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第四章 種族会談

第82話 暴力の世界で

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 ダニエル・ゴーンは世界がいかに残酷で不条理に満ちているのか物心がつく頃から知っていた。

 表では異種族との戦争を繰り広げる中で裏では人類フリーディア同士の醜い争いが繰り広げられている。フリーディアの支配する領域は、首都エヴェスティシアに近ければ近い程発展を遂げており、逆に首都から遠い異種族から奪ったばかりの領地は満足に整備されず未だに廃墟となっている場所も多い。

 ダニエル・ゴーンの生まれた場所もそんな棄てられた廃墟の一つ。領主不在の秩序や法の届かない荒くれ者たちが集うスラムと呼ばれる貧民街だった。

 ユーリ・クロイスやオリヴァー・カイエスは知る由もないだろう。貴族階級の名残を引き継いでいる彼らは人類フリーディアを名家、平民としか区別できていない。平民の中にもヒエラルキーがあること知らない彼らの目にはダニエルとアリカ・リーズシュタットが同じ立場に映った筈だ。

 だがダニエルから言わせれば、アリカは恵まれている。彼女の故郷はヒノミと呼ばれる首都エヴェスティシアから都市を二十跨いだ地点にある。

 エヴェスティシアを中心に広がる人類の領地は現在四十七都市に分類されている。その中にある都市に住めるというだけでダニエルからすれば羨むべきことだ。

 何故なら彼の生まれたスラムは名前すら存在しないのだから。

 明日を生きられる保証もなく、法や秩序とは無縁の世界。そこでは暴力が全てを支配する。女や子供関係ない。暴力の前では全てが無に帰す。

 ダニエルの母はその過酷な環境に堪えきれず自殺した。一体どういう経緯でスラムへ住み着くようになったのか預かり知らない。

 父は最後まで答えてくれなかった。母が死んだその日に彼は人が変わったようにダニエルへ暴力を奮うようになった。

 当時四歳だったダニエルは抵抗虚しく父の暴力を受け入れることしかできず、毎日身体中痣だらけ。むしろ傷の無い部分が見当たらない惨状である。

 本来なら死んでいても不思議ではない。ダニエルが生き残れたのは、頑丈な身体に生まれた幸運と暴力を奮う父が食料と水だけは与えてくれたからだ。

 父は何も語らない。行動するときは常にダニエルを連れ歩くだけ。父から息子への愛情なんてものは存在しない。あるのはただ一方的な暴力のみだ。

 ダニエルは次第に父を憎むようになった。今は身体が成長しきっていないから、一方的にやられているだけ。

 次こそは、次こそは絶対にやり返してやる。

 それが生きる活力となっていることにダニエルは気付かない。五歳を迎える頃には父に対する反骨心は加速していき、自分の力で生きていくために様々なことを吸収していった。

 知識というのは生きていく上で最も重要な要素だ。幸いにも父が殴りながら世の世情について教えてくれたため、それなりに知恵もついた。

 ゴロツキたちから受ける暴力など、父の拳に比べたら蚊に刺されたようなもの。ダニエルは子供ながらに大人顔負けの実力を有するに至った。

 目指す夢も理想も彼にはない。ただ暴力の命ずるままに生きるだけ。そうなると父と行動を共にする意味もなくなる。

 ダニエルは父を暴力で屈服させたい。だから一人で生きていくことに決めた。金が無いなら暴力によって奪えばいい。水も食料もわざわざ自分から取りにいく必要もない。

 スラム街の住人を襲えば、手に入るのだから。

 そうしてゴロツキたちを相手にしていく毎日が続いた。殴り、蹴り、奪い、時には刃物を持った相手に殺されかけたこともあった。

 幼いダニエルは死と隣り合わせの毎日を生きて行く。全ては父親をこの手で殴るため、彼は止まらず進み続けた。

 それから一年。六歳となったダニエルは父のもとへと帰還する。住処としてはボロ屋は相変わらずの有り様だ。窓硝子は割れ、扉には無数の穴が空いている。家具らしき物は一つとしてない。

 ダニエルは深く深呼吸して、一歩踏み出す。

 ただいま、などという言葉はいらない。父が姿を見せた瞬間に殴り殺してやる、と威勢よく拳を握り締めて、家の中へと入る。
 
「………………え?」

 瞬間、ダニエルの目に映った光景に我が目を疑った。

 端的に言えば、父は死んでいた。誰かに殺された形跡は見受けられず、何かをやり遂げたような満足げな表情で眠っていたのだ。

 自殺……ではない。考えられるとするなら病くらいのものだが、まさか。

 思えば、ダニエルは父について何も知らない。何故ダニエルを殺さなかったのだろうか? 何故暴力を奮っていた? 何故食事と水だけはきちんと与えていた?

 分からない。父が何を考えていたのか、ダニエルには分からない。一つだけ分かるのは、目尻からポタポタと雫が頬を伝っているのことだけ。

 自分が何故泣いているのか、何を考えているのか分かっていなかった。

 やるせない想いを抱えたままダニエルは父を埋葬し、その場を後にする。このまま放置してもよかったが、それをすればダニエルは己が許せなくなると思った。

 これで両親とは訣別。この一年で同世代の仲間も増えた。ここにいる五名の少年少女たち。これからは彼らが新しい家族。彼らとならこの醜い世界でも生きていけるとそう思った。

 だけど――

「………………?」

 とある日、いつものように仲間たちと食料を求めてふらふらと行き場もなく歩いていると、彼らを取り囲むように複数の暴漢たちが姿を現した。

 金属性の棒やナイフ、瓦礫の塊などを手にしており、全員が血走った目でダニエルたちを見ている。どうやら殺る気満々の様子で、子供相手に大人気ないと他人事のように思った。

 ダニエルたちは動じることなく構えを取る。獲物はない。あるのは己の拳一つのみ。ここで逃げるは恥の極み。父はそのようなことを教えなかった。

 そうして始まったダニエルたちとゴロツキたちの殺し合い。
 
 しかし、所詮は子供。いくら腕っぷしが強かろうと数の力の前ではどうしようもない。

 暴れすぎた影響か、ゴロツキたちは徒党を組んで子供たちへ襲いかかったのだ。数は二十を超えており、全員が彼らに敗北し苦渋を舐めさせられた者たち。彼らにとって、ダニエルたちは目の上のたんこぶでしかない。これ以上、自分たちの面子を潰されるのは御免だと、報復のために結託したのだ。

 そして仲間の一人が殺されたのを見た瞬間、ダニエルの中で堰き止めていたとある感情が襲いかかった。

 それは怒りでも悲しみでもない。圧倒的な恐怖心、ただそれだけ。我を忘れて半狂乱になって暴れ回るも多勢に無勢、数の利を覆す力を持たないダニエルは成す術なくリンチを受ける。

 全身を殴打され骨が軋み、至る所の皮膚が裂け血が流れ出る。反撃しようにも既に体力の限界を迎えている状態ではまともに身体を動かせない。
 
 いつの間にか仲間全員が殺され、たった一人残されたダニエルだったが――暴漢の一人が止めだと大きく金属棒を振り上げた。

(俺は、こんなところで死ぬのか? ここが、俺の人生の終着点? それでいいのか?)

 仲間たちはダニエルを信じてついて来てくれた。けれど彼らの辿った末路はそこらの有象無象と何ら変わらない。

 この世界は腐ってる。けれど一番腐っていたのは、仲間を死なせた挙句、自分だけは助かりたいと思ってしまった――そんな自分自身の心で。

 振り下ろされる一撃を前に呆然と自問自答をしていたそのとき――暴漢の動きがピタリと止まった。いや、正確には止められたと言った方が正しいだろう。

「――寄って集って子供ガキをリンチして楽しいか? 随分と恥晒しな真似してるじゃねぇか、なぁ――愚物共?」

 突如として現れた乱入者の声が響く。その乱暴な言葉遣いとは裏腹に、幼さの残った、けれど確かな強さを持った少女の声音。

 金属棒はダニエルの目の前で停止しており、それを止めたのが乱入者した少女の仕業なのだと悟った。

 年齢はダニエルより一回り上――恐らく十二、三歳前後だろう。一見少年と見間違うほどの乱暴な言葉遣いだが、艷やかな長い黒髪と、端麗な容姿。そして、スラム街ではまずお目にかかることのない、貴族御用達の純白のドレスを身に着けていることから彼女が女であることは間違いないだろう。 

「な、何だお前は!?」

 金属棒を奮った暴漢が乱入した少女を見て、驚きの声を上げる。

 あまりに場に似つかわしくない服装に誰もが呆気にとられている。それだけじゃない。少女がガチリと掴んでいる金属棒を必死に引き剥がそうとする暴漢の様子に焦りが覗える。

おれが何者でどこから来たかなんて、貴様らが知る必要はない。何故なら貴様らは、ここでおれにぶち殺されるんだからなッ!」

「ヒッ」

 少女の放つ鋭い眼光に、ゴロツキたちは悲鳴を上げて後ずさりする。彼らは理解したのだろう。目の前にいる存在が自分たちとは比べものにならないほど強いということを。
 
 その証拠に少女が掴んでいた金属棒はギギギとあらぬ方向に折れ曲がっていく。素面の人間フリーディアが出せる力ではない。一体何者なのだ?

 加えて少女が放った拳の一振りでダニエルを殺そうとした暴漢の身体は宙を舞い、壁に激突しズルズルと地面に倒れ伏す。

「やっぱ動き辛れぇな、この服。かといって小汚ねぇ愚物の服なんて真っ平ごめんだし、ここは我慢するしかねぇか」

 ドレスのスカートの裾を掴み、不満を垂れる少女。彼女は今しがた自分が行った行為を理解しているのだろうか?

 少女よりも遥かに大きな体躯の暴漢を二十メートル近くの距離まで吹き飛ばしたのだ。それもたった一発拳を奮っただけで、だ。

 ダニエルは父以上に恐ろしい目の前の少女を畏敬の眼差しで見つめていた。

 もはや、完全に場を支配した少女が負けるはずもなく、気が付けば暴漢たちは地に伏して倒れていた。

 少女は暴漢たちには一瞥もくれずに、ダニエルの元へと歩み寄る。あれだけのことをしたにも関わらず、彼女の歩みは一つ一つの動作に気品があり、見る者を魅了させる美しさがあった。

 少女はきっと、ダニエルの知らない外の世界から来たに違いない。美などというスラム街には縁遠い感覚、今ダニエルは生まれて初めて美を体感している。
 
「よう、クソガキ。随分なやられようじゃねぇか、あ? テメェがあんまりにも情けねぇ声で喚くもんだから、おれとしたことがつい気が向いて助けちまったよ……」

 少女は腰を曲げると、傷だらけになったダニエルの頭を乱暴に撫で回す。その手つきからは優しさなど微塵も感じられないが、何故か不思議と心地良かった。
  
「じゃあなクソガキ。こう見えておれも忙しい身でね、余計な喧嘩売られる前に退散することにするよ」

 そう言い残し立ち去ろうとする少女へ「待ってくれ!」と声をかける。

 何故だか分からないが、彼女をこのまま見送ればダニエルは一生後悔することになると思ったのだ。

「んだよ、まだ何かあんのか? ちなみに礼はいらねぇからな。これはおれが好きでやったことだ、気にしなくていいぞ」

「ち、違う! 俺は……、俺を――」

 足を止め、面倒臭そうに振り返る少女に対し、ダニエルは意を決して口を開く。

「お願いします! 俺を、あんたの弟子にしてください!!」

 それがダニエル・ゴーンと、後にグランドクロスとなるファルラーダ・イル・クリスフォラスとの出会いだった。
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