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脂ぎった顔、輝かしい頭頂部、そしてねちっこく私の身体をなめ回すように見る目付き。
その全てが、私に嫌悪感を抱かせていた。
目の前の貴族男性が、野太い声で告げる。
「グフフ、ルームスバウム伯爵よ。お前の娘は実に上玉だな。
この娘の年齢はいくつだ?」
お父様が蒼褪めた顔で応える。
「はい、今年で十五歳、冬に成人となります」
「素晴らしい! ならば私の妾となるのにも問題あるまい!」
私は思わずお父様に声を上げる。
「お父様、妾とはどういうことなのですか!」
お父様が目を伏せて私に応える。
「今年も農作物は干ばつで大凶作だ。
このままでは領民たちの生活も危うい。
こちらのメルツァー侯爵に昨年はお助けいただいたが、その借金の返済もままならない。
侯爵に相談した結果、お前を妾とするなら、借金を帳消しにして今年も支援をしてくださるとお約束頂いた。
……不甲斐ない父ですまない、フェリシア。領民のため、メルツァー侯爵の妾に頷いて欲しい」
「そんな……」
私には、それ以上を口にする事ができなかった。
この見るからに下品で年配の男性の妾なんてものに、伯爵令嬢である私がなるというの?
呆然としている私の手を、メルツァー侯爵が勝手に掴んで撫でまわしてきた。
「――いや! 触らないでください!」
走る悪寒で思わず口が声を上げ、手を振り払った。
両手を抱え、縮こまって震える私にメルツァー侯爵が告げる。
「グフフ、品が良く純粋な娘だ。このような娘を妾にするのが、私の夢だった。
これからは私がたっぷりと可愛がってやろう。朝から夜まで、思う存分な」
その言葉の意味を理解した時、私の意識は急速に遠のいて行った。
****
目が覚めると、私は部屋のベッドで寝かされていた。
ベッドサイドに座るお父様が目に入る――憔悴して、落ち込んでらっしゃる。
さっきのは夢じゃないということかしら。
あんな人の妾だなんて、私は絶対に嫌。
だけどお父様だって、私を侯爵の妾になんてしたくないんだ。
うつむいているお父様に、私は静かに声をかける。
「……お父様、少しよろしいでしょうか」
顔を上げたお父様が、少しだけ明るい顔になって私に応える。
「フェリシア、気が付いたか? どうした、言ってごらん」
「メルツァー侯爵以外に、助けて下さる方はいらっしゃらないのですか」
お父様が深いため息をついて応える。
「この辺りの土地の領主は、どこも干ばつによる凶作で苦労している。
中にはメルツァー侯爵に娘を差し出した領主が既にいるくらいだ。
陛下が救いの手を差し伸べて下されば、あるいはなんとかなるかもしれない。
だが今現在、陛下から色よい返事は頂けていないんだ」
「そうですか……」
私の口が、力のない深いため息を漏らしていた。
領民を救うために、私が取るべき道は一つしかないのか。
――たとえ妾といえど、せめて伯爵家の名に恥じないように生きてみせる!
私が心に固く誓うと同時に、お父様が私の手を強く握ってくれた。
「すまないフェリシア、お前にばかり苦労を掛ける」
私は精一杯に微笑んで応える。
「いいえお父様、これも伯爵家に生まれた者の務め。
領民のため、立派に務めを果たしてみせます」
お父様だって、あちこちの伝手を頼って頭を下げて回ってるはず。
それなのに、私だけが家でのうのうとなんてしていられない。
できることは、やらないと。
私は涙ぐむお父様に、微笑みで応え続けていた。
****
メルツァー侯爵は領地に滞在し、度々この伯爵邸を訪れた。
何かにつけては肌に触れてくるのを、私は必死に避けていた。
紅茶のカップを持つ手に伸びてくる侯爵の手を、さっとかわして私は告げる。
「メルツァー侯爵、成人前の女子に触れるのはマナー違反ですわ」
「だがたった半年の違いだろう? 少しお手付きをしたところで、お前は私の物なのだ。なにも変わるまい」
背筋を走るおぞけを必死に我慢し、淑女の微笑みで応える。
「半年前でも未成年は未成年。けじめをつけられない方はみっともありませんわよ」
メルツァー侯爵が嫌らしい笑みを浮かべて笑う。
「グフフ、まだ強がっていられるか。
だが最初の一夜を過ごせば、お前も他の娘と同じように従順になる。
何をしても無駄だと理解し、逆らえば領民が犠牲になるとわかれば、すぐにお前も仲間入りだ。
穢れを知らぬ娘を汚していく快感は、何度味わっても甘美なものよ」
――この男に、侯爵としての矜持はないのだろうか。
心の中で、呆れてため息をついた。
下品で低俗、下劣で愚昧。その知性は人を貶めることのみに使われているようだ。
なんでこんな人が、我が家を救えるほどの力を持ってるのだろう。
他の被害に遭った子たちも、救い出せるといいのに。
短くも長いお茶の時間が終わり、メルツァー侯爵が席を立った。
「今日も楽しませてもらった。また明日を楽しみにしておこう」
――明日も来るというの?!
「何を考えていらっしゃるのかしら。連日我が家を訪れるだなんて、常識外れではなくて?」
毎日来賓の対応を強いるなんて、嫌がらせじゃない!
メルツァー侯爵が嫌らしい笑みを浮かべた。
「その強気な態度がたまらん。フェリシアよ、お前を屈服させる日が待ち遠しい」
私は全身全霊で、魂からほとばしる悪寒を必死に抑え込んでいた。
私が貴族の矜持で保たせた微笑を見て、メルツァー侯爵は満足気に頷いた。
「グフフ、その態度、いつまで保てるか楽しみだ」
身を翻して応接間から出ていくメルツァー侯爵が見えなくなるまで、私は身動きが取れなかった。
彼の姿が視界から消えると、必死に震える全身を抱え込んで両腕をさすった。
――最低! あんな男の妾なんて、死んでも嫌!
私は深い疲労がこもった息をついた後、気を取り直して気合を入れた。
メルツァー侯爵を見送らないと。
嫌がる足をなんとか前に動かし、私は玄関に向かった。
その全てが、私に嫌悪感を抱かせていた。
目の前の貴族男性が、野太い声で告げる。
「グフフ、ルームスバウム伯爵よ。お前の娘は実に上玉だな。
この娘の年齢はいくつだ?」
お父様が蒼褪めた顔で応える。
「はい、今年で十五歳、冬に成人となります」
「素晴らしい! ならば私の妾となるのにも問題あるまい!」
私は思わずお父様に声を上げる。
「お父様、妾とはどういうことなのですか!」
お父様が目を伏せて私に応える。
「今年も農作物は干ばつで大凶作だ。
このままでは領民たちの生活も危うい。
こちらのメルツァー侯爵に昨年はお助けいただいたが、その借金の返済もままならない。
侯爵に相談した結果、お前を妾とするなら、借金を帳消しにして今年も支援をしてくださるとお約束頂いた。
……不甲斐ない父ですまない、フェリシア。領民のため、メルツァー侯爵の妾に頷いて欲しい」
「そんな……」
私には、それ以上を口にする事ができなかった。
この見るからに下品で年配の男性の妾なんてものに、伯爵令嬢である私がなるというの?
呆然としている私の手を、メルツァー侯爵が勝手に掴んで撫でまわしてきた。
「――いや! 触らないでください!」
走る悪寒で思わず口が声を上げ、手を振り払った。
両手を抱え、縮こまって震える私にメルツァー侯爵が告げる。
「グフフ、品が良く純粋な娘だ。このような娘を妾にするのが、私の夢だった。
これからは私がたっぷりと可愛がってやろう。朝から夜まで、思う存分な」
その言葉の意味を理解した時、私の意識は急速に遠のいて行った。
****
目が覚めると、私は部屋のベッドで寝かされていた。
ベッドサイドに座るお父様が目に入る――憔悴して、落ち込んでらっしゃる。
さっきのは夢じゃないということかしら。
あんな人の妾だなんて、私は絶対に嫌。
だけどお父様だって、私を侯爵の妾になんてしたくないんだ。
うつむいているお父様に、私は静かに声をかける。
「……お父様、少しよろしいでしょうか」
顔を上げたお父様が、少しだけ明るい顔になって私に応える。
「フェリシア、気が付いたか? どうした、言ってごらん」
「メルツァー侯爵以外に、助けて下さる方はいらっしゃらないのですか」
お父様が深いため息をついて応える。
「この辺りの土地の領主は、どこも干ばつによる凶作で苦労している。
中にはメルツァー侯爵に娘を差し出した領主が既にいるくらいだ。
陛下が救いの手を差し伸べて下されば、あるいはなんとかなるかもしれない。
だが今現在、陛下から色よい返事は頂けていないんだ」
「そうですか……」
私の口が、力のない深いため息を漏らしていた。
領民を救うために、私が取るべき道は一つしかないのか。
――たとえ妾といえど、せめて伯爵家の名に恥じないように生きてみせる!
私が心に固く誓うと同時に、お父様が私の手を強く握ってくれた。
「すまないフェリシア、お前にばかり苦労を掛ける」
私は精一杯に微笑んで応える。
「いいえお父様、これも伯爵家に生まれた者の務め。
領民のため、立派に務めを果たしてみせます」
お父様だって、あちこちの伝手を頼って頭を下げて回ってるはず。
それなのに、私だけが家でのうのうとなんてしていられない。
できることは、やらないと。
私は涙ぐむお父様に、微笑みで応え続けていた。
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メルツァー侯爵は領地に滞在し、度々この伯爵邸を訪れた。
何かにつけては肌に触れてくるのを、私は必死に避けていた。
紅茶のカップを持つ手に伸びてくる侯爵の手を、さっとかわして私は告げる。
「メルツァー侯爵、成人前の女子に触れるのはマナー違反ですわ」
「だがたった半年の違いだろう? 少しお手付きをしたところで、お前は私の物なのだ。なにも変わるまい」
背筋を走るおぞけを必死に我慢し、淑女の微笑みで応える。
「半年前でも未成年は未成年。けじめをつけられない方はみっともありませんわよ」
メルツァー侯爵が嫌らしい笑みを浮かべて笑う。
「グフフ、まだ強がっていられるか。
だが最初の一夜を過ごせば、お前も他の娘と同じように従順になる。
何をしても無駄だと理解し、逆らえば領民が犠牲になるとわかれば、すぐにお前も仲間入りだ。
穢れを知らぬ娘を汚していく快感は、何度味わっても甘美なものよ」
――この男に、侯爵としての矜持はないのだろうか。
心の中で、呆れてため息をついた。
下品で低俗、下劣で愚昧。その知性は人を貶めることのみに使われているようだ。
なんでこんな人が、我が家を救えるほどの力を持ってるのだろう。
他の被害に遭った子たちも、救い出せるといいのに。
短くも長いお茶の時間が終わり、メルツァー侯爵が席を立った。
「今日も楽しませてもらった。また明日を楽しみにしておこう」
――明日も来るというの?!
「何を考えていらっしゃるのかしら。連日我が家を訪れるだなんて、常識外れではなくて?」
毎日来賓の対応を強いるなんて、嫌がらせじゃない!
メルツァー侯爵が嫌らしい笑みを浮かべた。
「その強気な態度がたまらん。フェリシアよ、お前を屈服させる日が待ち遠しい」
私は全身全霊で、魂からほとばしる悪寒を必死に抑え込んでいた。
私が貴族の矜持で保たせた微笑を見て、メルツァー侯爵は満足気に頷いた。
「グフフ、その態度、いつまで保てるか楽しみだ」
身を翻して応接間から出ていくメルツァー侯爵が見えなくなるまで、私は身動きが取れなかった。
彼の姿が視界から消えると、必死に震える全身を抱え込んで両腕をさすった。
――最低! あんな男の妾なんて、死んでも嫌!
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