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お忍びの夜

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翌朝に再び、ラファエルが乗馬に誘いにバクスター邸にやって来た。フロックコートを着た紳士らしい装いが大人びていてドキリとさせられた。
「おはよう、ティファニー」
「おはよう、ラファエル」
眩しいくらいの笑みに、ティファニーは昨日まるでマクシミリアンから奪うかのようにダンスに誘われた事が思い出されてその眼差しが、どんな感情をもっているのか…気になってしまう。
ティファニーは今日は青色の乗馬ドレス。
フォレストレイクパークに行くので、朝からきっちりとした身仕度をしている。
今日はすでにルナの馬を連れてきてくれたので、バクスター邸からフォレストレイクパークに向かう。
「じゃあ、行こうか」
「そうね」
連日なので少し慣れたので、並足で散歩くらいなら問題なくこなせそうだ。駆け足はやはりまだ怖い。
ゆっくりと馬を並ばせて行くと、さりげなく通りやすい道を選んだり慣れないティファニーを気遣ってくれているのがわかる。

緑豊かな公園は朝の社交場でもあり、ポツリポツリと貴族たちがそれぞれ散歩している。
会釈を交わしあったり、近くなったら声を交わす。

「湖の方まで行こう」

湖の近くまで来ると、馬から降りてラファエルが鞍につけた荷物から飲み物を出してくる。
「緊張したら喉が乾いただろ?」
「あ、ありがとうラファエル」
ベンチに二人で並んで座る。
にっこりと笑みを作ったけれどちゃんと笑えているのか少しだけ心配になる。
外気はまだ寒いけれど、春はだんだんと近づいてきている。あともう少し。朝の光が湖面をキラキラと反射させて、とても綺麗だった。

「来て良かった…とても綺麗」
呟いたティファニーに、ラファエルが満足そうに笑う
「だろ?」
ニヤリと笑うと、途端にいつものヤンチャっぽいラファエルである。

こんな風に二人で出掛けるなんて、ラファエルにとっては何でもない事?自惚れても良いのだろうか?
ルナの言っていた、仲良くしてる令嬢がティファニー以外にいないという言葉は本当なのだろうか?

去年の、デビューもしていない何も知らなかったあの頃なら、
『これってデートなの?』となんの躊躇いもなく聞くことが出来たのだろうか?

「なに?」
「ううん。なんでもないの」
「今日、だね?」
それがなにを示しているのかは、ティファニーには分かる。
「そうよ」
「夜会は?」
「今日はね、急病になる予定なの」
「相変わらず大胆」
くくっとラファエルが笑う。ふふっとティファニーも笑い返した。

「よし、じゃあそろそろ戻ろうか」

鞍にいつものようにラファエルが乗せてくれる。錯覚してしまいそう…。こうしていると…恋人のような気がしてくる。

ルナの馬は、ティファニーの拙い手綱捌きにも機嫌を損ねることなく無事に邸に到着する。

「今日はどう?一緒に…」
「じゃあ、遠慮なく一緒にさせてもらうよ」
「え?本当?」
「なに?本当は嫌だって?」
「違っ」
2頭をバクスター家の厩務員に預けると、ティファニーは自分の居住する西棟にラファエルと共に入っていった。

「デューイ、ラファエル卿も今朝は一緒に食事をするから、お願いね」
「承知いたしました」
突然だから、デューイたちの手配は大変だろうけれど、彼らには仕事に対する誇りがある。それを信頼するしかない。

「着替えてくる…」
広間にラファエルを通すと、ティファニーは自室に戻った。
「エマ~」
「はい、ティファニー様。気合いをいれて準備しますよぉ~」
エマがにこにこと朝のドレスを持ってきた。
「…二人で…食事なんて…どうしたらいいの?」
「まぁ、ティファニー様ったら」
くすくすとエマが笑う
乗馬ドレスを脱がせて、朝のドレスを変わりに着せる。

「いつものように、話されればよろしいでしょう?」
「…でも、二人なのよ?」
「あらあら、ティファニー様ったら。本当にお可愛らしいですね


ドレスを変えて、髪を編み込むと早々と朝の令嬢スタイルの完成である。
「ラファエルお待たせ」
「あ、ああ。大丈夫だよ」
ラファエルは広間にあった本を椅子に据わって読んでいた。
「それ、フルーレイス語の詩集。普段から読むの?」
「ああ、一応ね。寄宿舎では必須だよ、ティファニーも読むんだ」
「これくらい読めないとって、ジョルダン先生が」
ため息混じりで言うと
「聞いてあげるよ」
ふっとラファエルが笑みを作って、本を渡してくる。
「えっ…」

けれど、無駄に話題を探すよりは暗唱の方がいいかもしれない。
《春の日の光、透ける草の葉の模様。小川のせせらぎ、銀色の魚。光る鱗。愛しい人の、影が瞳に写る》

ティファニーは暗唱をはじめる。
時々、ラファエルが発音を訂正してくる。

「なんだか先生が増えたみたい」
ほぅとティファニーは息を吐いた。
「乗馬をして、これだけ暗唱したら食欲がわくだろう?」
「…うん…」
確かにいつもより、たくさん食べることが出来そうな気がした。
こんなに単純な事だったのだろうか?

会話に心配していたけど、ラファエルは色々な話題を持っていて、ティファニーはそれに対して相槌を打てばほとんどの会話はこなせた。
こういうそつない貴族令息らしい事も、難なく出来るのだ。とあらためて感心してしまった。
食事が終わって、お茶をしていると
「ティファニー様、ジョルダン卿がお越しでございます」
「え?そうなの?」

「私はそろそろお暇をするから問題ないよ」
ラファエルは椅子から立つと、デューイがさっとコートを着せかける。
正面ホールに行くと、ジョルダンが待っていた。
「おはよう、ジョルダン」
「おはよう、ラファエル。来てたんだね」
にっこりとジョルダンがラファエルに微笑みを向ける。
「私は届け物だよ。靴と、それから本だ。前のはそろそろ飽きてきたんじゃないかと思ってね」
箱と本をデューイに渡すと、ジョルダンはラファエルと共にそのまま帰っていった。

新しい靴は、淡いピンク色で可愛らしいリボンがついていた。
「あ、可愛い」
「本当に、素敵な靴ですわね」
エマがにこにこと返事をする。

いつものように、ピアノを練習していく。しっかり時間をかけて指を動かして、そして、発声の練習もしていく…

昼過ぎに、急に頭が痛くなったティファニーは、エマに薬をもらって部屋で休むことになっている。よく、ティファニーは頭痛に悩まされるのだ…。

「じゃあ…ソックス…出掛けてくるね」
こそこそと猫に話しかけたティファニーは、これから《クロイス》に向かう。後ろには膨らんだベッド。

エマが下がった後の夕刻、ティファニーは質素なドレスを身に付けて、こっそりと部屋を抜け出していく。
邸から抜け出すのは難しくない。すでに、交代で門衛を勤めている彼らとはすでに顔見知りであり、彼らの認識では下級メイドだと思っているに違いない。

今日はラファエルが〈アリアナ〉に会いにくる。
自然と口許が綻ぶ。
いつものように、クロイスの従業員が馬車に乗せてくれる。 
既に馴染んだ、メイクとドレス。
薄暗い照明のもとでは、少し知っているくらいの知人ならティファニーに気づかないと思う。

「アリアナ、今日も頼むね」
サイモンがにこにことご機嫌な口調で言ってくる。
「はい。Mr.サイモン」
「これは今日の曲の順番だよ」
「はい、わかりました」
「…アリアナ、恋人と上手くいってるのかな?なんだか綺麗になったよ?」
くすっと笑みをもらす
「ええっ?」
「その慌てよう。いいねー若いっていうのは」


アリアナの出番は今日も一番手である。
ロマンティックなピアノ曲を奏でて行く。こうして、音楽の世界に浸ると、ティファニーは心地よくいられた。
続けて、サイモンが指定したしっとりとした歌を歌う。
店内に、ピアノとティファニーの歌う声が響いていて客たちの耳を楽しませ、話を弾ませる。

いつものように、指定された曲を演奏するとそっとお辞儀をして舞台袖にさがる。
ちらりと見えた客席には…舞台近くにラファエルの姿。どうやら、彼も夜会をサボったかこれから向かうのか…。
ラファエルが少し笑みを向けてくる、そしてティファニーもそっと笑みを返した。

「アリアナ、来てたね?彼!」
サイモンがワクワクといった雰囲気で聞いてくる。
「なんですか…彼って…」
メイクを落としながら、ティファニーはサイモンに言った。
「もちろん、恋人なんだろう?カッコいい男の子だねえ。創作意欲がわいてくるよ」
「目立つから、すぐにわかってしまうわね」
くすくすとエリカが言う。
「それにしても、去年からだからそろそろ結婚でも考えてみたら?」
「ミセスエリカ、そういうのじゃありません、から」
「あら、なんにも無くて、わざわざ夜会をサボって貴女を見に来ないわよ」
うんうん、と横でサイモンがうなずいている。
「あんなにカッコいい男の子でも口説くのを躊躇するんだね。ちょっとは二人きりにならないとね…それも夜がいいな」
「だ、ダメですよミスターサイモン!」
「固いなぁ…。少しくらい淑女のたしなみとやらはおいておいて、ねえ?エリカ」
「二人きりはともかく、テラスくらいそろそろ行ってみれば?」 
「テラスって…よくご存じですね」
確かに上流社会に詳しい風ではある。
「あら、私もかつてはレディと呼ばれた身よ」
くすっとエリカが笑う。

「サイモンは、三男なのよ。貴女と同じ子爵家のね」
「そうでしたか…」
確かに貴族的な雰囲気はあったが…この高級そうな店構えをみて気づくべきだったかも知れない。

「まずはテラスよテラス」
にこにことエリカが言っている。
「機会があれば…」
グッと拳を握ってサイモンが
「彼がキスくらいしそうなら怖がらないで受け止めるんだよ?男っていうのは、意外と繊細だから断られるとものすごく落ち込むからねぇ…。嫌われたと思いかねない」
「みミスター.サイモン!」
ふふふっとサイモンが、なにやらメロディを口ずさみながら立ち去っていく。
もしかしたら新曲を思い付いているのかもしれない。

「今日は彼に送ってもらう?」
ふふふっとエリカがサイモンにそっくりな笑みを浮かべる。夫婦は似てくると言うけれどこういう風になるんだ…。
「い、いえ。そんな…」
「ちょっと聞いてくるわね」
エリカはティファニーの返事を待たずに、さっさと滑るように歩いていく。

「アリアナ、支度はどぉ?」
「大丈夫です、出来ました」
「いつものように、裏口で待ってるから。今日は彼が」
うふふとエリカがアリアナの背を押して、裏口へ続く扉を開ける。
「じゃあ、今日もお疲れ様ね」

外に出ると、ラファエルが立っていた。
「お疲れ様」
「ありがとう、来てくれたんだ」
「来るって言っただろ?」
ラファエルが、屈んでティファニーの顔を覗きこむ。
「ミセスエリカが、その。変なこと言わなかった?」
「変なこと?」
「その…。ラファエルが、私の恋人だって勘違いしてるから…無理を言ったのじゃないかなって…」
「…恋人か…」 
ちらりとラファエルはティファニーを見る。

サイモンが男って繊細だから、といっていたのを思い出す。

「あ、あの。嫌だとかそうじゃなくって…、ラファエルはカッコいいし、モテるし、それに、優しい所もあるし…あと、えっと…その…」

何を言ってるのか自分でもわからなくなって、ティファニーは手を無駄に動かした。

「い、今の言葉は無し、ね。言ってて自分でも分からなくなってしまったから」

と言うとラファエルは吹き出した。
「あの、アリアナがこんなだとは誰も思わないだろうな」
くくっと笑った。
「あの、アリアナ?」

ティファニーだけどティファニーじゃないアリアナはどんな風に見えているのだろう?

「そう。アリアナは繊細で可憐で、そして綺麗だよ」
思わず赤くなる。

「せっかく、護衛役を仰せつかったから、じゃあ行こうか」
無理矢理笑いを収めたラファエルが、ティファニーの手を握った。

手を触れた事は何度もある…なのに…こうして、ダンスでもなく乗馬でもなく触れられるという事にドキドキが止まらない。

少し前を歩くラファエル。
「そういえば…ジョルダンと、仲がいいんだな」
「え…ジョルダン?」
「来てただろ?家に」
急にジョルダンと言われて、戸惑った。

「あ、本と靴ね」
「靴?」
「ジョルダンが、靴職人を紹介してくれたの。それで私に合う靴が出来あがって来たから届けてくれたの」
「ふぅん?靴ね…」
「え…何か、駄目?」

「いや…。そういうの気が回るの、やっぱり大人だなって悔しくなっただけだ」

「何故だかわからないけれど、単に親切心からだって…」
「親切ね…」

なんだか機嫌を損ねた気がする…。

「ね、ねぇ…今日は夜会は無かったの?」
「…あったよ…。でも別に、そこまで重要じゃない」
「そう、なの」

どうしよう…。何を言っても機嫌を直せない気がしてくる…むしろ何が悪かったのかわからないから、また余計な事を言ってしまいそうだ…。

好きだと自覚する前なら、気にせずにポンポン言えたのに…!

「ティファニー…この辺までだよな?」
「えっ…」

必死に歩いているうちに、いつものクロイスの送迎の地点まで来たようだ。
「おやすみ、ティファニー」

ラファエルは繋いだ手をそのまま唇に押し当て指先にキスをする。夜目にも煌めく緑の瞳がティファニーを射ぬいていた。

「…きゃ…」
不意打ちのその行動に思わず声をあげてしまって、反対の手で口を塞いだ。
「ごめんなさい!ちょっとだけ…驚いてしまって」

「驚いたって?」
くすっとラファエルがやっと笑った。
「ここで見てるから、早く帰るといいよ」
「うん…わかった…」

するりと手が離れる。

温もりが急速に無くなり手が冷えてくる。
「おやすみなさい、ラファエル。送ってくれてありがとう」

ドキドキしたまま、ティファニーはバクスター邸の門衛に声をかけて入れてもらう。

そっと通用口から邸に入り二階へ上がる。
窓からは、分かれた路地は見えにくいがそこにまだいるかも知れないと思うと、なかなか自室に入れなかった。

唇が触れた指先が、その柔らかな感触をくっきりと覚えている。
その指先はその一瞬で特別な体の一部になってしまった。

ここは彼の触れた場所だから…。

見つかってもいけないので、ようやく体を自室に運んでベッドにティファニーのかわりに寝かせていた枕に顔を埋めて
「きゃーきゃーきゃー」
と叫んでみる。そうせずにはいられなかった。

ゴロゴロと転がると、寝ていたらしいソックスが
「みぎゃ」
と抗議の声をあげた。
「あ、ゴメンねソックス」
よしよしと撫でる。
「ソックス、今日ね…」
とヒソヒソと言いかけて 
「あ、やっぱりソックスにだって言えない」
「にー」
いつもより低い鳴き声で鳴くと、再び丸くなくって目を閉じる。

「ねぇ…少しは、自信を持ってもいい、ですか?」
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