私の好きの壁とドア

木魔 遥拓

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三十九話『三条会長の引退』

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「本当にお疲れ様でした」 
「ありがとう。肩の荷が下りた気がするよ」
 大半の生徒にとって普通の日となんら変わらない平日。この日私は、生徒会の引き継ぎを終えて生徒会長の任を終えた。新しい生徒会長さんは律儀にも、放課後に私の元へ挨拶しにきてくれた。
「三条会……。すみません、慣れなくて」
「いいよ。私も長く居座ってたから」
 任を終えたとは言っても、まだしばらくは会長と呼ばれてしまいそうだ。せめて一月。どんなに長くても、卒業式までには先輩と呼んで欲しいのだが、実現するかどうかはわからない。
「でも、あなたは頑張らないとね? 新生徒会長さん」
 任期が終わったと言っても、今まで作り上げてきた私という人間のイメージをすぐには壊せない。自分で隠したくせにそれがつらくて、いざ手放そうとすると未練がましくすがる。我ながらなんとも情けない話だ。
「は、はい! 三条、先輩」
 生徒会長の振る舞いとして覚えた、余裕があるように見せる笑顔に、生徒会長さんは元気に返事をしてくれた。
 新しい生徒会長さんには、一番早く慣れて欲しいけど。現生徒会長に会長呼びされると、私も落ち着かないし。
「三条、先輩。私は、先輩のように上手くやれるでしょうか」
 辿々しい呼び方で、生徒会長は私のことを不安そうな瞳で見つめた。この質問は予想していた。が、改めて目と向かって言われたことで実感できた。私は私なりに、拙くても生徒会長をやり遂げたのだと。
「できると思うよ。私だって、一人で全部やり遂げたわけじゃないから」
「そう、なんですか?」
「もちろん。先生、他の生徒会メンバー、同学年の生徒に、後輩。もう卒業しちゃったけど、先輩たちとか」
 特に一年生の時は空回りばっかりだったな、私。ヤトちゃん先生とか命がいなかったらって思うと、少し怖い。
「頼られて応えるのも大事だけれど、頼るのも大事なんだ」
 なんて偉そうに言ってみたけど、古町さんに言われるまで私は気づけなかったな。本当にカッコ悪い。
「わかりました。全力で頑張って、無理なら素直に相談してみます!」
「うん。オススメは八戸波先生かな。適当そうだけど、頼りになるから」
 散々あの先生にはいじり倒されたし、これくらいの復讐は許されるでしょ。……でも楽しかったな、先生とのおしゃべり。
「じゃあ私は、最後に掃除して帰るから」
「わ、私もお手伝いします!」
「立つ鳥跡を濁さず。ちょっとしたケジメみたいなものだから、私にやらせて」
「わかりました。本当にお疲れ様でした。さようなら、三条先輩」
 元気な挨拶に手を振って見送る。今度の生徒会長さんは、私なんかよりもよっぽど上手く人付き合いができそうだ。
 しかし、こうも労われると、なんか卒業でもした気分になってくるな。まだ四、五ヶ月残っているのに。
 途中何度も振り返って会釈をする律儀な生徒会長さんを見送って、私は長い間使わせてもらっていた生徒会室に入った。ここに来るのは、おそらく今日で最後になるだろう。
 パイプ椅子に腰掛けて、机をなぞる。一年生の頃を振り返ると、思い出すのはヤエちゃん先生や卒業した先輩。不器用で生意気な私のことを、たくさん助けてくれた。
 久しぶりに友杉先輩に会いたいな。志穂さんに頼んでみようか。
 懐かしい景色に想いを馳せると、必ずと言っていいほど命の姿を思い出す。中学の頃から何も変わらない、いつだってマイペースで私の隣に立っていた。その自由さに、強さに。私はとても救われていた。
 本人には言わないけどね。絶対調子に乗るから。
「古町さんにも、たくさん助けられちゃったな」
 私のことを可愛いと言って、演技をしなくても私のことを見てくれた最初の後輩。初めて会った時から少し気になっていた、内気な子。それでいてとても強い子だった。気づけば、私は古町さんにカッコつけて意識して欲しくなった。
 でもなんか、カッコ悪いところばかり見せてるよな、私。慌てたり、騒いだり、狼狽えたり。カッコつけるはずが、逆に甘えてしまっていたり。
 抱きしめてもらったこと。もう少しと、離れることを拒んだこと。思い出すだけで、頭が爆発しそうなほど恥ずかしい。けれど、この気持ちはきっと私だけ。照れてはくれるかもしれないけどーー
「ーー意識は、されてないんだろうな」
 あくまで学校の仲が良い先輩。きっとそれだけ。言葉にしないで今以上を望むのは、ズルだよね。……はぁ、告白考える人ってこんな感じなのかな。今まで散々振ってきたから、余計につらく感じる。
「まだいたのか、三条」
 傷心気味に項垂れた体を起こすと、後ろから散々聞いた意地悪な声がした。振り向くと、「仕方ないやつ」と言いたげな表情でヤエちゃん先生が立っていた。
「もう帰りますよ」
 立ち上がって体を伸ばしていると、ヤエちゃん先生が近づいてきて頭を撫でてきた。今朝もグリグリされたが、なんとなく懐かしい気分になった。
 一年生の頃、ここで作業している時に手伝うとか言って、グリグリしてきたっけ。
 先生の手を払いのけて、一緒に生徒会室を出た。掃除すると言い訳してここにきたが、そもそも掃除は終わっている。
「三条。退任祝いのプレゼントだ」
 そう言うと、ヤエちゃん先生は小さな袋をヒョイっと投げてきた。硬い感触を感じながら袋を確認すると、チョコレートだった。
 今朝のココアは頑張れ。これはお疲れ様ってことでいいのかな。
「って。これハイカカオの苦いやつじゃん!」

 イタズラっぽく笑うと、ヤエちゃん先生は私が左手に持っている鍵を指差した。チョコのお返しに、私はゆっくりと鍵を投げ渡した。受け取った先生は少し嬉しそうに見えた。
「月曜日な」
 そう言うと、ヤエちゃん先生は階段を上がっていってしまった。私も用事が済んだので、少し早足で昇降口に降りる。
「おっつ~。ゆきなん」
 靴を履き替えて外に出ると、段差のところに命が座り込んでいた。ずっと待ってくれていたらしい。
「寒いんだし、生徒会室くればよかったのに」
「会長の親友って肩書は使えないから、遠慮しました~。それに、ゆきなんも一人の時間欲しかったでしょ?」
 命は私の方に振り向きながら立ち上がり、得意げな表情で首を傾げた。
「知った風なこと言って」
「違います~、知ってるんです~」
 子供みたいに口を尖らせると、命は私の隣にきて肩をぶつけーー
「だって、ずっと隣にいたから」
 ーーと、自慢げに笑った。ヤトちゃん先生にあったことは、ここでは黙っておこう。
 それに、命の言ってることは当たっているし。
「寒いから帰るよ」
「は~い」
 すっかり薄暗くなった通学路。私たち以外に歩いている生徒はいなかった。帰宅部の生徒は帰り、部活動に励む生徒はまだ学校。絶妙な時間帯だ。他愛無いことを話しながらこうして帰ることだけは、卒業まで変わることは無いだろう。
「ねぇ。ゆきなんの家に行ってい~い?」
 命との関係に安心していると、脈絡もなくそんなことを訊いてきた。
「いいけど、なんで?」
「特に理由はないよ~」
 命はそう言うと、私に寄りかかるようにして肩をぶつけてきた。真意を問いたい気もするけれど、後でも問題ないと思い口を噤んだ。あっさりと私が認めたのが嬉しいのか、命は鼻歌まで歌い出した。
 そういえば、三年生になってから命を家に呼んだことなかったっけ。
 懐かしい気持ちになりながら、私ちは一緒に帰った。命にとっては、普段より少し長い道のりになる。
「ただいま」
「お帰りなさい。あら、命ちゃん。今日はお泊まり?」
「なんでそうなるのよ」
 私と命の仲の良さを知っているうちの母は、命が来るたびにお泊まりか聞いてくる。
 まあ、それ以外にも。命は美味しそうにご飯食べるから、作り甲斐とかあるんだろうけど。
「お母さんからオッケー出たよ~」
 命は命で、提案された時点で家に電話して許可を取ってしまう。親同士の仲が良いこともあってかなりスピーディーに話が進む。許可が出た時点で再度電話させるのは申し訳ない。そのため、この流れになったらいつもお泊まりが確定する。
「今日のお夕飯は肉じゃがよ」
「やった~、おばさんの肉じゃが大好き~」
 お母さんは命に甘い気がするけど、よその子だし。それに、どんな料理でもこのリアクションしてくれるから可愛いよね。
 普段よりも騒がしい夕飯。あ母さんが上機嫌なのが見ていてわかる。
「命ちゃんがきてくれて嬉しいわ。雪菜はお友達増えたの?」
「可愛い後輩がたくさんできましたよ~。ね~、ゆきなん」
「うん。できたよ。仲の良い、後輩」
 私の交友関係は広がったことを聞くと、お母さんはとても嬉しそうにする。小学生じゃないんだからと言ってやりたくもなるが、心配をかけていることの裏返しだと思うと口には出せなかった。
 食事を済ませて、しばらくしてから順番でお風呂に入った。なぜか家には、命用の着替えが常備されている。
「ゆきなん、今日は一緒のベッドで寝ようよ。寒いし」
「狭いから嫌なんだけど」
「琉歌ちゃんとは寝たのに?」
 それを引っ張り出されると何も言えない。あの時はベッドが大きかったも、言い訳だ~って聞き入れないだろうし。
 命の希望通り、私たちは一緒のベッドで寝ることになった。私が愛用している猫のぬいぐるみ「ウェージャンくん」は大きくて場所をとるので、今日だけはどかした。
 向かい合うと恥ずかしいと、私は命に背中を向けて眠った。命は私と同じ方向を向いて寝ている。
「ねえ、ゆきなん」
 なかなか寝付けないと思っていると、命が話しかけてきた。
「起きてても、寝ててもいいから。そのままで」
 返事をしようとしたが、そう言われてしまった。直後に命の体温が私にピッタリと触れた。絡めるように細い腕が私のお腹をキュッと締める。苦しくはないが、命の鼓動が聞こえるくらい密着しているのがわかる。
「今日が無事に終わってよかった。ゆきなんがゆきなんでよかった」
 中学生の頃から、命は私が演技をしていることに気がついていた。私が世話を焼くこともあったけど、それ以上に。命は私のことを心配して助けてくれていた。私が隠してたつもりの不安にも、きっと気づかれてしまっていた。
「ありがとう、命」
 そう一言だけ言うと、命が嬉しそうに笑ったのがわかった。
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