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第二章 集結、グランドクロス
第33話 憤り
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ビーストたちの住む領域は所謂密林地帯に覆われており、巨大な樹木が天を突き地を覆う。日光はわずかに地面に届き、幻想的な光景を作り出している。
さらに樹木の間を縫うように流れる光は、地面に不思議な模様を描き、生い茂る苔や蔓植物がその神秘を一層深めている。空気は湿り気を帯び、馴染みのない動植物が随所に息づいており、異世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。
アージアと呼ばれる発展した都市で生まれたユーリにとって、何度訪れても新鮮に映る光景群。
それをフリーディア統合連盟軍の最前線部隊が侵略し、整備部隊が補給路等道を切り開いていく。本来在るべき大自然をフリーディアの身勝手な理由で破壊していく行為は複雑な感情を懐かせる。
装甲車が破壊され、現在徒歩で目的地へと向かっているフォーウッド隊の進行は若干の遅れを見せていたが足取りは重い。
(あんなの、人の死に方じゃない)
ユーリの脳裏には先程戦ったドワーフたちの姿が過ぎっている。
魔術武装をオーバーヒートさせて、自爆による特攻を仕掛けるなどまともな指揮官のすることではない。おそらく指揮官は味方の命を道具としか考えていないのだろう。
「ナギ、お前もドワーフたちと一緒にいるのか……?」
ビーストと行動を共にしているなら、そこにナギたち精鋭部隊がいることは間違いない。仲間の死を憂い憎しみを持ってユーリたちに攻撃を仕掛けてきたビーストとは相容れなさそうだが。
「従わされている? 俺たちが攻め込んだせいで? 居場所を失ったから?」
考えれば考えるほど思考がぐちゃぐちゃになっていくのが分かる。答えのない問いがぐるぐると頭の中で渦を巻き、埋め尽くしていく。
「――ユーリ、疲れてる?」
不意にかけられたアリカの声で現実に引き戻される。顔を上げると心配そうにユーリの顔を覗き込んでいた。
「いや、ちょっと考え事してただけだよ」
「そう? 顔色あまり良くないし無理だけはしないで。ほら、水あげる」
言われるがままアリカに手渡されたボトルを受け取り口に含むと乾いた喉が潤っていくのが分かった。どうやら自分でも気付かない内に疲労が蓄積されていたらしい。
「ふぅ、ありがとうなアリカ。というか俺も水持ってるしわざわざ渡さなくてよかったのに」
「あ、そっか。つい……」
少し気恥ずかしそうに頬を掻くアリカ。そんな彼女を見ていると不思議と心が落ち着くような気がした。
それから暫くして密林を抜け開けた場所に出ると、ユーリたちに待ち受けていたのは再びの絶望。胃の中にあるものを全てぶち撒けてしまいたいと思わせる程の残酷な光景が広がっていた。
「あぁ……」
目的地であるビーストの拠点と思しき集落は、今や焼け野原と化していた。煙が立ちのぼり、焼け焦げた木々が無残にも地面に倒れている。その中で、ビーストたちの遺体が無数に転がっており、その悲痛な表情がユーリの心をえぐる。
家々はほとんど朽ち果て見る影もない。かろうじて原型を保っている家屋もあるが、どれも人が住めるような状態ではなかった。
そんな集落に破壊の限りを尽くした統合軍兵士たちが、ユーリたちの姿を捉えるなり駆け寄ってきた。
「フォーウッド少佐、ご無事でなによりであります!」
「遅れて申し訳ありません、状況は無線で説明したとおりです。恐らくここは囮……本命は密林地帯を超えた山岳地帯に潜んでいる可能性が高いと思われます」
事前に無線機でやり取りしていたクレナと統合軍士官は簡潔に状況確認するだけに留めている。彼女はユーリたちを信用していないのか、殆ど何も報告してくれない。与えられた命令だけを熟す機械のように動けと無言の圧を放っているのだ。
それが腹立たしくてならない。何故彼女たちは平然としているのだ? 明らかに非戦闘員であろう母親らしきビーストが子供を庇って亡くなっているのが見えないのか?
コイツらは無慈悲に子供ごと殺したのだ。異種族をエネルギー資源とするために老若男女を皆殺しにした。
「――各員周辺の警戒は怠らぬよう。今よりここを最前線拠点とし、ドワーフの潜伏先を突き止めます。
ビーストの遺体は別働隊が到着し次第すぐに片付けさせます。クロイスくんたちは周辺の遺体の回収と仮設テントの準備をお願いします」
「……あ、え」
湧き上がる怒りを必死に抑えていたため、クレナの指示を殆ど聞いていなかった。回収? 仮設テント? つまり今日はビーストたちを襲ったその場所で寝泊まりしろということか? そんなこと……。
「……フォーウッド隊長、質問よろしいでしょうか?」
「何です?」
ユーリの内なる怒りを感じ取ったのか、クレナが苛立ち混じりに返事をする。オリヴァーは嫌な予感がしたらしい。ユーリの肩に手を置き制止しようするが、それを振り払いクレナに言う。
「ここって、ビーストが住んでいた集落ですよね?」
「そうですよ。それがどうかしましたか?」
何を今更と言いたげなクレナの淡々とした口調。その態度が引き金となり、歯を必死に食いしばりながらユーリは。
「なんで、この光景を見てそんなに平然としていられるんですか……」
「……?」
クレナだけじゃない。以前任務を共にしたホーキン隊も破壊の限りを尽くした光景を見ても平然としていた。そんな彼女たちにユーリはやるせなさを隠せず言葉を続ける。
「俺には理解できない。敵とはいえ、ビーストの住処を奪って、殺して、その場所で、平然と寝泊まりしようっていうあんたたちの神経が!!」
抑えていた感情が溢れ出すように怒りをぶつけるユーリだったが、その言葉を受けてなお、クレナは表情を崩さない。むしろ何故ユーリが声を荒らげているのか理解すらしていない様子だ。
「君が何を憤っているのかよく分からないのですが………?」
「あんたには、人として懐く当たり前の感情が欠けている! あんただけじゃない、ここにいる兵士全員に言ってるんだ! あんたら一回でもビーストの……ナギの憎悪の眼差しを見て何も思わなかったのかよ!!」
本当はこんなことを言うべきじゃないというのは分かってる。上官や友軍に向けていい言葉でないことも。だが一度堰を切った言葉を止めることはできなかった。
クレナは言っていた。自分は任務を達成するための機械であればいいと。そこに余計な感情は必要ないと。
その言葉にユーリは最後まで納得がいかなかった。確かに任務を達成することは重要だ。だがそれ以上に大事なことは――きっと胸に懐いたこの想いなんだとユーリは思った。
「君が言いたいことは分かりました。敵に対して情けをかけない私のことを不満に思っていることも」
クレナから放たれた声音はどこまでも冷たく、氷の刃のごとく凍てついている。
「その上で言わせていただきますが、君は軍人には向いていません」
「っ、何を!?」
唐突に告げられた言葉に動揺を隠しきれないユーリだったが、クレナは無視して続ける。
「クロイスくんの懐く感情を……人は優しさと呼ぶのでしょう。それ自体は否定しません。ですが裏を返せば甘さに繋がる危険な感情ともいえます」
彼女の言葉は止まらない。それはさながら壊れたラジオのようで、淡々と紡がれる言の葉にユーリは耳を傾けることしかできなかった。
「私がかつてアーキマン司令に拾っていただいた際に最初に教えられたのは、その甘さを捨てることでした」
「アーキマン司令に……拾われ、た?」
予想だにしない衝撃の事実に言葉が詰まってしまう。それはユーリだけではなく、他の皆も同じく目を見開いて驚いていた。
「えぇ、そうです。物心がつく頃からアーキマン司令にはお世話になっています。何もない私に機械としての存在価値を与えてくれた。そんな彼が言ったのです――感情を殺せ、何をおいても任務の遂行を優先すべし、と」
まるで他人事のように語る彼女からは悲壮感など微塵も感じられない。ただ事実をありのまま伝えているだけといった様子だ。
だがそんな態度とは裏腹に、彼女が抱えているものは途轍もなく大きなものなのだろう。そう感じずにはいられなかった。
「故にアーキマン司令の意志に背く君を友軍とは認められません。これ以上そのような戯言を宣うのならば隊長権限で君を除隊させます」
「…………」
クレナ同様他の統合軍兵士たちも同じ意見なのか、ユーリに対して不審な目を向けていた。その中で唯一オリヴァー、アリカ、ダニエルだけは反論を口に出そうとしたが、ユーリは「申し訳ありませんでした」と謝り身を引いた。
結局ユーリの言葉はクレナに何一つ響いていなかった。その後は言われるがままに命令に従い、ビーストの遺体に向けて手を合わせ謝罪する。
こんなことは無意味だと分かっている。一番許せないのは、状況を変えることができない己の弱さ。
悔しさと共に気まずさも相まってクレナから離れた位置で寝ることにした。かといってビーストが住んでいた集落に寝泊まりする気は起きず、ユーリは一人離れて森の奥にある小川まで足を運んでいた。
「ハァ、何やってんだろうな俺は……」
川辺にしゃがみ込み、どうにもならないやるせなさを感じ小石を掴み川へと放り投げる。
放物線を描き、水面を切る石ころをぼんやりと眺める。
「――珍しいね、君があそこまで取り乱すなんてさ」
そのとき、ユーリの背後から不意に声がかけられた。その声の主が誰かなど考えるまでもない。
「何だ? 慰めに来てくれたのか、オリヴァー」
振り返ることなくユーリは言葉を返す。
名を告げられたオリヴァーはクスリと笑うとユーリの隣に腰を降ろした。
「フォーウッド隊長のとこいなくていいのか?」
「朝までは自由にしていいって話だったからね。本当は下民女が真っ先に君を追いかけようとしたんだけど、フォーウッド隊長に呼ばれてね。代わりに僕が来たってわけさ」
「そっか」
別に興味もなかったし、むしろ今は一人になりたい気分だったので適当に返事をする。しかし、それでもオリヴァーはユーリの隣に腰を下ろしたまま動こうとはしなかった。
「なぁユーリ、僕は君の気持ちは痛いほど理解できるし、フォーウッド隊長に対する憤りも分かるよ。正直フリーディアが滅ぼした集落に寝泊まりするのは抵抗がある」
オリヴァーも同じ気持ちだったらしい。同じ境遇を経験したからこそ共感できる部分があったのだろう。
「けれど、これは戦争だから。仕方ないことだって割り切れるのが生き残るコツなのかもしれない……」
「フォーウッド隊長が言うように、軍人向いてないかもしれないな、俺。割り切るなんて絶対にできない」
「君は優しいよな、本当に。だからこそ見ていて危ういって僕は思う。下民女が心配する気持ちも分かるよ。なまじ優しいばかりに、相手を思いやってしまうから無意識に力を抑えてしまっている。
自分を殺そうとした相手を慮るなんて本来ならあり得ない。正直いつ殺されてもおかしくない」
ユーリはオリヴァーの言葉を黙って水面を眺めながら聞いている。
「僕は、君が殺されるくらいならビーストを殺すよ。敵に同情はするけど、これは戦争だ。僕は自分が正義だなんて毛ほども思っていない。綺麗でいようなんて思わない」
「オリヴァー……」
オリヴァーは前回の任務で我を忘れ取り乱し、友軍を殺させてしまったらしい。そのことを酷く悔いていることも。弱さを断ち切るために、血の滲む努力で鍛錬していることも知っている。
そんな彼が放った言葉はユーリの胸に突き刺さった。
「やっぱお前って凄い奴だよ」
「な、なんだい急に!? 今の言葉のどこに凄さなんて……」
「どんな理由があろうと、何を思ったとしても俺は軍人だから。組織に属する以上、命令は絶対。フォーウッド隊長もただアーキマン司令の指示で動いてるだけなんだもんな……」
ならば、ダリル・アーキマン大佐は何を想いどんな野望を懐いているのか。
クレナを育てたのはダリルだ。彼の理想とする戦闘マシーンとして存在することが彼女の意志そのもの。覚悟なんだと感じた。
だがユーリは軍人として、ただいたずらに敵を殺すだけの戦闘マシーンになるつもりはなかった。
敵がどんな想いでフリーディアに牙を剥くのか、その怒りの根源はどこから来たものなのか、ちゃんと知りたいと思ったから。
「もしかしたら、俺の考えは間違っているのかもしれない。それでも俺はビーストのこと、ナギのことを知りたいと思っている。
誰に間違ってると言われても、俺は考えることを止めない」
そう、たぶん、きっと、この胸に懐いた想いは捨ててはいけないのだとユーリは思った。
さらに樹木の間を縫うように流れる光は、地面に不思議な模様を描き、生い茂る苔や蔓植物がその神秘を一層深めている。空気は湿り気を帯び、馴染みのない動植物が随所に息づいており、異世界にでも迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。
アージアと呼ばれる発展した都市で生まれたユーリにとって、何度訪れても新鮮に映る光景群。
それをフリーディア統合連盟軍の最前線部隊が侵略し、整備部隊が補給路等道を切り開いていく。本来在るべき大自然をフリーディアの身勝手な理由で破壊していく行為は複雑な感情を懐かせる。
装甲車が破壊され、現在徒歩で目的地へと向かっているフォーウッド隊の進行は若干の遅れを見せていたが足取りは重い。
(あんなの、人の死に方じゃない)
ユーリの脳裏には先程戦ったドワーフたちの姿が過ぎっている。
魔術武装をオーバーヒートさせて、自爆による特攻を仕掛けるなどまともな指揮官のすることではない。おそらく指揮官は味方の命を道具としか考えていないのだろう。
「ナギ、お前もドワーフたちと一緒にいるのか……?」
ビーストと行動を共にしているなら、そこにナギたち精鋭部隊がいることは間違いない。仲間の死を憂い憎しみを持ってユーリたちに攻撃を仕掛けてきたビーストとは相容れなさそうだが。
「従わされている? 俺たちが攻め込んだせいで? 居場所を失ったから?」
考えれば考えるほど思考がぐちゃぐちゃになっていくのが分かる。答えのない問いがぐるぐると頭の中で渦を巻き、埋め尽くしていく。
「――ユーリ、疲れてる?」
不意にかけられたアリカの声で現実に引き戻される。顔を上げると心配そうにユーリの顔を覗き込んでいた。
「いや、ちょっと考え事してただけだよ」
「そう? 顔色あまり良くないし無理だけはしないで。ほら、水あげる」
言われるがままアリカに手渡されたボトルを受け取り口に含むと乾いた喉が潤っていくのが分かった。どうやら自分でも気付かない内に疲労が蓄積されていたらしい。
「ふぅ、ありがとうなアリカ。というか俺も水持ってるしわざわざ渡さなくてよかったのに」
「あ、そっか。つい……」
少し気恥ずかしそうに頬を掻くアリカ。そんな彼女を見ていると不思議と心が落ち着くような気がした。
それから暫くして密林を抜け開けた場所に出ると、ユーリたちに待ち受けていたのは再びの絶望。胃の中にあるものを全てぶち撒けてしまいたいと思わせる程の残酷な光景が広がっていた。
「あぁ……」
目的地であるビーストの拠点と思しき集落は、今や焼け野原と化していた。煙が立ちのぼり、焼け焦げた木々が無残にも地面に倒れている。その中で、ビーストたちの遺体が無数に転がっており、その悲痛な表情がユーリの心をえぐる。
家々はほとんど朽ち果て見る影もない。かろうじて原型を保っている家屋もあるが、どれも人が住めるような状態ではなかった。
そんな集落に破壊の限りを尽くした統合軍兵士たちが、ユーリたちの姿を捉えるなり駆け寄ってきた。
「フォーウッド少佐、ご無事でなによりであります!」
「遅れて申し訳ありません、状況は無線で説明したとおりです。恐らくここは囮……本命は密林地帯を超えた山岳地帯に潜んでいる可能性が高いと思われます」
事前に無線機でやり取りしていたクレナと統合軍士官は簡潔に状況確認するだけに留めている。彼女はユーリたちを信用していないのか、殆ど何も報告してくれない。与えられた命令だけを熟す機械のように動けと無言の圧を放っているのだ。
それが腹立たしくてならない。何故彼女たちは平然としているのだ? 明らかに非戦闘員であろう母親らしきビーストが子供を庇って亡くなっているのが見えないのか?
コイツらは無慈悲に子供ごと殺したのだ。異種族をエネルギー資源とするために老若男女を皆殺しにした。
「――各員周辺の警戒は怠らぬよう。今よりここを最前線拠点とし、ドワーフの潜伏先を突き止めます。
ビーストの遺体は別働隊が到着し次第すぐに片付けさせます。クロイスくんたちは周辺の遺体の回収と仮設テントの準備をお願いします」
「……あ、え」
湧き上がる怒りを必死に抑えていたため、クレナの指示を殆ど聞いていなかった。回収? 仮設テント? つまり今日はビーストたちを襲ったその場所で寝泊まりしろということか? そんなこと……。
「……フォーウッド隊長、質問よろしいでしょうか?」
「何です?」
ユーリの内なる怒りを感じ取ったのか、クレナが苛立ち混じりに返事をする。オリヴァーは嫌な予感がしたらしい。ユーリの肩に手を置き制止しようするが、それを振り払いクレナに言う。
「ここって、ビーストが住んでいた集落ですよね?」
「そうですよ。それがどうかしましたか?」
何を今更と言いたげなクレナの淡々とした口調。その態度が引き金となり、歯を必死に食いしばりながらユーリは。
「なんで、この光景を見てそんなに平然としていられるんですか……」
「……?」
クレナだけじゃない。以前任務を共にしたホーキン隊も破壊の限りを尽くした光景を見ても平然としていた。そんな彼女たちにユーリはやるせなさを隠せず言葉を続ける。
「俺には理解できない。敵とはいえ、ビーストの住処を奪って、殺して、その場所で、平然と寝泊まりしようっていうあんたたちの神経が!!」
抑えていた感情が溢れ出すように怒りをぶつけるユーリだったが、その言葉を受けてなお、クレナは表情を崩さない。むしろ何故ユーリが声を荒らげているのか理解すらしていない様子だ。
「君が何を憤っているのかよく分からないのですが………?」
「あんたには、人として懐く当たり前の感情が欠けている! あんただけじゃない、ここにいる兵士全員に言ってるんだ! あんたら一回でもビーストの……ナギの憎悪の眼差しを見て何も思わなかったのかよ!!」
本当はこんなことを言うべきじゃないというのは分かってる。上官や友軍に向けていい言葉でないことも。だが一度堰を切った言葉を止めることはできなかった。
クレナは言っていた。自分は任務を達成するための機械であればいいと。そこに余計な感情は必要ないと。
その言葉にユーリは最後まで納得がいかなかった。確かに任務を達成することは重要だ。だがそれ以上に大事なことは――きっと胸に懐いたこの想いなんだとユーリは思った。
「君が言いたいことは分かりました。敵に対して情けをかけない私のことを不満に思っていることも」
クレナから放たれた声音はどこまでも冷たく、氷の刃のごとく凍てついている。
「その上で言わせていただきますが、君は軍人には向いていません」
「っ、何を!?」
唐突に告げられた言葉に動揺を隠しきれないユーリだったが、クレナは無視して続ける。
「クロイスくんの懐く感情を……人は優しさと呼ぶのでしょう。それ自体は否定しません。ですが裏を返せば甘さに繋がる危険な感情ともいえます」
彼女の言葉は止まらない。それはさながら壊れたラジオのようで、淡々と紡がれる言の葉にユーリは耳を傾けることしかできなかった。
「私がかつてアーキマン司令に拾っていただいた際に最初に教えられたのは、その甘さを捨てることでした」
「アーキマン司令に……拾われ、た?」
予想だにしない衝撃の事実に言葉が詰まってしまう。それはユーリだけではなく、他の皆も同じく目を見開いて驚いていた。
「えぇ、そうです。物心がつく頃からアーキマン司令にはお世話になっています。何もない私に機械としての存在価値を与えてくれた。そんな彼が言ったのです――感情を殺せ、何をおいても任務の遂行を優先すべし、と」
まるで他人事のように語る彼女からは悲壮感など微塵も感じられない。ただ事実をありのまま伝えているだけといった様子だ。
だがそんな態度とは裏腹に、彼女が抱えているものは途轍もなく大きなものなのだろう。そう感じずにはいられなかった。
「故にアーキマン司令の意志に背く君を友軍とは認められません。これ以上そのような戯言を宣うのならば隊長権限で君を除隊させます」
「…………」
クレナ同様他の統合軍兵士たちも同じ意見なのか、ユーリに対して不審な目を向けていた。その中で唯一オリヴァー、アリカ、ダニエルだけは反論を口に出そうとしたが、ユーリは「申し訳ありませんでした」と謝り身を引いた。
結局ユーリの言葉はクレナに何一つ響いていなかった。その後は言われるがままに命令に従い、ビーストの遺体に向けて手を合わせ謝罪する。
こんなことは無意味だと分かっている。一番許せないのは、状況を変えることができない己の弱さ。
悔しさと共に気まずさも相まってクレナから離れた位置で寝ることにした。かといってビーストが住んでいた集落に寝泊まりする気は起きず、ユーリは一人離れて森の奥にある小川まで足を運んでいた。
「ハァ、何やってんだろうな俺は……」
川辺にしゃがみ込み、どうにもならないやるせなさを感じ小石を掴み川へと放り投げる。
放物線を描き、水面を切る石ころをぼんやりと眺める。
「――珍しいね、君があそこまで取り乱すなんてさ」
そのとき、ユーリの背後から不意に声がかけられた。その声の主が誰かなど考えるまでもない。
「何だ? 慰めに来てくれたのか、オリヴァー」
振り返ることなくユーリは言葉を返す。
名を告げられたオリヴァーはクスリと笑うとユーリの隣に腰を降ろした。
「フォーウッド隊長のとこいなくていいのか?」
「朝までは自由にしていいって話だったからね。本当は下民女が真っ先に君を追いかけようとしたんだけど、フォーウッド隊長に呼ばれてね。代わりに僕が来たってわけさ」
「そっか」
別に興味もなかったし、むしろ今は一人になりたい気分だったので適当に返事をする。しかし、それでもオリヴァーはユーリの隣に腰を下ろしたまま動こうとはしなかった。
「なぁユーリ、僕は君の気持ちは痛いほど理解できるし、フォーウッド隊長に対する憤りも分かるよ。正直フリーディアが滅ぼした集落に寝泊まりするのは抵抗がある」
オリヴァーも同じ気持ちだったらしい。同じ境遇を経験したからこそ共感できる部分があったのだろう。
「けれど、これは戦争だから。仕方ないことだって割り切れるのが生き残るコツなのかもしれない……」
「フォーウッド隊長が言うように、軍人向いてないかもしれないな、俺。割り切るなんて絶対にできない」
「君は優しいよな、本当に。だからこそ見ていて危ういって僕は思う。下民女が心配する気持ちも分かるよ。なまじ優しいばかりに、相手を思いやってしまうから無意識に力を抑えてしまっている。
自分を殺そうとした相手を慮るなんて本来ならあり得ない。正直いつ殺されてもおかしくない」
ユーリはオリヴァーの言葉を黙って水面を眺めながら聞いている。
「僕は、君が殺されるくらいならビーストを殺すよ。敵に同情はするけど、これは戦争だ。僕は自分が正義だなんて毛ほども思っていない。綺麗でいようなんて思わない」
「オリヴァー……」
オリヴァーは前回の任務で我を忘れ取り乱し、友軍を殺させてしまったらしい。そのことを酷く悔いていることも。弱さを断ち切るために、血の滲む努力で鍛錬していることも知っている。
そんな彼が放った言葉はユーリの胸に突き刺さった。
「やっぱお前って凄い奴だよ」
「な、なんだい急に!? 今の言葉のどこに凄さなんて……」
「どんな理由があろうと、何を思ったとしても俺は軍人だから。組織に属する以上、命令は絶対。フォーウッド隊長もただアーキマン司令の指示で動いてるだけなんだもんな……」
ならば、ダリル・アーキマン大佐は何を想いどんな野望を懐いているのか。
クレナを育てたのはダリルだ。彼の理想とする戦闘マシーンとして存在することが彼女の意志そのもの。覚悟なんだと感じた。
だがユーリは軍人として、ただいたずらに敵を殺すだけの戦闘マシーンになるつもりはなかった。
敵がどんな想いでフリーディアに牙を剥くのか、その怒りの根源はどこから来たものなのか、ちゃんと知りたいと思ったから。
「もしかしたら、俺の考えは間違っているのかもしれない。それでも俺はビーストのこと、ナギのことを知りたいと思っている。
誰に間違ってると言われても、俺は考えることを止めない」
そう、たぶん、きっと、この胸に懐いた想いは捨ててはいけないのだとユーリは思った。
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