恋じかけの錆びたはぐるま〜アンドロイド失踪と彼女の恋慕〜

きどじゆん

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捜索開始

#4

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 ありがとうございました、という声。
 その声の主は、今しがた黒居さんとの打ち合わせに使っていた喫茶店の店員さんによるものだった。
 お店から去った僕に向け、見送りの声までかけてくれたらしい。

 今どき珍しいレトロな喫茶店だった。
 注文を取りに来たのも人間だし、会計伝票だって紙だった。
 僕はここと似たような喫茶店へ何度か足を運んだことがあるからいいが、慣れていない人なら会計伝票の紙を渡されても頭に疑問符を浮かべてしまうだろう。

 今の時代、あらゆるものが電子化、機械化されている。多くの喫茶店だって効率化されており、人間の手を介することが少ない。
 注文はテーブル席に備え付けの専用端末からするし、注文の品を運んでくるのはロボットだし。お会計は店のドア前にあるゲートが来客の所有する電子デバイスを読み取って自動的に済ませてくれる。
 そういったものに慣れている人間からすれば、先程の喫茶店は親しみにくいものなのだろうーーその証拠に、店内には人が少なかった。僕と同世代の人はおらず、ふた周りほど上の世代の人間が多かった。他にも、僕にはよくわからないタイプの人たちーーおそらくアンドロイド排斥派や科学にふやけさせられた人間の尊厳を憂える集団ーーが居た。

 しかし、時代に取り残された喫茶店であっても使い所はそれなりにある。
 静かに読書にふけりたいときの居場所として、あるいは、聞き耳をたてられたくない話をする場所として。

 歩くこと四十分。
 黒居さんとの待ち合わせに使った喫茶店からスタートし、大学の機械工学部棟にたどり着くまでそれくらいの時間が過ぎていた。
 学部棟の入り口でスリッパに履き替え、迷うこと無く目的の部屋の前まで足を運ぶ。
 ノック三回。
 それから扉の向こうにいるであろう人物へ声をかける。

かじー? 僕だけど」
 返事はない。もう一度、今度は少し大きめの声で言う。
「里見だけど、昨日連絡した件、今からでもいいかー?」
 またしても返事はないーーが、代わりに部屋の向こう側で微かな動きがあった。
 オフィスチェアーのウレタン製キャスターが転がる音、続いてスリッパをひっくり返す音。さらにスリッパを床にこする音が、足音と一緒に近づいてくる。

 ドアのロックが解除され、開いた。
 そこに立っていたのは、この研究室の一員、梶一葉かじひとはだった。
「里見。来るのが遅い、今日は来ないものかと思ったぞ」
「ごめん。少しばかり野暮用があって」
 へえ、という感嘆の声。
「いつもは時間に正確なお前が珍しい……なるほど、恋人とでも会っていたか」
「それは違う。そっちの野暮用じゃない」
「女物の香水の香りがするが、違うのか?」

 そう言われて、とっさに僕自身に「動くな」と命じた。
 慌てて否定してはいけないし、表情に動揺を映してもいけない。
 梶一葉は、対面した相手に挨拶がてらこういうことを言ってくる。
 相手を探るようなカマをかけてきたり、先手を取ってこちらの言動を潰してきたりする。
 そういった行動や喋り方、その頭脳の優秀さをまとめて、高校時代の同級生は彼女を次のように表現した。ちなみに良い意味と悪い意味を含めたあだ名である。

「『ミス・パーフェクト』にしては珍しいミスだな。確かに僕は女性と会ってはいたけど、その人は恋人ではない。ついでに言うとその人は香水も付けていない」
「そのあだ名はやめてくれ……しかし、そうか。お前は女性と会っていた、そしてその人物は男と対面するときに己をよく見せようとするタイプではない」
 今日、黒居さんは香水を付けていなかった。
 飾り気が無いとも言えるが、実務的な面で考えて、彼女は香水を付けるようなことはしないだろうーー探偵業において、自分の残り香を他人に印象付ける必要性は薄い。

「となると、個人的な用件ではない。他人が絡むような用件で会っていたか」
 僕は返事に困った。梶の見立てが当たっていて、うんともすんとも言えない。
「お前はわかりやすい。お前が表情を固める時は、だいたい私に何かを読み取らせたくないときだ」
 僕は自分の失敗を嘆いた。
 梶が今のような話し方をする時ーーつまり『他人の行動について説明する』時、すでに彼女は確信を得ている。

「里見が以前巻き込まれたようなアンドロイドの事件が起こった。それであの時に繋がりのできた女探偵、たしか黒居だったか? そいつと会っていたのだろう」
「……怖いな」と僕は言った。
 称賛と畏怖の混じり合ったものが僕の脳内にじんわり広がっていた。
「これぐらいはすぐに分かる。お前が私に『アンドロイドについて聞きたいことがある』と連絡してきた時点で、予測のアウトラインはできていた」
「でも、どうして梶が黒居さんのことを知ってるんだ。あの人はそこまで有名人じゃないぞ、事務所の情報すらインターネットに公開していない」

 黒居さんは正規の探偵業だから、事務所を構えているし、表札に名前を出している。
 ただし、たまたま手元にあったであろう大きめの付箋に『黒居探偵事務所』とサインペンで書いて、それを表札にペタリと貼り付けているだけだが。
 過去の事件の後で事務所を訪れたときは、付箋が剥がれかけていたので僕が貼り直したくらいだ。
 今頃はもしかしたら剥がれて風に飛ばされてしまっているかもしれない。

 梶は訝しげな様子で、半眼で僕を見ていた。
「なんだい、その目」と僕は言った。
「いや、事件の当事者のくせに知らないんだなと……あの探偵はそれなりに有名だぞ。特にアンドロイド関連では」
「そうなのか?」
「いくら有利な状況を準備していたとはいえ、アンドロイドの『PRM-σパームシグマ』を相手に戦い、破壊してのける人間はそういないだろう。あのシリーズはーーいや、なんでもない。事件の被害者であるお前に言うようなことではないな」
「気になる言い方しておいて。だいたい『PRM-σ』ってなんだ? 『PRM-λラムダ』が最新モデルじゃないのか」
「その程度も知らないか……『λ』は家事用アンドロイドのスタンダードモデルだ。実際にはそれ以外にも存在する」

 梶がそういうからには、それが事実なのだろう。
 彼女はアンドロイド関連技術の修学においては、抜きん出ている。論文も発表していたはずだ。タイトルは……忘れたけど、アンドロイドの未来の姿について論じたもので、「学生ならではの大胆な観点が評価に値する」という、機械工学部の教授方からの好意的な評価を得ていた、らしい。
 その『大胆な観点』とやらは、僕が読んでも具体的イメージに落とし込めなかったわけだが。

「まあ、入り口で立ち話もなんだ。中で話をしよう」
 踵を返して研究室の中へ戻っていく梶に、僕も続いた。
 ドアを閉めると、外界からの音が途切れた。梶が言うには、ドアを閉ざした研究室の中は無線の電磁波を遮断し、室外からの音を打ち消す仕組みになっているらしい。

「それで、何を聞きたいのかな、里見は」
「……もしかしたら、それも予測してるんじゃないか」
 正解だ、と梶は言った。
 彼女は自席のチェアーに腰を下ろすと、足を組んだ。
「いくつか思い浮かべたものはある。しかし確率的にありえそうなことといえばーー雄志くんの所有するアンドロイドが失踪した。そして里見はそれを捜すためのヒントを得られればと思って、私に話を聞きに来た、といったところかな」
「知ってたのか?」
「ただの予測だよ。しかし、まあ、私は起こりうる確率の高いものを元にして考えているだけだから、『予定』と言い表したほうが正しいかもしれない」
「起こりうるべくして、ってこと?」
「そう……ただ、そういう事態であれば、私にとっては喜ばしいことだ」
 それはどういうことか、と僕が言おうとしたところで、梶は続けた。
 
 ーーあのアンドロイドは雄志くんにはふさわしくない。
 ーー彼にふさわしいアンドロイドは、私が用意しようと思っていた。
 ーー消えてくれたのなら、せいせいしているよ。

 微笑みながらそう語る同窓生に対して、僕は言葉を思い浮かべられなかった。
 梶がアンドロイドに対して好意的でない発言をするのを、初めて見たからかもしれない。
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