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第二章 集結、グランドクロス

第45話 首都エヴェスティシア

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「今からお前をあの御方に会わせてやる」

 そう言葉を述べたファルラーダ・イル・クリスフォラスの表情は、先ほどまでと違い非常に愉しそうだった。まるで新しい玩具を見つけた子供のように無邪気に笑っているように見える。

 だがミアリーゼからすれば願ったり叶ったりの状況である。ファルラーダの気まぐれのおかげでグランドクロスの――ひいてはフリーディア統合連盟の根幹に触れることができる。

 レーベンフォルン邸を出る際、ミアリーゼの部屋の惨状と状態を見た使用人たちがファルラーダと一悶着あったが、そこは彼女の鶴の一声で場を収めた。

 今はファルラーダと二人、貴族階級特権の護送車に乗り統合連盟本部に向かっている。

「あの、ファルラーダ様……アポイントメントも無しでわたくしがあの御方とお会いしてもよろしいのでしょうか?」

 運転しているファルラーダの後ろ――後部座席に座り、で恐る恐るといった様子で尋ねるミアリーゼに対しさも当然とばかりに彼女は答える。

「あの御方に拝謁するのに事前確認などいらん。そもそもおれが名乗りを上げた時点ですでに答えは出ている」

「えと、どういう意味でしょうか?」

「あ? だからそのままの意味だっつの。お前を連れて来るようにと御前からお言葉を賜り足を運んだんだよ、おれは」

「意味が分かりませんわ……」

 ならば先のレーベンフォルン邸でのやり取りは何だったのかとミアリーゼは頭を抱える。もしかしたらとんでもない茶番に付き合わされたのでは? とドッと疲労が押し寄せる。

「別に簡単なことだろ? 確かにおれは連れて来いとは言われたが生かして連れて来いとは言われてねぇ。
 お前がどういう奴かは直に見ないと分からんからな」

「つまり、ファルラーダ様のお眼鏡に叶わなければわたくしはあの場で殺されていたと?」

「いや、あれは単なる脅しだ」

「…………」

 何となく分かっていたが、呆気絡んと言われるとどう言葉を返せばいいのか分からなくなる。

「この一件はおれに一任されている。おれの意志はあの御方の御意志と同義。
 喜べ小娘、お前はあの御方に謁見するに相応しい格を示したんだ。
 グレンファルトとエルヴィスのバカは最後まで反対していたが、結局はあの御方の御意思に逆らえるはずもない。聞き入れてもらえず露骨に動揺していたよ――くっくく」

 ミアリーゼからしたら今の話の何が面白いのか理解できない。むしろ敬愛する父と兄を馬鹿にされて怒りが湧いたくらいだ。

「お、怒ったか? 怒ったな? そうやって喜怒哀楽全てを曝け出せよ。それが真っ当ってやつだ。綺麗でいようとするな、むしろ汚れることこそ誉れと思え。
 そうやって人類フリーディアは前に進んできたんだからな」

 ファルラーダの言葉はどこか真理をついているような気がしてミアリーゼは何も言い返せなくなる。

 ミアリーゼの足りないもの。それは感情を曝け出すこと。人間が懐く喜怒哀楽という名の感情……その中の怒哀をミアリーゼは忌避していた。

 それは良くないことなのだと父に教わってきたのだから。

 そんなことを考える内に護送車は目的地へと到着する。ミアリーゼにとっても馴染み深い人類統合連盟の総本山。

 選ばれた政治家たちが集まり日々議論を交わしている議事堂――エヴェスティシア。かの建造物が存在するからこそ、この都市は首都として機能しエヴェスティシアという名を与えられている。

 ここは所謂最高意思決定の場でもあり人類にとって最も重要かつ神聖な場所であるといえる。

(やはり、ここが)

 初めてエヴェスティシアを見たとき、ミアリーゼは世界から切り離されたような感覚に囚われた。それは今も変わらない。

 ここエヴェスティシアは人類の始まりとされており、二千年前以上前から存在しているといわれている。

 だというのにエヴェスティシアの内部は最古の建造物たる由縁を微塵も感じさせない。むしろ現代文明よりもさらに未来へ至っているかのように感じるのだ。

 エヴェスティシアは過去でもあり、未来でもある。相反する二つの側面を併せ持つ矛盾した空間。故に人々はエヴェスティシアを象徴として扱う。

 何度も訪れ、見慣れた筈の景色。しかし今日このときばかりは違う。異種族との永きに渡る争いに終止符を打つためにも、ミアリーゼは必ずグランドクロスを伴い戦場に戻らなければならない。

「そう気張るな。お前にとって馴染みのある場所だろ?」

「…………」

 護送車の窓から顔を出してファルラーダは門番であろう駐在員と一言交わす。厳戒態勢が敷かれている門の中へあっさりと通され、ファルラーダは議事堂正面玄関の入口まで車を走らせる。

 議事堂前にはミアリーゼの乗る護送車以外の各都市の政治家たちを乗せた馬車や車が停まっていた。 

 これも見慣れた光景。ただ従者を伴っていないミアリーゼは降りてもよいのか迷ってしまう。そう思った矢先、ファルラーダは車から降り立ち、丁寧に後部座席のドアを開いた。

「どうぞ、姫様。足元にお気をつけください」

「あ、ありがとう……ございま、す?」

 恭しい動作で手を差し出すファルラーダに戸惑いが隠せないミアリーゼ。背中がむず痒くなったのは生まれて初めての経験だ。

 先ほどと態度が百八十度変わった――というより別人としか思えぬ彼女にどう接すればよいのか分からなくなる。

 周囲を見れば見知った顔がチラホラと見受けられたため、ミアリーゼはすぐに冷静さを取り戻しファルラーダの手を取る。エスコートされる形で降車し、ミアリーゼは入口へ向け歩き出した。

 その際、顔見知りの政治家たちがミアリーゼの存在に気付き挨拶を交わしたが、ファルラーダは一貫して従者としての姿勢を崩さない。ミアリーゼの後ろに控え、話の邪魔にならないよう配慮していた。

 誰も――そう……誰もファルラーダがグランドクロスであることに気付いていない。ミアリーゼも知らなかったのだから当然といえば当然であるが、それでも何ともいえない違和感を覚える。

 ファルラーダを伴いエヴェスティシア内部のエントランスホールを抜ける。このときばかりは要人たちの挨拶が早く終わってほしいと内心思っていた。

 そしてようやく人目に付かない場へと赴き、二人きりになったミアリーゼは訝しげに問う。

「……どういうおつもりですか?」

「何のことでしょうか?」

 ニコリと笑みを浮かべるファルラーダは一切の態度を崩さない。

「その、態度といいますか……。どうしても違和感があるといいますか……。元の態度で話されても構わないのですよ?」

「姫様、あなたは統合連盟政府を代表する――ひいては人類フリーディアの未来を背負うべき御方です。そのような方に私ごとき一介の従者風情が対等に接することなどできません」

「は、はぁ……なるほど」

 なるほど、彼女の言いたいことは伝わった。公の場ではファルラーダは従者に徹するらしい。首を絞められ、足蹴にされたことは記憶に新しい。だが自然とファルラーダに対する恐怖は抜けていた。

 彼女はきちんと公私を弁える礼節正しい人間なのだと分かったから。グランドクロスだからと高らかに公言し威張り散らすのではない。水面下で人々の生活を見守り、己の役目を真っ当しているのだ。

 だが、僅かに懐いた尊敬の眼差しに釘を刺すようにファルラーダは言う。

「今しがた姫様が懐いた感情は幻想に過ぎないと進言いたします」

 心を見透かされたことに対し動揺するミアリーゼを無視してファルラーダは続ける。

おれは平気で人を殺しますし、それはあなたの兄君や他のメンバーも同様。中には道楽で人を不幸へと陥れるクズも存在していますので、誤解なきよう」

 そう言いながらファルラーダは何もない壁へ向け手を添える。絶句するミアリーゼを無視してカタカタと虚空に指を這わせている。

「な、何をしているのですか?」

「……お静かに。あまり騒がれると周りに気付かれてしまいますよ?」

 空いた片方の指をミアリーゼの唇に添え忠告するファルラーダ。彼女の仕草や動作一つ一つに品性が垣間見え、紳士として完璧に演じてみせるファルラーダはグランドクロスになる以前はどこで何をしていたのか?

 ミアリーゼの脳裏に宿った疑問はピッという不可思議な機械音と共に掻き消された。

「それでは参りましょうか、姫様」

 ファルラーダはミアリーゼの手をとる。

 その瞬間、目の前が一瞬だけ空白に染まる。気が付けばガラス張りのエレベーターの中にファルラーダと共に乗っていた。

「い、今のは一体何なのです? それにここは……」

 ミアリーゼの視界に広がる見たこともない都市の情景な映し出されている。広大な空間と相まってそこには誰もおらず、一種のゴーストタウンと化している。

 何だ、何なのだこれは? 先程まで議事堂にいた筈なのに気付いたら知らない都市に飛ばされてしまった。ここは一体何なのか?

 突然起きた摩訶不思議な現象に戸惑いつつ尋ねるミアリーゼを無視して、ファルラーダは己の言葉を告げる。

「我々グランドクロスは人類フリーディアを守護するために存在している。既存の指揮系統に囚われず、エヴェスティシアというもう一つの異世界――そしてあの御方の秘密を遵守していれば基本的には何をしても構わない。
 赤子を殺そうが、女を犯そうが罪にならない。何故ならグランドクロスはフリーディア――ひいては人類フリーディア最後の砦であるが故に」

 先ほどの恭しい口調と笑みは消え、再び冷酷かつ残忍な表情を覗かせるファルラーダ。

「あなたも、人を殺しているのですか? 人殺しを楽しんでいると?」

おれが殺すのは生きる価値がないと思った人間だけだ。愚かにもフリーディアに逆らうテロリスト共やフリーディアの名を背負っておきながら不甲斐ない働きをする輩。無関係な女子供を殺す趣味はない」

「そうですか……それを聞いて安心しました」

「おいおい、安心するのは早いぞ? 今回あの御方はお前とおれだけではなく全グランドクロスを招集している。
 もう分かっていると思うがお前の親父はあの御方の傀儡にすぎない。代々レーベンフォルン家が表舞台に立ちあの御方の代わりを務めているだけなのさ」

 さらりと語られる重大な事実にミアリーゼは声を押し殺して問いかける。

「……つまり、今のグランドクロスはお兄様とファルラーダ様、そして緋色の亡霊と呼ばれるテスタロッサ様の三名ということですか?」

「あ? テスタロッサのことは知ってんのか。まぁ、あの亡霊は戦うことしか脳のない変わり種だからな。噂になってても仕方ないか」

 やれやれと嘆息しつつ答えるファルラーダ。

「現在グランドクロスの構成員は全部で四人。つまりあと一人いるんだが、おれは奴のことが心底嫌いだ。お前の兄以上にな。
 だから奴のことをおれの口から語らせるなよ? どう思うかはお前の目で見て判断しろ」

 ゴクリと喉を鳴らして下層を降るエレベーターの床を見つめる。

 ファルラーダと会話することで意識を逸らしていたが、ミアリーゼの眼前に映る光景はすでに理解の範疇を超えていた。

地下都市空間ジオフロント――何故エヴェスティシアの下にこのような場所が」

 異世界。そう、ここは異世界だ。ゴウンッ……ゴウンッ……と機械音を奏でながらエヴェスティシアという異世界が脈動している。この場所にはミアリーゼも知らない未知のテクノロジーが使われている。

 その証拠に下層を降っていたはずのエレベーターから降り立つと、澄んだ海のような青空が広がっていたのだから。

 地下であることを忘れてしまいそうになる。一切の穢れを孕まぬ聖域とはまさにこの場所のことなのだとミアリーゼは思った。

「どうしました? 今さら怖気付いたのですか? お、ひ、め、さ、ま」 

「…………」

 挑発とも取れるファルラーダの言葉を無視して、ミアリーゼは一歩踏み出す。

 目の前に広がる光景に驚きはしたが、不思議と恐怖はなかった。フリーディアのために、そして終わりなきこの戦いを終わらせるために。

(だから、わたくしは)

 ミアリーゼの頭に浮かぶ一人の少年――ユーリ・クロイス。

 ミアリーゼは知らない。彼が異種族に対して心を痛めていることを。

 ミアリーゼは知らない。ユーリの思い描く理想とミアリーゼの望む世界は遠く隔たってしまっていることを。

 ミアリーゼは知らない。今日この日、踏み出した一歩が異種族にとって破滅を刻む階となったことを。

 そう――この時の彼女は何も知らなかった。
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