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第1話
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夕食の後、アーシャがいつも通り庭の縁側で1人座り込んでいると、母と妹の声が聞こえてきた。
「さあ、たっぷりおめかししないとね。今日、これから来られるのは、かの名門ウンディーネ学院でも秀才の誉れも高いノルウィン公子よ」
「お姉様は?」
「あんな奴、追い出していいわよ。家に居られても辛気臭くて敵わないわ」
「それもそうね」
2人の嘲るような話し声を聞いて、アーシャはそよ風に耳を澄ますだけだった。
母ゾフィーの妹贔屓は今に始まったことではない。
それに嵩を着た妹ターニャの意地悪も。
アーシャは華やかな妹ターニャに比べて、容姿も地味だし、おしゃべりも面白くない、気の利いたお世辞も言えない。
社交好きな母がアーシャを疎ましく思い、妹のターニャを可愛がるのは当然の成り行きだった。
妹による根回しの成果もあって、アーシャは社交場から全て締め出されている状態だ。
おかげで同年代の娘達が次々と結婚を決める中、すっかり行き遅れてしまった。
今では、来客のもてなしからも外されるようになっている。
こうして庭の縁側以外、家の中に落ち着ける場所がなくなって久しい。
なので、多少の嘲りを受けようとも今さら傷付くようなことはなかった。
それに母妹の嫌味を聞かされるのもあと少しの間だけだ。
アーシャはもうすぐ敵国に売られるのだから。
レギオナ帝国。
近年、皇子ワイアットの改革の下、急速に力をつけ、勃興した大国だ。
地の精霊魔法圏最大の陸軍国として頭角を現し、水の精霊魔法圏の近隣諸国をも圧迫している。
アーシャの住むリーン公国もその例外に漏れない。
レギオナ帝国の皇子ワイアットは、リーン公国に対し自国の軍隊の自由な通行および補給を要求してきた。
小国であるリーン公国は、この危機に際してあっさりとレギオナ帝国の皇子にこうべを垂れた。
他の近隣諸国も呆れるほどの弱腰ぶりである。
こうしてリーン公国はその素早い翻意によって、どうにか友好同盟にありつこうとするものの、レギオナ帝国の皇子は、なぜか我が国の令嬢をご所望だという。
レギオナ帝国軍を歓迎するパーティーにおいて、リーン公国の貴婦人達を出席させるよう要求してきたのだ。
この恐ろしい申し出にリーン公国の御令嬢達は恐れ慄くばかりで、普段は社交界に意気揚々と繰り出す彼女らも突然の心身の不調を訴え、せっかくのパーティーを急遽欠席するのであった。
これでは皇子の要望に応えられない、とリーン公国の高官達が困り果てているところに、アーシャの母親ゾフィーが名乗りをあげた。
「あら、それならうちにちょうどいい年頃の娘がいますわ」
アーシャを厄介払いしたいルゥ家と、レギオナの要望に応えなければならない政府高官の間で利害が一致したというわけである。
アーシャはいつになく愛想のいい母親に急き立てられて、買い物に出かけた。
政府から公金をもらったゾフィーは、ルゥ家としては規格外に豪華な衣装をアーシャに着せるのであった。
アーシャが生贄に捧げられると聞いて、最初はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていたターニャも、アーシャの煌びやかなドレス姿を見て、目を丸くし、最後の方はぶすっとして不貞腐れる始末であった。
実の娘にも冷ややかなゾフィーであったが、こういうことにかけては抜群の手腕を発揮した。
そうして、ついにレギオナ帝国の皇子率いる第一軍がリーン公国の首都リミオネに進駐する日がやってきた。
果たしてどんな野獣共がやってくるのか。
戦々恐々としていた街の人々は、中央通りを歩いてくるレギオナ帝国の精鋭部隊に目を見張った。
数十年前までは、遊牧の民であったレギオナ人。
馬や羊と共に暮らし、その乳と肉のみを食して暮らす野蛮な民族、近年、バラバラであった部族を統合し、急速に都市での生活を身に付けたが、魔法文明圏ではいまだに野蛮な民族とのイメージが拭い切れていないレギオナ人。
ところが、実際にこうして進駐してくる彼らを見たリミオネ民の反応はどうしたことだろう。
この国では見られないエキゾチックな黄色の瞳。
屈強な肉体の中にも優美さを備え、野生的な風貌の中にも都会的な物腰柔らかさが見られ、一人一人が剛力無双の勇者であるにもかかわらず、その一糸乱れぬ行進ぶりは整然と統率されており、皇子への忠誠心の高さが伺える。
リミオネの人々は一目でレギオナの精兵達に心奪われてしまった。
街はすっかりお祭り騒ぎになった。
恐ろしさと野蛮さばかり強調されていた敵国の兵士達だったが、いざ街の中央通りにその姿を見せるや、その美々しく着飾った精悍な男達に街の令嬢達は色めき立つ。
レギオナの正規軍が屋敷の前を通り、柔らかな微笑みが向けられるだけで、黄色い声をあげ、感激のあまり花瓶に差してあった花を2階から放り投げる娘もいるほどであった。
そうして、ひと時の華々しいパレードに心奪われ、体調不良もどこ吹く風、元気を取り戻した街のご令嬢達であったが、今度は深刻なうつ症状に見舞われる。
なぜ、自分達はレギオナの皇子を迎えるパーティーを欠席してしまったのだろう。
なぜ、この街に来たばかりの皇子にいの一番にご挨拶するという栄誉ある役割をみすみす手離してしまったのだろう。
レギオナの兵士達を見た今となっては、自分達の愚かしさを呪うばかりであった。
彼女らは海よりも深い後悔に苛まれながら、1人パーティーで皇子をもてなすアーシャを恨めしく見送るほかなかった。
「さあ、たっぷりおめかししないとね。今日、これから来られるのは、かの名門ウンディーネ学院でも秀才の誉れも高いノルウィン公子よ」
「お姉様は?」
「あんな奴、追い出していいわよ。家に居られても辛気臭くて敵わないわ」
「それもそうね」
2人の嘲るような話し声を聞いて、アーシャはそよ風に耳を澄ますだけだった。
母ゾフィーの妹贔屓は今に始まったことではない。
それに嵩を着た妹ターニャの意地悪も。
アーシャは華やかな妹ターニャに比べて、容姿も地味だし、おしゃべりも面白くない、気の利いたお世辞も言えない。
社交好きな母がアーシャを疎ましく思い、妹のターニャを可愛がるのは当然の成り行きだった。
妹による根回しの成果もあって、アーシャは社交場から全て締め出されている状態だ。
おかげで同年代の娘達が次々と結婚を決める中、すっかり行き遅れてしまった。
今では、来客のもてなしからも外されるようになっている。
こうして庭の縁側以外、家の中に落ち着ける場所がなくなって久しい。
なので、多少の嘲りを受けようとも今さら傷付くようなことはなかった。
それに母妹の嫌味を聞かされるのもあと少しの間だけだ。
アーシャはもうすぐ敵国に売られるのだから。
レギオナ帝国。
近年、皇子ワイアットの改革の下、急速に力をつけ、勃興した大国だ。
地の精霊魔法圏最大の陸軍国として頭角を現し、水の精霊魔法圏の近隣諸国をも圧迫している。
アーシャの住むリーン公国もその例外に漏れない。
レギオナ帝国の皇子ワイアットは、リーン公国に対し自国の軍隊の自由な通行および補給を要求してきた。
小国であるリーン公国は、この危機に際してあっさりとレギオナ帝国の皇子にこうべを垂れた。
他の近隣諸国も呆れるほどの弱腰ぶりである。
こうしてリーン公国はその素早い翻意によって、どうにか友好同盟にありつこうとするものの、レギオナ帝国の皇子は、なぜか我が国の令嬢をご所望だという。
レギオナ帝国軍を歓迎するパーティーにおいて、リーン公国の貴婦人達を出席させるよう要求してきたのだ。
この恐ろしい申し出にリーン公国の御令嬢達は恐れ慄くばかりで、普段は社交界に意気揚々と繰り出す彼女らも突然の心身の不調を訴え、せっかくのパーティーを急遽欠席するのであった。
これでは皇子の要望に応えられない、とリーン公国の高官達が困り果てているところに、アーシャの母親ゾフィーが名乗りをあげた。
「あら、それならうちにちょうどいい年頃の娘がいますわ」
アーシャを厄介払いしたいルゥ家と、レギオナの要望に応えなければならない政府高官の間で利害が一致したというわけである。
アーシャはいつになく愛想のいい母親に急き立てられて、買い物に出かけた。
政府から公金をもらったゾフィーは、ルゥ家としては規格外に豪華な衣装をアーシャに着せるのであった。
アーシャが生贄に捧げられると聞いて、最初はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていたターニャも、アーシャの煌びやかなドレス姿を見て、目を丸くし、最後の方はぶすっとして不貞腐れる始末であった。
実の娘にも冷ややかなゾフィーであったが、こういうことにかけては抜群の手腕を発揮した。
そうして、ついにレギオナ帝国の皇子率いる第一軍がリーン公国の首都リミオネに進駐する日がやってきた。
果たしてどんな野獣共がやってくるのか。
戦々恐々としていた街の人々は、中央通りを歩いてくるレギオナ帝国の精鋭部隊に目を見張った。
数十年前までは、遊牧の民であったレギオナ人。
馬や羊と共に暮らし、その乳と肉のみを食して暮らす野蛮な民族、近年、バラバラであった部族を統合し、急速に都市での生活を身に付けたが、魔法文明圏ではいまだに野蛮な民族とのイメージが拭い切れていないレギオナ人。
ところが、実際にこうして進駐してくる彼らを見たリミオネ民の反応はどうしたことだろう。
この国では見られないエキゾチックな黄色の瞳。
屈強な肉体の中にも優美さを備え、野生的な風貌の中にも都会的な物腰柔らかさが見られ、一人一人が剛力無双の勇者であるにもかかわらず、その一糸乱れぬ行進ぶりは整然と統率されており、皇子への忠誠心の高さが伺える。
リミオネの人々は一目でレギオナの精兵達に心奪われてしまった。
街はすっかりお祭り騒ぎになった。
恐ろしさと野蛮さばかり強調されていた敵国の兵士達だったが、いざ街の中央通りにその姿を見せるや、その美々しく着飾った精悍な男達に街の令嬢達は色めき立つ。
レギオナの正規軍が屋敷の前を通り、柔らかな微笑みが向けられるだけで、黄色い声をあげ、感激のあまり花瓶に差してあった花を2階から放り投げる娘もいるほどであった。
そうして、ひと時の華々しいパレードに心奪われ、体調不良もどこ吹く風、元気を取り戻した街のご令嬢達であったが、今度は深刻なうつ症状に見舞われる。
なぜ、自分達はレギオナの皇子を迎えるパーティーを欠席してしまったのだろう。
なぜ、この街に来たばかりの皇子にいの一番にご挨拶するという栄誉ある役割をみすみす手離してしまったのだろう。
レギオナの兵士達を見た今となっては、自分達の愚かしさを呪うばかりであった。
彼女らは海よりも深い後悔に苛まれながら、1人パーティーで皇子をもてなすアーシャを恨めしく見送るほかなかった。
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