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「遅いぞ! 何分待たせるつもりだ!」
メルツァー侯爵は妙に不機嫌だった。
私の姿を見るなり怒鳴りつけ、怒りを叩き付けてきた。
その怒声に首をすくめたくなるのを耐えて、背筋を伸ばしてメルツァー侯爵に告げる。
「このような時間に訪問などすれば、準備に時間がかかるのは当然でしょう?
待つのがお嫌でしたら、適切な時間に前触れを出してから来られたらいかがかしら」
メルツァー侯爵はソファから立ち上がり、こちらにつかつかと歩み寄ってくる。
「御託はいらん! さっさと私の相手をしろ!」
彼は無理やり私の手を取り、強く握りしめてきた。
「――痛い! 力を弱めてください、メルツァー侯爵!」
「フン! いいからこちらへ来い!」
引きずられるようにソファの前に連れていかれ、私はソファの上に突き飛ばされた。
倒れ込む私に跨ったメルツァー侯爵が、声を上げて周囲の侍女たちに告げる。
「人払いだ! とっとと部屋の中から失せろ!」
侍女たちは私をかばおうと迷ったようだけど、私が頷いて見せると渋々、部屋から出ていった。
彼女たちがどれほど私をかばおうと、今のメルツァー侯爵を止めることはできない。
ここはなんとか、私の力だけで切り抜けないと!
だけど私が決意をした瞬間、私のドレスが破かれていた。
「――何をなさるのですか!」
「半年も待っていられるか! 今すぐお前を屈服させてやる!」
身の危険を感じて、頭から血の気が引いて行く。
気絶しそうになるのを、歯を食いしばって耐えていた。
――今気絶したら、それこそ何をされるか!
両腕で必死にメルツァー侯爵の肩を押しのけようとするけれど、男性と女性の腕力の差は歴然だった。
徐々に近づいてくるメルツァー侯爵の顔、その嫌悪感に私は、力一杯声を上げる。
「――助けてルスト! どこに居るのよ!」
「呼んだかい? お嬢さん」
軽妙な声と共に、メルツァー侯爵の顔面が痛烈に蹴り飛ばされていた。
テーブルをひっくり返して床に転がるメルツァー侯爵が、呆然とソファの後ろを見ている。
私も慌ててそちらを見上げると、頭巾を被ったルストが不敵な笑みを浮かべていた。
……こんな表情、昨日は見なかったな。もしかしてルスト、怒ってるの?
ルストがメルツァー侯爵に冷たい視線を投げかけ、低い声で告げる。
「メルツァー侯爵、貴様の所業は確かにこの目で確認した。
言い訳があれば聞くだけ聞いてやろう」
その言葉で、呆然としていたメルツァー侯爵の顔が怒りで真っ赤に染まった。
「貴様、何者だ! 高貴な私の顔を蹴り飛ばして、ただで済むと思うなよ?!」
ルストがドレスの破れた私に上着を被せながら、メルツァー侯爵に応える。
「高貴? 貴様が? 今の行いのどこに品性があったのか、説明をしてもらおうか」
ルストがソファを飛び越え、私を背に庇うように立っていた。
そのルストの顔面を、メルツァー侯爵が拳で殴り抜いた。
おそらくメルツァー侯爵の全力だろう拳を、ルストは顔面で受け止めるように平然と立っている。
……鍛えてるにしても、頑丈すぎない?
ルストが反撃でメルツァー侯爵の腹に膝蹴りを入れたあと、顔面にお返しの拳を叩きこみ、メルツァー侯爵は再び床に転がっていった。
「メルツァー侯爵よ、今確かに、私の顔に殴りかかったな?
――フェリシア、相違ないか」
こちらに振り向いたルストに、私は黙って頷いた。
ニコリと微笑んだルストが、再びメルツァー侯爵に振り向いて厳しい声で告げる。
「メルツァー侯爵、貴様は誰を殴ったのか、よく見てみろ」
ぽかんとした侯爵が、ルストの顔をまじまじと見て眉をひそめていた。
ルストはフッと笑うと頭巾に手をかけ、それを一気に脱いだ。
あらわになった金と銀、まだらの髪の毛を見て、メルツァー侯爵の顔面が蒼褪めていた。
「――ヴァンダールスト殿下?! なぜこんなところに?!」
殿下? ということは王族? ルストが? どういうこと?
ルストは怒りを隠さない表情、獰猛な笑みで侯爵に告げる。
「なに、父上からこの地の視察をして来いと言われてな。
私も意味がわからなかったが、貴様の悪行の噂を聞きつけたのだろう。
――私の顔面を殴る意味、貴様も理解していよう」
慌てたメルツァー侯爵が必死に声を上げる。
「知らなかったのです! 殿下とわかっていれば、決して暴力など振るいませんでした!」
「そのような言い訳が通ると思うか?
王家に対する反逆罪だ。
貴様の領地と爵位を没収し、死罪を言い渡す。
逃げたければ逃げるがいい。地の果てまでも追いかけるがな」
脱力したメルツァー侯爵は、へなへなとその場にくずおれていた。
私はまだ意味が分からず、メルツァー侯爵を睨み付けるルストを、呆然と眺めていた。
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