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第1章:夜伽
第3話
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腕時計を確認すると、時刻は午後十時を示していた。先程まで夕日が溶けたような色をしていた空も段々とグラデーションのように黒くなっていく。ホスクラやキャバクラ、風俗などの様々な看板が所狭しと光っていて、暗い夜空とは対照的だ。
……それにしても。紛らわしい場所に立っているせいか、先程からずっと「お兄さん、いい子いますよ!」とか「お兄さん、今の稼ぎに満足してます?」とか詰め寄られるのが若干邪魔くさい。俺より“いい子”なんているわけねーだろ。
パーカーのフードを深く被って近づくキャッチやスカウトを威嚇していると、その向こうから一際スタイルの良いスーツ姿の男が歩いてくるのが見えた。上下黒で固められたスーツは身体のラインを綺麗に見せていて、瞳と同じセルリアンブルーのネクタイが歩く度に揺れる。ジンは俺のことを横目でちらりと見ると、すぐに店へ向かう階段を上がろうとしたので慌てて傍まで駆け寄った。
「おっはよーございます、ジンさん!」
「……ストーカー行為は犯罪って知らない?」
「嫌だな、ストーカーじゃないですよ!俺はただ、ジンさんと仲良くなりたいなぁ~ってだけで!」
「そう」
「仲良くしましょうよ、ねっ?」
「しない」
階段を登りながらにこにこと話しかけてみるも、あえなく撃沈。おかしいぞ、俺が照れたようにはにかんでもピクリとも反応しないなんて。そんじょそこらの男なら、少し柔らかく微笑んだだけで簡単にホテルへ直行できるのに……?
そして俺は、とある一つの可能性を思いついた。
……こいつまさか、勃起不全か?
ジンには悪いが、勃起不全にはさすがの俺でも抱かれたくない。ふにゃふにゃのそれを挿れるのは困難なのだ。最悪の可能性に頭を唸らせている間にも、ジンは見向きもせず階段を上がっていく。全く、薄情な奴め。そんなんじゃ歳とってから苦労するぞ。
きらきらと光る宝石(偽物だろうけど)で装飾された階段はまるでお城のようで、こういう来た客(姫っていうのか?)を楽しませるアイデアに関心した。ラブホの内装もこんなに綺麗ならいいのに。西洋のお城みたいな重厚な扉に手をかけるジンは、まるで西洋の王子様のようでとても似合う。彼が扉を開けると、そこには華やかな世界が広がっていた。
「宇宙代表~、おはようございま~す」
「おはよう、ウサギくん。ネクタイ曲がってるよ」
「おはようございます、宇宙代表!昨日は焼肉ご馳走様でした、人生で食った肉の中で一番美味かったっす!」
「おはよ、また今度行こうね」
「宇宙代表、イベントのご相談があるのですが」
「なになに、ちょっと見せて……」
先程までの冷たい視線で俺を追い払おうとしていたジンとは、全くの別人が立っていた。仕事とプライベートを切り替えるのが上手いタイプと言うよりも、まるで宇宙ジンという完璧なカリスマホストの人格が急に降りてきたような……?上手く表現できないのが悔しいけど、とにかく先程まで凍っていた表情筋を急に自由自在に操るジンが、不気味で仕方がなかった。
……それにしても、そうか。惑星グループはαだけを受け入れてると聞いたし、つまりジンと親しげに話してる奴らも全員αってことか。なら最悪ジンと親しくなれなくても、そいつらに抱かれるのもアリかもしれない。倍率が某アイドルグループ並みに高い惑星グループに入ってる時点で、αの中でもかなりの容姿とトーク力を兼ね備えたエリートだろうし……?
「……いや、そんな消極的になるな俺!」
両手でパシンと頬を叩く。通りすがりの地雷女がビクリとこちらを振り返り、ついでに長いツインテールにも頬を叩かれる。そうだ、どうせ狙うならNO.1を狙え。ドアの隙間から見えたホストも、確かにイケメンだったしモノも太そうだしテクニックもありそうだったけど、でも俺が堕とすべきは頂点の宇宙ジンだろ!あの二重人格みたいな奴の面の皮を引っ剥がして、ベッドの上でたっぷり可愛がってやる(いやまあ抱かれるのは俺だけど)!
心を中ではメラメラと闘志を燃やしながら、いつもの裏路地へ移動する。近所の居酒屋が置いたであろう段ボール箱の上を陣取り、行き交う男たちをじっと観察する。……うん、今日はあの男にしよう。無邪気な笑顔を貼り付けて、足早に立ち去ろうとする男の腕を掴んだ。背伸びして耳元へ唇を近づける。
「おにーさん、俺のこと抱いてよ」
♥♥
情事の余韻が残る尻を抑えつつ、惑星グループの店前まで何とか歩いてきた。ジンはまだ出てこないかな。昨日も一昨日も明け方まで姿を現さなかったし、きっとまだだろうな。居酒屋のお兄さんがくれた段ボールを地面に敷くと、少し尻が暖かくなったような気がする。なんだか少し眠くなってきたので、そっと目を瞑って電柱に頭を預けた。
「お前ッ、ふざけんなよ!」
「落ち着いて、危ないから」
「はぁ!?みぁは落ち着いてるしっ!」
「ごめんって、ね?俺はみぁのことを思って……」
「みぁのこと大切に思ってんなら、みぁがデリヘル始めた時点で止めろよ!」
目を覚ますと、誰かが言い争う声が聞こえた。電柱の影から顔を出すと、ジンともう1人……先程すれ違ったツインテールの地雷女が立っていた。あぁ、あの女は一昨日もジンと揉めていたっけ。怒鳴り声を上げたみぁは持っていた鞄でジンを殴ると、すぐさま走り去ってしまう。可哀想に、綺麗な顔が台無し……と言いたいところだけど、赤く痛々しい痣がついてもイケメンはイケメンだった。
無様な顔でも拝んでやろうとこっそり影から覗き込んでみたが、予想に反してジンは無表情のままだった。冷めた瞳のままネクタイを整える彼に近づき、肩をポンポンと叩いて労わってやる。真顔で振り向く姿はまるで糸の切れた人形のようで、少し……というかかなり不気味だ。カリスマホストの宇宙ジンという仮面をずっと被るのは、きっと想像できないほど大変なのだろう。
「うわ、痛そーですね」
「……まだいたんだ」
「いちゃ迷惑ですか?」
「うん、迷惑」
「即答しないでくださいよ、傷つきます!」
「お前の性的対象はどうでもいいけど、金払わない以上は接客する義理ないから」
「……俺、別に男が好きなわけじゃないですよ」
俺はその場に屈みこみ、下からジンの顔を見上げてみる。透き通った空みたいな瞳に見つめられると、同性と分かっていても心臓がどくりと震える。鼓動する心臓を服の上から掴み、眉をへにゃりと垂れ下げた。しっかりしろ。ここが勝負の時だ、俺!
「昨日、……犯されたんです。無理やり」
「…………へぇ」
ジンの瞳が歪む。美しい湖に泥を一滴垂らしたみたいに、急激に瞳の奥がどろどろと濁った。……かかった、のか?俺は目元を拭うふりをして、袖に隠し入れていた目薬をこっそりとさす。完璧だ。自宅で二時間練習した甲斐があった。
これで俺は、男に無理やり犯されたことがトラウマになってしまった、いたいけな青年を演じられるってわけ。第一印象が「事後の余韻で自慰していた奴」と「無理やり犯されて必死に掻き出していた奴」とでは、その後の攻略しやすさが桁違いだ。ポロポロと零れる涙(またの名を目薬)を何度も拭いながら、俺は言葉を続ける。
「っおれ、はじめてだったから……怖くて。大好きなジンさんの顔見たら、そういう……嫌な記憶、上書きできるかなって、思って…………っ!」
「大好きな俺に、ねぇ……?」
「……迷惑、でしたよね。ごめんなさい」
「別に。たださぁ……」
___嘘はいけないよ?
「…………、え?嘘なんて」
「俺に嘘、つかないでよ。殺したくなる」
「っは…………ッ!?」
髪をぐしゃりと乱暴に掴まれて、無理やり立たされる。地肌ごと引っ張られた痛みで目に生理的な涙が浮かび、抵抗しようとジンの腕を掴み返した。体格は俺と同じか少し大きいくらいなのに、握力に差がありすぎる。涙で滲む視界には俺の首元に顔を埋め込むジンがいて、混乱と痛みで頭がどうにかなってしまいそうだ。演技なんて忘れて、素の俺のまま慌てふためく。
「痛ッ……!いたい、って!」
「…………やっぱりβだ」
「た、確かに俺はβだけど……だから何だよ!?βじゃ都合が悪いって!?」
「最近、姫たちが困ってた。βの男がナマでハメまくってるせいで、無関係のデリヘル嬢まで本強されるって」
「っえ……」
その言葉にサッと青ざめる。自分の劣等感や孤独を誤魔化すため、なんてくだらない理由で続けていた行為が、まさか誰かを傷つけてしまっていたなんて。でもこの日課は生活の一部になっているし、今更やめたところで身体の疼きや孤独が埋まるわけでもない。αに抱かれなくなった俺なんて、そんなの俺じゃない。ジンには悪いけど、俺の毎晩の楽しみを奪うつもりならこっちだって容赦しない。
「そうやって誰彼構わず股を開くの……やめなよ」
「……無理です」
「はぁ……警察呼ぶよ」
「ただの趣味だし、金とかも貰ってないので罪には問われないはずですよ」
「……ちっ」
まぁたまにお小遣いは貰ってるけど。都合の悪いことは黙っていた方がいい。騙すわけではない、ただちょっと“うっかり”伝え忘れていただけだ。これも独りで生きていく上で身についた、処世術ってやつなのかもしれない。ズボンについた砂利を払いながら立ち上がると、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨みつけるジンがいた。どこ吹く風でニッコリ微笑んでやれば、ジンは嫌悪感を隠そうともせず小さく舌打ちをした。
仕方ない、急遽作戦変更だ。当初の予定ではこのまま「慰めてジンさん♡」「仕方ないなぁ♡」とか言ってそのままホテルへ直行ベッドイン!といくはずだったんだけど、この様子じゃ無理やり抱かれたなんて嘘はとっくにバレていたんだろう。その上で俺のあの猿芝居を黙って見ていたんだとしたら、随分とタチの悪い男だ。
「ね、ジンさん、俺と取引しませんか」
「何?」
「ジンさんが俺と会ってくれた日は、誰ともセックスしません」
「……お前、もしかして俺のこと…………」
そう言いかけると、綺麗な額にシワを寄せて深く考え込んでしまう。改めて至近距離で見ると、本当に綺麗な顔をしているな。すっと通った鼻筋や薄い唇だけを見ると女性的な顔なのに、全体を見るとちゃんと男性らしいのだから美形はズルいと思う。
その言葉の続きは『俺のこと……好きなのか?』とかだろうか。別に好きでも何でもない(いや顔はかなりタイプだけど……!)が、ジンの肩書きやステータスにはかなり興味がある。
「……仕方ないか。いいよ、会ってあげる」
「あは、偉そうな言い方。……じゃあまた明日、今と同じくらいの時間に来ますね」
「…………絶対に、誰ともヤるなよ」
「勿論ですよ。ほら、心配なら指切りでも……」
「ちょっと宇宙代表~、いつまで話してんの~?」
「ごめんウサギくん!酔っ払いに絡まれちゃった、今行くから少し待っててね」
「は~い。酔ったヤンキーとか最悪ですね~、宇宙代表ファイトで~す」
階段の上から顔を覗かせたのは、ウサギと呼ばれた青年だった。ふんわりとした白髪がぴょこぴょこと見え隠れしていて、確かにこれはウサギに見えなくもない。
「……俺、酔ってないですよ」
「知ってる」
ウサギが階段の奥へ消えた途端にジンの瞳からも光が失われて、あまりの豹変っぷりにいっそ清々しくなってきた。完璧なカリスマホストのα様の化けの皮を、俺が剥がしてるんだ。こんなの楽しくないはずがない。あぁ、次はどんな表情が見れるんだろうか。喜ぶ顔?悲しむ顔?
……どんな表情でも、きっとこいつは、憎たらしいくらいに綺麗なんだろうけど。
……それにしても。紛らわしい場所に立っているせいか、先程からずっと「お兄さん、いい子いますよ!」とか「お兄さん、今の稼ぎに満足してます?」とか詰め寄られるのが若干邪魔くさい。俺より“いい子”なんているわけねーだろ。
パーカーのフードを深く被って近づくキャッチやスカウトを威嚇していると、その向こうから一際スタイルの良いスーツ姿の男が歩いてくるのが見えた。上下黒で固められたスーツは身体のラインを綺麗に見せていて、瞳と同じセルリアンブルーのネクタイが歩く度に揺れる。ジンは俺のことを横目でちらりと見ると、すぐに店へ向かう階段を上がろうとしたので慌てて傍まで駆け寄った。
「おっはよーございます、ジンさん!」
「……ストーカー行為は犯罪って知らない?」
「嫌だな、ストーカーじゃないですよ!俺はただ、ジンさんと仲良くなりたいなぁ~ってだけで!」
「そう」
「仲良くしましょうよ、ねっ?」
「しない」
階段を登りながらにこにこと話しかけてみるも、あえなく撃沈。おかしいぞ、俺が照れたようにはにかんでもピクリとも反応しないなんて。そんじょそこらの男なら、少し柔らかく微笑んだだけで簡単にホテルへ直行できるのに……?
そして俺は、とある一つの可能性を思いついた。
……こいつまさか、勃起不全か?
ジンには悪いが、勃起不全にはさすがの俺でも抱かれたくない。ふにゃふにゃのそれを挿れるのは困難なのだ。最悪の可能性に頭を唸らせている間にも、ジンは見向きもせず階段を上がっていく。全く、薄情な奴め。そんなんじゃ歳とってから苦労するぞ。
きらきらと光る宝石(偽物だろうけど)で装飾された階段はまるでお城のようで、こういう来た客(姫っていうのか?)を楽しませるアイデアに関心した。ラブホの内装もこんなに綺麗ならいいのに。西洋のお城みたいな重厚な扉に手をかけるジンは、まるで西洋の王子様のようでとても似合う。彼が扉を開けると、そこには華やかな世界が広がっていた。
「宇宙代表~、おはようございま~す」
「おはよう、ウサギくん。ネクタイ曲がってるよ」
「おはようございます、宇宙代表!昨日は焼肉ご馳走様でした、人生で食った肉の中で一番美味かったっす!」
「おはよ、また今度行こうね」
「宇宙代表、イベントのご相談があるのですが」
「なになに、ちょっと見せて……」
先程までの冷たい視線で俺を追い払おうとしていたジンとは、全くの別人が立っていた。仕事とプライベートを切り替えるのが上手いタイプと言うよりも、まるで宇宙ジンという完璧なカリスマホストの人格が急に降りてきたような……?上手く表現できないのが悔しいけど、とにかく先程まで凍っていた表情筋を急に自由自在に操るジンが、不気味で仕方がなかった。
……それにしても、そうか。惑星グループはαだけを受け入れてると聞いたし、つまりジンと親しげに話してる奴らも全員αってことか。なら最悪ジンと親しくなれなくても、そいつらに抱かれるのもアリかもしれない。倍率が某アイドルグループ並みに高い惑星グループに入ってる時点で、αの中でもかなりの容姿とトーク力を兼ね備えたエリートだろうし……?
「……いや、そんな消極的になるな俺!」
両手でパシンと頬を叩く。通りすがりの地雷女がビクリとこちらを振り返り、ついでに長いツインテールにも頬を叩かれる。そうだ、どうせ狙うならNO.1を狙え。ドアの隙間から見えたホストも、確かにイケメンだったしモノも太そうだしテクニックもありそうだったけど、でも俺が堕とすべきは頂点の宇宙ジンだろ!あの二重人格みたいな奴の面の皮を引っ剥がして、ベッドの上でたっぷり可愛がってやる(いやまあ抱かれるのは俺だけど)!
心を中ではメラメラと闘志を燃やしながら、いつもの裏路地へ移動する。近所の居酒屋が置いたであろう段ボール箱の上を陣取り、行き交う男たちをじっと観察する。……うん、今日はあの男にしよう。無邪気な笑顔を貼り付けて、足早に立ち去ろうとする男の腕を掴んだ。背伸びして耳元へ唇を近づける。
「おにーさん、俺のこと抱いてよ」
♥♥
情事の余韻が残る尻を抑えつつ、惑星グループの店前まで何とか歩いてきた。ジンはまだ出てこないかな。昨日も一昨日も明け方まで姿を現さなかったし、きっとまだだろうな。居酒屋のお兄さんがくれた段ボールを地面に敷くと、少し尻が暖かくなったような気がする。なんだか少し眠くなってきたので、そっと目を瞑って電柱に頭を預けた。
「お前ッ、ふざけんなよ!」
「落ち着いて、危ないから」
「はぁ!?みぁは落ち着いてるしっ!」
「ごめんって、ね?俺はみぁのことを思って……」
「みぁのこと大切に思ってんなら、みぁがデリヘル始めた時点で止めろよ!」
目を覚ますと、誰かが言い争う声が聞こえた。電柱の影から顔を出すと、ジンともう1人……先程すれ違ったツインテールの地雷女が立っていた。あぁ、あの女は一昨日もジンと揉めていたっけ。怒鳴り声を上げたみぁは持っていた鞄でジンを殴ると、すぐさま走り去ってしまう。可哀想に、綺麗な顔が台無し……と言いたいところだけど、赤く痛々しい痣がついてもイケメンはイケメンだった。
無様な顔でも拝んでやろうとこっそり影から覗き込んでみたが、予想に反してジンは無表情のままだった。冷めた瞳のままネクタイを整える彼に近づき、肩をポンポンと叩いて労わってやる。真顔で振り向く姿はまるで糸の切れた人形のようで、少し……というかかなり不気味だ。カリスマホストの宇宙ジンという仮面をずっと被るのは、きっと想像できないほど大変なのだろう。
「うわ、痛そーですね」
「……まだいたんだ」
「いちゃ迷惑ですか?」
「うん、迷惑」
「即答しないでくださいよ、傷つきます!」
「お前の性的対象はどうでもいいけど、金払わない以上は接客する義理ないから」
「……俺、別に男が好きなわけじゃないですよ」
俺はその場に屈みこみ、下からジンの顔を見上げてみる。透き通った空みたいな瞳に見つめられると、同性と分かっていても心臓がどくりと震える。鼓動する心臓を服の上から掴み、眉をへにゃりと垂れ下げた。しっかりしろ。ここが勝負の時だ、俺!
「昨日、……犯されたんです。無理やり」
「…………へぇ」
ジンの瞳が歪む。美しい湖に泥を一滴垂らしたみたいに、急激に瞳の奥がどろどろと濁った。……かかった、のか?俺は目元を拭うふりをして、袖に隠し入れていた目薬をこっそりとさす。完璧だ。自宅で二時間練習した甲斐があった。
これで俺は、男に無理やり犯されたことがトラウマになってしまった、いたいけな青年を演じられるってわけ。第一印象が「事後の余韻で自慰していた奴」と「無理やり犯されて必死に掻き出していた奴」とでは、その後の攻略しやすさが桁違いだ。ポロポロと零れる涙(またの名を目薬)を何度も拭いながら、俺は言葉を続ける。
「っおれ、はじめてだったから……怖くて。大好きなジンさんの顔見たら、そういう……嫌な記憶、上書きできるかなって、思って…………っ!」
「大好きな俺に、ねぇ……?」
「……迷惑、でしたよね。ごめんなさい」
「別に。たださぁ……」
___嘘はいけないよ?
「…………、え?嘘なんて」
「俺に嘘、つかないでよ。殺したくなる」
「っは…………ッ!?」
髪をぐしゃりと乱暴に掴まれて、無理やり立たされる。地肌ごと引っ張られた痛みで目に生理的な涙が浮かび、抵抗しようとジンの腕を掴み返した。体格は俺と同じか少し大きいくらいなのに、握力に差がありすぎる。涙で滲む視界には俺の首元に顔を埋め込むジンがいて、混乱と痛みで頭がどうにかなってしまいそうだ。演技なんて忘れて、素の俺のまま慌てふためく。
「痛ッ……!いたい、って!」
「…………やっぱりβだ」
「た、確かに俺はβだけど……だから何だよ!?βじゃ都合が悪いって!?」
「最近、姫たちが困ってた。βの男がナマでハメまくってるせいで、無関係のデリヘル嬢まで本強されるって」
「っえ……」
その言葉にサッと青ざめる。自分の劣等感や孤独を誤魔化すため、なんてくだらない理由で続けていた行為が、まさか誰かを傷つけてしまっていたなんて。でもこの日課は生活の一部になっているし、今更やめたところで身体の疼きや孤独が埋まるわけでもない。αに抱かれなくなった俺なんて、そんなの俺じゃない。ジンには悪いけど、俺の毎晩の楽しみを奪うつもりならこっちだって容赦しない。
「そうやって誰彼構わず股を開くの……やめなよ」
「……無理です」
「はぁ……警察呼ぶよ」
「ただの趣味だし、金とかも貰ってないので罪には問われないはずですよ」
「……ちっ」
まぁたまにお小遣いは貰ってるけど。都合の悪いことは黙っていた方がいい。騙すわけではない、ただちょっと“うっかり”伝え忘れていただけだ。これも独りで生きていく上で身についた、処世術ってやつなのかもしれない。ズボンについた砂利を払いながら立ち上がると、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨みつけるジンがいた。どこ吹く風でニッコリ微笑んでやれば、ジンは嫌悪感を隠そうともせず小さく舌打ちをした。
仕方ない、急遽作戦変更だ。当初の予定ではこのまま「慰めてジンさん♡」「仕方ないなぁ♡」とか言ってそのままホテルへ直行ベッドイン!といくはずだったんだけど、この様子じゃ無理やり抱かれたなんて嘘はとっくにバレていたんだろう。その上で俺のあの猿芝居を黙って見ていたんだとしたら、随分とタチの悪い男だ。
「ね、ジンさん、俺と取引しませんか」
「何?」
「ジンさんが俺と会ってくれた日は、誰ともセックスしません」
「……お前、もしかして俺のこと…………」
そう言いかけると、綺麗な額にシワを寄せて深く考え込んでしまう。改めて至近距離で見ると、本当に綺麗な顔をしているな。すっと通った鼻筋や薄い唇だけを見ると女性的な顔なのに、全体を見るとちゃんと男性らしいのだから美形はズルいと思う。
その言葉の続きは『俺のこと……好きなのか?』とかだろうか。別に好きでも何でもない(いや顔はかなりタイプだけど……!)が、ジンの肩書きやステータスにはかなり興味がある。
「……仕方ないか。いいよ、会ってあげる」
「あは、偉そうな言い方。……じゃあまた明日、今と同じくらいの時間に来ますね」
「…………絶対に、誰ともヤるなよ」
「勿論ですよ。ほら、心配なら指切りでも……」
「ちょっと宇宙代表~、いつまで話してんの~?」
「ごめんウサギくん!酔っ払いに絡まれちゃった、今行くから少し待っててね」
「は~い。酔ったヤンキーとか最悪ですね~、宇宙代表ファイトで~す」
階段の上から顔を覗かせたのは、ウサギと呼ばれた青年だった。ふんわりとした白髪がぴょこぴょこと見え隠れしていて、確かにこれはウサギに見えなくもない。
「……俺、酔ってないですよ」
「知ってる」
ウサギが階段の奥へ消えた途端にジンの瞳からも光が失われて、あまりの豹変っぷりにいっそ清々しくなってきた。完璧なカリスマホストのα様の化けの皮を、俺が剥がしてるんだ。こんなの楽しくないはずがない。あぁ、次はどんな表情が見れるんだろうか。喜ぶ顔?悲しむ顔?
……どんな表情でも、きっとこいつは、憎たらしいくらいに綺麗なんだろうけど。
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次の更新が楽しみです🥺これからも応援してます!
まるみ さんへ♡
ご感想ありがとうございます!
仁がなぜ理久のことを知っているのか、そして理久は持ち前の愛嬌で仁を攻略できるのか……!?第2章はまだまだ始まったばかりなので、ぜひ次の更新も楽しんでいただけたら幸いです〜!
やばい私の性癖に超どストライクすぎるっ、笑めっちゃ好きなタイプの主人公の子だぁ〜!!ビッチとか最高すぎますって、てかジンさん最初とキャラ変わりすぎじゃないですか?!笑
Aliceheart さんへ♡
ご感想ありがとうございます!
ちょっぴり腹黒でビッチな理久ですが、性癖どストライクとのことでとても嬉しく思っております。段々と暴走していく仁と巻き込まれる理久を、ぜひ今後も見守ってあげてください〜!笑
作品の全てがドタイプ過ぎて何回も読み返しちゃいました(笑)
更新楽しみに待ってます!
-Mikage- さんへ♡
ご感想ありがとうございます!
何回も読み直していただけてすっごく嬉しいです。理久と仁の過去や惑星グループのいざこざなど、まだまだ書きたいシーンがたくさんあるので、ぜひ今後の更新も楽しみにしていただけたら幸いです〜!