mistress

桜 詩

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第三章

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ライアンからの指示で、ウィリスハウスのあるところから離れた所で待っていた馬車に乗り込むと、馬車はかの一夜を過ごしたブルーウィング・ホールに着いた。

明るい陽光のもと、美しいその屋敷の素晴らしさを改めて見せつけた。名前の通り、青い翼を広げたような外観は壮麗で、圧倒的な偉容を誇っていた。
玄関ホールを屋敷の執事に招き入れられ、アネリはそのままライアンの私室に案内された。
扉が閉まり、机の前にはライアンが座っていた。
「アネリ…」
ライアンが呼びかけた。
「…」
アネリはなんと呼びかけて良いのか…言葉にならなかった。
その代わりに、早足でライアンに駆け寄ると、立ち上がって受け止めたライアンの背に手を回して抱きついた。
「ライアン…」
ライアンの堅く引き締まった胸板に頬を押し付けたまま、その名を口にした。
「…私は、決めた…」
ライアンの青い瞳がまっすぐにアネリを射ぬいた。
「妻とは、別れようと思う。そうでなければ、君を愛してる…と、躊躇わずに言える訳がない…」
「でも…そんな事が可能なの…?」
アネリは、ライアンの家庭を壊してしまうことに戦慄を覚えた。
「問題は、他にもある…」
アネリは首を傾げた。
「君の身分についてだ…アネリ・メルヴィルは本来なら存在しない…。エレナ・ヘプバーンに戻らなければならない…」
アネリははっとライアンを見た。
「すべて、片付いたら私と結婚をしてくれないか?アネリ…いやエレナ」
まさか、そこまでライアンが考えているなどと、思いもしなかった。
「ライアン…そこまで…して、私と一緒になることを望んでくれるの?」
アネリは涙が溢れた。
「今、確実な約束をすることが出来ずにいる。必ず、すべての準備を整えて、君を迎えに行くと約束をしよう。証は何もない…だが…必ずやり遂げる。それまで待っていてくれ」
ライアンの決意を込めた声音にアネリはただ、
「はい、必ず待っています」
とだけ答えた。

ライアンは、アネリの唇に刻印のように口づけを贈ると、
「エレナ…」
アネリ、いやエレナはぞくり背を震わせた。真の名に、心が反応した。時を経て与えられたその感触に、エレナは夢ではない
これは夢ではないと何度も言い聞かせた。

しかしこれから待ち受けている事を思えば、すべてを忘れて幸せな気持ちに浸るにはあまりにもライアンが背負っている物は大きく、そして多かった。
それを、これからやり遂げると決意を述べたライアンと、その家族にエレナはただひたすら心の中で、ごめんなさいと叫ぶしかなかった。そして、ライアンにすべてを託すしかない、己の無力さを呪うしかない…。
しかしもはや、譲れない…。その一線は越えたのだ。
エレナは彼の妻と戦いの火蓋がいま、切って落とされたのだ。
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