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巻の一
第四幕
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手下の千蔵からの報告を聞いても、泉岳屋久兵衛は煙管を吹かすのみで、これといって表情に変化はなかった。
その様子を、千蔵が不安そうに窺っている。
「なあ、千蔵」
泉岳屋久兵衛は煙管の灰を軽く落とすと、ゆっくりと千蔵に向き直った。
「おトキは、今時分どうしてるかねぇ」
何かを思い出そうとするようにそう呟くと、泉岳屋久兵衛は湯呑みに手を伸ばし熱い茶をすする。
「あんな悪い場所でも、昼時なら客も入ろう。忙しなく、働いてることだろうねぇ」
嬉しそうにそう言って、煙管に煙草を詰めると火鉢にそっと火皿を近づけた。
「久兵衛様、先程お伝えしたことは、」
「わかっている。こんな稼業だ、同業を売るなんてのは、ままあることだよ」
「しかし、それでは我々の掟が意味のないものとなってしまいます」
「そのために、掟破りには消えてもらうんだ。互いに干渉しないという、不文律をなしにしてね」
泉岳屋久兵衛は静かに目を閉じると、細く長く息を吐いた。
「話の出所は?」
「今、探りを入れているところです。ただ、奉行所内部と通じている者がいるのは、確実かと」
「そうすると、卜部の旦那あたりが、何か知っていそうだね」
「旦那には、人を向かわせております。追って連絡が入るものと」
「そうかい」
泉岳屋久兵衛は火鉢の鉄瓶から急須にお湯を注いでいく。十分にお湯を注ぎ入れると、しばらく急須の様子を見ていた。そして、頃合いを見計らって、急須から湯呑みへと茶を注ぐ。
「千蔵、今回の仕掛け、起こりは確か、孫娘を殺されたという爺様だったね?」
「へい、間違いございません」
「その爺様、名は治助。誰に聞いて、私のところに来たと?」
その質問に、千蔵はわずかに首をかしげる。そして、間もなく右の眉がピクリと跳ねた。
「孫娘の葬儀の後、身なりの良い御仁から噂話を聞いた、そう申していたはずです。それを手掛かりに、ここまで辿り着いたと」
「噂を告げた男、気にならないかい? 死んだ孫娘の知り合い、とはどうにも思えない」
「確かに。孫娘のおミネは、体が弱く、家にいることが多かったと聞いております。知り合いも、長屋の住人くらいで、商人や侍との接点はないでしょう。それに、香典の話もあります。貧乏長屋ですから、葬式と言っても皆それ程包めるわけもないはずが、名のない高額の香典が紛れていたと。そして、集まった香典を、仕掛け料として持参していたはずです」
「まとまった金があれば、それで恨みが晴らせると考える。よくできた筋書きだ」
泉岳屋久兵衛はすぅと息を吐くと、納得いったようにひとつ頷いた。
千蔵が忙しなく立ち上がる。
「すぐに、治助から話を聞いてきます。その男の正体がわかれば、裏切り者の正体もわかるでしょう」
礼もそこそこに、千蔵はその場から飛び出していった。
その様子を見て、泉岳屋久兵衛は苦笑いを浮かべる。
「腕は確かなんだが、そそっかしいのがいけねぇ。もう少し、どっしりと構えていてほしいもんだ」
千蔵が飛び出した後をしばし眺めた後、近くの文机を手繰り寄せ、何やら書き付けていく。
書き終えた内容を改めると、それを手早く折りたたんだ。
そして、小僧を呼び付ける。
「お呼びでしょうか、旦那さん」
「おお、小介か。こちらにおいで」
泉岳屋久兵衛の呼びかけに、小さく礼をしながら小介が入ってきた。
「私の代わりにね、使いをお願いしたいんだ。いつものように、狐狸庵の演者様へ付け届けをお願いするよ。やり方は、わかっているね」
「はい、承知しております。入場の銭と一緒に、箱に入れて参ります」
「そうだそうだ、わかっているね」
泉岳屋久兵衛は嬉しそうに小介の頭をなでてやる。
「また、演目の一部が新しくなったそうだから、楽しんでおいで」
「はい」
嬉しそうに目を輝かせている小介に、狐狸庵へ入るための銭と駄賃を渡すと、泉岳屋久兵衛は裏口まで小介を見送ってやった。
小走りで駆けていく小介は、途中振り返り頭を下げると、そのまま走り去っていく。
その背が見えなくなるまで眺めていた泉岳屋久兵衛は、ふと、強い悲しみの表情を見せた。しかしそれも一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの融和な笑みをたたえた泉岳屋久兵衛に戻っていた。
人の行き交う通りを歩きつつ、千蔵は己の不注意を呪っていた。
今の千蔵は、行李を背負い込み薬屋に扮している。
自らの失態を挽回するため、自分の足で治助の元へと向かっていた。
治助を調べたのは千蔵だった。
治助は息子夫婦を旅先で亡くし、その娘を大切に育てていた。
治助の息子夫婦は薬の行商をしており、その時は流行病があった北の方へと足を伸ばしていた。
そして、運悪く二人共流行病に倒れ、そのまま帰ってこなかった。
それからは孫娘のおミネの面倒を見ながら、引退するはずだった仏具修理を続け、慎ましく暮らしていた。
治助にとって、おミネだけが家族だった。
その孫娘が突然殺され、しかも奉行所では手が出せないとし、下手人が裁かれることもなかった。
誰が殺したのか、それはよくわかっていた。
おミネは、治助の眼の前でなぶり殺されたからだ。
その時、治助も左腕を失っている。
惨状が発見された時、治助は虫の息でおミネの後を追うものと思われていた。
しかし、執念の成せる業なのか、治助は死の淵から戻ってきた。
そして、おミネを息子夫婦が眠る菩提寺へと収めると、泉岳屋久兵衛の元へ仕掛けの願いにやって来たのである。
だが、日々仏具と向き合い、職人として腕を振るってきた治助に、裏稼業の人間との接点などあるはずがない。
仕掛屋とて、町ではただの噂として話のネタにされるだけ。
それを真実として受け止めるのは、相応の覚悟を持った者。恨みを晴らすため、人を殺す覚悟を持った者だけである。
それとて、直接仕掛屋に願いを伝えるようなことはない。
間接的な方法によって、起こりからの願いと礼金を受け取るのが基本となる。
仕掛屋としての顔を、知られてはならない。
それは、死を意味する。
だというのに、治助は泉岳屋久兵衛を訪ねてきた。
当然、知らぬ存ぜぬで押し通し、人の伝手で調べてみるという話で落ち着いた。
その時、気付くべきであったのだと、千蔵は今にして思う。
なぜ、治助が泉岳屋久兵衛の元を直接訪ねたのか、そのことに。
煩悶としながらでも、千蔵は確かな足取りで治助の住まいへと辿り着いていた。
表には仏具修理と書かれた粗末な板がぶら下がっている。
千蔵は表戸を数回叩いた。
しかし返事はなく、人の気配も感じない。
どうしたものかと思案している千蔵へ、長屋の女達が声をかけてきた。
「あんた、薬売りかい?」
「へい、左様にございます」
「すると、伊助さんの知り合いかね」
「伊助さんには、以前お世話になりました」
「やっぱり」
言いつつ、女達はあれやこれやと勝手に喋りだす。
伊助、その名は行商先で死んだ治助の息子のものだ。
女達は伊助が薬の行商をしていたことから、千蔵もその同輩だと考えたものらしい。
「こちらには、治助さんとおミネさんがいらっしゃるかと思ったのですが、留守でしょうか?」
「あんた、おミネちゃんのこと、知らないのかい?」
「しばらくこの辺りを離れていたもので、お二人には会っておりません」
「そうかい」
そう言って、女達は目を伏せた。
それから何かをためらった後、訥々と語りだした。
「もう、三月ばかりになるのかねぇ、おミネちゃんに、不幸があったんだよ。この辺りで悪さをしてる侍がいてねぇ、そいつらに、酷いことされて、命まで取られちまった。その時は、治助爺さん、酷い有り様だったよ。食事も喉を通らないみたいで、日に日にやせ細っちまって。そのままぽっくり逝っちまうんじゃないかって、みんなで言ってたもんさ。それがね、突然だよ、突然、目をギラギラさせてさ、何かを探し始めてね、家を空けるようになった。話を聞いても、何も話してくれなくてね。一人で何か、やってたんだろうね。そうやって家を空けるようになってねぇ、ここ数日も、帰って来てないのさ」
「そうでしたか、そんなことが」
「そういや、治助爺さんが家を空けるようになった頃、珍しい人が来てなかった?」
女達の一人が、思い出しように呟いた。
「ああ、いたねぇ。このボロ長屋にゃ不釣り合いな、あれは、お侍様かねぇ」
「いや、刀は差してなかったよ」
「なら、商人かねぇ。身なりの良い格好をしてたから、どこかのお店の番頭とか、もしかすると、伊助さんの仕入先の人かねぇ」
「その方の人相ですが、覚えていらっしゃいますか?」
千蔵は行李を下ろすと、書付帳と筆を取り出した。
それから、女達が矢継ぎ早に好き勝手喋りだした内容を書き付け、それを元に人相書きを仕上げていく。
その様子を、女達が物珍しそうに眺めている。
「人相ですが、こんな感じでしょうか?」
千蔵は、出来上がった人相書きを女達に見せた。
女達は感心した様子でその人相書きを眺め、ここが違う、あちらが違うと注文をつける。
その言葉に従って、千蔵は人相書きを改めていく。
「ああ、これだよ、この顔だ」
一人がそう言うと、他の女達も納得した様子で頷いている。
「なるほど、この男ですか」
人相書きは、少し頬のコケた切れ長の目をした男の顔になっていた。
「色々とお手間をいただきまして、誠にありがとうございます」
千蔵はその場にいた女達に餞別を渡すと、深々と頭を下げた。
「治助さんのことが心配ですので、私の方でも探してみたいと思います」
千蔵は再度頭を下げると、女達に背を向けた。
その背後から、餞別の中身に驚き、女達の歓喜の声が響いていた。
治助の長屋からの帰り道、千蔵は馴染の茶屋に腰をおろしていた。
茶屋の中でも人目の届きにくい隅を定位置にしており、ここでよく一人思案にふけることが多かった。
今も、長屋で描いた人相書きを睨みつけながら、あんみつをつついている。
千蔵は、描き出された男の人相に、何かが引っ掛かっていた。
「何ぞこえぇ顔しなさって、何を見てなさる」
茶屋を一人で切り盛りしている老婆が、新しい茶を湯呑みに注いでた。
千蔵は手にしていた人相書きを老婆に見せる。
「お種婆さん、この男なんだが、見たことあるかい?」
お種と呼ばれた老婆は、人相書きを手に取ると食い入るように見詰めた。
「恐ろしい目をした男だ。やくざ者かい。あたしは関わりたくない男だよ」
「そう、そうだな。この男が、お店の番頭とは、正直思えない」
「何を言いなさる。こんなおっそろしい男が、お店に座ってるたまかい。馬鹿をお言いでないよ。こういうのは、荒事を力で抑える、そういう連中の中にいるもんだ」
千蔵は残るあんみつをかき込み、湯呑みを中身を一気に飲み干した。
そして、人相書きをお種からひったくるように取り上げると、多めの銭をおいて茶屋を飛び出していく。
その様子を呆れたように眺めながら、
「相変わらず、落ち着きがないねぇ、あの坊主は」
そう言って、空いた器を下げ始める。
閑古鳥の鳴いている茶屋の中に、強い西日が差し込み始めていた。
その様子を、千蔵が不安そうに窺っている。
「なあ、千蔵」
泉岳屋久兵衛は煙管の灰を軽く落とすと、ゆっくりと千蔵に向き直った。
「おトキは、今時分どうしてるかねぇ」
何かを思い出そうとするようにそう呟くと、泉岳屋久兵衛は湯呑みに手を伸ばし熱い茶をすする。
「あんな悪い場所でも、昼時なら客も入ろう。忙しなく、働いてることだろうねぇ」
嬉しそうにそう言って、煙管に煙草を詰めると火鉢にそっと火皿を近づけた。
「久兵衛様、先程お伝えしたことは、」
「わかっている。こんな稼業だ、同業を売るなんてのは、ままあることだよ」
「しかし、それでは我々の掟が意味のないものとなってしまいます」
「そのために、掟破りには消えてもらうんだ。互いに干渉しないという、不文律をなしにしてね」
泉岳屋久兵衛は静かに目を閉じると、細く長く息を吐いた。
「話の出所は?」
「今、探りを入れているところです。ただ、奉行所内部と通じている者がいるのは、確実かと」
「そうすると、卜部の旦那あたりが、何か知っていそうだね」
「旦那には、人を向かわせております。追って連絡が入るものと」
「そうかい」
泉岳屋久兵衛は火鉢の鉄瓶から急須にお湯を注いでいく。十分にお湯を注ぎ入れると、しばらく急須の様子を見ていた。そして、頃合いを見計らって、急須から湯呑みへと茶を注ぐ。
「千蔵、今回の仕掛け、起こりは確か、孫娘を殺されたという爺様だったね?」
「へい、間違いございません」
「その爺様、名は治助。誰に聞いて、私のところに来たと?」
その質問に、千蔵はわずかに首をかしげる。そして、間もなく右の眉がピクリと跳ねた。
「孫娘の葬儀の後、身なりの良い御仁から噂話を聞いた、そう申していたはずです。それを手掛かりに、ここまで辿り着いたと」
「噂を告げた男、気にならないかい? 死んだ孫娘の知り合い、とはどうにも思えない」
「確かに。孫娘のおミネは、体が弱く、家にいることが多かったと聞いております。知り合いも、長屋の住人くらいで、商人や侍との接点はないでしょう。それに、香典の話もあります。貧乏長屋ですから、葬式と言っても皆それ程包めるわけもないはずが、名のない高額の香典が紛れていたと。そして、集まった香典を、仕掛け料として持参していたはずです」
「まとまった金があれば、それで恨みが晴らせると考える。よくできた筋書きだ」
泉岳屋久兵衛はすぅと息を吐くと、納得いったようにひとつ頷いた。
千蔵が忙しなく立ち上がる。
「すぐに、治助から話を聞いてきます。その男の正体がわかれば、裏切り者の正体もわかるでしょう」
礼もそこそこに、千蔵はその場から飛び出していった。
その様子を見て、泉岳屋久兵衛は苦笑いを浮かべる。
「腕は確かなんだが、そそっかしいのがいけねぇ。もう少し、どっしりと構えていてほしいもんだ」
千蔵が飛び出した後をしばし眺めた後、近くの文机を手繰り寄せ、何やら書き付けていく。
書き終えた内容を改めると、それを手早く折りたたんだ。
そして、小僧を呼び付ける。
「お呼びでしょうか、旦那さん」
「おお、小介か。こちらにおいで」
泉岳屋久兵衛の呼びかけに、小さく礼をしながら小介が入ってきた。
「私の代わりにね、使いをお願いしたいんだ。いつものように、狐狸庵の演者様へ付け届けをお願いするよ。やり方は、わかっているね」
「はい、承知しております。入場の銭と一緒に、箱に入れて参ります」
「そうだそうだ、わかっているね」
泉岳屋久兵衛は嬉しそうに小介の頭をなでてやる。
「また、演目の一部が新しくなったそうだから、楽しんでおいで」
「はい」
嬉しそうに目を輝かせている小介に、狐狸庵へ入るための銭と駄賃を渡すと、泉岳屋久兵衛は裏口まで小介を見送ってやった。
小走りで駆けていく小介は、途中振り返り頭を下げると、そのまま走り去っていく。
その背が見えなくなるまで眺めていた泉岳屋久兵衛は、ふと、強い悲しみの表情を見せた。しかしそれも一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの融和な笑みをたたえた泉岳屋久兵衛に戻っていた。
人の行き交う通りを歩きつつ、千蔵は己の不注意を呪っていた。
今の千蔵は、行李を背負い込み薬屋に扮している。
自らの失態を挽回するため、自分の足で治助の元へと向かっていた。
治助を調べたのは千蔵だった。
治助は息子夫婦を旅先で亡くし、その娘を大切に育てていた。
治助の息子夫婦は薬の行商をしており、その時は流行病があった北の方へと足を伸ばしていた。
そして、運悪く二人共流行病に倒れ、そのまま帰ってこなかった。
それからは孫娘のおミネの面倒を見ながら、引退するはずだった仏具修理を続け、慎ましく暮らしていた。
治助にとって、おミネだけが家族だった。
その孫娘が突然殺され、しかも奉行所では手が出せないとし、下手人が裁かれることもなかった。
誰が殺したのか、それはよくわかっていた。
おミネは、治助の眼の前でなぶり殺されたからだ。
その時、治助も左腕を失っている。
惨状が発見された時、治助は虫の息でおミネの後を追うものと思われていた。
しかし、執念の成せる業なのか、治助は死の淵から戻ってきた。
そして、おミネを息子夫婦が眠る菩提寺へと収めると、泉岳屋久兵衛の元へ仕掛けの願いにやって来たのである。
だが、日々仏具と向き合い、職人として腕を振るってきた治助に、裏稼業の人間との接点などあるはずがない。
仕掛屋とて、町ではただの噂として話のネタにされるだけ。
それを真実として受け止めるのは、相応の覚悟を持った者。恨みを晴らすため、人を殺す覚悟を持った者だけである。
それとて、直接仕掛屋に願いを伝えるようなことはない。
間接的な方法によって、起こりからの願いと礼金を受け取るのが基本となる。
仕掛屋としての顔を、知られてはならない。
それは、死を意味する。
だというのに、治助は泉岳屋久兵衛を訪ねてきた。
当然、知らぬ存ぜぬで押し通し、人の伝手で調べてみるという話で落ち着いた。
その時、気付くべきであったのだと、千蔵は今にして思う。
なぜ、治助が泉岳屋久兵衛の元を直接訪ねたのか、そのことに。
煩悶としながらでも、千蔵は確かな足取りで治助の住まいへと辿り着いていた。
表には仏具修理と書かれた粗末な板がぶら下がっている。
千蔵は表戸を数回叩いた。
しかし返事はなく、人の気配も感じない。
どうしたものかと思案している千蔵へ、長屋の女達が声をかけてきた。
「あんた、薬売りかい?」
「へい、左様にございます」
「すると、伊助さんの知り合いかね」
「伊助さんには、以前お世話になりました」
「やっぱり」
言いつつ、女達はあれやこれやと勝手に喋りだす。
伊助、その名は行商先で死んだ治助の息子のものだ。
女達は伊助が薬の行商をしていたことから、千蔵もその同輩だと考えたものらしい。
「こちらには、治助さんとおミネさんがいらっしゃるかと思ったのですが、留守でしょうか?」
「あんた、おミネちゃんのこと、知らないのかい?」
「しばらくこの辺りを離れていたもので、お二人には会っておりません」
「そうかい」
そう言って、女達は目を伏せた。
それから何かをためらった後、訥々と語りだした。
「もう、三月ばかりになるのかねぇ、おミネちゃんに、不幸があったんだよ。この辺りで悪さをしてる侍がいてねぇ、そいつらに、酷いことされて、命まで取られちまった。その時は、治助爺さん、酷い有り様だったよ。食事も喉を通らないみたいで、日に日にやせ細っちまって。そのままぽっくり逝っちまうんじゃないかって、みんなで言ってたもんさ。それがね、突然だよ、突然、目をギラギラさせてさ、何かを探し始めてね、家を空けるようになった。話を聞いても、何も話してくれなくてね。一人で何か、やってたんだろうね。そうやって家を空けるようになってねぇ、ここ数日も、帰って来てないのさ」
「そうでしたか、そんなことが」
「そういや、治助爺さんが家を空けるようになった頃、珍しい人が来てなかった?」
女達の一人が、思い出しように呟いた。
「ああ、いたねぇ。このボロ長屋にゃ不釣り合いな、あれは、お侍様かねぇ」
「いや、刀は差してなかったよ」
「なら、商人かねぇ。身なりの良い格好をしてたから、どこかのお店の番頭とか、もしかすると、伊助さんの仕入先の人かねぇ」
「その方の人相ですが、覚えていらっしゃいますか?」
千蔵は行李を下ろすと、書付帳と筆を取り出した。
それから、女達が矢継ぎ早に好き勝手喋りだした内容を書き付け、それを元に人相書きを仕上げていく。
その様子を、女達が物珍しそうに眺めている。
「人相ですが、こんな感じでしょうか?」
千蔵は、出来上がった人相書きを女達に見せた。
女達は感心した様子でその人相書きを眺め、ここが違う、あちらが違うと注文をつける。
その言葉に従って、千蔵は人相書きを改めていく。
「ああ、これだよ、この顔だ」
一人がそう言うと、他の女達も納得した様子で頷いている。
「なるほど、この男ですか」
人相書きは、少し頬のコケた切れ長の目をした男の顔になっていた。
「色々とお手間をいただきまして、誠にありがとうございます」
千蔵はその場にいた女達に餞別を渡すと、深々と頭を下げた。
「治助さんのことが心配ですので、私の方でも探してみたいと思います」
千蔵は再度頭を下げると、女達に背を向けた。
その背後から、餞別の中身に驚き、女達の歓喜の声が響いていた。
治助の長屋からの帰り道、千蔵は馴染の茶屋に腰をおろしていた。
茶屋の中でも人目の届きにくい隅を定位置にしており、ここでよく一人思案にふけることが多かった。
今も、長屋で描いた人相書きを睨みつけながら、あんみつをつついている。
千蔵は、描き出された男の人相に、何かが引っ掛かっていた。
「何ぞこえぇ顔しなさって、何を見てなさる」
茶屋を一人で切り盛りしている老婆が、新しい茶を湯呑みに注いでた。
千蔵は手にしていた人相書きを老婆に見せる。
「お種婆さん、この男なんだが、見たことあるかい?」
お種と呼ばれた老婆は、人相書きを手に取ると食い入るように見詰めた。
「恐ろしい目をした男だ。やくざ者かい。あたしは関わりたくない男だよ」
「そう、そうだな。この男が、お店の番頭とは、正直思えない」
「何を言いなさる。こんなおっそろしい男が、お店に座ってるたまかい。馬鹿をお言いでないよ。こういうのは、荒事を力で抑える、そういう連中の中にいるもんだ」
千蔵は残るあんみつをかき込み、湯呑みを中身を一気に飲み干した。
そして、人相書きをお種からひったくるように取り上げると、多めの銭をおいて茶屋を飛び出していく。
その様子を呆れたように眺めながら、
「相変わらず、落ち着きがないねぇ、あの坊主は」
そう言って、空いた器を下げ始める。
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