私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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五十七話『重なる姿』

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 古町の頭を軽く撫でてから外に出た。防寒の薄い足に冷たい風が刺さる。朝と違い空は黒い雲に覆われ、先に外に出ていた蒼司と同じようにあまりいい顔はしていなかった。
 怒っているような、呆れているような、哀れまれているような。なんとも複雑な表情だ。
「……寒いからとっとと行くぞ」
 何か言いたげな蒼司の言葉を邪魔するように歩き出した。後ろを步く蒼司の表情は見えないが、変わっていないだろう。
 生徒との付き合い方について、部外者にはどうこう言われたくないんだがな。つっても、感性としては蒼司のが正しいんだろうな。いくら古町たちが許してくれているとはいえ、望ましくないことは俺自身わかってるわけで。
 互いに会話することなく、近くの居酒屋までのんびりと步く。三時半と、少し早い時間から営業しているが、賑わっているところを見たことがない。騒がしくない分、俺にとっては都合がいいが、潰れないかだけが唯一の心配な点だ。
 開店の五分ほど前に到着。すると、蒼司が俺を押しのけて店の扉を開けた。この店の大将は誤差だと言って毎回店に入れてくれる。そのため、この時点で店に入るのは恒例だ。
「こんにちは、大将。早く来ちゃった」
「お、アオちゃんに先生。いらっしゃい!」
「相変わらず寂れてんな」
「けっ。開店時間に来て、ピーク前に潰れて帰るくせによく言うわ」
 軽口を叩きながら中に入る。四人がけのテーブルが二つに、カウンター四席の小さい居酒屋。古びたラジオがポツンと置かれ、演歌歌手のポスターが近くに貼られている。俺たちは大体奥のカウンター席を使うが、蒼司はテーブル席に座った。大将に聞こえにくいようにと、そんな時に蒼司は席を変える。
 いろいろ、言いたそうな顔してるもんな。
「悪い大将、テーブル使う。あと、とりあえず生と枝豆。それと適当に焼き鳥」
「あいよ。喧嘩だけはすんなよ?」
 毎度のことで大将も察しがついている。あえて首を突っ込むような真似はしてこない。大将は急いでジョッキ二つと枝豆を持ってくると、焼き鳥の準備を始めた。ジューと焼ける音と、油が滴り弾ける音が響く。それを合図に俺たちはビールを一口飲み。
「それで、あの子はなんなの?」
 飲み終えると、蒼司は怪訝な声で言った。テーブルに肘をつき、視線はこちらを睨むように鋭い。
「何って、ただの優秀な生徒だよ。少し、いや。だいぶお人好しのな」
 そう答えると、「そう言うことじゃない」と言いたげに目を細めて、蒼司はビールを口に含んだ。その様子を見ながら、俺は枝豆を一つ口に運ぶ。咀嚼しながら言葉の真意を考えつつ、飲み込んで口を開く。
「つーか、お前こそなんで古町と一緒にいたんだよ。俺からすればそっちのが大事だ。知り合いでもあるまいし」
 質問を返し終え、残った枝豆二粒を押し出して食べる。蒼司も視線の鋭さこそ変わらないが、枝豆をとってから質問に答えた。
「別に。落とし物拾ってくれたから、お礼していただけよ」
「落とし物?」
「ええ。レースのハンカチ」
 その言葉に、俺は咀嚼を一瞬止めてしまった。すぐに呑み込んで誤魔化したが、蒼司は見逃してくれるほど余所見をしてくれない。うざいくらい、俺のことをしっかりと見ている。
「その反応だと、まだダメっぽいわね」
 そう言うと蒼司は枝豆を食べ、しばらく咀嚼していた。何か言葉を続けようとしていたが、間を開けるように呑み込んだ後も黙っている。その先にの言葉は俺にとってつらいものであり、それを突くのは蒼司にとってもつらく、覚悟がいるようだ。

「妹ちゃん。……おしえちゃんのことまだ引き摺ってる」

 気丈。そして叱るように。あくまで冷静に言い放つ蒼司だったが、表情まで殺し切ることはできていなかった。眉を顰め、唇が歪んでいる。
「甘いもの。まだ食べられないんでしょ?」
 そう続ける蒼司に、俺は悪態を吐くことも軽口を叩くこともできなかった。ただ、押し黙ってその言葉を肯定した。蒼司は察して、問い詰めるようなことはしてこなかった。気まずい沈黙が流れる。
 言われなくても自覚してるとはいえ、改めて指摘されると結構くるな。
「あい、焼き鳥お待ち」
 沈黙を崩すように大将が焼き鳥を運んできた。ねぎま、ヤゲン、レバー。全て塩で二本ずつ。
「大将ありがとう。流石のチョイス」
 蒼司が気さくに返答すると、大将はそのまま厨房に戻って行った。俺が大したリアクションを返さないのはいつものことだが、軽口を叩いてこないあたり、大将も空気感は察しているようだ。
 運ばれてきた焼き鳥を、二人で何を言うでもなく一本手に取って食べる。俺の妹のことを突いて、蒼司もつらいようで言葉を続けられなくなっている。真面目ぶって、陽気ぶっているが、人一倍繊細な人間だ。
 教との交流。家族以外じゃ一番深かったのは蒼司だったろうし、つらいのは当然か。あいつも懐いてたっけ。
 ここからもう一歩踏み込んだ話題。と言うより、今回の本題。蒼司が触れるのを怖がるのもわかる。俺も、触れないでいてくれるなら、きっと目を逸らし続けている。
 ただ、ここまできて逃げられないよな。
「蒼司。お前が言いたいのは。ってことだろ」
 言葉にこそしなかったが、蒼司は頷いた。焼き鳥に手を伸ばすことも、ジョッキに手をかけることもない。再び気まずい沈黙が訪れる。俺は耐えかねて、残りのビールを全て飲み切った。
 ……言葉にしたのは失敗だったか。
「習」
 私がジョッキを少し乱暴に置くと、蒼司はまた口を開いた。
あたしが一番気にしてるのは、琉歌ちゃんと教ちゃん。重ねてない?」
 俺の目をまっすぐ見つめて蒼司は言った。俺のことを心配してくれているのが伝わる。
「……間違えたことは、ある。寝ぼけてな」
 その言葉に、蒼司は拳をギュッと握り、震えていた。怒りと哀れみの混ざった眼差しが俺を貫く。その目を、俺はよく知っている。鏡で何度も目にした。
「でも、重ねちゃいねぇよ。あいつはあいつ。教は教だ」
「……その言葉、ひとまず信じてあげるわ。……とりあえず、飲みまなおしましょうか? 大将、生のおかわりとししとう。あと、牛すじくださーい」
 蒼司は俺の言葉を信じ、話をそこで切り上げた。踏み込まないで済むのなら、蒼司もそうする。先ほどまでの陰鬱な気持ちを忘れるように、くだらない話をした。涙も悲しみも、一切合切忘れられるように。
「もう空か。……大将、生追加ー!」
「先生は三杯で潰れっからダメだ」
「んだよ、金払うってのに。」
 少しくらい、酒に酔わせてくれてもいいだろうが。
 二時間ほど飲みあい(俺は二杯まで)も終わり、蒼司と別れて家路についた。電車に揺られながら、先ほどの会話を思い出す。少し酔いが回っているとはいえ、意識はハッキリとしている。
 部屋に戻ってきて電気をつける。着ていた上着をソファに放り投げて、キッチンに飾ってある倒してある写真立てに触れ、ゆっくりと持ち上げて確認する。ガタイのいい親父、穏やかに笑うおふくろ、髪の長い俺。そして、中学生の妹。
(あいつはあいつ。教は教だ)

「……重ねたくは、ないんだけどな」
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