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第二章 集結、グランドクロス

第40話 無意味で無価値な無謀な夢

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 昔、一人の一般家庭に生まれた少女フリーディアがいた。少女はとても明るく笑顔がたえず近所の老人たちからも孫のように慕われ可愛がられていた。

 家計は決して裕福とはいえなかったが、少女はとても満足していた。足りないものは補い合い、助け合って明日を生きていく。

 お父さんとお母さん、おじいちゃんとおばあちゃん、皆が笑顔で暮らしていた。

「クレナは将来どんな大人になりたいんだい?」

 ある日、父に何気ない質問を投げかけられたことがあった。どんな大人になりたいか? 幼いクレナは迷うことなく答える。

「もちろん、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんみたいな優しい大人になりたいって思ってるよ!」

「ははは、そう言ってもらえるのは光栄だけど、お父さんたちが貧乏なせいで、クレナには迷惑ばかりかけてしまっている」

「世の中、お金が全てじゃないよ。お父さんたちにはいっぱい愛情を注いでもらってる。逆に多すぎて手のひらから溢れちゃいそうなくらい」

「クレナ……」

「私は今、とても幸せ。この胸に懐く大好きだよって気持ちを色んな人に知ってほしい。私、いっぱいいーっぱい勉強して、軍人になるの! それでね、困ってる人たちを笑顔にしてあげるの!」

 そう語るクレナの表情は太陽のように眩しく輝いていた。

「お父さん……?」

 クレナの言葉を聞き何を思ったのか、父はゆっくりと優しく、だけど力強くクレナを抱きしめていた。

 その背は震えており、まるで幼い子供のようにクレナは思えた。

「お父さん、大丈夫? どこか痛いの?」

「何でもないよ。クレナがそう言ってくれて、父さん嬉しくて、自分が不甲斐なくて、自分のしてきたことの恐ろしさを痛感して……」

 嗚咽混じりに話す父の言葉の意味を理解することはできなかった。ただ泣いている父の姿を見ていると、胸が苦しくて、切なくて。

(大丈夫だよ、お父さん。もう誰も悲しまずにいられる世界、そんな世の中にするのが私の夢だから)

 そんな想いを込めてクレナは父を優しく抱き返した。



「っ」

 ユーリを抱えまんまと逃げおおせたナギが落ちた深く深く暗い深淵なる奈落を思わせる谷底。そこから見えた過去の虚像を打ち消すように回転式拳銃の引き金を引く。

 乱雑に放った銃撃は虚しく空を切り、そのまま崖下を流れる激流へ呑み込まれていく。

「ユーリ・クロイス、君は昔の私を想起させる。無意味で無価値な無謀な夢を懐いたかつての私」

 現状ナギを追うのは不可能に近い。ユーリ・クロイスは明確に裏切ったわけではない。状況だけ見れば異種族に人質として囚われたと見ることもできる。

「感情はとうに捨て去ったはずなのに。君と相対する度に、私の感情が掻き乱されていく!」

 状況判断は速やかに、疑問を懐かず機械のように合理的に行動しなくてはならない。だというのに今のクレナにはそれができていない。

 その場で立ち尽くし、捨てたはずの過去を想起し、心臓を指で撫でられたかのようなざわついた不快感に襲われている。

「父は魔術武装マギアウェポンの部品を制作する工場で働いていました。 
 薄汚れた作業着で、毎日毎日家族のために働いてくれていた。だけど、家族全員を養うには些か賃金が不足していた。 
 金に目が眩み、そのせいでテロリストにまんまと飼い慣らされて、その後口封じのためか関係者一同皆殺しにされた。
 テロリストにとって小さな田舎町一つ支配するのは造作もない。目の前で母が玩具のように弄ばれ殺されたのを見た瞬間、私の望む世界は変わりました」

 一つ一つ、なぞるようにクレナは一人小さな声でルーツを語っていく。一言一言語るたびに声に冷酷さが戻り、心が闇に溶けていく。

 排除、排除排除。任務に不必要な感情は全て谷底へ沈めるかのように排除していく。

「あのときアーキマン司令が助けてくださったおかげで、今の私がある。あの方は私の懐いたくだらない夢と理想を現実という拳で打ち砕いてくれた。
 感情があるから人は誤った道へと行くのです。何も考えず、機械のように命令に従ってさえいればそれでいい」

 作業を終えたのか、元の平静な表情へと戻ったクレナは踵を返し歩き出す。

「さて、これはもう偵察だとか呑気なことを言っている場合ではないですね」

 今の状況を速やかにダリル・アーキマン司令に報告し、指示を仰ぐ必要がある。

 クレナは軍服の懐から通信機を取り出して、司令室への通信を試みる。応答はすぐにあった。

『……クレナか』

「はい、アーキマン司令」

 通話越しでも分かるダリル・アーキマンの厳粛かつ威厳のある声に思わず安堵を覚えてしまう。

 だが声は揺るがず平静かつ淡々とクレナは状況を報告した。



「どういうことよ! 私に待機を命じたくせに、ユーリを異種族に攫われたですって!? あんた隊長のくせに何やってんのよ!!!」

 戻ってきたクレナ・フォーウッドの報告を聞いて怒声を上げながら彼女の胸ぐらを掴むアリカ・リーズシュタット。

 無理もない。すぐにでも助けに行きたいところをクレナの命令に従い待機していたアリカだ。戻ってきたクレナにユーリが攫われたと無表情で告げられれば、激怒し責めるのは当然。

「あなたは本当に予想通りの反応をしますね、リーズシュタットさん」

「何ですって!!」

 クレナもまた、要らぬ言葉を発するものだから余計に火に油を注ぐ結果となり、見かねたダニエルが二人の間に割って入る。

「そこまでだっ、アリカ、気持ちは分かるがここで騒いでも仕方がないことくらい分かるだろ?」

「何を冷静に! ダニエル、あんたはユーリが心配じゃないの?」

「心配だが、フォーウッド隊長に当たったって解決するもんでもないだろう? ここ最近のお前さん、ユーリのことになると冷静さが保てなくなってるぞ?」

「っ」

 図星だったのか言葉を詰まらせ、クレナから離れるアリカ。ここ最近の彼女はユーリのことを想うたびに胸が苦しくなるという謎の病を抱えており、情緒不安定になっている。

 ダニエルに言われるまでもない。自分でも冷静さを保てなくなるのは自覚している。彼を想うたびに、彼の声を聞き笑顔を見るたびに嬉しい気持ちでいっぱいになり、逆に彼が悲しそうな顔や、辛い目に合うと自分のことのように胸が苦しくなるのだ。

 クレナから聞いた話ではユーリはビーストの中でも最強の戦闘能力を誇るナギと戦っていたとのこと。

 事の詳細は不明だが戦闘に勝利したユーリはナギを殺さず手を差し伸べた。そこにどういう意図があったのか、クレナは理解不能と言っていたがアリカには分かる。

 彼はずっと悩んでいたから。ナギのことを敵としてではなく対等な立場として接したいと思ったのだろう。

 そんな優しい手を振り解き、隙を付いてナギはユーリを人質に取り逃げ出した。これを聞いて冷静でいられるほうがおかしい。

「……相手はあのナギとかいうビーストだったのよ。連れ去られるなんて、絶対殺されるに決まってる」

 力なく呟くアリカに対してダニエルは答える。

「そうかもしれんが、すぐに殺されることはないはずだ。今からでも追いかければ、もしかしたら……って無理かそりゃ」

「私に対して希望的観測からものを言わないで。ビーストの移動速度は車より早いのよ。今から行って追いつけるわけないじゃない……」

「はは、そいつはすまんね」

 ユーリを追うことは現状不可能だと素直に告げるアリカの頭にポンと手を置くダニエル。

「気安く私に触れないで」

 すると今にも捻り斬らんばかりの勢いで睨み付けるアリカの眼光に冷や汗を垂らしダニエルは両手を上げて下がっていく。

「おいおい、味方に向ける目じゃないぜ。ユーリはどうやってあのじゃじゃ馬を手懐けたんだ? ったく」

「思っきり聞こえてるんだけど、もしかして喧嘩売ってる? 私今過去最高に苛ついてるから、来るなら容赦なくぶちのめすわよ?」

 ブンブンブンと大きく首を横に振るダニエルを横目にアリカは大きな溜め息を吐く。

 苦しい。ユーリがこの場にいない。彼の命が脅かされているかもしれないという事実だけで胸が苦しくて仕方がない。

「話は終わったようですね、もうすぐ夜も開けます。日が昇り次第すぐに次のポイントまで向かいましょう」

 他人事のように語るクレナに酷く苛立ちが募るがここで言い合っていても仕方がないのは事実だ。

 それともクレナたちと分かれ、ユーリを探しに出るべきか? ユーリが連れ去られた場所は間違いなくドワーフの拠点。

 クレナの目的も同じである以上、彼女たちと別行動する理由がない。結局謝罪の言葉すらなくクレナはこの場を去っていく。

 再び溜め息を吐いたアリカは先程から黙ったまま考えごとをしているオリヴァーに目がいく。

「ねぇ、あんたさっきからずっと黙ってるけど何か考えごと?」

 アリカに声をかけられたのがよほど不服なのか心底嫌そうに目を向けるオリヴァー。

「何で僕に話しかけてくるんだ貴様は」

「こっちだって正直願い下げ。でもユーリが攫われたってのにアンタずっと冷静だから気になったのよ」

「……ユーリのことは心配だよ。だけど僕には彼が殺される未来が見えないんだ。案外ビーストと仲良くやってるかもしれない。彼が手を差し伸べたのはそういうことだろ?」

「仲良くって……いや、ユーリならあり得る、かも?」

「僕が考えていたのは、もしかしたらユーリなら彼らを味方に付けてしまうんじゃないか? その場合僕らとビーストが接敵した場合、どう対処すればいいのか? ってことさ」

「でもそれって過程の話でしょ? もしかしたら酷い拷問を受けているかもしれない」

「それも踏まえて色々な可能性を考えているんだ。例えどんな残酷な事実が待ち受けていたとしても、受け入れられるように。
 あの時、僕がしでかした失態を二度と繰り返さなないためにも」 

 アリカは変わらずオリヴァーのことが嫌いだ。無駄に態度はでかいし、家柄などというどうでもいいことを気にしているし、小姑のように注意してくるしで他にも気に入らないところを上げたらキリがない。

 それでも、オリヴァーの行動については一度も間違っていると思ったことはなかった。
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