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第三章 最厄の饗宴

第81話 夜の宴

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 少女は夜が好きだ。夜が好きな彼女は闇に包まれると心が落ち着く。夜空は深く深く鎮み、まるで世界そのものが絶望の色彩を宿しているかのよう。

 月明かりが彼女を照らす。この夜の時間だけは少女にスポットライトが当てられ、舞台に立つことを許される。

 この夜が永遠に続けばいいのに、と。少女は切なる想いを胸に秘める。耳に障る余計な音も、夜なら掻き消してくれる。夜だから見える世界の景色がある。そんな景色を見つめることで、少女は自分自身の本質を探求することができる。

 少女は夜が好きだ。黒一色に染まった情景は世界の全てが繋がっているように見えるから。そんな夜の世界で彼女は自分自身と世界の繋がりを感じることができる気がした。

「~~~~♪♪」

 少女は夜の世界で一人謳う。透き通るように響き渡る音色は聞くもの全てを深淵の奈落へと突き落とす。

 少女がいる場所は神秘的な雰囲気に包まれていた。草花や木々が優雅に踊り、夜の調べを奏でている。

 庭園全体が、美学と哲学と秩序に基づいて構成されており、上品で精巧な絵画を思わせる。

 自然が織りなす夜の演奏会の中を少女は歩いていく。草木が、花が、彼女の謳によって枯れていく。

 少女が含ませる毒の醜歌に幻想的な庭園は深い哀しみに包まれ絶望へと堕ちていく。

 少女は気にも留めず歩を進めていく。この程度で腐ちる命ならそのまま朽ち果ててしまえと無慈悲に謳を奏でる。

 それが少女の――シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの謳に込めた願い。堕ちろ堕ちろ堕ちろ堕ちろ、果てのない絶望へと堕ちろ。

「恨むなら、私という最厄を産んだこの世界を恨んでください」

 汚泥のように渦巻く悪意とは裏腹にシャーレは夜の世界を満喫し、軽やかにステップを踏む。
 
「久々に外に出てみるものですね。思わぬ発見がありましたし、視野が広がった気がします。本当は最後まで観覧していたかったのですけど仕方ありませんよね。
 本当、忌々しい身体に生まれたものですよ」

 アルギーラで起きた悲劇の数々。予期せぬ事態――とある衝動が湧き上がったことにより、最後まで見届けられなかったのが心残りだが、概ねシャーレの満足する結果に終わった。

 誰かが上げる絶望の怨嗟は彼女の心を落ち着かせる。湧いて出るとある衝動を抑え込んでくれるのだ。

「シオンちゃんは……多分死んじゃいましたよね? まぁ、どうでもいいことですけど」

 シオンが死のうが死ぬまいがシャーレにとってはどうでもよい事。彼女が絶望へと墜ちた時点でその役割は果たされたのだから。

「西部戦線は無事にアルギーラを占拠し、現在は来たる異種族さんとの大きな戦争に備えている真っ最中。肝心のお兄さんに関する情報が無いのはいただけませんね」

 シャーレの耳に伝わった情報の中にユーリ・クロイスの名前は無かった。結局彼はどうなったのだろう? 西部戦線司令が秘匿しているのか、正確な情報が降りてこない。

「所詮私は蚊帳の外。あまり表立って動くと、クリスフォラス卿に気取られる。あの方無駄に嗅覚が鋭いですから、何か別の方向でお兄さんにアプローチを仕掛ける必要がありますね」

 同じグランドクロスであるファルラーダ・イル・クリスフォラスはシャーレにとって天敵といえる存在だ。

 絶望などとは無縁の存在で、むしろ怒りに任せて吹き飛ばしてしまう程の豪傑さを持ち合わせている。故にシャーレのように裏からコソコソと這い回る輩を毛嫌いしているのだ。

 現在彼女は、首都エヴェスティシアを離れミアリーゼ・レーベンフォルンと行動を共にしているが、果たしてどうなることやら。くれぐれシャーレの邪魔だけはしないでもらいたい。

「誰でもいいので誰かクリスフォラス卿を殺してくだされば手っ取り早くて助かるのですが、まず無理でしょうね」

 歴代グランドクロスの中でもファルラーダ・イル・クリスフォラスの実力は頭一つ抜けている。正直彼女が負ける姿が想像できないのだ。

「となると、クリスフォラス卿に対抗できるのは――」

 しばらく歩を進めると、やがて一つの緋色の影が目に映る。その影は夜の闇に染まることなく、景色に同化するかのように溶け込んでいる。

「あら、奇遇ですね。丁度あなたのことを考えていたところでした――テスタロッサ卿」

 シャーレの見つめる先に揺蕩う緋色の甲冑を身に纏った亡霊のような存在。

 グランドクロス=テスタロッサは、シャーレの言葉に応えることなくこの場を立ち去ろうとする。

「待ってください。せっかくこうして巡り会えたのですからよければお話ししていきませんか? あなたに伝えなければならないこともありますので」

『――■■何ダ? 要件ガアルナラ手短ニ済マセロ』

 テスタロッサから放たれる呪詛の音から、人の言葉らしき声が混ざり、シャーレの耳を打つ。低く重厚感のある男の声だ。どこか歪で、まるで常世から現世へ向け放たれているかのよう。

「つれないですね。同じグランドクロスではありませんか」

『知ラン、興味モナイ』

「まぁそう言わずに。この間、ドワーフと呼ばれる異種族さんと戯れてきたのですけど、その時にとても興味深いことが判明したので、良かったら聞いていきませんか?」

『………………』

 テスタロッサは無言でシャーレを見据えている。緋色の甲冑の奥から放たれる鋭い刃のような視線を受け流しつつシャーレは続ける。

「実は私、偶然にも見てしまったんですよ。ドワーフさんが開発した融合型魔術武装ユニゾンマギアウェポン……その恐ろしき姿を」

 刹那、テスタロッサが纏う雰囲気が一変した。

「あら?」

 シャーレは面白可笑しく周りに起きた現象を見渡す。テスタロッサの魔力に枯れ果てた草木が緋炎を吹いて燃え上がったのだ。

「わぁ、良かった! どうやらあなたの興味を引けたみたいです!」

 常人ならば、恐怖で腰を抜かす状況にシャーレは年頃の少女らしく笑みを綻ばせている。地獄の底で亡者が呻くように呪詛の言葉を紡ぐテスタロッサとは正反対であり、それが余計にこの場の異常さを際立たせている。

「既に破壊されたようなので残っている可能性は低いですが、あなたの探す答えの手掛かりになれば幸いです」

『御託ハイイ。ソノ魔術武装マギアウェポンハ何処ニアッタ?』

「アルギーラと呼ばれる渓谷です。それと、ドワーフさんとは別にエルフと呼称される異種族さんも確認されています。
 もし興味がおありでしたら確かめに行かれては?」

『西部戦線……』 

「えぇ。よろしければあなたも役者として参加されてはいかがです?
 エヴェスティシアの守護は私一人いれば充分ですし、主人様には私の方から上手く伝えておきます」

『食エン小娘ダ。一体何ヲ考エテイル?』

「うふふ、私はただ良かれと思ってお伝えしただけです。他意はありませんよ」

 そう、他意はない。ただテスタロッサが参戦すれば、面白くなりそうだなと思っただけ。ほんの些細な気紛れにすぎない。

『小娘、一ツ忠告シテオイテヤル』

「何でしょう?」

 珍しくテスタロッサから話題が振られシャーレは興味津々といった様子で尋ねる。

人間フリーディアノ真似事ヲスルノモ結構ダガ、所詮貴様ハ紛イ物。何レ内ナル衝動二呑ミ込マレ、貴様トイウ存在ハ消エル。断言シテヤル、貴様ノ望ミハ永劫叶ワナイ』

「………………」

 シン、と。場に静寂が訪れる。この一瞬、好きなはずの夜が気持ち悪く感じた。シャーレは自嘲気味に笑い答える。

「ふふ、あなたに言われたくありませんね、亡霊さん。あなたと違って私はちゃんとした人間フリーディアです。お腹も空きます、喉も渇きます、夜になれば眠たくなります。朝には目覚めます。
 私の望みが叶わないと言うのなら叶えてみせるまで。堕ちろ、堕ちろ堕ちろ、皆すべからく絶望の怨嗟に呑まれてしまえ」

『勝手二言ッテイロ。我モ、貴様ノ指図ヲ受ケルツモリハナイ。我ハ我ノ意志デ動ク。決シテ貴様ノ思イ通リニハナランゾ」

 テスタロッサが何を想い、何を求めて戦火に身を投じているのかは知らないし興味もない。ただ一つ彼に対して思うことがあるとするならば、その大切な何かが碌でもない悪で満たされたものでありますように。

 そして生に絶望し、怨嗟の音を奏でながら死んでほしい。テスタロッサもシャーレにとって、絶望を蔓延させるための舞台装置に過ぎないのだから。

「――我ハ何ヲ求メテ現世二彷徨ッテイル? 我ハ望厶、答エヲ持ツ存在ヲ。彼ノデウス・イクス・マギアハ言ッテイタ。何時カ必ズ我ノモトヘ現レルト。
 今度コソ、我ノ果ナキ旅路ガ終ワリヲ迎エルコトヲ願ウ』

 そう言い残しテスタロッサはシャーレの前から姿を消した。

「………………」

 残されたシャーレは一人ポツンと夜空を見上げる。変わらぬ深淵を覗かせる闇の中に散らばるように星々が灯りを照らしている。

 シャーレは夜が好きだ。そして夜以上に空を照らす星々が好きだ。闇に覆われて尚色褪せぬ輝きを放つ強い光にどうしようもなく焦がれてしまう。

「どうして、私はじゃないんでしょう……何故、人は悪を忌避するのでしょう? 私は善を忌避し悪を好む。それがおかしいと皆は言う。悪は誰もが持ち得る感情だというのに……曝け出すことの何がいけないのでしょう?
 何故、私はそれが分からないの? 何故、私はこの世界に生まれたの? 何故、何故?」

 彼女は望んで生まれたわけではない。世界は何故シャーレという異物を生み出した?

「私の懐くたった一つの望み。それは私の手で叶えることはできない。世界全てを絶望で呑み込み、闇に染まった先にこそ私の目指す理想がある。例え何者であろうとそれを邪魔するものは許さない。
 もう誰にも、紛い物だなんて言わせません。私は普通の人間フリーディアなんですよ」

 人は、誰もが答えを求めて生きている。それはグランドクロスであるシャーレやテスタロッサも例外ではない。

 勿論グレンファルト・レーベンフォルンも、ファルラーダ・イル・クリスフォラスも、ミアリーゼ・レーベンフォルンだってそうだ。

 そして、人類フリーディアの創造主たるデウス・イクス・マギアでさえも。

 答えを知っているのなら、フリーディア同士が争い合うことなどない。人類フリーディアの歴史は試行錯誤の繰り返しで、一度も正解になど辿り着いていないのだ。

「さて、次はどんな最厄の種が花開くのか楽しみです。ね、お兄さん?」

 テスタロッサの言葉により再び浮上しかけたとある衝動を押え付け、シャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの放った言葉は誰の耳に届くこともなく、夜に紛れ虚空の中へと消えていった。
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