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第三章 最厄の饗宴
第64話 血の鎖
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「シオン……」
飛び去っていった堕天使の背中を茫然自失で見つめるユーリ。
「あらあら行ってしまいましたね。堕天使ちゃん、よほどお兄さんに殺されかけたことがショックだったんでしょうね、可哀想に」
「お前ッ!!」
などと他人事のように告げるシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーにユーリの脳内は殺意一辺倒となる。目の前が真っ赤に染まり、何も考えられない。赫怒の鼓動に身を任せ、目の前の少女をめちゃくちゃにしてやりたい。
「ユーリ!」
しかしそれは、ミグレットという一人の少女の鶴の一声により掻き消される。彼女はユーリのシャツをギュッと握りしめて叫ぶ。
「今はそんな奴より、シオンですこんちくしょう!! このまま放っておいたら、オメェの大事な同胞だって殺されるです!!」
「ミグレット……」
そうだ、自分は何をやっているのだ……。彼女はユーリがフリーディアだと知っても態度を変えずにいてくれる。
「フリーディアだって黙ってたことは、気にしてねぇです。オメェはシャーレなんかとは違うですよこんちくしょう」
「…………」
「オメェ一人に背負わせねぇ、自分も戦うです! だから――」
「あぁ!」
冷静さを取り戻したユーリはミグレットを片手で抱え上げ、踵を返し一目散に駆け出す。
「逃すと思いますか?」
「!?」
しかし、それを見ていたシャーレがビーストのスキル並みの速度で回り込み眼前に立ちはだかる。
「どけぇぇぇぇぇッーー!!! 換装・黒切!」
フリーディア最高戦力を誇るグランドクロスの実力は未知数だ。シャーレは今無防備、魔術武装を展開していない今が最大のチャンスだと、黒切を手に渾身の刺突を放った。そして――
「「なっ!?」」
結果は、ユーリの思う通りにはならなかった。この世の不条理を体験し、ユーリとミグレットから驚愕の声が上がる。
「うふふ」
ユーリの渾身の一刀は、シャーレが添えた人差し指と中指だけで、刀身を挟んで止めていたのだ。
「嘘、だろ……」
目の前のあり得ざる光景に脳がフリーズする。ユーリの目は信じられないものを見るように、シャーレの細い指に注がれる。 その指は、まるで世界の全ての重さをも軽々と受け止めるかのように、黒切の刃を静かに、しかし確かに抑え込んでいた。
どれだけ力を込めても、ビクともしない。華奢な身体のどこにそんな力があるのか? 決して手加減したわけじゃない、それこそ殺してやるつもりで渾身の刺突を放ったというのに……。
「お兄さん、私のこと侮りすぎですよ。最初にグランドクロスだって名乗ったじゃないですか。
意味、わかります? 我らは一人で万軍に等しい戦力を保有しているということなんですよ」
「くッ」
ユーリは黒切から手を離し、ミグレットを抱えたまま即座にバックステップで距離を取る。
「だから……ねぇ? 堕天使ちゃんは諦めて、大人しく私とのんびりお話ししましょう。どうせ助からないんですし、お兄さんが駆けつけたところでどうにもなりませんよ」
粒子と化した黒切を埃でも払うようにシャーレは告げる。
「それとも、諦めずに私と戦います? 別にいいですけど、余計な犠牲者が増えるだけなのであまり得策ではないと思いますよ?」
先の攻防で互いの力の差は一目瞭然。ミグレットという荷物を抱えたまま、それでも堕天使を追いかけるのか?
「ユーリ……」
不安げな表情でユーリを見上げるミグレット。しかしユーリは決して離さないとギュッと力を込めて抱く。
「俺の想いは変わらない。お前を殺してでも、同胞を……シオンを助けに行く!!」
絶望を、恐怖を、激情を必死に抑えつけながらユーリは誓いを口にする。
「張り切ってるところ申し訳ないんですけど……何故そうまでして異種族さんを助けようとするんですか? 裏切り者のお兄さん」
シャーレは心底意味が分からないと純粋無垢な眼で問いかける。力の差は歴然、自分が死ぬかもしれないのに異種族を必死に助けようとする彼の思考が理解できないのだ。
「決まってるさ――換装・黒切」
シャーレの疑問を再び展開した黒切の鋒を向けて、想いを放つ。
「異種族たちは俺たちと変わらない優しい心を持っているからだ!」
ナギ、サラ、ジェイ、シオンや他の同胞たち、そしてミグレット。皆それぞれ想いを背負って必死になって生きている。一方的に命を奪っていい権利なんてない。
「ましてや、お前のような異種族を家畜呼ばわりして不幸に陥れて嗤うような奴が奪っていい命じゃないんだよ!!」
少なくともユーリの知っている唯一のグランドクロス――英雄グレンファルト・レーベンフォルンは絶対にそんなことはしない。
シャーレのような許されざる悪人が何故グランドクロスにいるのか? グレンファルトとは一体どういう関係なのか? 彼女の目的が異種族の殲滅だというのならそれを阻止するまでだ。
「優しい、心……? 何ですかそれ? うふふふ、ちょっと笑わせないでくださいよ」
腹の底から可笑しいと笑うシャーレ。恐らく彼女だけじゃなく、他のフリーディアが聞いても一笑に付していただろう。
「ユーリ! 今がチャンスですよ!」
「あぁ!」
完全に油断しきっているシャーレを無視して、即座に駆け出し、今度こそ通り過ぎようとした瞬間――
「魔術武装・展開――無窮血鎖棺」
刹那――形容し難い悪寒が背筋から脳髄を這い、恐怖という名の感情で支配される。まるで空間そのものが、鬱血していくような……時の流れを強引に堰き止められ壊死していくような。
これが錯覚だと分かっていても、ユーリは足を止めざるを得なくなった。
「ッ」
振り向きたくても振り向けない。腕や足に血に濡れた鎖が絡み付くも抵抗する気力すら失われる。
「ふふふ……酷いじゃないですか、お兄さん。人が笑い苦しんでいるのに、無視して置いて行こうとしないでくださいよ」
「「…………」」
ユーリもミグレットも声にならない悲鳴を上げる。全てはシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの放つ禍々しい魔力に気圧されたためだ。
堕天使など比ではない、底の見えぬ深淵に呑まれるユーリへシャーレは笑みを綻ばせながら言葉を続ける。
「昔……誰かに何かを教わったような気がするんです。それが何なのか断片的すぎて思い出せない……。お兄さん、私と以前何処かでお会いしたことありますか?」
「知、るかッ……俺は、お前のことなんて知らない!!」
シャーレの疑問に呼応して、ユーリは頭が傷みだす。ズキズキと感じるこの痛みが何を齎すのか、今の彼には預かり知らない。
縛られた血鎖によって、強引に向きを変えられる。そんなユーリの瞳に映ったのは、全長二メートル程もある機械仕掛けの漆黒の棺だった。
「これが、グランドクロスの魔術武装……」
特異すぎて、アレが何なのか一言では説明が付かない。棺の蓋が僅かにズレて、中から蠢くように血鎖が這い出していた。
「あ、あぁ……」
ミグレットは声も上げられず恐怖で竦んでいる。今のユーリたちではどうすることもできない、絶対に血鎖を解けない。
唯一幸いな点があるとすれば、シャーレはユーリを殺すつもりがないという事。己が不明確な記憶の解明を優先としており、そこに付け入る隙を見出せばあるいは……。
「ふふ……どうやらお互いに記憶の欠如が見られるようですね。何だか運命を感じてしまいます。ここで出会ったのは偶然? それとも必然?
どうすればお兄さんの記憶を呼び起こすことができるんでしょうかね……。
試しにそこの家畜ちゃんを殺してみますか?」
「ひッ」
ジャラジャラと血鎖が汚泥から湧き出るようにミグレットの周囲に集まっていく。次いで、遠方から響く地響きと轟音。堕天使と化したシオンによる暴走によるもので、事態は一刻を争う。
「堕天使ちゃんも見境なくなっていますね。このままでは、アルギーラが崩れて生き埋めになってしまうかもしれませんねぇ」
「ならさっさとこの鎖を外せ!! もしもミグレットに手を出してみろ、地獄に堕ちてでもお前を引き摺り下ろす!!」
ガラガラと天井が崩れ、崩落した瓦礫が降り注ぎ、最早一刻の猶予もなくなっている。
「威勢は大したものですが、恐怖が隠せていませんよ? さぁさぁ、私の魔力に触れて記憶の底を穿り返してくださいな!!」
蠢く血鎖に四肢を絡め取られたまま、巨大な潮流に飲み込まれるが如き力で引きずられ、ユーリとミグレットは為す術なく壁面に勢いよく叩きつけられる。
「「ぐぁっ!?」」
苦悶の声を上げるユーリとミグレットだが、シャーレの攻勢はまだ終わらない。勢いをそのままに、ズガガガガガッ!!! とユーリたちごと壁面を削り飛ばしながら、更なる絶望の淵へと誘う。
必死にミグレットを庇いながら、背中を削り取られていくユーリ。襲いかかる衝撃と激痛の連鎖に、歯を食いしばって耐え忍ぶ。
「それでもッ!!」
黒刀ではどうすることもできず、変幻機装を即座に換装させ、銃形態へと移行。
「ミグレット!!」
「はいです!!」
ユーリの意図を察したミグレットが、震える手で銃を受け取り、衝撃の荒波に揉まれながらシャーレへ狙いを定める。
「くらえです、こんちくしょう!!」
ありったけの魔力を込めて、ミグレットは魔弾を解き放つ。銃など初めて撃ったため、当たるかどうか心配だったが、ユーリの魔力も合わさり軌道が修正され、シャーレのもとへと向かっていく。
「うふふ」
しかしシャーレはそれを華麗なステップを踏んで躱す。いつ如何なる時、如何なる状況でも淑女然とした態度を崩さずある種の余裕を浮かべている。
崩落していく瓦礫が降り注ぐ中、ドレスに埃一つ付着していない。この時点で格の違いを思い知らされる。
(俺は、こんなところで負けるのか……? 大切な仲間すら救えずにッ)
壁面を削り飛ばしながら引き吊られ、甚大なダメージが蓄積し、意識を失うのも時間の問題。このままではシオンどころの話ではない。
「ぐぅぅぅぅッ!!」
何か、何か打つ手はないのか? 朦朧とする意識を総動員してユーリは必死に考える。そんな中、シャーレの魔力に呼応され覚えのない光景が脳裏に浮かんだ。
そこは、無機質な白で覆われた虚無の空間。そこでは年端もいかない一人の少女がポツリと一人で佇んでいて――
(俺は、この景色を知っている?)
覚えがない筈なのに、既知の事実であるかのように受け入れている自分を不思議に思いながらも、やがてノイズとなって泡沫のように掻き消える。
「ッ」
我に返った瞬間、再び背中に激痛が襲い来る。しかし衝撃はなく、気が付けば血鎖から解放され宙に投げ出されていた。
「何が……」
この刹那の間に何が起きたのか? ミグレットを庇い、何とか受け身を取りつつ地面へ着地する。すると――
「うぐっ……あぁぁぁぁぁッッッーーーー」
これまで圧倒的優位に立っていた筈のシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーが何故か頭を抑え、苦しみに悶えていた。その尋常ならざる様子にユーリもミグレットも絶句し、言葉が告げない。
「何で、せっかくお兄さんと盛り上がって、……よりにもよって、こんな時に!」
どうやらシャーレの身に意図しない何かが起きた様子。裂く息を荒げながら、必死に内なる衝動を抑えつけている。
渇きを、飢えを、大事な何かが枯渇したシャーレは声にならない悲鳴を上げる。
「ユーリ!」
「ッ、あぁ!」
一体何がどうなっているのか? 正直置いてけぼりの状況ではあるが、ユーリたちにとっては好都合。ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の雨を躱しながら、シャーレの横を通り過ぎる。
幸いにも追撃はなく、無窮血鎖棺も浮遊しままピタリと制止していた。一見隙だらけのシャーレだが下手に藪を突く必要もない。
ゲオルグの工房はまもなく崩落する。ミグレットは最後に父の亡骸を一目見て「お父さん……」と呟いた。
「待ってろよ、シオン……今度こそ!!」
先程垣間見た記憶やシャーレ、グランドクロスのことは後回しだ。シャーレは崩落に巻き込まれ、瓦礫の山で姿が見えなくなる。ひょっとして死んだのか? 何故かジクリと痛む胸を無視して、ユーリたちはシオンのもとへと駆け出した。
飛び去っていった堕天使の背中を茫然自失で見つめるユーリ。
「あらあら行ってしまいましたね。堕天使ちゃん、よほどお兄さんに殺されかけたことがショックだったんでしょうね、可哀想に」
「お前ッ!!」
などと他人事のように告げるシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーにユーリの脳内は殺意一辺倒となる。目の前が真っ赤に染まり、何も考えられない。赫怒の鼓動に身を任せ、目の前の少女をめちゃくちゃにしてやりたい。
「ユーリ!」
しかしそれは、ミグレットという一人の少女の鶴の一声により掻き消される。彼女はユーリのシャツをギュッと握りしめて叫ぶ。
「今はそんな奴より、シオンですこんちくしょう!! このまま放っておいたら、オメェの大事な同胞だって殺されるです!!」
「ミグレット……」
そうだ、自分は何をやっているのだ……。彼女はユーリがフリーディアだと知っても態度を変えずにいてくれる。
「フリーディアだって黙ってたことは、気にしてねぇです。オメェはシャーレなんかとは違うですよこんちくしょう」
「…………」
「オメェ一人に背負わせねぇ、自分も戦うです! だから――」
「あぁ!」
冷静さを取り戻したユーリはミグレットを片手で抱え上げ、踵を返し一目散に駆け出す。
「逃すと思いますか?」
「!?」
しかし、それを見ていたシャーレがビーストのスキル並みの速度で回り込み眼前に立ちはだかる。
「どけぇぇぇぇぇッーー!!! 換装・黒切!」
フリーディア最高戦力を誇るグランドクロスの実力は未知数だ。シャーレは今無防備、魔術武装を展開していない今が最大のチャンスだと、黒切を手に渾身の刺突を放った。そして――
「「なっ!?」」
結果は、ユーリの思う通りにはならなかった。この世の不条理を体験し、ユーリとミグレットから驚愕の声が上がる。
「うふふ」
ユーリの渾身の一刀は、シャーレが添えた人差し指と中指だけで、刀身を挟んで止めていたのだ。
「嘘、だろ……」
目の前のあり得ざる光景に脳がフリーズする。ユーリの目は信じられないものを見るように、シャーレの細い指に注がれる。 その指は、まるで世界の全ての重さをも軽々と受け止めるかのように、黒切の刃を静かに、しかし確かに抑え込んでいた。
どれだけ力を込めても、ビクともしない。華奢な身体のどこにそんな力があるのか? 決して手加減したわけじゃない、それこそ殺してやるつもりで渾身の刺突を放ったというのに……。
「お兄さん、私のこと侮りすぎですよ。最初にグランドクロスだって名乗ったじゃないですか。
意味、わかります? 我らは一人で万軍に等しい戦力を保有しているということなんですよ」
「くッ」
ユーリは黒切から手を離し、ミグレットを抱えたまま即座にバックステップで距離を取る。
「だから……ねぇ? 堕天使ちゃんは諦めて、大人しく私とのんびりお話ししましょう。どうせ助からないんですし、お兄さんが駆けつけたところでどうにもなりませんよ」
粒子と化した黒切を埃でも払うようにシャーレは告げる。
「それとも、諦めずに私と戦います? 別にいいですけど、余計な犠牲者が増えるだけなのであまり得策ではないと思いますよ?」
先の攻防で互いの力の差は一目瞭然。ミグレットという荷物を抱えたまま、それでも堕天使を追いかけるのか?
「ユーリ……」
不安げな表情でユーリを見上げるミグレット。しかしユーリは決して離さないとギュッと力を込めて抱く。
「俺の想いは変わらない。お前を殺してでも、同胞を……シオンを助けに行く!!」
絶望を、恐怖を、激情を必死に抑えつけながらユーリは誓いを口にする。
「張り切ってるところ申し訳ないんですけど……何故そうまでして異種族さんを助けようとするんですか? 裏切り者のお兄さん」
シャーレは心底意味が分からないと純粋無垢な眼で問いかける。力の差は歴然、自分が死ぬかもしれないのに異種族を必死に助けようとする彼の思考が理解できないのだ。
「決まってるさ――換装・黒切」
シャーレの疑問を再び展開した黒切の鋒を向けて、想いを放つ。
「異種族たちは俺たちと変わらない優しい心を持っているからだ!」
ナギ、サラ、ジェイ、シオンや他の同胞たち、そしてミグレット。皆それぞれ想いを背負って必死になって生きている。一方的に命を奪っていい権利なんてない。
「ましてや、お前のような異種族を家畜呼ばわりして不幸に陥れて嗤うような奴が奪っていい命じゃないんだよ!!」
少なくともユーリの知っている唯一のグランドクロス――英雄グレンファルト・レーベンフォルンは絶対にそんなことはしない。
シャーレのような許されざる悪人が何故グランドクロスにいるのか? グレンファルトとは一体どういう関係なのか? 彼女の目的が異種族の殲滅だというのならそれを阻止するまでだ。
「優しい、心……? 何ですかそれ? うふふふ、ちょっと笑わせないでくださいよ」
腹の底から可笑しいと笑うシャーレ。恐らく彼女だけじゃなく、他のフリーディアが聞いても一笑に付していただろう。
「ユーリ! 今がチャンスですよ!」
「あぁ!」
完全に油断しきっているシャーレを無視して、即座に駆け出し、今度こそ通り過ぎようとした瞬間――
「魔術武装・展開――無窮血鎖棺」
刹那――形容し難い悪寒が背筋から脳髄を這い、恐怖という名の感情で支配される。まるで空間そのものが、鬱血していくような……時の流れを強引に堰き止められ壊死していくような。
これが錯覚だと分かっていても、ユーリは足を止めざるを得なくなった。
「ッ」
振り向きたくても振り向けない。腕や足に血に濡れた鎖が絡み付くも抵抗する気力すら失われる。
「ふふふ……酷いじゃないですか、お兄さん。人が笑い苦しんでいるのに、無視して置いて行こうとしないでくださいよ」
「「…………」」
ユーリもミグレットも声にならない悲鳴を上げる。全てはシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーの放つ禍々しい魔力に気圧されたためだ。
堕天使など比ではない、底の見えぬ深淵に呑まれるユーリへシャーレは笑みを綻ばせながら言葉を続ける。
「昔……誰かに何かを教わったような気がするんです。それが何なのか断片的すぎて思い出せない……。お兄さん、私と以前何処かでお会いしたことありますか?」
「知、るかッ……俺は、お前のことなんて知らない!!」
シャーレの疑問に呼応して、ユーリは頭が傷みだす。ズキズキと感じるこの痛みが何を齎すのか、今の彼には預かり知らない。
縛られた血鎖によって、強引に向きを変えられる。そんなユーリの瞳に映ったのは、全長二メートル程もある機械仕掛けの漆黒の棺だった。
「これが、グランドクロスの魔術武装……」
特異すぎて、アレが何なのか一言では説明が付かない。棺の蓋が僅かにズレて、中から蠢くように血鎖が這い出していた。
「あ、あぁ……」
ミグレットは声も上げられず恐怖で竦んでいる。今のユーリたちではどうすることもできない、絶対に血鎖を解けない。
唯一幸いな点があるとすれば、シャーレはユーリを殺すつもりがないという事。己が不明確な記憶の解明を優先としており、そこに付け入る隙を見出せばあるいは……。
「ふふ……どうやらお互いに記憶の欠如が見られるようですね。何だか運命を感じてしまいます。ここで出会ったのは偶然? それとも必然?
どうすればお兄さんの記憶を呼び起こすことができるんでしょうかね……。
試しにそこの家畜ちゃんを殺してみますか?」
「ひッ」
ジャラジャラと血鎖が汚泥から湧き出るようにミグレットの周囲に集まっていく。次いで、遠方から響く地響きと轟音。堕天使と化したシオンによる暴走によるもので、事態は一刻を争う。
「堕天使ちゃんも見境なくなっていますね。このままでは、アルギーラが崩れて生き埋めになってしまうかもしれませんねぇ」
「ならさっさとこの鎖を外せ!! もしもミグレットに手を出してみろ、地獄に堕ちてでもお前を引き摺り下ろす!!」
ガラガラと天井が崩れ、崩落した瓦礫が降り注ぎ、最早一刻の猶予もなくなっている。
「威勢は大したものですが、恐怖が隠せていませんよ? さぁさぁ、私の魔力に触れて記憶の底を穿り返してくださいな!!」
蠢く血鎖に四肢を絡め取られたまま、巨大な潮流に飲み込まれるが如き力で引きずられ、ユーリとミグレットは為す術なく壁面に勢いよく叩きつけられる。
「「ぐぁっ!?」」
苦悶の声を上げるユーリとミグレットだが、シャーレの攻勢はまだ終わらない。勢いをそのままに、ズガガガガガッ!!! とユーリたちごと壁面を削り飛ばしながら、更なる絶望の淵へと誘う。
必死にミグレットを庇いながら、背中を削り取られていくユーリ。襲いかかる衝撃と激痛の連鎖に、歯を食いしばって耐え忍ぶ。
「それでもッ!!」
黒刀ではどうすることもできず、変幻機装を即座に換装させ、銃形態へと移行。
「ミグレット!!」
「はいです!!」
ユーリの意図を察したミグレットが、震える手で銃を受け取り、衝撃の荒波に揉まれながらシャーレへ狙いを定める。
「くらえです、こんちくしょう!!」
ありったけの魔力を込めて、ミグレットは魔弾を解き放つ。銃など初めて撃ったため、当たるかどうか心配だったが、ユーリの魔力も合わさり軌道が修正され、シャーレのもとへと向かっていく。
「うふふ」
しかしシャーレはそれを華麗なステップを踏んで躱す。いつ如何なる時、如何なる状況でも淑女然とした態度を崩さずある種の余裕を浮かべている。
崩落していく瓦礫が降り注ぐ中、ドレスに埃一つ付着していない。この時点で格の違いを思い知らされる。
(俺は、こんなところで負けるのか……? 大切な仲間すら救えずにッ)
壁面を削り飛ばしながら引き吊られ、甚大なダメージが蓄積し、意識を失うのも時間の問題。このままではシオンどころの話ではない。
「ぐぅぅぅぅッ!!」
何か、何か打つ手はないのか? 朦朧とする意識を総動員してユーリは必死に考える。そんな中、シャーレの魔力に呼応され覚えのない光景が脳裏に浮かんだ。
そこは、無機質な白で覆われた虚無の空間。そこでは年端もいかない一人の少女がポツリと一人で佇んでいて――
(俺は、この景色を知っている?)
覚えがない筈なのに、既知の事実であるかのように受け入れている自分を不思議に思いながらも、やがてノイズとなって泡沫のように掻き消える。
「ッ」
我に返った瞬間、再び背中に激痛が襲い来る。しかし衝撃はなく、気が付けば血鎖から解放され宙に投げ出されていた。
「何が……」
この刹那の間に何が起きたのか? ミグレットを庇い、何とか受け身を取りつつ地面へ着地する。すると――
「うぐっ……あぁぁぁぁぁッッッーーーー」
これまで圧倒的優位に立っていた筈のシャーレ・ファンデ・ヴァイゼンベルガーが何故か頭を抑え、苦しみに悶えていた。その尋常ならざる様子にユーリもミグレットも絶句し、言葉が告げない。
「何で、せっかくお兄さんと盛り上がって、……よりにもよって、こんな時に!」
どうやらシャーレの身に意図しない何かが起きた様子。裂く息を荒げながら、必死に内なる衝動を抑えつけている。
渇きを、飢えを、大事な何かが枯渇したシャーレは声にならない悲鳴を上げる。
「ユーリ!」
「ッ、あぁ!」
一体何がどうなっているのか? 正直置いてけぼりの状況ではあるが、ユーリたちにとっては好都合。ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の雨を躱しながら、シャーレの横を通り過ぎる。
幸いにも追撃はなく、無窮血鎖棺も浮遊しままピタリと制止していた。一見隙だらけのシャーレだが下手に藪を突く必要もない。
ゲオルグの工房はまもなく崩落する。ミグレットは最後に父の亡骸を一目見て「お父さん……」と呟いた。
「待ってろよ、シオン……今度こそ!!」
先程垣間見た記憶やシャーレ、グランドクロスのことは後回しだ。シャーレは崩落に巻き込まれ、瓦礫の山で姿が見えなくなる。ひょっとして死んだのか? 何故かジクリと痛む胸を無視して、ユーリたちはシオンのもとへと駆け出した。
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