリアの景色に加え、自ら調整を施し開発した冥月嫉魔の機体データが映し出されている。
ドワーフが開発した融合型魔術武装など、クーリアから見れば粗悪品にも等しい。
基礎理論を運良く構築できたとしても、それがどういう理論に基いているのか分かっていないため、すぐにパワー切れを起こして暴走してしまう。
しかし彼女が開発した冥月嫉魔は、性能もさることながら何より魔力効率と持続時間が段違いだ。制限解除化でありながら、長時間の戦闘を可能としたフィオネには様々な武装も施されており、ドワーフが開発した堕天使の約二倍に相当する性能差がある。
「さーて、お次はシャーレの様子でも見ようかな」
モニターを切り替え、シャーレが治安維持部隊の遺体に仕込んだ小型カメラの映像が映し出される。そこには空中で文字通りボコボコにされるユーリ・クロイスの姿が。
「相変わらず容赦ないなぁ。流石グランドクロス。強すぎて、全然笑えない。正直一番敵に回したくない相手だよシャーレは。最強ならぬ最凶ってやつ?
身体能力、魔力、神遺秘装――私から言わせれば最初から全部持ってる癖に、物足りないとか生意気だって」
異生物学者の目から見ればシャーレの存在こそ人間が辿り着くべき理想の究極体に映っている。定期的に血を摂取しなければならないという欠点が存在するが、そこに目を瞑れば破格の性能だ。ファルラーダ・イル・クリスフォラスと同じく生まれる世界を間違えてないか? と思ってしまう程の圧倒的強さに誰もが焦がれることだろう。
「ま、私はその代わり超有能な頭脳があるから問題ないけど」
身体能力、魔力ともに平均以下。優れた他者を妬む心も持ち合わせるし、走れば当然疲れる。銃で撃たれれば無抵抗で死んでしまう脆弱な女――それがクーリア・クロウ・ククルウィッチだ。
けれど彼女はシャーレとは別の意味で異端で異質で異才だった。
「ミグレットちゃん、早く来ないかなー?」
ミグレットを手に入れたい。欲望が渦巻き、クーリアの内側を支配していく。研究のためならどんな犠牲も惜しまない、一種の執着という名の狂気に呑まれていた。
◇
『――見つけたぞ、異種族!!』
冥月嫉魔の憎悪は依然として健在。身を隠したオリヴァーとサラの居場所を突き止め、今度こそ息の根を止めるべく漆黒の翼を羽ばたかせ接近する。
『機法・高周波邪法大剣!!』
五本指の先から超高密度の魔力を出力させ大剣の形に留めた魔法――高周波邪法大剣。フィオネの憎悪と邪気が練り込まれた災いを生み出す大剣は、触れた者全てを灰燼と化す。
「「くっ」」
オリヴァーとサラはすぐに危険性を見抜き、散開して回避する。力任せに振り下ろされた大剣は大地そのものを灰燼の骸へと変えていく。
加えて、被害を免れたであろう屍鬼たちが生き血を求めてオリヴァーとサラ目掛けて一斉に迫り来る。
「薔薇輝械!!」
オリヴァーは魔術武装で応戦し、屍鬼たちを退けようとするも次々に沸いてくるためキリがなかった。
一方のサラは、冥月嫉魔、屍鬼の軍勢の両方に追われる形となっており、状況は非常に芳しくない。
「ユーリくんやナギたちが来ないッ、きっと向こうでも何かしらのトラブルが……もしかして、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーと戦ってるんじゃ」
フィオネがヴァイゼンベルガーの名を口にした時点で嫌な予感はしていた。フリーディアの中でも異質な部類に入るシャーレがシオンにした時と同じようにこの悲劇を生み出しているのだとするなら。
「それなら、私がフィオネさんを止めるしかない!!」
サラは覚悟を決めて魔爪を発動し、冥月嫉魔の装甲を貫くべく、足を踏みしだき急速転換していく。
『!?』
まさか逆走してくるとは思わなかったのか、フィオネの内に動揺が広がっていく。彼女ではビーストの速度に対応できない。簡単に懐に入られてしまい、サラの一撃を許してしまう。
「硬いッ」
しかし威力が低いため冥月嫉魔の装甲を貫くことは叶わず安易に弾かれてしまう。
「だけど!」
サラはヒットアンドウェイに徹し、執拗に同じ箇所へ狙いを定めていく。
『蝿が!!』
フィオネは苛立ち混じりに高周波邪法大剣を大地へ叩きつけるも、その瞬間にはサラは射程圏外へ逃れてしまい、餌食となるのは本能のままに血を貪るシャーレの傀儡のみ。
「はぁ、はぁはぁッ」
しかしサラとて無限にこの戦法を用いられるわけではない。ゆっくりと、着実に彼女の魔力と体力は消耗し動きにも雑味が現れ始めていた。
「ナギみたいに神遺秘装が扱えれば、状況も違ったんだろうけど!」
ナギの有する白纏雷の破壊力なら今頃フィオネの装甲を貫いていた筈だ。ないものねだりをしても仕方ないが、サラはどうしてもあの力が欲しいと思った。
「あぐっ」
そしてフィオネもようやくサラの動きに目が慣れたのか、高周波邪法大剣を振り翳し、衝撃で建物もろとも吹き飛ばしていく。
余波に耐えきれず瓦礫の破片がサラの頬を掠めていく。未だに傷一つない冥月嫉魔は、執拗なまでに大剣を振り続ける。
威力は絶大だが動きは単調、戦闘に関しては素人のフィオネだからこそ、こうしてサラは無事でいられるわけで。
「止めろ、フィオネ!」
屍鬼の大群を潜り抜けたオリヴァー・カイエスは薔薇輝械を伸縮させ冥月嫉魔の腕部に巻きつけていく。
『坊ちゃま! 邪魔をしないでください!!』
「君にサラは殺させない! 僕は命に変えても君を止める! 少し痛いだろうが我慢してくれよ」
『何を……』
刹那、冥月嫉魔に巻きついていた薔薇輝械《ロードナイトエリキシル》の茎部分から数十にも及ぶ白薔薇が咲き誇り――
「炎法・白薔薇新星爆発!」
直後に幾重もの白薔薇が弾け、連鎖爆発を引き起こしていく。オリヴァーの切り札ともいえる魔法の前に、フィオネの剛腕部は衝撃に耐えきれず犇いていく。
『ぐうぅぅッ』
冥月嫉魔の吐き出すエラー音がフィオネの脳内にけたたましく鳴り響く。
「サラ、今だ!!」
「うん!」
フィオネが怯んだ隙を逃さず、すかさず追撃に移るサラ。咆哮を上げながら魔爪を突き立て被弾した剛腕部へ攻撃を仕掛けようとした瞬間――
『う、あぁぁあぁぁぁぁぁッッーーー!!!!』
フィオネが絶叫を上げると同時に、サラは何かに殴られたような強い衝撃を受けて弾き飛ばされた。
「ごふっ」
内臓が損壊し、口から多量の血を吐き出し呻くサラ。オリヴァーが声を上げてサラの名を呼ぶが、彼女の瞳には異形の四本腕となった冥月嫉魔が映っていた。
「四本腕……そっか、あれで殴られて……」
たった一撃受けただけで重症を負ったサラは、満足に動くことが叶わない。攻撃力も防御力も彼女を遥かに上回る冥月嫉魔に勝利する術を見出せない。
「サラ!! ぐあッ!!」
加えてオリヴァーまでフィオネに捕まれてしまい、いよいよとなって絶対絶滅の大ピンチに陥った。
『坊ちゃま、もう二度とあなたを離しません。愛しています……』
「フィオネ……」
姿が変わってしまっても中身はフィオネ・クルージュそのもの。人としての道理を外れても尚愛を捧ぐ彼女にオリヴァーは応えることができない。
「何度言われようと答えは同じだ。僕はサラを愛している。彼女を殺しても、君に振り向くことは決してない!」
『そうですね、坊ちゃま。タリアにはもう住めなくなってしまいましたし、今度はどこに住みましょうか?
せっかくですし、人気のない静かで海の見える所に引っ越しませんか? きっと楽しいですよ』
「…………」
もう、オリヴァーの言葉すらフィオネに届かなくなってしまった。彼女は虚構を夢に、今という現実的から目を背けていた。
『坊ちゃまと私の未来を邪魔する者は全て殺す――そう、お前だけは絶対にッ!!』
サラという諸悪の根源を断つ。全てはその為に、この身すらも捧げたのだ。フィオネ・クルージュの愛と憎悪の悲鳴は、胸門部から放たれる破滅の業火と共に響き渡った。
「まさ、か……」
それは、フィオネ・クルージュがシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーに齎された一つの真実。
「嘘ではありませんよ? 何かしらの手段で巧妙に正体を隠していますが、先生の大切な想い人さんと行動を共にしている方々は異種族さんです。何らかの魔法で拐かされてしまっているんじゃないですかねぇ、うふふ」
サラが異種族。主人であるオリヴァー・カイエスはあろう事に人類の仇敵とされる異種族に恋心を懐いている。その事実に吐き気を催し、今しがたシャーレが言った拐かすという発言がフィオネの脳を侵食していく。
「坊ちゃまは、利用されている? 以前までとは別人のように変わってしまったとは思っていましたが、まさか」
「うふふ、どうしましょうねぇ? このままでは治安維持部隊に発見されるのも時間の問題です。そうなったら、あなたの想い人さんも異種族さんと一緒に殺されることになりますが……」
「そんな!?」
シャーレの言うことは至極真っ当であり、このままではオリヴァーが殺されるのは明白。それだけは何としてでも阻止しなければならない。となればサラの排除は必須事項。しかし――
「坊ちゃま、坊ちゃま坊ちゃま……あぁ、どうすればッ」
魔術武装を持たない一使用人が異種族に敵う筈がない。一般的教養としての戦闘訓練しか積んでいないフィオネでは返り討ちに合うのは自明の理である。
「――力が、欲しいですか?」
「…………え?」
教え子であるシャーレから放たれる威圧感に面食らうフィオネ。彼女はシャーレがグランドクロスであることも、都市タリアで何をしようとしているのかも預かり知らないわけで、この反応はある意味当然といえる。
「ヴァイゼンベルガー、さん?」
「私なら、先生に力を与えることができます。愛する人を守るために、全てを犠牲にする覚悟があなたにはありますか?」
「…………」
フィオネは喉を鳴らし、シャーレの差し伸べる手を取るべきか逡巡する。この手を取れば自分は堕ちるところまで堕ちる……何故かそう思ってしまったから。
「もしないのでしたらこのままお帰りください。そして大切な想い人さんが異種族さんと共に命尽き果てるのを――」
「――待ってください!」
そうしてフィオネは悪魔と契約を結んでしまった。この身がどうなろうとも必ずオリヴァーを救い出す。異種族風情が彼の隣に立つなど不遜極まる。だから――
◇
「穢らわしい異種族が坊ちゃまの隣に立つんじゃないッ、そこは私の居場所だ!!」
タリアの街が死と絶望の饗宴に包まれる中で、フィオネ・クルージュはサラという女狐へ憎悪の怨嗟を解き放っていく。
「フィオネ、話は後だ! 今はそんなことしてる場合じゃ――」
「坊ちゃまは大人しくしていてください! 大丈夫です、あなたを死なせたりしません!」
「何を!?」
オリヴァーからすれば、一刻を争うこの事態で戦う意義はない。何故サラが異種族だとバレたのかそれは置いておくとして、激情に駆られるフィオネを止めなければ街の人々を救うどころの話ではない。
「フィオネさん、落ち着いて! 私は」
「…………」
屍鬼と応戦しながら説得を試みるサラだが、今のフィオネには逆効果。どの面下げて私の名を呼んでいる? と赫怒の眼差しが語っていた。
「私は坊ちゃまを拐かしたお前を決して赦しはしない。例えこの身が朽ち果てようとも――この世界全てを地獄に変えてもお前を殺す!!」
「「!?」」
フィオネ・クルージュは軍人ではないため魔術武装を持たず、本来であれば彼女がサラを打倒することなど天地がひっくり返ったとしてもあり得ない。本人もそれを分かっている筈なのに、何故こうも戦意を昂らせているのか? 何故屍鬼たちはフィオネに襲いかかる素振りすら見せないのか?
「フィオネ、君は……」
分からない……分からないがこのまま彼女を放置することはできない。
「オリヴァーくん、ごめん! この魔力、凄く嫌な感じがする……フィオネさんを気絶させるけど許してね!!」
サラも異変を感じたようで、説得ではなく実力行使に打って出た。
「異能術・超加速!」
目にも留まらぬ速さで即座にフィオネと距離を詰めるサラ。拳を握りしめ、ごめんなさいと謝辞の句を述べながらフィオネへ向けて振り抜いた瞬間――
「融合型魔術武装・展開――冥月嫉魔!!」
それは、新たな魔の使いを降臨させるための祝詞。サラの拳がフィオネの身体を穿つも、ガキィィィッン! と甲高い金属音が鳴り響き、サラの拳が弾かれてしまう。
「「なっ!?」」
人在らざる強靭な防御力を誇るフィオネの身体は、既に過去の面影を無くしていた。端的に言えば彼女はもう、人間ではない。
ゴキゴキッと歪な音色を奏でながら肉を機械へと変貌させていき、機械化していくフィオネ。全身紫と桃色を基調とした鎧に包まれ、禍々しくも美しく、繊細かつ豪胆な邪なる魔力を漂わせタリアの地へ降臨する。
その女型機械の御姿はまさしく、冥月嫉魔の名に相応しい異形さを醸し出し、タリアの街そのものを震撼させる。
「融合型魔術武装、だって!? まさか、フィオネ!!」
融合型魔術武装。それはかつてのフリーディアが禁忌として葬り去った過去の遺産。ドワーフの手により復活し、シオンが犠牲になったことは記憶に新しい。
オリヴァーとサラは直接ドワーフが造った堕天使とは対面していないが、アルギーラ基地の燦々たる破壊の跡とユーリたちの話を統合すれば、その恐ろしさは十二分に理解できる。
『これが私の覚悟です、坊ちゃま! ヴァイゼンベルガーさんの血とククルウィッチさんの造った冥月嫉魔の力を使えば、私でも異種族と渡り合うことができる!』
四枚の悪魔の翼を羽ばたかせ、冥月嫉魔は最厄が織りなす饗宴の舞台を更なる絶望へと昇華させていく。
オリヴァー・カイエスとサラが知る由もない真実。シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの名は聞いていても直接対面していない彼らには縁遠い事柄。
シャーレの神遺秘装――血霊液の力により強制的に魔核を拡張させたこと。天才異生物学者であるクーリア・クロウ・ククルウィッチがシャーレの持ち帰った情報を解析して、より高性能な融合型魔術武装を完成させ受理するに至ったこと。
『坊ちゃま、こんな姿になった私でも愛してくれますか? あなたの……あなたのためなら私は、身体だって差し出せる! 私の全てを捧げられるんです!!』
フィオネの想いに呼応して、冥月嫉魔の胸部に搭載された砲門が貌を覗かせる。そこから収束していく魔力量は常軌を逸しており、常人一人が賄えるものではない。
「やめろ、やめるんだフィオネ!!」
最早主人の言葉はフィオネの心には届かない。沸き立つ憎悪の照準をサラへ向け、禁断の力を解き放った。
『冥月嫉魔――制限解除!』
血と漆黒の泥で彩られた巨大魔法砲撃はフィオネの命を触媒として放たれたもので、今のオリヴァーとサラに防ぐ手立てはない。
「くっ、超加速!」
サラは苦渋の決断の末、オリヴァーを抱えて緊急退避。激しい衝撃が二人を襲うも、何とか堪えて射程圏外へと逃れていく。
恋人の故郷が屍鬼や無関係な市民を巻き込んで荘厳なる破壊の痕を刻まれるのをみすみす許してしまった。ガラガラと崩壊していく建物群や原型すら保っていない地形が否応にも目に映る。
「あ、あぁ……」
オリヴァーは茫然自失といった様子で半壊した都市タリアの惨状を見つめている。これ程の大規模破壊は、フリーディアの歴史上初めてのこと。それを引き起こしたのは紛れもなくフィオネ本人の意志によるもの。
どうあっても取り戻せない過去の景色、フィオネは決して助からないと知ってしまったから。
「私の……せいなの?」
「!?」
オリヴァーを抱えるサラも同じ気持ちを懐いたのか、この惨状を招いたのは自分のせいだと言い出してしまう。
「私が、オリヴァーくんのこと好きになったから? そもそもタリアへ来なければこんなことには……」
「サラ!!」
サラが自暴自棄になりかけたのを見たオリヴァーは自らの口で塞いで黙らせる。
「むぐっ!?」
我に返ったサラは、目を見開いて恋人の口付けを受け止めながら狼狽を露わにする。
「ぷはっ、オ、オリヴァー……くん?」
慌てて離れたサラは自らの唇を抑えてオリヴァーを見つめる。彼の表情は絶望には染まっておらず、確かな光を灯していた。
「サラ……自分を責めても、僕が君を好きだという事実に変わりはない。僕も後悔で頭がいっぱいさ。もっとちゃんとフィオネと向き合えていたら、こうはならなかったんじゃないかって」
「オリヴァーくんのせいじゃないよ。私、悪い子なんだ……こんな状況なのに、君がキスしてくれたことが嬉しくて仕方ないの」
「君が悪い子なら僕はもっと悪い奴さ。だから二人でフィオネを止めよう。二人で、今度こそ」
「うん」
オリヴァーとサラは正義の味方なんかじゃない。例え後ろ指を刺されようとも、二人の愛のために自分を貫いて生きていく。そのために戦うと決めたから。
◇
「わお! クルージュ先生ってば情熱的だねぇ」
崩壊していく都市タリアから離れた位置にある軍用装甲車の中で、異生物学者――クーリア・クロウ・ククルウィッチがノートパソコンを手に笑っていた。
「本当はミグレットちゃんに見せてあげたかったんだけど仕方ないか。クルージュ先生みたいな戦闘経験皆無の人じゃ、見世物にすらならない。
真価が試されるのは、やっぱり強い人たちじゃないと」
眼鏡のレンズ越しに映るモニターには、フィオネの視点から映るタリアの景色に加え、自ら調整を施し開発した冥月嫉魔の機体データが映し出されている。
ドワーフが開発した融合型魔術武装など、クーリアから見れば粗悪品にも等しい。
基礎理論を運良く構築できたとしても、それがどういう理論に基いているのか分かっていないため、すぐにパワー切れを起こして暴走してしまう。
しかし彼女が開発した冥月嫉魔は、性能もさることながら何より魔力効率と持続時間が段違いだ。制限解除化でありながら、長時間の戦闘を可能としたフィオネには様々な武装も施されており、ドワーフが開発した堕天使の約二倍に相当する性能差がある。
「さーて、お次はシャーレの様子でも見ようかな」
モニターを切り替え、シャーレが治安維持部隊の遺体に仕込んだ小型カメラの映像が映し出される。そこには空中で文字通りボコボコにされるユーリ・クロイスの姿が。
「相変わらず容赦ないなぁ。流石グランドクロス。強すぎて、全然笑えない。正直一番敵に回したくない相手だよシャーレは。最強ならぬ最凶ってやつ?
身体能力、魔力、神遺秘装――私から言わせれば最初から全部持ってる癖に、物足りないとか生意気だって」
異生物学者の目から見ればシャーレの存在こそ人間が辿り着くべき理想の究極体に映っている。定期的に血を摂取しなければならないという欠点が存在するが、そこに目を瞑れば破格の性能だ。ファルラーダ・イル・クリスフォラスと同じく生まれる世界を間違えてないか? と思ってしまう程の圧倒的強さに誰もが焦がれることだろう。
「ま、私はその代わり超有能な頭脳があるから問題ないけど」
身体能力、魔力ともに平均以下。優れた他者を妬む心も持ち合わせるし、走れば当然疲れる。銃で撃たれれば無抵抗で死んでしまう脆弱な女――それがクーリア・クロウ・ククルウィッチだ。
けれど彼女はシャーレとは別の意味で異端で異質で異才だった。
「ミグレットちゃん、早く来ないかなー?」
ミグレットを手に入れたい。欲望が渦巻き、クーリアの内側を支配していく。研究のためならどんな犠牲も惜しまない、一種の執着という名の狂気に呑まれていた。
◇
『――見つけたぞ、異種族!!』
冥月嫉魔の憎悪は依然として健在。身を隠したオリヴァーとサラの居場所を突き止め、今度こそ息の根を止めるべく漆黒の翼を羽ばたかせ接近する。
『機法・高周波邪法大剣!!』
五本指の先から超高密度の魔力を出力させ大剣の形に留めた魔法――高周波邪法大剣。フィオネの憎悪と邪気が練り込まれた災いを生み出す大剣は、触れた者全てを灰燼と化す。
「「くっ」」
オリヴァーとサラはすぐに危険性を見抜き、散開して回避する。力任せに振り下ろされた大剣は大地そのものを灰燼の骸へと変えていく。
加えて、被害を免れたであろう屍鬼たちが生き血を求めてオリヴァーとサラ目掛けて一斉に迫り来る。
「薔薇輝械!!」
オリヴァーは魔術武装で応戦し、屍鬼たちを退けようとするも次々に沸いてくるためキリがなかった。
一方のサラは、冥月嫉魔、屍鬼の軍勢の両方に追われる形となっており、状況は非常に芳しくない。
「ユーリくんやナギたちが来ないッ、きっと向こうでも何かしらのトラブルが……もしかして、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーと戦ってるんじゃ」
フィオネがヴァイゼンベルガーの名を口にした時点で嫌な予感はしていた。フリーディアの中でも異質な部類に入るシャーレがシオンにした時と同じようにこの悲劇を生み出しているのだとするなら。
「それなら、私がフィオネさんを止めるしかない!!」
サラは覚悟を決めて魔爪を発動し、冥月嫉魔の装甲を貫くべく、足を踏みしだき急速転換していく。
『!?』
まさか逆走してくるとは思わなかったのか、フィオネの内に動揺が広がっていく。彼女ではビーストの速度に対応できない。簡単に懐に入られてしまい、サラの一撃を許してしまう。
「硬いッ」
しかし威力が低いため冥月嫉魔の装甲を貫くことは叶わず安易に弾かれてしまう。
「だけど!」
サラはヒットアンドウェイに徹し、執拗に同じ箇所へ狙いを定めていく。
『蝿が!!』
フィオネは苛立ち混じりに高周波邪法大剣を大地へ叩きつけるも、その瞬間にはサラは射程圏外へ逃れてしまい、餌食となるのは本能のままに血を貪るシャーレの傀儡のみ。
「はぁ、はぁはぁッ」
しかしサラとて無限にこの戦法を用いられるわけではない。ゆっくりと、着実に彼女の魔力と体力は消耗し動きにも雑味が現れ始めていた。
「ナギみたいに神遺秘装が扱えれば、状況も違ったんだろうけど!」
ナギの有する白纏雷の破壊力なら今頃フィオネの装甲を貫いていた筈だ。ないものねだりをしても仕方ないが、サラはどうしてもあの力が欲しいと思った。
「あぐっ」
そしてフィオネもようやくサラの動きに目が慣れたのか、高周波邪法大剣を振り翳し、衝撃で建物もろとも吹き飛ばしていく。
余波に耐えきれず瓦礫の破片がサラの頬を掠めていく。未だに傷一つない冥月嫉魔は、執拗なまでに大剣を振り続ける。
威力は絶大だが動きは単調、戦闘に関しては素人のフィオネだからこそ、こうしてサラは無事でいられるわけで。
「止めろ、フィオネ!」
屍鬼の大群を潜り抜けたオリヴァー・カイエスは薔薇輝械を伸縮させ冥月嫉魔の腕部に巻きつけていく。
『坊ちゃま! 邪魔をしないでください!!』
「君にサラは殺させない! 僕は命に変えても君を止める! 少し痛いだろうが我慢してくれよ」
『何を……』
刹那、冥月嫉魔に巻きついていた薔薇輝械《ロードナイトエリキシル》の茎部分から数十にも及ぶ白薔薇が咲き誇り――
「炎法・白薔薇新星爆発!」
直後に幾重もの白薔薇が弾け、連鎖爆発を引き起こしていく。オリヴァーの切り札ともいえる魔法の前に、フィオネの剛腕部は衝撃に耐えきれず犇いていく。
『ぐうぅぅッ』
冥月嫉魔の吐き出すエラー音がフィオネの脳内にけたたましく鳴り響く。
「サラ、今だ!!」
「うん!」
フィオネが怯んだ隙を逃さず、すかさず追撃に移るサラ。咆哮を上げながら魔爪を突き立て被弾した剛腕部へ攻撃を仕掛けようとした瞬間――
『う、あぁぁあぁぁぁぁぁッッーーー!!!!』
フィオネが絶叫を上げると同時に、サラは何かに殴られたような強い衝撃を受けて弾き飛ばされた。
「ごふっ」
内臓が損壊し、口から多量の血を吐き出し呻くサラ。オリヴァーが声を上げてサラの名を呼ぶが、彼女の瞳には異形の四本腕となった冥月嫉魔が映っていた。
「四本腕……そっか、あれで殴られて……」
たった一撃受けただけで重症を負ったサラは、満足に動くことが叶わない。攻撃力も防御力も彼女を遥かに上回る冥月嫉魔に勝利する術を見出せない。
「サラ!! ぐあッ!!」
加えてオリヴァーまでフィオネに捕まれてしまい、いよいよとなって絶対絶滅の大ピンチに陥った。
『坊ちゃま、もう二度とあなたを離しません。愛しています……』
「フィオネ……」
姿が変わってしまっても中身はフィオネ・クルージュそのもの。人としての道理を外れても尚愛を捧ぐ彼女にオリヴァーは応えることができない。
「何度言われようと答えは同じだ。僕はサラを愛している。彼女を殺しても、君に振り向くことは決してない!」
『そうですね、坊ちゃま。タリアにはもう住めなくなってしまいましたし、今度はどこに住みましょうか?
せっかくですし、人気のない静かで海の見える所に引っ越しませんか? きっと楽しいですよ』
「…………」
もう、オリヴァーの言葉すらフィオネに届かなくなってしまった。彼女は虚構を夢に、今という現実的から目を背けていた。
『坊ちゃまと私の未来を邪魔する者は全て殺す――そう、お前だけは絶対にッ!!』
サラという諸悪の根源を断つ。全てはその為に、この身すらも捧げたのだ。フィオネ・クルージュの愛と憎悪の悲鳴は、胸門部から放たれる破滅の業火と共に響き渡った。
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