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第5話

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 ある日のこと。

 アーシャが皇子と外交官からの連絡を心待ちにしながら、いつも通り庭の縁側でぼうっとしていると、突然、母がやってきて騒ぎ立てる。

「まあ、アーシャ。あなたこんな所にいたの? さっさと立って、こっちに来なさい」

 アーシャはギョッとして何事かと思いながらも、急き立てられるまま、母の言う通りついて行くと納屋に閉じ込められた。

「母上、急にどうされたのですか?」

「大切なお客様が来たのよ。妹の顔に泥を塗りたくないでしょう? 早く納屋に入って。終わるまで出ちゃダメよ」

 アーシャは怪訝に思いながらも大人しく母の言い付けに従った。

 来客対応から外されるのはいつものことだが、納屋に閉じ込められるのは学生時代以来のことだった。

 だいたい皇子との再会以降、アーシャに会いたいと申し出てくる貴公子はわんさかいるというのに、いまだに妹の顔を立てて自分を嫌がるお客様がいるとは。

 いったいどれだけレギオナ嫌いなお方なのだろう?

 アーシャは不可解に思いながらも、ため息を吐いて納屋の段差に腰掛けた。

 皇子を匿っていた頃から自分の定位置になっていた段差だ。

 理不尽だと思う気持ちはあったが、こればかりは仕方がない。

 皇子との会談を立派に終えた後でも、母と妹の自分に対する刺々しい態度は変わらなかった。

 むしろ以前にもまして敵愾心をむき出しにしているようにさえ感じられる。

 アーシャはやさぐれた心を沈め、皇子が猫だった頃の思い出に浸り、自らの心を慰めた。



 アーシャが納屋に閉じ込められた後、さる貴人を乗せた馬車がルゥ邸にたどり着く。

 お忍びでの来訪だった。

 そのお忍びで来られた貴人とは、何を隠そうワイアット皇子である。

 皇子は屋敷の通りを進みながら、かつてアーシャと共に過ごした庭を目を細めながら見つめた。

(懐かしいな。アーシャはいつもあそこに腰掛けて、私にリーン公国の言葉と魔法を教えてくれた)

 あの時、入れなかった屋敷の母屋に入ることができて、立派な淑女となったアーシャのもてなしを受けることができる。

 そう考えるだけで皇子は感無量だった。

 そうして、懐かしさに浸りながら、応接間に通された皇子だが、彼を迎えたのはアーシャではなく、妹のターニャだった。

「こんにちは。皇子様」

 愛くるしい笑顔を向けるターニャに皇子は困惑しながらも微笑んだ。

 すぐに母親と主人もやってくる。

(これがレギオナの皇子様……)

 ターニャは一目皇子を見ただけで、その危うい魅力にすっかり魅入られてしまった。

 目を輝かせるターニャに対して、皇子はあらかじめ用意していた贈り物を渡した。

「これは私からの贈り物です。皆様のお気に召すとよいのですが……」

「わあ。何この宝石、綺麗」

 ターニャは贈られた煌めく琥珀入りの首飾りに目を輝かせた。

「それはレギオナ産の魔石です」

「皇子様、ありがとー。私のためにこんなに綺麗な宝石をとってきてくれて」

「喜んでいただけて何より。あの、ところでアーシャはどうしたのですか? 先ほどから姿が見えないようですが」

「申し訳ありません皇子。アーシャったら突然体調を崩したみたいで」

「アーシャが!?」

 皇子は血相を変えて、立ち上がった。

「ええ。せっかく皇子様が来てくれたっていうのに。本当にだらしのない子で」

「アーシャはどこにいるんです? すぐにお見舞いさせてください」

「いえいえ。お見舞いするほどのことではありませんわ。ただ、面会はできないようなので、本日はこの妹のターニャがお相手させていただきます」

「はあ。そうですか」

 皇子は違和感を感じながらも、アーシャの容体がそこまで酷くはないことにホッとする。

「お母様。これを……」

「まだ、何かくれるの?」

 ターニャは皇子の取り出した贈り物箱に目を輝かせた。

「今日、アーシャに贈ろうと思っていたものです」

 それを聞いて、ターニャは途端に不機嫌になる。

 というのも、どう見ても自分向けのものよりも豪華な箱に入っていたからだ。

「私もそっちがいいわ」

「これは私が預かっておきましょう」

 母親はアーシャへの贈り物を受け取って自分の脇に置く。

 皇子はルゥ邸で受けた歓待に困惑しながらも、アーシャの親族なので愛想よく振る舞った。

 この度の訪問の意向は、あらかじめ伝えておいたはずなのに、ルゥ家の人々はなぜそれを無視するようなことばかりするのだろう?

 皇子はまた訪れることだけ伝えて、その日は屋敷を後にした。

 次に訪れた時も、折悪くアーシャは席を外していて、皇子の応対にはターニャがあてがわれた。

 アーシャとは真逆のタイプの美人で、よく喋る社交的で明るく、蜜のように甘い笑顔の娘だった。

 彼女の首元には、なぜかアーシャにプレゼントしたはずのダイヤの首飾りが煌めいていた。



 アーシャが何かおかしいな、と気付いたのは皇子の2回目の訪問時だった。

 この時もアーシャは納屋に閉じ込められていたのだが、異変はそれだけではない。

 使用人達がどこかソワソワして自分に何か言いたそうにしている。

 外交官からも皇子からも連絡が一向に来ない。

 妹がリーン公国近辺では採れないはずの宝石を身に付けて、これ見よがしにジャラジャラ鳴らしている。

 一番仲のいい使用人に問い詰めたところ、事の重大さと罪悪感に耐えきれず、白状した。

 アーシャが納屋に閉じ込められている間に皇子が訪問していたこと。

 皇子と外交官からの手紙や連絡を一切、アーシャに知らせないよう母から命令されていたこと。

(まったく、この後に及んでまだこういうことをするのか)

 妹はにわかに急上昇した姉の評判に取って代わりたい。

 母親としてもこれまで社交界で妹を推してきた手前、今更引き下がれない。

 そんなところだろうか。

 レギオナ帝国とリーン公国の友好同盟が結ばれるかどうかの瀬戸際で、まだ自分達のせせこましい体面に拘っているのだ。

 皇子が来ると納屋に閉じ込められる。

 ということは、逆に言えば、納屋に閉じ込められている日は、皇子が訪れているということである。

 今、まさにアーシャは納屋に閉じ込められていた。

 アーシャはあらかじめ傷付けておいた鍵を工具で破壊して納屋から脱出した。

 長らく踏み越えなかったラインを越えて、客間へと向かう。



「いったいどういうことです、ルゥさん?」

 ルゥ家の食卓で皇子は穏やかならぬ剣幕だった。

「私は手紙を出したはずですよね? 今度こそ、アーシャに会えるはずだと聞いてこの屋敷にやって来たのに。なぜアーシャの姿がないのです?」

「本当に申し訳ありません、皇子。どうしようもない娘で。せっかくこうしてお忙しい中を来てくださっているというのに。またドタキャンするだなんて」

「お姉様は何か皇子に後ろめたいことがあるんじゃないかしら。ああ見えて、遊びの激しい人だし。頻繁に私達に隠れて納屋に篭っているのよ。いったい誰と密会しているのやら」

 皇子はため息を吐いた。

「レギオナの王族も低く見られたものだな」

「ええ。ええ。本当に躾のなっていない娘で」

「妹としても情けなく思いますわ」

「あんな出来の悪い娘より、どうです? 妹のターニャの方が……」

「お母様、あまり私のことをバカにしないでいただきたい」

「?」

「こんな茶番で私を騙せると思ったか? こんな見え透いた嘘で」

 皇子の冷然とした言い方にその場は凍りつく。

「私はアーシャを差し出すという条件でリーン公国との友好同盟に応じたのです。3度訪問したにもかかわらず、その約束が守られないというのなら、レギオナとリーンの外交問題ということになる」

 皇子はそこで2人に考えさせるために間を置いた。

 ゾフィーもターニャも事の大きさに考えが追いつかずポカンとしている。

「私もこの美しい街を火の海に沈めたくはない。アーシャを出していただけますね?」

 皇子がそう言うと、ゾフィーもターニャも血の気が引いてすっかり青ざめてしまう。

 2人はレギオナ帝国が逆らう国に対して行ってきた暴虐の数々をようやく思い出した。

 ゾフィーはしどろもどろになってよくわからない言い訳を繰り返し、ターニャはどこか逃げ場はないかとソワソワ視線を泳がせるばかりだった。

 そうして皇子がしばらく2人の返答を待っていると、ドタドタと誰かが階段を上がってくる音が響いて、アーシャが部屋に入ってきた。

「アーシャ!」

「申し訳ありません、皇子。どうやら何度も行き違いをしてしまったようで」

 皇子は立ち上がって目を輝かせ、アーシャの手を取る。

「ようやく会えたねアーシャ」

「はい。私もお会いしたかったです」

「君に数日会えなかっただけで、私はどれだけ辛かったことか。けれども、その苦しみも今日で終わりだ。君がこうして私の前に現れてくれたことで、本当に救われた」

「ええ。本当に申し訳ありません。お仕事が進まず、ご迷惑をおかけして……」

「違う。大事なのはそこじゃない。もちろん仕事も大切だよ。けれども、それよりも大事なことがある」

「えっ? お仕事よりも大事な用事? いったい何ですそれは?」

「君のことを愛している。もう私は君なしではいられない。私と結婚してくれ」

「ええっ?」

 アーシャは突然の告白に顔を赤らめ、思わず周囲を見回してしまった。

 父も母も妹もみんな呆気に取られている。

「ちょっ。皇子。困ります。こんなところでそのようなお話を。家の者達がいるのに。せめてそのようなことは2人きりになったところで……」

「もちろん。これから君を誰の邪魔も入らない場所に連れて、愛を証明するつもりだ。お母様。アーシャを連れて行って構いませんね? あなたは散々私から彼女を遠ざけて、私をヤキモキさせたのですから」

「えっ? ええ。はい」

 皇子の大胆な告白にさしもの母親も拒絶する言い訳を思い付くことができず、なすがままに頷くほかないのであった。

 こうして強引に皇子の泊まる宿に連れ去られたアーシャは、三日三晩かけて愛の告白と贈り物を続けられ、皇子からの溺愛を受けた。

 これには流石のアーシャも淑女の仮面を投げ捨てて、首を縦に振らざるをえず、皇子との結婚を受け入れるのであった。

 後日、2人は慌ただしい結婚式を挙げる。

 その後、令嬢の献身と猫皇子の恩返しによって、この街は末長く平和を保つことになる。

 アーシャとワイアットは夫婦として末長く幸せに暮らすのであった。
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