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 仲が深まったきっかけは、ジュースをおごるよと、僕から彼女を誘ったことだった。
 この時点での僕と彼女は、学校の友だちというよりもただのクラスメイト同士でしかなかった。

 その日の僕は、たまたま小銭入れ付きの財布を忘れたまま家を慌てて飛び出していて、昼食を買うために非常用として生徒手帳に仕込んでいた千円札を使ってしまい、そこから惣菜パンの代金を差し引いたぶんの小銭がジャラジャラと鞄のポケットで遊んでいる状態だった。
 歩くたびに煩わしく鳴るそれらをなんとかして片付けたいと思ったから、昼休みに読書している彼女にジュースをおごる気になったのだろう。
 彼女に対して、僕は個人的に親近感をもっていた。教科書以外の活字の本を読むクラスメイトは、彼女の他に居なかった。僕は他人が静かに本を読んでいる姿が好きだった。その佇まいの静けさが落ち着くのだ。
「別にいいけど」と言って彼女は席を立った。読んでいる最中の文庫本(おそらく小説)には、彼女の細い指が挟まっていた。親指の第一関節ぐらいの厚みのある本だった。
 彼女はそれを持ったままで、教室の外へと向かっていった。
 さっきまで彼女のいた机の上にはしおりが置かれていた。風で飛ばされないか心配したけど、冬の窓から冷たい空気を取り込むような気配り、または嫌がらせをやってのける人間は誰も居なかったので、それは無駄な配慮だった。

 道すがら、何の本を読んでいたのかと彼女に尋ねると、答えてくれた。
「小説。見る?」
 と言うと、片方の手の指先を器用に動かして本をひろげた。
 確かに見せてくれたが、読んでいる途中のページを見せられても何について書かれているか分からない。そもそも彼女は僕に本を手渡す気はないようだった。そのつもりがあるなら、本の中身を見せながらスタスタと歩き続けるわけがない。
 観念して僕の方から質問する。
「どんな話なの?」
「え? うん……なんだろ、よくわからない」
 よくわからないとはどういう意味なのか。
「もしかして專門的で難しい言葉だらけとか?」
 彼女は首を振って否定した。
「大人の男の人と女の人が話してるだけで、難しくはないんだけど。読んでてなんだか不自然、ていうかすっきりしない気分になる」
 たぶん私の想像力が足りないだけなんだろうけど、という前置きの後で具体的に教えてくれた。
「二人とも落ち着きすぎてて違和感あるっていうのかな。リアルに考えて、こんな話し方する人いないよねって考えちゃうんだ。そのせいで話が頭に入ってこない」
「ああ、そういうこと」と僕は理解した。
 僕自身、小説を読んでいるときにそれを感じたことがある。話し方、もしくは説明の仕方が、情緒あふれていたり言葉選びが流れるように美しかったりする、頭にスッと沁み入る台詞まわしのことだ。たしかに、創作ではない現実の会話の中で、人間同士がああいう話し方はしない。広い世界にはそういう人もいるかも、とは思うがおそらく僕はそのタイプの人に遭遇したことはない。

 校内の自動販売機の前につくと、彼女は少し離れた位置から、「コーヒーの甘いやつがいいな、ブラックはなし」と言った。僕は何でもよかったので、微糖の缶コーヒーを二つ買って、片方を差し出した。
「ありがと……あれ? ちょい待って」
 コーヒーを受け取った、かと思ったら彼女は僕の横を通り過ぎて、自販機の方へゆき中腰になった。そして僕に向かってこう言った。
「おつり取ってないよ。だめじゃん、もったいない」
 彼女は硬貨返却口から小銭を取り出すと僕へ手渡してきた。
 手元に返ってきた――返ってきてしまったそれらを見て僕は言った。いや、口を滑らした、の方が適切か。
「今日の僕はお釣りをとる気分じゃないんだ」

 誓っていうが、別に僕は彼女に悪意を持っているわけではない。どちらかといえば好ましいが、じゃあ好き嫌いの二択なら好きかというとそうでもないし、その逆でもない。これは二極で片付けられるような話ではないのだ。
 彼女に議論をふっかけるつもりで口走ったわけではないのだけれど、どうやら彼女の激しいまばたきのあとの「はあ?」という低い声から察するに、僕はどうやら無神経にもデリケートな領域へ踏み込んだらしい。
 そして僕は放課後になってから、彼女に呼び出され、連行された。
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